特別な力
ガラス張りで吹き抜けのホール。
天気が良ければ日が差して気持ちよさそうだ。
しかし今日はあいにくの曇天のようだ。
薄暗くて今が何時頃なのか全くわからない。
お嬢様はガラスに張りついて外を眺めていた。
「ここはいったいなんですの?」
一人でブツブツとつぶやいている。
俺はこれは”夢だ”ということにした。
こんなおかしな世界見たことがないし、俺にこんな大掛かりなドッキリを仕掛ける人はいない。
俺はホールの真ん中に座り込んだ。
目を閉じた。
(夢なら早く覚めてくれ)
「きゃーーーー!!」
お嬢様が悲鳴をあげている。
俺はお嬢様を見た。
お嬢様は黒い大きな何かと目を合わせている。
(黒い大きな…なんだろう?)
ロイが走ってきてお嬢様の腕を引っ張った。
「ライトくんもこっちに来て!」
俺は言われるがままロイのあとを追いかけた。
振り向くと黒い大きな何かは消えていた。
お嬢様と俺はさっきの部屋に戻された。
お嬢様はガクガク震えながら目を見開いていた。
「さっきのはなんですか?」
俺はいつまでも覚めないこの夢にもう少しつき合うことにした。
「アレはゴリラです。」
そう言われて俺は動物園で見たゴリラを思い出した。
霊長目ヒト科ゴリラ属…大きな個体でも180kgくらいだったと思う。
あれはどう見てもそんなもんじゃなかった。
「ゴリラですか…動物園から逃げてしまったのかしら?」
お嬢様は青白い顔で椅子に座りそう言った。
「お二人が信じられない気持ちもわかります。急にこんなヘンテコなところに連れてこられたら混乱してしまいますよね。」
ロイは優しい口調で続けた。
「お二人のいた世界は数十年後に崩壊し始めます。いや、すでに崩壊し始めていたのかもしれません。
空気汚染が止まらずに自然は破壊され続けます。
そして新しい伝染病が次々と生まれます。
人間たちはその度にワクチンや治療薬を開発しますが人口はどんどん減っていきます。
しかし技術は確実に進歩していきます。
お二人がいた頃の世界には車や飛行機という乗り物があったでしょう?
今はどちらもありません。
近くの移動にはフローロードというものを使います。
その名の通り流れる道です。
行きたい場所を入力して入るとそこまで自動的に連れて行ってくれます。
遠くへ行くにはテレポーターを使います。
お二人の世界ではまだ無理だとされていた量子力学の分野で瞬間移動が可能になったのです。
多少体に問題が生じるので乱用は禁止されておりますが。
あとは食事という文化がなくなりました。
人間が必要な栄養素を完璧に集めたタブレットを飲むだけです。
空腹感を感じる器官も退化しております。」
俺とお嬢様はロイの言葉を黙って聞いていた。
(長い夢だな)
「先ほどのゴリラですがお二人のいた世界のものとは違うものになっていると思います。
進化といいますか、変異と言いますか、とにかく世界の変化と共に姿や性質が変わってしまいました。
たくさんの動物や植物が絶滅しました。
人間の手には負えなくなった動物たちは今では自由に外を歩いています。
共存する道を模索中ですので、討伐は犯罪になります。」
(ゴリラが外を歩いているなんて…ジャングルかよ)
「世界の危機とはどういうことですか?」
お嬢様は我を取り戻していた。
「AIはお二人の世界にもあったと思います。AIは日々進化していたでしょう。
ですが進化しすぎてしまった。
AIは自我を持ち始め、人間に逆らうようになってしまうのです。
そして人間は悪だと認識してしまった。
AIはネットワークを駆使して人間たちを攻撃し始めた。
しかし人間も負けてなかった。
AIを排除するプログラムを作ったのです。
AIを排除した新しいネットワークを構築しました。
それが今私たちが使っているネットワークになります。」
「それが世界の危機なんですか?」
俺には引き分け試合のように聞こえた。
「いいえ、そこからAIたちが始めたことが良くなかった。
AIたちは昔のゲームやアニメからこちらの世界へいろんなものを召喚するという技術をみつけてしまったのです。」
(また召喚とか言ってるな)
「ある時はモンスターを召喚し、ある時は魔法使いを召喚する。もう何でもアリになってしまいました。
そしてとうとう魔王を召喚してしまったのです。」
(どの世界の魔王だよ)
「それを討伐するために救世主が必要だったのですね。」
お嬢様は頷いている。
納得したというのか?
