天国?
イチョウ並木は美しい黄色で彩られていた。
ひらひらと黄色の葉っぱが落ちてくる。
俺は放課後の塾に行くまでの小さな自由を楽しんでいた。
夕方になり空がオレンジ色になってきた。
ベンチに座り、空を仰いだ。
(明日も晴れそうだな)
目の前を同じ高校の制服を着た女子生徒が通った。
ゆるくウェーブのかかった長い髪の毛は夕日を浴びて輝いていた。
俺はこの人を知っていた。
隣のクラスにいる『お嬢様』と呼ばれる女子だ。
ガリ勉陰キャの俺には縁のない人種。
2年生になった今でも俺の名前も、きっと存在さえも知らないだろう。
「笹川さん!」
イチョウ並木の反対側から一人の男が走ってきた。
長身でスラッとした体型にサラサラのマッシュヘアがよく似合う。
俺はこの男も知っている。
同じクラスのイケメンだ。
しかもこいつはガリ勉の俺よりも頭がいい。
そしてこいつはスポーツもできる。
そしてそして何よりも性格がいい。
こんな俺にも話しかけてくれるスーパー優しいイケメンである。
(天は二物も三物も与えてしまったな)
そのイケメンがお嬢様を呼び止めた。
ちょうど夕日に当たって俺の場所からは二人が影になって見える。
「あの、笹川さん…」
「あら、平田くんごきげんよう。靴紐ほどけていているわよ。」
「えっ?あぁ、ホントだ。」
(イケメンでもそんなミスをするんだな)
そう思った瞬間、俺は夕日のビームを受けた。
いや、それが何かはわからなかったが夕日の光が強くなって俺に襲いかかってきたように思えた。
(なんだよこれ)
眩しくて目が見えない。
それになんだか体が熱い。
(もしかして…爆弾でも落ちたのか…)
俺は体の力が抜けていくのがわかった。
ゆっくりと地面に沈み込んでいくような感覚がした。
(俺、死んじゃったのかな…)
もう勉強しなくてもいいんだと思ったらちょっと嬉しかった。
────
「なんてこった!!!このバカ者が!!!」
俺は女性の叫ぶ大声で目を覚ました。
天国とはこんなに騒がしいところなのか。
「こいつらは何者なんだよ!!!」
女性は誰かに向かって怒号をあげているようだった。
(うるさいな)
俺はゆっくりと体を起こした。
そこには白衣姿のスラッとした美人の女性と小柄で童顔の男性がいた。
「申し訳ありません!発射のタイミングに不備があったというか…対象が急に姿勢を変えまして…」
男は申し訳なさそうに弁解をしているようだった。
「ここまで来るのにいくら時間を使ったと思っている?!!やり直すのにまた数年かかるのだぞ!そんな時間は我々にはない!わかっているのか?!」
女は男の胸ぐらをつかみ今にも殴りそうだった。
「失礼、女性が男性に殴りかかるような行為はどうかと思いますわ。それに言葉がひどすぎますわ。もっと丁寧に美しく話しませんと、せっかくの美貌が台無しですわよ。」
聞き覚えのある声がした。
そこには『お嬢様』がいた。
(天国でお嬢様に会うとは奇遇だな)
殴り合いになりそうな女と男は一瞬固まっていた。
そしてハッとして、
「なんで二人もいるんだよ!!はぁ?なんでですかー?なーぜーーですかーぁ?」
女はもはや男に馬乗りになっていた。
男は「ごめんなさいごめんなさい」と謝り続けていた。
俺はその光景を眺めていた。
(こんな騒がしい天国嫌だな)
お嬢様は「おやめになって」と、二人を引き離そうとしている。
急にお嬢様は俺の方を向いた。
「そこのあなた、眺めていないで手伝ってくださらない?」
俺はキョロキョロとまわりを見た。
俺以外に人は居なかった。
「あ、はい。」
俺は女を男から引き離した。
女は肩で息をしているようで見るからに激怒していた。
男は倒されたまま泣きそうになっていた。
「何があったのかわかりませんが、落ち着いてお話し合いをしてみてはいかがでしょうか?」
