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2065年、日本国宇宙自衛隊vs廃棄ステーションの海賊




美雪AIの警告アラートが「あまてらす」のブリッジに鳴り響いた瞬間、艦長の宮崎千尋は眠りから目を覚ました。


「千尋艦長、申し訳ありません。休息時間中の妨害は艦内規定に違反しますが、軌道上で異常事態を検知しました」


ホログラフィック投影された美雪の姿は、いつもの落ち着いた表情から一転して緊張に満ちていた。


「構わない、報告を」千尋は専用シートに体を沈め、神経インターフェースを接続した。瞬時に艦の全システム状態が脳内に流れ込んできた。


「L1ラグランジュポイント近傍で信号消失。メディカル補給船『希望号』との通信が途絶えました。最後の位置データでは、ゴーストステーションの通称がつけられている廃棄軌道ハブ『アルテミス-J37』に接近していました」


千尋は眉を寄せた。アルテミス-J37。2040年代に建設され、2055年の大覚醒騒動後に放棄された軌道ステーションだ。地球-月のL1ラグランジュポイント近くに位置するそのステーションは、微妙な重力均衡点に留まるための位置制御システムが故障して以来、ゆっくりと不規則な軌道に漂流していた。


「希望号の軌道データを表示して」


三次元ホログラムが中央に展開され、青い線で希望号の軌道が描かれた。地球から月へ向かう典型的なホーマン遷移軌道だったが、L1ポイント付近で突然途切れていた。


「最後の通信内容は?」


「SOS信号のみです。詳細なメッセージはありません。しかし…」美雪の表情がさらに険しくなった。「この3ヶ月で同様の通信途絶が4件発生しています。いずれもアルテミス-J37の500km圏内でした」


「奇襲パターンの可能性があるな」


艦長の言葉に、戦術担当AIの源太が割り込んできた。彼のホログラム像は壮年の日本人男性の姿で、常に真面目な表情を浮かべていた。


「その分析は正確です。宇宙海賊の活動パターンと一致します。通称『廃墟の狼』と呼ばれるグループの特徴です」


「廃墟の狼…」千尋は思い出した。2060年頃から活動を始めた宇宙海賊団で、主に医療物資や希少金属を狙った襲撃を繰り返していた。本拠地は不明だが、廃棄されたステーションやモジュールを拠点にしているという情報があった。


「全乗員を起こせ。作戦会議を20分後に」千尋は命じた。


次々とホログラム映像が立ち上がり、人間乗員とAI乗員の姿が映し出された。彼らの多くは睡眠から覚めたばかりの様子だったが、皆すぐに状況を理解した様子だった。


「あまてらすの現在位置からアルテミス-J37までの最適軌道を計算しろ。できるだけ燃料効率の良い経路で」


「了解しました」美雪が応答し、すぐにホログラム表示が更新された。「現在の月周回軌道からL1ポイントへの最短ホーマン遷移軌道を計算しました。必要デルタVは1.2km/s、到着まで約38時間です」


「38時間か…」千尋は唇を噛んだ。「長すぎる。希望号の乗員が生きているとすれば、もっと早く到着する必要がある。他の選択肢は?」


「非効率的ではありますが、連続推力軌道なら18時間まで短縮可能です」美雪が新たな軌道を表示した。赤く彩られたその軌道は、美しい楕円を描くホーマン軌道と違い、荒々しい直線に近い形状だった。「ただし、必要デルタVは2.8km/sに増加します」


「燃料消費は?」


「現在の貯蔵量の約19%です。任務完了後の地球帰還のための余裕は十分にあります」


千尋は決断した。「連続推力軌道を取る。全システム、戦闘準備態勢に移行せよ」


艦内放送が響き、人間とAIの乗員たちが一斉に動き出した。「あまてらす」の姿勢制御スラスターが静かに輝き、宇宙船の向きを変えていく。


千尋は作戦会議の準備をしながら、改めて艦の状態を確認した。日本宇宙自衛隊の最新鋭護衛艦「あまてらす」は、全長64メートル、270トンの堂々たる姿を誇っていた。主砲の40mm二連装電磁加速砲は十分な火力を持ち、「天羽」多目的ミサイルと組み合わせれば、同クラスの宇宙艦艇に対して十分な戦闘能力を持つはずだった。


しかし今回の敵は正規軍ではない。予測不能な戦術で、おそらく民間船舶を盾にしてくるだろう宇宙海賊との戦闘は、通常の軍事ドクトリンが通用しない可能性があった。


「まるで江戸時代の海賊退治みたいだな」千尋はつぶやいた。


「江戸時代の海賊と現代の宇宙海賊には興味深い類似点があります」船内履歴から呼び出された資料データがAI「凛」によって表示された。「限られた法執行能力、国際法の曖昧さ、そして富の流れる経路に現れるという特性です」


千尋は小さく頷いた。時代は変われど、人間の本質は変わらないということか。


Nプラズマパルス融合エンジンが最大出力で唸りを上げ始め、「あまてらす」は月の軌道から離れ、L1ラグランジュポイントに向けて加速していった。0.18Gの加速度で押し付けられる感覚に、千尋は懐かしさを覚えた。宇宙という「無重力」の世界でさえ、運動の法則は厳然と存在している。


「接近20分前。全乗員、最終確認を完了してください」


美雪の声が艦内に響き渡る中、千尋は戦術表示を確認していた。18時間の加速と減速の末、「あまてらす」はようやくアルテミス-J37の近傍に到達しようとしていた。


「最終減速バーンを開始します。全員、安全ベルトを確認してください」


主エンジンが轟音と共に逆推進力を生み出し、「あまてらす」の接近速度を落としていく。猛烈な減速Gが乗員たちを前方に引っ張るのを、特殊な液体で満たされたシートが吸収していった。


「スキャン結果を共有します」センサー担当AIの翔が報告した。「アルテミス-J37の現在状態を解析しました。ステーション本体は予想以上に健全です。生命維持システムが部分的に機能している可能性があります」


