訓練開始
『ピンポンパンポーン!朝でーす!食事と身支度を終わらせて会議室まで来てくださーい!』
エリスの声が部屋に響きわたった。
俺は目覚めてしまった。
(夢じゃなかったか…)
俺は白い部屋の中で絶望を覚えた。
居心地のいいベッドを出て、昨日やってみたシャワー室に入りスタートボタンを押した。
昨日と同じように一瞬でさっぱりした。
制服を着てから食事用タブレットと書かれたケースからひと粒出す。
(朝ごはんは何にしよう)
俺は悩んで旅館の朝食のようなイメージをした。
ホカホカのご飯にお味噌汁、焼いた鮭に納豆と味のり、なめたけのおろし和えもいいな。
俺は贅沢な朝食を堪能した。
(イメージだけな)
俺は支度が済んでしまい、気がすすまなかったが廊下に出てみた。
出ると向かい側からお嬢様も出てきた。
「ライトさんごきげんよう。よく眠れましたか?」
お嬢様は朝から優雅だった。
それもそのはずだ。
お嬢様は制服を着ていない。
(特別扱いか!)
俺の視線を感じたのか、
「このお洋服のことですね!」
とニコリと笑った。
「実は昨晩、お着替えがないことに気がつきまして。パジャマもないなんて!と絶望しましたの。
私は家で着ていたパジャマを思い出して切望しましたの。
そしたらどういうことでしょうか、目の前に私のパジャマが現れましたの!」
お嬢様は大興奮だった。
そして自分の部屋のドアを開けて中を見えるようにした。
中にはクローゼットがあり、そこにはたくさんの洋服がかけられていた。
「楽しくなってしまって…たくさん出してしまいました!」
俺は開いた口が塞がらなかった。
(出してしまいました)
シンデレラに出てくる魔法使いかいっ!とツッコミを入れたかったが昨日見たお嬢様の特別な力を思い出した。
・魔法創生術
・物体構築術
これらが何なのかはよくわからないがきっとこれが働いたのだろう。
(これって何でもアリなんじゃ…)
俺は難しい顔をしていたのだろう。
お嬢様は心配そうな顔をして、
「ライトさんにも何かお出ししますわ!」
と言った。
俺は「いえ、今は大丈夫です。」と、言った。
「そうでしたわ!会議室に行かなくてはいけないんでしたわ!」
お嬢様はそう言うと廊下を走り出した。
急にこちらを振り返って「会議室とはどのお部屋でしょうね?」と聞いてきた。
(お嬢様も知らないんかい)
俺たちは昨日座らせられた部屋に行ってみることにした。
途中でドアノブのないタイプのドアが並んでいたので開けようと試してみたがまったく開かなかった。
昨日の部屋のドアは開いた。
中にはエリスとロイが待っていた。
「遅い!」
エリスは少しイライラしていた。
「会議室がどこなのか教えられていなかったもので。」
俺も不機嫌に答えた。
「それは申し訳ありませんでした。」
ロイがペコペコと頭を下げた。
「では今後の流れを説明する。」
エリスはモニターの前に立ち、話し始めた。
モニターには俺とお嬢様だと思われる下手くそな絵が出てきた。
「まぁ可愛らしい!私たちですわ!」
お嬢様は謎に喜んでいる。
「お前たちが協力してこいつをやっつける。」
エリスがそう言うと、俺たちの絵の横に下手くそな真っ黒いオバケのようなものが出てきた。
「そいつはそんな黒い化物のような姿なんですか?」
俺は手を挙げて質問してみた。
「こいつの姿を見た者はいない。召喚されたと噂されているだけだ。」
(噂のために召喚されたのかよ)
「こいつが暴れだす前にお前たちを使えるようにしないといけない。」
エリスの言葉をお嬢様は真剣な眼差しで聞いている。
「訓練ですわね!」
お嬢様の目は謎に輝いていた。
エリスは満足気に頷いている。
(訓練…)
俺が嫌いな言葉の1つだった。
何かを習得するために必要なことを反復させられることだ。
「お前たちはここではスーパーマンだと思え。昨日の黒田の脚力を見ただろう。」
(確かに忘れていたがあれは追い込まれていたとはいえ、常人の力じゃない)
「おそらくここでは体の能力が上がっている。空気中に活性化する成分が含まれているからだ。」
「しかし無いものは無い。元々持っていない能力は無いということを覚えておいてくれ。」
(コミュ障の俺にはその能力もないままということか)
「ではさっそく訓練を始めようではないか。」
エリスはニヤッと笑って立ち上がった。
