畑
「私、ここに畑を作りたいですわ!」
お嬢様は突然立ち上がってそう言った。
畑ということは野菜を育てるということか。
この世界の人たちは食事をしない。
どこで作ってるのかわからないけど薬のようなタブレットを1つ口に入れるだけで満足感を得られる。そこに生命が生きるのに必要な栄養素がすべて含まれてるというのだ。
まぁ、人間が食べなくても動物が食べるだろうから別にいいけど。
お嬢様は鍬を2本出した。
「えっと、農具ですね?」
俺が戸惑っているとお嬢様はドヤ顔で頷いた。
俺は1本手に取った。
(耕せと言うことかな)
俺は植物の少ないところを選んで使ったこともない鍬を振るった。
ザクッという感触がして土が盛り上がる。
(なんだこれ、悪くないな)
お嬢様もへっぴり腰で鍬を振りかぶっていた。
鍬はおかしな角度で地面にあたり、土には刺さっていなかった。
「難しいですわ!!」
お嬢様は何度か試していたが一向に上達しない。
俺は鍬が土に刺さる感触が楽しくて夢中で土を耕した。
お嬢様は他の農具を出して俺が耕したところの石を鋤で取っている。
「分業ですわ!!いいでしょ!」
(何も言ってませんが)
小一時間かけて3m四方くらいの畑ができた。
俺もお嬢様も汗びっしょりだった。
お嬢様は得意の自動販売機を出して俺にスポーツドリンクをくれた。
「うまい!」
お嬢様も水をグビグビ飲んでいる。
「さぁ、何を植えましょうか?」
俺はスマホで野菜の苗を調べてお嬢様に見せた。
「トマトが食べたいわ。」
お嬢様は畑に向かって手をかざした。
スマホで調べたいろんな種類の苗が出てきた。
畑の端にいちごがなっている。
俺は1粒もらって食べてみた。
甘くて酸っぱい。
元の世界では食べたことのない大地の味がした。
人間はこうやって大地を耕して畑を作り、作物を育てて実らせる。
次世代のために種をとり、絶やすことなく未来に繋いできたんだ。
それを人間がまた壊してしまった。
地上に緑はなくなり、食べるという基本的な生活の営みを忘れてしまった。
なんて悲しいことだろうか。
「お兄ちゃんそれなぁに?」
後ろから小さな女の子の声がした。
振り返るとそこには5歳くらいの少女が立っていた。
どこから来たんだろうと建物を見ると母親らしき女性が必死に窓を叩いている。
「これはいちごだよ。俺はライト。君は誰?」
俺は怖がらせないようにできるだけゆっくり優しく聞いてみた。
「私はチコ。あそこに住んでるの。」
そう言って母親が必死に窓を叩いている建物を指差した。
「どこから出てきたの?お母さんが心配してるよ?」
チコは「わかんない」と言っていちごを欲しがった。
俺は渡していいのか迷った。
元の世界でそんなことをしたら犯罪者扱いされる案件だ。
俺はチコに「お母さんに聞いてみよう。」
と言って建物に近づいた。
母親は中でパニックになっていた。
建物をスキャンしてみた。
隠れたところに小さな窓があった。
足元にあるのですぐには気がつかなかった。
窓は中からは開かない構造になっていた。
外にレバーがついているタイプだ。
どうやら外の植物が悪さをして開けてしまったようだった。
俺はその窓に近づいて中の人に話しかけた。
「すいませーん。ここから出たようです!」
母親は口を抑えながら走ってやってきた。
「チコ!外は危険だと言ったでしょ!早く中へ入って!!」
母親は口を抑えながら叫んだ。
「ママ、お外なんともないよ?いちごもらっていい?」
母親はゆっくりと口元の手を外した。
「そんなわけ…ないわ…」
母親は息ができていることに驚いていた。
足元の小さな窓から母親も這い出て来た。
「どういうことなの?」
母親は大きく深呼吸をして目を見開いて固まっている。
チコは母親の腕を引っ張った。
「お兄ちゃんが食べてたこれをチコも食べたい!」
チコはだだをこねている。
俺は自己紹介をした。
お嬢様もやってきて、
「私は笹川このはです。」
と可愛らしく挨拶をした。
「急に外の景色が変わったから…おかしいとは思っていたのですが、まさか外で普通に話ができるなんて…」
母親はまだ信じられないという顔をしていた。
「これはいちごという果物なんですが、チコちゃんにあげてもいいでしょうか?」
母親はいちごをまじまじと見た。
「本物を見るのは初めてかもしれません…口にいれて大丈夫なんですか?」
俺はいちごをパクっと食べてみせた。
甘酸っぱくて本当に美味しい。
「チコも!!」
「試してみてもいいですか?」
母親は信じられない様子で自分で試すと言う。
確かに見たことのないものを娘の口に入れるのは怖いだろう。
「どうぞ」俺は母親に1粒渡した。
においをかいで、舐めてみている。
意を決したようにパクっと口に入れた。
「甘くて酸っぱくて…これがいちご…」
「ママずるいよ!!」
「1つだけだよ。」
母親はまだ味わっているような顔をしていた。
「はい、どうぞ」
お嬢様は真っ赤で大きい1粒をチコに渡した。
「わぁ!!なにこれ!!」
チコは上手に食べられないようで顔にいちごの汁が飛んでいた。
「甘いね!じゅわってなってつぶつぶもあって、はじめて!」
チコはとびきりの笑顔になった。
「汚染は大丈夫なのかしら?」
我に返ったように母親が心配しだした。
俺はスマートウォッチで汚染レベルを測定して母親に見せた。
「いつの間にこんなにきれいな空気になったのかしら。」
母親はそう言って空を見上げた。
何時なのかわからない曇り空だった。
「上空は健康に害が出るくらいまだ汚染されています。」
俺は正直に話した。
「地上付近は緑化して少しでも汚染レベルを下げる手伝いができればと思って俺たちは活動しています。」
母親は悲しい顔になって、「なかなか難しいことですよね。」と言った。
そしてチコに「もう中に入るわよ!」と言い、チコを引っ張って連れて行った。
俺は窓をこちらから閉めてあげた。
母親は一礼していなくなった。
チコはどうにか窓を開けようと頑張っていたが、向こうからは開かない仕様になっている。
俺は手を振ってその場を離れた。
「外に出てきてもらうのはなかなか大変そうですわ。」
お嬢様はチコの家の方を眺めてそう言った。
お嬢様の温室の魔法は海を渡っている。
海の向こうは未知だった。
ネットワークはこの島限定のようなので情報はまったくなかった。
とりあえずは畑仕事を楽しそうにしているお嬢様につきあおうと思う。
きっと魔法を使えば汗を流すことなんてなかったと思う。
でも畑を耕すなんて経験は元の世界でもしたことがない。
すごく大変な作業だった。
それを俺に教えたかったのだろうか?
お嬢様は泥んこになりながら畑に苗を植えている。
(楽しそうだからそっとしておこう)
俺はドロドロになったお嬢様を眺めた。
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