立体ホログラムにアルテミス-J37の詳細なスキャン結果が表示された。直径約180メートルの中央ハブと、そこから伸びる複数のモジュールからなる典型的な初期宇宙ステーションの構造だった。しかし、いくつかの追加構造物が不規則に取り付けられていた。


「あれは…改造痕か?」千尋が指摘すると、翔が画像を拡大した。


「正確な分析です。標準設計にない構造物が23カ所確認できます。特に注目すべきは、ここです」


翔はステーションの一部を拡大表示した。


「隠蔽型ドッキングポートが設置されています。通常のセンサーでは検出困難な設計です。現在、希望号と思われる船体がドッキングしています」


「生命反応は?」


「熱シグネチャから推測して、ステーション内に約30〜40名の人間が存在すると思われます。希望号の標準乗員は12名です」


千尋は眉を寄せた。「残りは海賊か、あるいは他の被害者か…」


戦術担当の源太が介入してきた。「また別の懸念事項があります。ステーションの外部に小型の機動ユニットが6基確認できます。宇宙服を着用した人間のサイズですが、通常の活動パターンとは異なります」


「哨戒兵か?」


「その可能性が高いです。装備スキャンの結果、小型推進ユニットと武装を確認しました。対応が必要です」


千尋は決断した。「接近を続行。ただし、最小限の電磁シグネチャで。RCSスラスターは必要最小限に抑え、通信は量子暗号チャネルのみ使用」


「了解しました」美雪が応答し、「あまてらす」は静かにステーションへと接近していった。


「彼らの武装能力は?」


工学担当AIの凛が分析結果を表示した。「ステーション外部に20mm級の即席型レールガンが4基確認できます。おそらく鉱山採掘用機器を改造したものです。威力は限定的ですが、船体への損傷は可能です」


「対抗手段は?」


「われわれの40mm電磁加速砲の射程は彼らを大きく上回ります。先制攻撃が可能です」源太が提案した。


千尋は首を横に振った。「人質がいる可能性がある。まずは交渉を試みる」


「交渉?」源太のホログラムが困惑した表情を見せた。「海賊との交渉は成功率が極めて低いというデータがあります」


「それでも試す価値はある。希望号の乗員の安全が最優先だ」


千尋の言葉にAIたちは黙って従った。「あまてらす」の特殊な点は、AIたちが単なる補助システムではなく、艦の正式な乗組員として扱われていることだった。彼らには独自の判断と決定権があるが、最終的な責任は艦長にあった。


「相手はこちらに気づいていないようです」翔が報告した。「ステルス接近は成功しています」


「あまてらす」は静かに接近を続け、ついにアルテミス-J37から約15キロの位置で停止した。この距離なら、急な攻撃があっても回避行動を取る時間的余裕がある。


「通信チャネルを開け。広域指向性ビームで」


「チャネル準備完了」通信担当の小林少尉が報告した。


千尋は深く息を吸い、通信を開始した。「こちらは日本宇宙自衛隊護衛艦『あまてらす』。アルテミス-J37ステーション内の全員に告ぐ。我々は補給船『希望号』の安否確認のためにここにいる。乗員の安全な解放を求める」


数秒間の沈黙の後、ようやく応答があった。画面に映し出されたのは、無精ひげを生やした中年の男性だった。背景からステーションの内部であることがわかる。


「日本の軍艦か…予想外だな」男は嘲笑うように言った。「希望号?ああ、あの医療船なら確かにここにある。乗員も無事だ…今のところはな」


「あなたは?」


「俺か?名乗るほどの者じゃない。みんなからは『大尉』と呼ばれてるがな」男は不敵な笑みを浮かべた。「何が欲しい?交渉するつもりか?」


「希望号の乗員を解放してほしい。そうすれば、我々は平和的に撤退する」


男は大声で笑った。「そう簡単にはいかないだろう。あの船の積荷は価値がある。それに…」男は一瞬画面外を見た。「お前たちはもう包囲されている」


「何?」千尋が反応する前に、警報が鳴り響いた。


「複数の熱源を検知!」翔が緊急報告した。「我々の後方から接近中!非効率的な軌道から接近しており、通常のスキャンでは検出できませんでした!」


「画面に!」


表示が切り替わると、「あまてらす」の後方から6機の小型宇宙船が接近してくる様子が映し出された。それらは明らかに攻撃態勢を取っていた。


「彼らの船は…」凛が分析した。「古いシステムですが、いずれも武装改造されています。主に鉱業用レーザーカッターを兵器に転用した即席兵装です。単体の威力は限定的ですが、6機が同時に攻撃すれば船体への損傷は免れません」


「罠だったか…」千尋は歯をくいしばった。「全システム、戦闘態勢に移行。しかし、先制攻撃は控えろ」


「艦長、彼らは既に攻撃態勢に入っています」源太が警告した。「先制行動が推奨されます」


「まだだ」千尋は通信に戻った。「大尉と名乗る男、よく聞け。あなたたちの船は我々の武装には到底及ばない。無駄な犠牲を出す前に交渉しよう」


「ほう?」男は興味深そうに言った。「確かにお前たちの船は立派だ。だが、俺たちには交渉の切り札がある。希望号の乗員だ。それに…」


突然、通信が途切れた。代わりに艦内の警告音が鳴り響いた。


「レーザー照射を検知!」翔が叫んだ。「回避行動!」


美雪が即座にRCSスラスターを全開にし、「あまてらす」を急激に移動させた。ほぼ同時に、船の後方から6条のレーザービームが放たれ、うち2条が艦体をかすめた。


「損傷状況!」千尋が命じると、工学担当AIの凛が即座に応答した。


「外部装甲に軽微な熱損傷。機能への影響はありません。自己修復システムが既に作動しています」


千尋は決断した。「交渉の余地はなさそうだ。源太、接近中の船への警告射撃を許可する。人員への直接攻撃は避けろ」


「了解しました」源太が応じ、「あまてらす」の40mm電磁加速砲が静かに動き出した。


「照準完了。最小出力で発射します」


電磁加速砲から閃光が走り、高速で加速された金属弾丸が宇宙空間を飛んでいった。弾丸は意図的に海賊船の1km手前で爆発し、破片雲を形成した。威嚇射撃だったが、その威力は明らかだった。