「訓練室にご案内します。」
ロイがドアを開けて廊下へと促した。
────
またエレベーターのようなものに乗せられた。
上に行ってるのか下に行ってるのかよくわからない。
B3というところでエレベーターのドアは開いた。
エレベーター前は小さな部屋になっていて椅子とテーブルが置いてあった。
ガラス張りの壁で区切られている。
その向こうは真っ白で何もない空間だった。
学校の体育館くらいの広さがあるだろうか。
「広くて何もない空間ですわね。」
壁に手をつき、お嬢様は向こう側を見ている。
エリスはドアを開けて向こう側へ入っていった。
俺たちもあとに続く。
白い壁を触ってみると椅子やベッドと同じ素材のように感じた。
「この壁は超衝撃吸収の素材でできているから多少激しくぶつかったとしてもなんともないだろう。ではここを好きに使え。何かあったらエレベーターの横にあるモニターに話しかけろ。」
俺とお嬢様がポカンとしている間にエリスは出ていってしまった。
俺はエリスについていこうとするロイの腕をつかんだ。
「具体的には、どうすれって言うんだよ。」
ロイは困った顔をした。
「私たちも召喚するのは初めてでして…実績がないというか経験がないというか…」
「つまりお前たちもどうしていいかわかってないということか?」
俺はロイに詰め寄った。
ロイは苦笑いをして、「そんなわけ…ちゃんと考えていますとも…」そう言うとスルリと俺の腕から逃げてエレベーターへ駆け込んでいった。
「何かあればこのモニターに話しかけてくださいね!」
とモニターの方を指差して消えていった。
(丸投げで逃げられたか)
お嬢様はずっと白い空間にいた。
俺が部屋に戻ったのに気がつくと、
「試してみたいことがたくさんありますわ!」
と、嬉しそうに言った。
お嬢様は両手を前に出して目をつぶった。
そこには学校で使っていたジャージにそっくりの物が出てきた。
「はい!ライトさんの分ですわ!」
俺はジャージを受け取った。
「まずは着替えましょう!」
そう言うとお嬢様はエレベーター前の部屋にパーテーションを出した。
「覗かないで下さいね!」
(そんなことしません)
俺はとりあえず着替えることにした。
(このジャージを寝間着にしよう)
俺のパジャマ問題は解決した。
お嬢様はジャージ姿になり髪の毛を結んだ。
ポニーテールもよく似合う。
「ではがんばりましょう!」
と言って白い空間に入っていった。
(俺は何を頑張ればいいのだ)
俺もとりあえず白い空間に移動した。
お嬢様は部屋の真ん中で正座をしていた。
目をつぶり神経を集中しているようだった。
俺は邪魔しないように壁際に陣取った。
(さて、何をしたらいいのかな)
俺の特別な力はチートだった。
チート……
俺の知識ではいい意味の言葉ではない。
不正行為だけではなく、だますとか欺くといった意味を持つ英単語だったはずだ。
ルールを破って有利に進めたり、人間関係においても信頼関係を裏切る行為にあたると思う。
そもそも今は敵対する対象が目の前にいない。
何に対して不正行為を行って、何に対して欺けばいいというのか。
俺はお嬢様の方を見た。
まだ正座をしている。
(お嬢様に対して何かをするわけにもいかないしなぁ)
俺は急に閃いた。
(この建物を欺くことはできるだろうか?)
俺は神経をこの建物に集中した。
急に頭の中にこの建物の構造が手に取るように見えだした。
エリスはモニターに向かい何かを操作しているようだ。
ロイはタブレットのようなもので何かを読んでいる。
この建物は地下3階地上5階建ての建物のようだった。
出口はあのダストシュートくらいしかみつからない。
いや、3階の部屋から外に出られそうな開閉式の窓のようなものがある。
外のベランダのような場所に出られそうだ。
俺はそこに行きたいと思った。
急に俺の体がゲームのバグのように足元から消えだした。
(なんだ?!)
気がつくと俺は3階の窓の前にいた。
(確かにこれはチート行為だ)
とりあえず窓を調べてみることにした。
開くように見えたがこちら側には開ける要素が何もない。
(向こう側からの入口なのか?)
俺はすり抜けるイメージをした。
(すり抜けバグとかあるだろう)
ゆっくりと窓に手をかけるとスーッと外に出ることができた。
出た途端に俺は死ぬかと思った。
息ができない!