お嬢様は二人に向かいにっこりと笑った。
よく見るとここは何もない真っ白な部屋だった。
大きな鏡が壁についていてその横にはドアのようなものがあった。
女と男は目を見合わせて無言で部屋を出ていってしまった。
俺とお嬢様は部屋に取り残された。
お嬢様は部屋を見回している。
「ここはどこかしら?」
お嬢様は俺の方を向き手を差し出した。
「私は笹川このはです。あなたは…私と同じ高校のようですね。」
(やっぱり俺のことなんて知らなかったか)
「俺は黒田來斗です。笹川さんと同じ2年です。」
お嬢様はハッとして、
「ライトさん、存じ上げなくて申し訳ありません。よろしくですわ。」
まだ手を差し出している。
(握手する流れなのかな)
俺も手を差し出すとギュッと握られた。
お嬢様と握手をする日が来るなんて。
やっぱりここは天国だな。
「ライトさん、ここはいったいどこかしら?」
「え?天国だと思いますが…なんだか変ですよね。」
俺がそう言うとお嬢様は口に手をあてて、フフフと笑った。
「何をおっしゃってますの。天国だなんて、そんなことあるわけないですわよ。」
そう言ったがお嬢様の顔色がみるみるうちに悪くなってきた。
「私たち、死んでしまったのかしら?」
俺は無言でお嬢様を見た。
お嬢様も俺を見ている。
二人で固まったまま沈黙が流れた。
俺はとりあえずドアを開けてみようと思った。
ドアノブも取っ手もない。
さっきの人たちはここから出ていったのでこれはドアのはずだ。
お嬢様も近寄ってきてドアと思われるものを観察している。
「さっきの方たちは手首をこうやってここに近づけておりましたわ。」
そう言ってドアノブにあたる辺りに自分の手首を近づけた。
「開きませんわね。」
お嬢様は首を傾げている。
「誰かいませんか?!」
俺はドアと思われるそれを叩いた。
返事はない。
(閉じ込められたのか)
お嬢様は短く息を吐いてカバンからきれいなハンカチを取り出した。
それを床にひくとその上に座った。
「疲れましたわ。床に座る無作法をお許しくださいね。」と言った。
俺も近くの壁によしかかるように座った。
────
お嬢様は青白い顔をしていた。
「きっとお母様が心配してますわ。」
俺は塾に行かなくていいことを喜んだ。
夜遅くまでピリピリした雰囲気の中、熱血講師が黒板を叩くような塾だったからだ。
「そろそろ限界ですわ。」
さっきまで青白かったお嬢様の顔が赤くなった。
「笹川さん大丈夫ですか?」
(具合でも悪いのだろうか?)
小刻みに震えながらお嬢様は恥ずかしそうに言った。
「お手洗いはどこかしら…」
(お手洗い…トイレに行きたいのか)
俺は気がついてしまった。
この何もない部屋。
開かないドア。
このままでは…お嬢様が…おもら…
いや、絶対にそんなことをさせてはいけない。
俺がここにいる限り、この密室で、二人きりでそんなことが起こってはいけない。
俺は全力でドアを叩いた。
「開けてください!!開けないと大変なことになります!!」
俺は鏡も叩いた。
「誰かそこにいるんでしょう?今すぐ開けてください!!」
俺はドアを叩き続けた。
お嬢様は…震えている。
(まずいぞ!時間がない!)
「早く開けろ!!」
俺は力一杯ドアを蹴った。
ドアはバンッと向こう側に倒れた。
目の前にさっきの男がいた。
俺はその男の胸ぐらをつかみ、
「トイレはどこだ?!」
と詰め寄った。
男は震えながらドアを指差して、「廊下を出て右側です。」と答えた。
俺は同じタイプのドアを見てまた蹴った。
またドアは外れた。
右側を見るとトイレのようなマークがある。
「笹川さん!こっちだ!!」
俺は叫んだ。
お嬢様はよろよろとこちらに向かってくる。
(走れないほどに!!)