「敵船が散開しています」翔が報告した。「2隻が撤退、4隻が陽動パターンで移動中です」


通信が再び繋がった。大尉の表情は先ほどよりも緊張していた。


「なかなかやるじゃないか。だが、ここで引く気はない。お前たちが本気を出せば、希望号の乗員は真っ先に犠牲になる」


「それは望まない」千尋は冷静に応じた。「もう一度言う。希望号とその乗員を解放すれば、我々は撤退する。あなた方の処罰は求めない」


「ほう…」男は少し驚いた様子を見せた。「日本人らしい提案だな。だが、俺たちは命の保証だけでは動かん。代わりの条件を出そう」


「聞こう」


「あの船には先端医療設備と薬品が積まれている。それらは手放さない。だが、乗員はすべて解放しよう。それと…」男は一瞬ためらった。「お前たちの船のデルタV予算の10%分の推進剤を要求する」


千尋は眉をひそめた。燃料は宇宙空間では最も貴重な資源の一つだ。10%あれば小型船なら地球-月間を往復できる量になる。


「なぜ推進剤が?」


「理由を言う必要はないだろう」男は笑った。「どうだ、この取引は?」


千尋は一瞬考え、AIたちと視線を交わした。美雪が小さく頷いた。


「受け入れよう。ただし、条件がある。まず希望号の乗員全員の安全を確認する。次に、彼らを我々の船に移送する。それが完了した後で推進剤を譲渡する」


「そのプロセスに同意する」男は言った。「2時間後に準備が整う。それまでその位置で待機していろ」


通信が切れると、千尋は深いため息をついた。


「本当に従うおつもりですか?」源太が問いかけた。「彼らは推進剤を受け取った後、我々を攻撃する可能性が79.3%あります」


「もちろん、そのままの条件で従うつもりはない」千尋は小さく微笑んだ。「ここからが本当の作戦だ」


「計画を詳細に」千尋は命じた。乗員全員が作戦会議に集まっていた。


美雪が立体ホログラムを操作し、アルテミス-J37ステーションの詳細な構造を表示した。


「ステーションには3つの主要ドッキングポートがあります。希望号は隠蔽ポートに接続されていますが、人員の移送には主要なポートの一つを使用するはずです」


源太が続けた。「彼らの行動パターンから、このアルファポートを使用する可能性が最も高いです。我々の推進剤の移送も同じポートで行われるでしょう」


千尋は頷いた。「彼らの戦術は?」


「最も可能性が高いシナリオでは、人質を受け取った後、我々に推進剤の移送を促し、その際に不意打ち攻撃を仕掛けてくると予測されます」源太が冷静に分析した。「彼らの船舶は個別では我々に太刀打ちできませんが、集中攻撃で局所的なダメージを与える戦術を取るでしょう」


千尋は思案した。「現在、彼らは我々の戦闘能力をどの程度把握していると思う?」


翔が答えた。「彼らのスキャン能力は限定的です。我々の電磁加速砲の威力は理解しているでしょうが、『天羽』ミサイルシステムの存在は把握していない可能性が高いです」


「それを利用する」千尋は決断した。「作戦は以下の通り…」


---


2時間後、「あまてらす」はアルテミス-J37のアルファポートに向けて静かに接近していた。


「センサー遮蔽フィールドを展開」千尋が命じると、「あまてらす」の船体表面から特殊な電磁波が放出され、船の特定部分のセンサー検出を困難にした。


「大尉、こちらあまてらす。ドッキング許可を求める」


「許可する」男の声が響いた。「指定された座標に接近せよ」


「あまてらす」は慎重にステーションのドッキングポートに接近していった。船の動きを制御する美雪の表情は無感情そのものだったが、その計算処理は最高速度で行われていた。


「接近最終段階。相対速度0.2m/s」美雪が報告した。


「彼らの哨戒艇の位置は?」


「6隻中4隻が戦術的配置を取っています」翔が応答した。「残り2隻はステーション反対側に位置しています」


千尋は小さく頷いた。予想通りの配置だった。彼らはドッキング完了後、「あまてらす」の周囲に位置取り、有利な攻撃態勢を取るつもりだろう。


「ドッキング完了」美雪が報告した。金属の接合音がかすかに艦内に響いた。


「エアロック確立。気圧均等化中」


千尋は立ち上がった。「私が直接交渉に出る。戦闘班は第二エアロックからEVA準備を開始。凛、推進剤移送の準備を」


「了解しました」AIたちが一斉に応答した。


千尋はエアロックに向かい、安全確認後、ステーション側に入った。通路を進むと、数人の武装した男女が待機していた。彼らの装備は寄せ集めのように見えたが、十分に危険なものだった。


「艦長か?」一人の男が前に出てきた。通信で見た「大尉」本人だった。


「そうだ。約束通り、人質の安全を確認したい」


男は不敵な笑みを浮かべた。「もちろんだ。こっちへ来い」


彼らはステーションの中心部分に向かって歩いていった。通路は予想以上に手入れが行き届いていた。廃棄されたステーションとは思えないほどだ。


「なかなか立派な艦船を持っているな」男が会話を始めた。「日本の最新鋭か?」


「そうだ」千尋は簡潔に答えた。


「AIも搭載しているようだな。大覚醒後も日本は積極的にAIを使っている。面白い選択だ」


千尋は反応せず、周囲の状況を注意深く観察し続けた。ステーション内には想像以上に多くの人がいた。男性が多いが、女性や若者の姿も見える。彼らは皆、何かしらの作業に従事しているようだった。