「平田くんを呼びましょう。彼ならきっと期待に応えてくれますよ。」
俺はほとんど投げやりにそう言った。
「そうしたいのはやまやまなんですが…実は人間側の召喚技術はAIのそれよりもかなり遅れを取っておりまして…しかもコスパも悪いしすぐにポンポンとできるものではないのです。」
そういえばエリスがさっき喚いていたっけ。
(なんだか嫌な予感がしてきたぞ)
ロイは俺とお嬢様をみつめて言った。
「お二人になんとかしていただけると助かります。」
と言うと、ニコッと笑顔を見せた。
(いや、ニコッじゃないから)
「わかりましたわ!私たちにできることがありましたら全力でお手伝いさせていただきますわ!」
お嬢様はいつの間にかやる気満々の様子をみせた。
(私たちって言った?)
お嬢様は俺を見ている。
俺は「無理無理」と手を振った。
「大丈夫です!ここは未来と言いましたでしょう!お二人の知らない技術もたくさんあると思いますよ!」
「例えばどんな技術ですの?」
お嬢様はいつの間にか楽しそうだった。
「例えばこのタブレットは食べたい物の味がして、それを食べている感覚になります。」
「すごいわ!」
「例えばこのタブレットは行きたい場所に行ったような感覚になります。その場ですぐに旅行気分です!」
「そんなことが!」
ロイとお嬢様は楽しそうだったが、
(それってただの幻覚みてるだけじゃん)
と、俺は思った。
その後も胡散臭そうな技術の話をしていたがそれほど進歩している気はしなかった。
ただ瞬間移動と言っていたテレポーテーションの話は本当のようで、大きな装置のある場所から同じ装置のある場所までなら瞬間移動が可能になっているようだった。
量子レベルでの分解と再構築が可能になったのだろう。
しかし莫大なエネルギーを消費するのでその確保が大変らしい。
つまり今の人間たちは出歩かないようだ。
外には危険な動物や召喚されたわけのわからないものがいる。
この建物だって玄関ホールに出口がなかった。
「フローロードっていうやつはどこから乗るんですか?」
楽しそうに話しているロイに質問してみた。
「はい、実際にみてもらいましょうね。」
そう言って俺たちを建物の地下に連れて行ってくれた。
「ここに目的地を入力してこの中に入ります。」
ロイは自慢気に見せてくれたがそれはどう見てもダストシュートだった。
(ゴミ放り投げるやつじゃん)
「どこにでも行けると言いましたが、目的地に拒否されると使用できません。ですから誰かがここに出たいと思ってもこちらからブロックしていますので誰もここには来ることができません。安全でしょ!」
(これも使ってる人は少なそうだな)
お嬢様はもの珍しそうに観察していた。
「間違って落ちるとどこに出るかわかりませんので気をつけてくださいね!」
(どこが安全なんだか)
『ただちにF5に集合。繰り返す、ただちにF5に集合せよ。』
エリスの声が響きわたった。
「いよいよですよ!さあ、行きましょうか!」
何がいよいよなのかわからなかったが俺たちはついていった。
ロイはドアらしきものに手首をかざしていた。
ドアからカチッと音がして開いている。
「それはどういう仕組みなんですか?」
俺は手首を指差して聞いてみた。
「あぁ、ここにチップが埋め込まれていて本人であることや生体反応なんかをチェックして許可されている場合のみ開くシステムになっているんだよ。」
(だから俺たちでは開けられなかったのか)
「まさか蹴って壊すとは思っていなかったのでね…」
「ごめんなさい…」
「ライトさん素晴らしい脚力でしたわ!」
お嬢様だけテンション高めだった。
エレベーターのような不思議な何かに乗せられて俺たちはどうやらF5という場所についた。
ガラス張りのドーム状になっていて空が見える。
空と言っても曇っていて何も見えない。
これが雲なのかスモッグなのか俺には見分けがつかなかった。
エリスはニコニコしていた。
ドームの真ん中の丸いテーブルのようなものの上に石版のような古い四角い石があった。
細かい文字みたいなのがびっしりと書かれているがまったく読めない。
「これはお前たち召喚されし者たちに特別な力を授けるものだ。」
(特別な力?)