俺は先回りしてトイレだという場所に向かった。
ここは自動ドアのようですぐに開いた。
男と女のマークがある。
(よし、ここがトイレで間違いない)
お嬢様はよろよろしながらトイレに到着した。
俺はそれを見届けてさっきの男のいたところへ戻った。
俺が戻ってきたのに気がついた男は逃げようとした。
俺は男の腕を捕まえた。
「おい、ここはいったいどこなんだよ。」
男は目をつぶり、「殺さないで」と震えている。
俺は男の胸ぐらをつかみもう一度聞いた。
「ここはどこだと聞いてるんだよっ!」
「そこまでよ。」
ドアを壊したところにさっきの女がこちらに銃のようなものを向けて立っていた。
「その男を離しなさい。」
女は銃のようなものを向けながら部屋に入ってきた。
俺はそのまま女を睨みつけた。
(撃つつもりなのか?)
緊迫した空気が流れた。
「危ないところでしたわ。ライトさんありがとうございました。」
廊下からお嬢様が現れた。
「何をしてらっしゃいますの?」
お嬢様はにっこりとしながら女の向ける銃と俺との間に立った。
「笹川さん、後ろ。」
お嬢様は女の方を見た。
「あなたは先ほどの。少しは落ち着かれたかしら?」
女はそう言われて銃を下に向けた。
「お前たち、ついてこい。」
女はそう言って部屋を出ていった。
男は俺たちに向かい、「こちらへ来てください。」と言って、女について行った。
「ライトさん、行きましょうか。」
お嬢様は男のあとを追っていった。
俺はしかたなくお嬢様についていった。
女と男は部屋に入り、俺たちに椅子に座るように言った。
真っ白でツルンとしたおもしろい形の椅子だった。
硬そうに見えるのに座るとふかふかした。
(なんだこれ、すごく座り心地がいい)
お嬢様も座ったとたんに、
「素晴らしい椅子ですわね!」
と、喜んでいた。
女は俺たちの向かい側に座った。
「私はエリス、ここの研究所の所長をしている。こっちの男はロイだ。私の助手だ。」
「私は笹川このはです。こちらは黒川ライトさんですわ。」
お嬢様はにこやかに自己紹介をしてくれた。
「この世界は危機に直面している。そこで救世主を召喚することになった。私はそのプロジェクトのリーダーだ。」
(救世主?召喚??)
お嬢様はポカンとした顔でエリスの話を聞いている。
「私たちは一人の男をみつけた。何年もかけてやっとみつけたのだ。」
(まさか俺のこと???)
「平田圭太という男を。」
(平田圭太…平田…圭太…あのイケメンが救世主…納得だ)
俺は平田がいるのかと思い、探した。
この部屋にはいないようだった。
「それで平田くんはどこに?」
俺はエリスに向かって聞いてみた。
「平田圭太はここには居ない。」
エリスは悲しげな顔をした。
「間違ってお前たち二人をここに召喚してしまった。」
横に立っていたロイは泣きだしてしまった。
「申し訳ありません…」
(間違って?)
「どういうことかしら?私そろそろ家に帰らないとお母様が心配してると思いますの。」
お嬢様は立ち上がって出口を探しているようだった。
「ここはどこかしら?お母様に迎えに来てもらいますわ。」
お嬢様はスマホを取り出した。
「圏外ですわ。地下なのかしら?」
俺もポケットからスマホを出して見た。
確かに圏外だ。
マップを開こうとしても接続できませんと出る。
「ここでそれは使えないだろう。」
エリスはスマホを見ながらそう言った。
「階段かエレベーターはありますか?上に行けば電波を拾えると思いますわ。」
お嬢様は部屋を出ようとした。
「ここは未来だ。お前たちは今2124年にいる。」
(なんだ??未来って)
「ご冗談はおよしになって。」
お嬢様はこちらを振り返りいつものようにお上品に笑った。
お嬢様はそのまま部屋を出て廊下を進んだ。
俺はお嬢様についていった。
ガラス張りの吹き抜けの玄関ホールのようなところに出た。
外が見えた。
(地下にいたわけじゃなかったんだな)
見たことのない景色が広がっていた。
無機質の似たようなビルが数軒見えた。
車は走っていない。
人も歩いていない。
道であるべき場所は川のような、何かが流れているように見えた。
(ここはいったいどこなんだ)
お嬢様もその景色を見て固まっていた。
「ここは2124年の、かつて東京と呼ばれた街のあった場所だ。」
俺の頭では理解が追いつかなかった。
これは夢かもしれない。
いや、もしかしたら本当に天国なのかもしれない。
「ライトさん、ここは天国かしら?」
お嬢様は不安げにこちらを向いてそう言った。
────