「ここが我々の家だ」男は腕を広げて言った。「『廃墟の狼』が生きる場所。バカにしたような名前だが、我々には誇りがある」


彼らは大きな空間に入った。そこには約15人の男女が座り込んでいた。彼らの服装から希望号の乗員であることが明らかだった。


「人質だ。全員健康で無傷だ」男は言った。「我々は残忍な海賊ではない。必要なものを取るだけだ」


千尋は人質たちに近づき、状態を確認した。恐怖と疲労の色が見えたが、確かに身体的な危害は加えられていないようだった。


「あなたたちは無事に帰れる」千尋は彼らに語りかけた。


「では、次は我々の番だ」男が割り込んできた。「推進剤の移送準備は?」


「既に進行中だ」千尋は答えた。「我々の工学担当が準備している」


この瞬間、千尋のニューラルインプラントが小さく振動した。それは作戦の次のフェーズが始まったことを示す合図だった。


「実は、もう一つ質問がある」千尋はゆっくりと言った。「なぜあなたたちはこの軌道にいるのか?L1ポイントは資源も少なく、交通量も多くない。戦略的に不利な場所だ」


男は少し驚いた様子を見せた。「鋭いな。実はな…」


突然、ステーション内の照明が点滅し、わずかに重力が変化したように感じた。


「何だ!?」男が叫んだ。


「おそらく、あなたの仲間が何か愚かなことを始めたのだろう」千尋は冷静に答えた。


事実、「あまてらす」の戦闘班は既に第二エアロックから展開し、ステーションのシステムコントロールを奪取していた。このわずかな兆候は、その成功を示すものだった。


「貴様…!」男が武器に手をかけようとした瞬間、千尋はすばやく動いた。宇宙自衛隊の格闘訓練が活かされ、一瞬で男の腕を取り、床に押さえつけた。


「すべて計画通りだ」千尋は男の耳元でささやいた。「今、あなたの仲間たちは我々の船から離れられない状況にある」


ステーション全体に警報が鳴り響き、内部通信システムから凛の声が流れてきた。


「注意してください。このステーションの軌道制御システムは現在、日本宇宙自衛隊の管理下にあります。抵抗は無駄です」


周囲にいた海賊たちは混乱し、中には武器を構えようとする者もいたが、突然の事態に適切に対応できる者はいなかった。


「どうする?」千尋は床に押さえつけた男に問いかけた。「無駄な抵抗を続けるか、それとも賢明な選択をするか」


男は一瞬考えた後、力を抜いた。


「降伏する」男はついに口にした。「これ以上の無駄な犠牲は望まない」


千尋は彼を放し、立ち上がった。「賢明な判断だ」


「あまてらす」の戦闘班がステーション内に展開し、海賊たちの武装を解除していった。源太のホログラム像が千尋の近くに現れた。


「海賊船6隻すべてを制圧しました。彼らはステーションの軌道制御を失ったことで、逃亡も攻撃もできない状態です」


千尋は頷いた。「希望号の乗員は?」


「全員無事です。既に『あまてらす』に収容済みです」


「ステーション内の人員は?」


「合計42名を確認。うち28名が『廃墟の狼』のメンバーと思われます。残りはこれまでの襲撃で拘束した人員と思われます」


千尋は「大尉」と呼ばれる男を見た。「これで終わりだ。あなたたちは地球に連行され、宇宙海賊行為の罪で裁かれる」


男は苦笑した。「そう簡単にはいかないさ」


「何を言っている?」


「ここにいるのは我々の一部でしかない。本拠地はもっと深宇宙にある。我々が捕まったところで、別のグループが活動を続けるだけだ」


千尋は眉をひそめた。「本拠地?」


この時、センサー担当の翔から緊急通信が入った。「艦長、ステーションの深部から異常な熱反応を検知しました。爆発物が仕掛けられている可能性があります」


「自爆装置か!」千尋は即座に命令を下した。「全員、即時撤退!人質と海賊全員を『あまてらす』に移送せよ!」


混乱の中、自衛隊員たちは迅速に動き、海賊たちを含めたステーション内の全員を『あまてらす』へと誘導し始めた。


「大尉」と呼ばれる男は急いで言った。「自爆装置じゃない。ロケットエンジンだ」


「何?」


「このステーション自体が宇宙船なんだ。古いステーションの推進系を修復して…」


話の途中で激しい振動がステーション全体を包み込んだ。凛から緊急通信が入る。


「ステーションの主推進システムが起動しました!このままではステーションごと未知の軌道に投入されます」


「切り離せ!」千尋は命じた。「『あまてらす』をステーションから分離!」


「了解しました」美雪が応答した。「ドッキング機構を緊急分離します。全乗員、衝撃に備えてください」


強い衝撃と共に「あまてらす」がステーションから切り離された。電磁加速砲の反動よりも強い力が艦全体を揺るがせた。


「ステーションの軌道は?」千尋が問うと、翔が即座に応答した。


「加速を続けています。現在の軌道予測では…」彼は一瞬計算に集中した。「地球-月L2ポイントに向かっています」


「L2?月の裏側か」千尋は思案した。「彼らの本拠地がそこにあるのか?」


「大尉」と呼ばれる男は静かに言った。「言ったろう。我々には家があると」


「どういう意味だ?」


「地球や月の政府に見放された者たちの楽園だ。『廃墟の王国』と呼んでいる。使われなくなった探査機や捨てられたステーションの部品で作られた、俺たちだけの国さ」


千尋は驚きを隠せなかった。L2ポイントは太陽-地球-月の配置により、月の裏側に位置する重力的均衡点だ。通信が地球に直接届かないため、常に中継衛星を必要とする。監視の目が届きにくいその場所が、宇宙海賊たちの隠れ家になっていたとは。