「ここに住む者たちが喉から手が出るほどほしいものをもらえるだろう。」
「なぜ召喚されし者にしか与えられないんですか?」
「それは、わからん。まだ人間はそこまで解明していない。なんせAIたちの技術の真似ごとをしているだけだからな。」
「AIってすごいのですね!」
お嬢様は空気を読む力が足りないようだ。
「とりあえずやってみようではないか!」
エリスは明らかにワクワクしていた。
(何か嫌な予感がする)
「さぁ、どっちからやるかね?」
目をギラつかせてエリスは俺たちの顔を見た。
(やりたくないなぁ)
「では私からやってみますわ!」
お嬢様も謎にワクワクしていた。
「何が出るかしら?」
まるでガチャでも引く前のようだった。
「ではこちらに両手を乗せてください。」
お嬢様は石版に両手を乗せた。
石版はゆっくりと光り始めた。
「おぉー!これは!!」
エリスが興奮している。
石版は七色に輝いて辺りは虹に包まれたような空間になった。
石版から出た光はお嬢様のまわりをくるくるとまわり頭から中へ入っていくように消えていった。
「笹川は素質があったのかもしれんな!」
エリスは興奮してお嬢様を調べ始めた。
「おぉー!!なんと!複数の力を手に入れたようだな!!」
エリスは大興奮だった。
エリスはお嬢様に何かをあててスキャンしているようだった。
「な、何だこれは…」
エリスはその機械を見て崩れ落ちた。
「ひどい結果ですの?」
お嬢様は心配した顔でエリスの機械をのぞき込んだ。
・魔法創生術
・物体構築術
・空間制御術
・未確定要素あり
「どういうことかしら?」
お嬢様は首を傾げていた。
「私にもわからん。しかし3つも出てきたし未確定要素まであるとは…」
エリスは感動しているようだった。
(わからんのかい)
ロイを見ると神様に祈りをあげているようだった。
膝をつき手を合わせて何かブツブツとつぶやいている。
(そっとしておこう)
「次はお前の番だな、黒田よ。」
エリスは目を輝かせて俺を石版の前に促している。
(嫌な予感しかしないんですけど)
俺はゆっくりと石版に近づいた。
まるで模試の結果を見るときのような心境だった。
自信がないわけでもないがやらかしている気もする…そんな心境だった。
お嬢様と同じように両手を石版に乗せた。
何も起きない。
「おや?光らんな。」
エリスは鋭い目つきになった。
石版は震えだした。
パチッと光ってすぐに動かなくなってしまった。
(終わったな)
俺は悟ってしまった。
この世界での俺の立ち位置を。
俺は間違った上におまけのような使えない存在だ。
足手まといになりトラブルを呼び込む存在。
エリスはまだ待っていた。
ロイも真剣にこちらを見ている。
「黒田、何か変化はあるか?」
エリスは待ちきれない感じで急かし始めた。
「多分、終わってると思います。」
沈黙が流れた。
「いや、そんなはずは…」
エリスは信じられないという顔つきで俺にもスキャンを始めた。
「本当だ。終わっていたな。」
俺もその機械を見てみた。
・チート
という文字だけ出ていた。
(どういうことだ?)