俺は必死に窓についているレバーをガチャガチャと動かした。
窓はすんなり開いた。
俺は中に飛び込んだ。
ゲホゲホと咳をした。
外の空気は息もできないほどひどいものだ。
曇って見えるのはスモッグだろう。
汚染がひどい。
未来は人間の住める環境ではなくなっている。
俺は絶望した。
AIやら魔王やらの前に地球は人間の生きていける場所ではなくなっているのかもしれない。
(あのゴリラ強すぎだろ)
俺は絶望したまま白い空間に戻ろうと試みた。
またこの建物の構造をイメージする。
お嬢様は相変わらず瞑想中のようだ。
俺はさっき立っていた場所に神経を集中させた。
また足元から消えていく。
(気持ちのいいものじゃないな)
俺は白い空間に戻ることができた。
これで瞬間移動が可能だというならば、瞬間移動にしては時間がかかりすぎているように思う。
さっき窓がなければパニックのうちに戻ることもできずにどうなっていたかわからない。
(ここでは慎重に見極めないと何があるかわからないな)
お嬢様はまだ瞑想中のようだ。
俺は他にできそうなチート行為を考えた。
お金を増やしたりアイテムを増やしたりしたところで今のところは特に意味はないだろう。
能力の上昇なんかのパラメーターを操作したりもできるのだろうか?
(ゲームみたいに可視化できたらいいのに)
俺がそう思った瞬間目の前に文字が浮かび上がった。
│黒田來斗 17歳
│特殊能力 チート
│STR/ATK 1/1
│HP/VIT 7/10
│DEF 1
│INT 1
│MP 0
│AGI 1
│DEX 1
│HIT 1
│LUK 100
本当にパラメーターが可視化されたというのだろうか?
(さすがチート能力!)
しかし見えたところで能力は低そうだ。
LUK 100
幸運だけ3桁のようだ。
俺がRPGで上げがちのパラメーターだ。
(運は大事なんだよ)
MPが0なのが気になった。
もしかして俺には魔力がないということかもしれない。
「やりましたわ!!」
静かだったお嬢様が突然叫んだ。
俺がびっくりするとパラメーターの画面が消えた。
お嬢様のところへ近づいてみた。
「ライトさん!はじめましてですわ!うちのハムスターのムィちゃんですわ!」
お嬢様が両手に大事そうに乗せていたのは灰色のハムスターだった。
「えっと…」
俺が困惑していると、
「私がどうしてもこの世界に必要なものは何かと考えたとき最初に浮かんだのがこの子でしたの!」
「無機物と違って生命体をここに出すのはとても大変でしたわ!!」
お嬢様は瞑想していたのではなく、このハムスターをここに出そうとしていたのだった。
「でもそれって召喚したわけじゃないから…」
俺がそこまで言うと少し悲しそうな顔をして、
「そうですわね。きっと家で飼っていたあの子ではありませんわ。」
と言った。
(なんかごめん)
「でもいいのですわ!私はこの子をムィちゃん2として育てますわ!ねっ?ムィちゃん?」
お嬢様はハムスターに話しかけた。
「ありがとう!このはちゃん!」
ハムスターはお嬢様に話しかけた。
(ハムスターが???)
「まぁ!ムィちゃんお話もできるようになったのね!さすが2ですわ!」
お嬢様は喜んでいる。
(やっぱり何でもアリのようだな)
「疲れましたわ。少し休憩しますわ。」
お嬢様はヨロヨロと椅子のある方へ向かった。
お嬢様は座るとグラスに注がれた水を出した。
「笹川さん!俺にもください!!」
お嬢様は俺にも同じものを出してくれた。
「空腹感がなくなるとはいえ、水分補給したくなりますよね。」
お嬢様はグビグビ飲みながら言った。
俺も一気飲みをした。
「うまい!!」
お嬢様は満足気にニコニコしていた。
「そうですわ!」
そう言って壁に向かって両手を向けた。
みるみるうちに見覚えのあるものが現れた。
「自動販売機を出しましたわ!」
俺は驚いた。そしてこう言った。
「小銭をもっと持ち歩くんだった…」
お嬢様は笑って、テーブルの上に瓶を出した。
その上に手をかざして100円玉をたくさん出した。
「飲み放題ですわ!」
(最高かよ!)
自動販売機の横にゴミ箱も出した。
「ペットボトルと缶は分けて捨ててくださいね。」
(集めたところで誰が回収するのだろうか)
と思ったが言わなかった。
「笹川さん、ありがとう。」
俺は心を込めて感謝を伝えた。
お嬢様は少し照れた様子で、
「こんなこと、簡単ですわ。」
と言った。
『ピンポンパンポーン 本日の訓練は終了いたしまーす』
聞こえるとお嬢様はパーテーションの向こうへ行って着替えてるようだった。
「ジャージでウロウロなんてできませんわ!」
(さすがお嬢様だ)
────