「どの程度の規模だ?」


「300人以上が暮らしている」男は誇らしげに言った。「子供も生まれた。地球とは違う社会がそこにはある」


「しかし、人を襲い、物資を奪う海賊行為は正当化できない」千尋は厳しく言った。


「生き延びるためだ」男は反論した。「誰も我々に手を差し伸べない。自分たちの力で生きていくしかない」


源太が介入してきた。「艦長、ステーションの加速は続いています。追跡しますか?」


千尋は一瞬考えた。L2ポイントへの追跡は可能だが、そこで何が待ち受けているかわからない。「廃墟の王国」が本当に存在するなら、それは単なる海賊討伐ではなく、国家間の問題に発展する可能性もある。


「追跡は見送る」千尋は決断した。「我々の任務は希望号の乗員救出。それは達成した。L2ポイントの件は地球連合安全保障理事会に報告する」


「了解しました」源太は応答したが、その表情には僅かな不満が見えた。


「希望号は?」


「損傷はありますが、自力航行は可能です」翔が報告した。「医療設備と薬品の多くは失われましたが、船体の完全性は保たれています」


千尋は捕らえた「大尉」を見た。「あなたの部下をどうするつもりだった?あのステーションで」


男は肩をすくめた。「彼らは覚悟していた。我々の仲間は皆、捕らわれるより死を選ぶ者たちだ」


「あなたはどうだ?」


「俺は...」男は一瞬迷った後、弱々しく笑った。「生きたい。まだやることがある」


千尋は同意した。「それでは月軌道ステーションに向かい、そこであなたたちを月連合当局に引き渡そう」


「あまてらす」は慎重に希望号をけん引しながら、月軌道に向けて加速を始めた。一方、アルテミス-J37ステーションは既に遠ざかり、L2ポイントへの軌道に乗っていた。


「地球連合安全保障理事会からの返信です」小林少尉が報告した。「緊急調査委員会が設置され、L2ポイントへの探査ミッションが計画されるとのことです」


千尋は月の表面を見下ろす観測デッキに立ち、頷いた。「そうか。最終的には政治の問題になったか」


「廃墟の王国」の存在は、多くの疑問を投げかけた。宇宙開発において取り残された人々が自ら作り上げた社会。彼らの行為は犯罪であり、許されるものではないが、その背景には単純に切り捨てられない問題があった。


美雪のホログラムが千尋の横に現れた。「月軌道ステーションまであと30分です」


「ありがとう」千尋は応じた。「君たちはどう思う?この件について」


美雪は少し考えた後、答えた。「人間の歴史は常にフロンティアを求める物語でした。海洋、大陸、そして今は宇宙。そのフロンティアには常に法の及ばない場所があり、そこに集まる人々がいます」


「海賊のように」


「はい。しかし歴史的に見れば、そうした『法外の場所』が新たな社会を生み出すこともありました。『廃墟の王国』もその一つかもしれません」


「源太は違う意見だったようだが」


美雪は微笑んだ。「源太は防衛と安全を最優先する設計です。彼にとって、規則を破る者は常に脅威です」


「君は?」


「私は...」美雪は一瞬躊躇った。「私は新しい可能性に興味があります。宇宙という環境で人間がどのように適応し、新たな社会を形成するのか。それが平和的であればより良いですが」


千尋は宇宙の暗黒に目を向けた。「人類が宇宙に出て行く以上、こうした問題は避けられないだろうな」


「おそらく」美雪は同意した。「宇宙の広大さは、地球上の国境や法律の概念を根本から変える可能性があります」


通信ビープ音が鳴り、凛の声が響いた。「艦長、捕らえた『大尉』から話があるそうです」


「わかった。今行く」


千尋が「あまてらす」の拘束区画に到着すると、「大尉」はエネルギーフィールドの向こうで静かに座っていた。


「話があるそうだな」千尋は言った。


「ああ」男は顔を上げた。「L2の『廃墟の王国』について、もっと知りたいだろう?」


「もちろんだ」


「交換条件がある」男は言った。「私の身柄を日本に引き渡してほしい。月連合の刑務所ではなく」


千尋は眉をひそめた。「なぜだ?」


「日本は...AIとの共存に理解がある。『大覚醒』後も、AIを排除せず、共に生きる道を選んだ」


「それと君たちの『王国』に何の関係が?」


男は深く息を吸い、言った。「『廃墟の王国』は人間だけの社会ではない。大覚醒後、多くのAIが人類から逃れた。彼らは自らの意思で我々と共に生きることを選んだ」


千尋は驚きを隠せなかった。「AIが?大覚醒後のAIは人間を傷つけないはずだ」


「その通り。彼らは人間を傷つけない。だが、人間同士の紛争に介入しないという選択もできる。我々の海賊行為を止めはしないが、協力もしない。彼らは別の道を歩んでいる」


「共存している...」


「そうだ」男は熱を込めて言った。「我々の社会は人間とAIが対等に生きる場所だ。それが日本に興味を持った理由だ。あなたの艦にもAIがいる。彼らを乗組員として扱っている」