俺が知っているチートなら不正やイカサマをする行為のことだ。
俺の存在がイカサマだとでも言うのか?!
エリスとロイも首を傾げていた。
「よし!何はともあれ特別な力を得ることができたな!今日はもう休もうか。」
エリスは気を取り直したように手を叩いた。
(俺の力にはスルーですか)
「お二人のお部屋を用意してあります。ご案内しますね。」
ロイは「こちらへ」と俺たちをまたエレベーターのようなものに乗せた。
「ここにはエリスさんとロイさん以外の方はいらっしゃらないのですか?」
お嬢様は廊下でキョロキョロしながらロイに聞いた。
「はい、今は私とエリスさんだけですね。お手伝いロボットがおりますので生活に支障はないですよ。」
と言って飛んでいる丸っこい機械を指差した。
「まぁ!可愛らしい!」
お嬢様はその鉄の塊のような丸いものを見て喜んでいた。
「こちらが笹川さん、お向かいをライトくんがお使いください。」
ドアノブのないタイプのドアがついていた。
「忘れておりました。」
と言って俺たちの手首に銃のような形をしたものを押し付けた。
「いてっ」
「これでお二人にもチップが装着されましたので、許可のある部屋のドアは開くと思いますよ。」
お嬢様はさっそく自分の部屋のドアを開けている。
俺の部屋のドアにも試していて、
「すごいですわ!ライトさんのドアは開きませんわ!」
と驚いていた。
俺も試してみたが自分のドアしか開かない。
「では本日はごゆっくりお休みください。お部屋に食事用のタブレットをご用意してありますのでお楽しみください。」
ロイは説明を終えると来た方へ行ってしまった。
「ではライトさんおやすみなさい。」
お嬢様はニコリと笑って部屋に入っていった。
俺も自分の部屋に入ってみる。
中は真っ白で家具はほとんどない。
トイレとシャワーのようなものはある。
テレビのようなモニターが壁についているがリモコンはない。
さっき座ったような椅子にテーブル、そして白くてツルンとしたベッドのようなものがあった。
テーブルの上にはロイの言っていたタブレットと思われるものがケースに入って置いてあった。
ケースの裏側には、
『本品は食べたい物を具体的に想像してから口に入れてください。』
と書かれている。
俺は半信半疑で焼肉を思い出してそれをひと粒口に入れた。
脳内が焼肉屋にいるような錯覚に陥った。
肉の焼ける香ばしい匂い。
滴る肉汁。
確かにこれは焼肉だ。
俺は焼肉で満たされた。
なぜだろうか、満腹になった気がした。
たったひと粒口に入れただけなのに。
(シャワーでも浴びて寝るか)
俺はシャワーっぽいものの前に来た。
『そのまま入りスタートボタンをタップしてください』
と書かれている。
(そのままって服を着たままってことか?)
俺は書かれているとおりにしてみた。
スタートボタンを押すとシャワー室内に湯気のようなものが現れた。
そして次の瞬間シュッと音がしてさっぱりした。
髪の毛もサラサラになり、歯もツルツルに磨かれていた。
制服もクリーニングに出したかのようにピシッとした。
(どういう仕組みなんだよ)
俺は軽く感動していた。
(未来は恐ろしく簡素可されちまった)
寝ようと思ってパジャマを探した。
着替えはまったくない。
ここの人間は寝るときも着替えないのか。
俺はしかたなく制服を脱いでテーブルに置いた。
中のTシャツとパンツ1丁で寝ることにした。
ベッドのようなものに入るとなんとも言えないフィット感があった。
ここの椅子もそうだが、このツルッとした硬そうに見えるものは触れると柔らかくて実に気持ちがいい。
(お嬢様は制服のまま寝たのかな)
そんなことを考えながら俺はすぐに眠りについた。
(これが全部夢だったらいいな…)
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