②ダフネ
ダフネ・チェバートンは自室の窓際で憂鬱げに外を眺めながら溜息を吐いた。
紅茶を淹れていたメイドが気遣わし気に主人の様子を見る。
「ダフネお嬢様…」
「気を遣わないで頂戴な。わたくしは大丈夫よ」
紅茶のカップを受け取りながら、ダフネは緑色の瞳を逸らしてメイドに告げた。
窓の外では霧雨が音もなく降っている。
夏にしては大分涼しい、ある早夏の事だった。
ダフネは14歳になるチェバートン伯爵家の一人娘だ。
半年前、母が亡くなった。
母は政略結婚でこの伯爵家に嫁いできた子爵家の娘で、父である現チェバートン伯爵とは冷え切った関係であり、ダフネにとっても可愛がってもらった記憶のない、気難しく厳しい母だった。
勿論、伯爵家の跡取り娘として相応の教育を施してくれたとは思っているし、両親への感謝も当然ある。
しかし、”愛されたか”と言われるとダフネ目線では疑問がどうしても残ってしまう、そんな親子関係だった。
母は男児を産めなかった憤りを夫であるダフネの父とダフネ自身にぶつけ、父はそんな母を疎んで領政に没頭し領地にばかり滞在、祖父と母とダフネの住まう王都の屋敷に寄りつく事は殆どなかった。
ダフネを可愛がってくれたのは亡くなった前チェバートン伯爵、祖父だけだった。
物心ついてから、父親にも母親にも邪険に扱われて来たダフネの心は、祖父がいなければ壊れていただろう。
その祖父も2年前に亡くなってもう居ない。
領地から戻ってきた父親は、ダフネに対しては徹底した無関心を貫いている。
虐待を受けている訳では無いが、最低限の挨拶以外の会話はついぞ発生しなかった。
その父親が、母が亡くなって半年のこの節目に、何と平民の女を招き入れるのだという。
おまけにその女には自分と同じ歳の娘がいると聞いた。
深く考える事もなく、そういう事なのだと理解する。
父に嫌悪感を抱くと同時に、この家に馴染む気を見せなかった母を思うとそれも仕方のない事だと思ってしまう自分がいた。
嫌々娶った格下の家格の嫁は気難しく、心を許さなかったのだから、お母様の事は憎らしいに違いない。
その娘であるわたくしなどさぞかし疎ましいだろう。
前伯爵に無理矢理別れさせられた女は平民だと言うが、愛した女とその娘は、お父様にとって格別に可愛らしい事でしょうね。
ならばわたくしはお役御免かしら。
伯爵家の後妻となった平民出身の継母と異母妹に苛められ、実家を追われる伯爵家長女。
まるで流行りのお芝居のようね――ダフネはまるで他人事のようにそんな事を思っていた。
その夕方、屋敷に家の馬車が着くまで窓から外を眺めていたダフネは、
己の部屋に疲れ果てた様子の家令が訪れ、「旦那様がお待ちです」と焦った声音で告げられる事となった。
ダフネはきゅっと顎を引き締めた。
***
「初めまして、ダフネお嬢様。アリスと申します。
お姉様と呼ぶよう言いつかりましたが、流石にそれは憚られるのでお嬢様とお呼びさせて頂きます。
ああ、貴族の方のご挨拶では家名でお呼びするのが正式と伺っておりますが、わた、わたくしは一応ですが、チェバートン家ご当主様に迎え入れられた身と伺っておりますので、お名前でお呼びすることをお許しくださいませ。さて、此度は当家に招き入れて頂けるにあたり、わたくしと母はこの家に永く滞在する事になりますのでご了承ください。
ところで本お屋敷には図書室があると伺いましたが、そちらはわたくしにも使用は許可されますか?されますよね?出来る限り早く蔵書を確認させて頂きたいのです、ああこういった振る舞いが貴族らしからぬとしてもお目こぼし下さい、如何せんわたくし城下の端っこで13年生きておりましたゆえちょっと興奮が」
「お父様、初めましてのお義母さま、大分この娘すごいですわね?」
久し振りに見た父親と、隣に立ったそれなりに美しい女は、げっそりとした顔であらぬ方を向いていた。
「すごい?すごいとはわたくしの事でしょうか。何かお嬢様を驚嘆せしめる振る舞いをしましたでしょうか。それとも」
「い、いいえ、いいのです、普通に姉と呼んでいただいて結構よ、お父様、そうですわね」
「…ああ…お前の妹になるのだ…これからはお前が面倒を見るが良い…」
「ダフネさん…娘をよろしくお願いします…」
何か思ったのと違う。
立て板に水を流すがごとく無表情でまくしたてる娘、アリスと言った、に父も実の母であろう女もげっそりとしている。
父に付き添って二人を迎えに行った家令が、「馬車の中で丸3日この調子で」とこっそり耳打ちしてきた。
あらためて、本日から妹となった娘を見遣る。
平民に良くある茶色の髪色と、父とも自分とも同じ色彩をした緑色の瞳。
髪を肩の上で切り揃えた彼女は、小柄な自分とは違い、同い年にしては長身の部類に入るだろう。
顔立ちは整っているが、どちらかというと男性的な父によく似た目鼻立ちをしていて、何というか、こう、シュッとしている。
あ、あれ?
こういうのって、ふわふわした可愛らしい娘とか胸がボインボインな妖艶な女とかが来るのじゃなかったかしら。
ダフネの母はいかにも貴族然とした高慢な女性であったが、小柄である事を気にして似合わぬひっつめ髪をし、威厳ある女主人を装っていた。おそらく学生時代などは、華奢で小柄な箱入り娘という風体だったのだろうし、ダフネの外見は瞳の色こそチェバートンに良く現れる緑色だったが、薄い蜂蜜色の髪も風体も顔立ちも小柄な体格すら実母にとても良く似ていた。
目の前の新しい義母はアリスとの血を感じるスレンダーで長身の女性だ。
なるほど、お父様の好みはこちらだったのか。
男性は誰でも、ふわふわした可愛らしい娘とか胸がボインボインな妖艶な女が好きなのだと思っていたダフネは認識を改めた。
そりゃあお母様の事は外見でもお気に召さなかったでしょうねえ。
「アリスさん」
「はい、何でしょう、お、おねえさま」
彼女は少し言いよどんだ。
なんだ、この娘だって私と同じく単なる小娘だ。
多少は緊張しているのね。
ダフネはにっこり笑って右手を差し出した。
「チェバートン家が長女、ダフネです。
アリスさんは頭の回転が早いのね。好ましいと思います。
これから家族になるのですから、ぜひよろしくお願いいたしますわ」