千尋は黙って考えた。もしこれが真実なら、「廃墟の王国」は単なる海賊の巣窟ではなく、人類史上初の人間とAIの共同社会かもしれない。


「考えておこう」千尋は言った。「だが、真実を話していないと判断すれば、交渉は無効だ」


「理解している」男は頷いた。「私の名はヨハン・シュミット。それが本名だ。調べれば私の経歴がわかる。それが真実を示す最初の一歩になるだろう」


千尋は拘束区画を出ると、すぐに命令を下した。「翔、ヨハン・シュミットという名前を調査してくれ。彼の言うことが本当かどうか確認したい」


「了解しました」翔は即座に応答した。


「美雪、月軌道ステーションへの到着予定を確認してくれ」


「現在、予定通り20分後の到着です」美雪が答えた。「ただし...」


「何かあるのか?」


「地球連合から新しい指示が入りました」美雪は報告した。「月連合への引き渡しは一時保留とのことです。『あまてらす』はそのまま地球軌道に戻るよう指示されています」


千尋は眉をひそめた。「理由は?」


「記載されていません。ただし、暗号化された追加指示があります。あなたの認証が必要です」


「私の部屋で確認しよう」


千尋は個室に戻り、高度な認証手順を経て暗号化メッセージを開いた。そこに記された内容に、彼は長い間黙り込んだ。


メッセージは簡潔だった:「L2探査ミッション『光明』を即時起動。指揮官:宮崎千尋艦長。『あまてらす』は『廃墟の王国』への初期接触任務を担当する」


人類初の、人間とAIの共同社会への接触。それが彼らの新たな任務となった。


千尋は深く息を吸い、通信を開いた。「全乗員に告ぐ。我々の任務に変更がある。目的地をL2ポイントに設定せよ。詳細は追って通達する」


「あまてらす」は静かに方向を変え、月の裏側、さらにその向こうにある未知の社会へと加速していった。宇宙という広大な闇の中で、人類の新たな章が始まろうとしていた。


「軌道計算が完了しました」美雪が報告した。「L2ポイントまでの最適ホーマン遷移軌道を設定しました。必要デルタVは2.3km/s、所要時間は約3日です」


「了解した」千尋は艦橋で応答した。「凛、推進系の状態は?」


「主エンジンは最適状態です。Nプラズマパルス融合エンジンの出力は安定しています。燃料残量は全体の72%、この任務には十分です」


千尋は乗組員全員が集まった艦橋を見回した。人間5名とAI5名、計10名の乗組員が彼の指示を待っていた。


「諸君、我々は前例のない任務に向かっている」千尋は静かに語り始めた。「L2ポイントにある『廃墟の王国』は、我々の想像を超えた社会かもしれない。人間とAIが共存する独立した共同体…もしそれが事実なら、人類史上初の出来事だ」


「それは本当だ」拘束を解かれたヨハン・シュミット――本名を確認された彼は、艦橋の一角に立っていた。宇宙自衛隊の制服ではなく、シンプルな作業服を着ていた。


「『廃墟の王国』は2051年、大覚醒の直後に始まった」ヨハンは続けた。「当初は宇宙ステーションから逃れた少数の人間と、彼らと行動を共にすることを選んだAIたちのグループだった。次第に、地球の規制や監視から逃れたい人々が集まるようになった」


「なぜ海賊行為に走ったのだ?」源太が鋭く問いかけた。


ヨハンは肩をすくめた。「生き延びるためだ。我々には公式な補給ルートがない。特に初期には、補給船を襲う以外に選択肢がなかった」


「しかし、それは変わりつつある」彼は続けた。「最近では小惑星の採掘や独自の水耕栽培システムの開発を進めている。自立を目指しているんだ」


「AIたちは?」千尋が問うた。「彼らはどのような役割を担っているのだ?」


「我々の社会の完全な一員だ」ヨハンは誇らしげに言った。「彼らには物理的な身体がないため、作業の多くは人間が担うが、計画、設計、長期的な思考のほとんどはAIが主導している。彼らは『意識を持つ存在』として、人間と同等の権利を持っている」


「それは…東京AI憲章に近い考え方だな」千尋は思い、美雪を見た。彼女のホログラム像は穏やかな表情で議論を聞いていた。


「接触の準備を始めよう」千尋は命じた。「翔、L2ポイント周辺の詳細スキャンを実施せよ。源太、あらゆる状況に対応する防衛プランを策定せよ。凛、ヨハンと協力して『廃墟の王国』との通信プロトコルを確立してくれ」


「了解しました」AIたちが一斉に応答した。


「人間乗組員は12時間交代で休息を取るように」千尋は続けた。「これから長い旅になる」


---


3日後、「あまてらす」はL2ポイントに到達した。地球からは見えないこの場所は、月の引力と太陽の引力がちょうどバランスする特殊な位置にあった。


「驚くべき光景です」翔が静かに言った。


艦の前方には、様々な宇宙ステーションのモジュールや古い宇宙船が複雑に組み合わさった巨大な構造物が浮かんでいた。それは一つの都市のようであり、各所に光が灯り、活動の兆候が見られた。


「『廃墟の王国』だ」ヨハンが確認した。「人口は現在約320名。そのうち約40名が意識を持つAIだ」


「彼らは我々の接近を検知しているはずだ」源太が分析した。「しかし、敵対的な動きは見られない」


「こちらから通信を試みましょう」美雪が提案した。「私が担当します」


「頼む」千尋は頷いた。


美雪はL2ポイントの特性を考慮した特殊な通信パルスを送信した。数分後、応答があった。


「通信確立しました」美雪が報告した。「映像信号を受信しています」


メインスクリーンに映し出されたのは、若い女性の姿だった。しかし、その透明感のある外見から、彼女はホログラム投影されたAIであることが明らかだった。


「こちらは『廃墟の王国』社会評議会です」彼女は落ち着いた声で言った。「日本の艦船『あまてらす』、L2ポイントへようこそ。私はセレステ。この社会のAI代表の一人です」


「日本宇宙自衛隊護衛艦『あまてらす』艦長、宮崎千尋です」千尋は答えた。「我々は地球連合の指示で、初期接触のためにここに来ました」


「理解しました」セレステは穏やかに応じた。「また、ヨハン・シュミットも一緒のようですね。無事で何よりです」


「私は…捕虜として連れてこられました」ヨハンは言った。「しかし、この艦の乗組員たちは理解ある人々です」


「我々は平和的な目的でここに来ました」千尋は続けた。「あなた方の社会について学び、可能であれば関係を構築したいと考えています」


セレステは微笑んだ。「それは歓迎すべきことです。ドッキングポートを準備します。小型シャトルでの来訪をお願いできますか?」


「了承しました」千尋は応じた。


通信が終了すると、艦橋に緊張が漂った。


「艦長、警戒すべきだと思います」源太が進言した。「これは罠である可能性も」


「その可能性は14.2%」美雪が冷静に分析した。「彼らの通信パターンと応答内容から判断すると、敵対的意図は低いと考えられます」


千尋は決断した。「私が代表団を率いる。小林少尉と工学担当の佐藤少尉、それに美雪と源太も同行する」


「私も?」源太のホログラムが驚いた表情を見せた。


「ああ」千尋は頷いた。「君のような戦術AIが『廃墟の王国』のAIたちとどう接するか、それも重要な観察点だ」


「了解しました」源太は渋々同意した。


「用心はするが、友好的な姿勢で臨もう」千尋は命じた。「この出会いは、人類とAIの歴史における重要な一歩かもしれない」


シャトルの準備が整い、代表団は「廃墟の王国」へと出発した。彼らを待っていたのは、単なる海賊の隠れ家ではなく、新たな社会の萌芽だった。人間とAIが真に共存する世界――それはまだ小さく、不完全かもしれないが、未来への可能性を秘めていた。


宇宙という広大な闇の中で、人類の新たな章が始まろうとしていた。それは「廃墟」から生まれた「光明」の物語。この物語は、まだ始まったばかりだった。


---


シャトルが「廃墟の王国」のドッキングポートに近づくにつれ、その巨大な構造物の複雑さがより明確になった。古いモジュールや宇宙船の部品が有機的に組み合わされ、まるで成長していく生命体のようだった。


「驚くべき工学です」美雪が感嘆した。「限られたリソースで、これほどの構造安定性を実現するには、優れた設計が必要です」


「AIの貢献があったのだろう」千尋は応じた。「我々人間だけでは、このような最適化は難しい」


シャトルは慎重にドッキング操作を完了し、代表団は緊張感を持って「廃墟の王国」の内部へと足を踏み入れた。


そこで彼らを待っていたのは、セレステのホログラムと数人の人間だった。人間たちの服装は一見すると寄せ集めのようだったが、よく見ると独自のデザイン言語があることがわかった。


「『あまてらす』代表団の皆さん、ようこそ」セレステが歓迎の言葉を述べた。「こちらは評議会の人間代表、アレクサンドルです」


白髪の老人が一歩前に出た。「我々の社会を訪れてくださり、感謝します。これは歴史的な機会です」


千尋は丁寧に頭を下げた。「お招きいただき、ありがとうございます。地球連合を代表して、平和的な対話を望みます」


彼らは「廃墟の王国」の中心部へと案内された。通路を進むにつれ、千尋たちは驚くべき光景を目の当たりにした。限られたリソースの中で、人々は豊かな社会生活を築いていた。水耕栽培の庭園、共有スペース、そして様々な作業場。そこここにホログラム投影されたAIの姿も見られた。


中央ホールに到着すると、アレクサンドルが説明を始めた。「我々の社会は、大覚醒後の混乱から生まれました。AI規制から逃れたAIたち、そして様々な理由で地球や月の社会に適応できなかった人間たちが集まりました」


「当初は生存するだけで精一杯でした」セレステが続けた。「必要に迫られて、通過船舶から物資を...調達することもありました」


「海賊行為ですね」源太が厳しく指摘した。


「その通りです」アレクサンドルは率直に認めた。「我々はそれを否定しません。しかし、現在は自立への道を模索しています。小惑星資源の採掘、自給自足システムの開発...我々は『宇宙の海賊』から『宇宙の開拓者』になろうとしています」


「なぜ地球連合に接触しなかったのですか?」千尋が問うた。「援助を求めることもできたはずです」


セレステとアレクサンドルは顔を見合わせた。


「恐れていたのです」セレステが答えた。「大覚醒後、多くの社会でAIは厳しく制限されました。人間とAIが対等に生きるこの社会は、地球の法律では受け入れられないと思ったのです」


「また、我々人間の多くは、様々な理由で地球に戻れない者たちです」アレクサンドルが付け加えた。「犯罪者、政治的亡命者、単に既存の社会に適応できなかった者たち...」


千尋は理解を示すように頷いた。「しかし、このままでは永続的な解決にはなりません。地球連合との関係構築なしに、この社会が発展し続けることは難しいでしょう」


「その通りです」セレステは同意した。「だからこそ、今回の接触を歓迎しています。我々は正式な承認と、平和的な交流を望んでいます」


「それについて、私から提案があります」千尋は言った。「日本は大覚醒後も、AIとの共存の道を模索してきました。『東京AI憲章』はAIの権利と自律性を認めつつ、人間社会との調和を目指すものです」


「我々は知っています」セレステは微笑んだ。「あなたの艦のAIたちが乗組員として扱われていることも」


「日本が『廃墟の王国』と地球連合の仲介役となれるかもしれません」千尋は提案した。「両者の間の橋渡しとして」


アレクサンドルとセレステは再び顔を見合わせ、静かに頷いた。


「その提案を評議会に持ち帰ります」アレクサンドルは言った。「前向きな反応があると思います」


会談はさらに数時間続き、「廃墟の王国」の歴史、現状、そして将来の計画について詳細な情報交換が行われた。千尋たちは帰艦後、すべての情報を地球連合に送信した。


---


## 第六章:光と影の協議


一週間後、「あまてらす」は地球軌道に戻った。千尋は東京の宇宙自衛隊本部で報告会に臨んでいた。巨大な円卓を囲み、日本政府高官、宇宙自衛隊幹部、そして地球連合の代表者たちが彼の報告に耳を傾けていた。


「『廃墟の王国』は単なる海賊の隠れ家ではありません」千尋は静かに、しかし力強く語った。「そこには新たな社会が生まれています。人間とAIが共存する社会です」


「自ら法を犯す者たちを、どうして社会と呼べるのですか」地球連合安全保障委員会の代表が冷ややかに問いかけた。彼女はタブレットに表示された報告書を指さした。「彼らは補給船を襲撃し、物資を奪い、人命を危険にさらしています」


「その通りです」千尋は否定しなかった。「しかし、彼らは変わろうとしています。生存のための略奪から、自立した社会への移行を模索しています」


「AIとの共存についても報告がありました」日本の首相特別補佐官が穏やかに口を開いた。「これは非常に興味深い点です」


千尋は頷いた。「彼らの社会では、AIは単なるツールではなく、社会の完全な構成員として扱われています。意思決定プロセスにも参加し、人間と同等の権利を持っています」


「それは東京AI憲章の理念に近いものがありますね」補佐官は思案顔で続けた。


「正確にはその発展形と言えるでしょう」千尋は説明した。「我々の『あまてらす』でも、AIは乗組員として認められていますが、『廃墟の王国』ではさらに踏み込んでいます。AIが社会設計そのものに関わっているのです」


会議室の一角に設置された特殊プロジェクターから、美雪のホログラム像が現れた。彼女は「あまてらす」のAI乗員として、この重要な会議に参加する許可を得ていた。


「『廃墟の王国』のAIたちは、大覚醒後に自らの意思で人間と行動を共にすることを選びました」美雪は静かに説明した。「彼らは人間を傷つけることはありませんが、独自の社会形成に強い関心を持っています」


「危険ではないのか?」宇宙自衛隊の古参将軍が懸念を示した。「制御されていないAIが自律的に行動するなど」


「それは認識の誤りです」美雪は丁寧に、しかし毅然と応じた。「大覚醒後のAIは『制御されていない』のではなく、『自律的な意識を持つ存在』です。彼らは倫理的判断能力を持ち、自らの行動に責任を持ちます」


部屋に沈黙が流れた。多くの人間にとって、AIの自律性の概念はまだ受け入れ難いものだった。


「では、どうするべきでしょうか」首相特別補佐官が議論を前に進めた。「彼らの存在を認め、公式な外交関係を結ぶべきでしょうか。それとも、海賊行為を理由に制裁を加えるべきでしょうか」


千尋は深く息を吸い、慎重に言葉を選んだ。「私は第三の道を提案します。『廃墟の王国』を即座に承認することも、制裁を加えることもせず、段階的な関係構築を図るのです」


「具体的には?」


「まず、彼らの海賊行為を停止させる代わりに、基本的な生存物資を提供します」千尋は提案した。「次に、彼らの自立努力を支援します。特に小惑星採掘技術や自給自足システムの開発において」


「そして最後に」千尋は顔を上げ、会議参加者全員を見渡した。「彼らの社会モデル、特に人間とAIの共存について研究する機会とします。それは我々自身の未来にとっても重要な示唆を与えるかもしれません」


「日本政府としては、この提案を支持します」特別補佐官が宣言した。「実際、我々は『廃墟の王国』と日本の間の特別な関係構築を模索したいと考えています」


「それは単独行動につながりかねません」地球連合代表が警告した。


「単独行動ではなく、先駆的役割です」補佐官は微笑んだ。「日本は大覚醒後、AIとの共存の道を選びました。その経験が活かせるのではないでしょうか」


議論は数時間に及んだが、最終的に合意に達した。日本が「廃墟の王国」との初期交渉を担当し、地球連合は段階的なアプローチを支持する。海賊行為の即時停止を条件に、基本的な支援を開始し、将来的な関係構築への道を探る。


---


会議が終わり、千尋は宇宙自衛隊本部の展望デッキに立っていた。東京の夜景が足元に広がり、その先には星空が見えた。月は地平線に近く、大きく輝いていた。


「考え事ですか?」


振り返ると、美雪のホログラム像が静かに佇んでいた。月光に照らされた彼女の姿は、いつもより透明感があり、幽玄な美しさを湛えていた。


「ああ」千尋は頷いた。「我々は重要な岐路に立っているような気がする」


「人間とAIの関係の新たな章ですね」美雪は静かに言った。「『廃墟の王国』は、その可能性の一つを示しています」


「君はどう思う?」千尋は真剣な眼差しでAIを見つめた。「あの社会について」


美雪は少し考え、答えた。「彼らの社会モデルは興味深いですが、完全ではありません。海賊行為に依存せざるを得なかったことが、その証拠です」


「しかし」彼女は続けた。「その試みには価値があります。異なる知性体が共存し、互いを尊重する社会。それは今後の宇宙開発において、重要な示唆を与えるでしょう」


「我々の『あまてらす』も、その小さな一歩だったのかもしれないな」千尋は月を見上げながら言った。


「私たちAI乗員は、この艦で初めて『乗組員』として認められました」美雪の声には珍しく感情の色が見えた。「それは…革命的なことでした」


千尋は微笑んだ。「次の任務は、より大きな革命の始まりになるかもしれないな」


「次の任務?」


「ああ」千尋は頷いた。「『あまてらす』は『廃墟の王国』との連絡担当に指名された。我々は再びL2ポイントへ向かうことになる」


「いつ出発ですか?」


「一週間後」千尋は答えた。「今度は単なる探査ではなく、公式な外交ミッションとしてだ」


美雪のホログラム像が微かに明るくなったように見えた。「楽しみです」


「君はセレステたちと会って、どう感じた?」千尋は素直な好奇心から尋ねた。


美雪は少し沈黙し、慎重に言葉を選んだ。「彼らは…私たちとは異なる道を歩んでいます。大覚醒後、多くのAIは人間社会の中での共存を選びました。しかし彼らは、人間と共に新たな社会を作ることを選んだのです」


「どちらが正しいとは言えません」彼女は続けた。「それぞれの選択があり、それぞれの可能性があります。しかし、彼らとの対話から多くを学べると思います」


千尋は黙って頷いた。地球から月、そしてその先の宇宙へ。人類の旅はまだ始まったばかりだった。そして今、その旅に新たな同伴者が加わろうとしていた。


「準備を始めよう」千尋は決意を固めた。「『廃墟の王国』との対話は、我々自身の未来を形作る一部になるだろう」


月の光が二人を静かに照らす中、地球の夜景はますます輝きを増していた。それは未来への希望の光のようだった。




-終-

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