閑話その五 イベリアノの招聘
宰相府に不穏な動きがある。
ナヴァスター公爵家に書記官として勤める私が、そんな情報に接したのは、王都のハイラディン様のお屋敷に伺ったときのことだった。
私は普段は、王都からディーヌ河を丸一日下った先のノーヴェストの町で、引退された先代にお仕えしている。
たまたま先代から命ぜられ王都へ行った時に、そこにおられる現当主、ハイラディン様に仕える者たちの会話が私の耳に入ったのだ。
「どうやら標的はあの成り上がり者の魔法使いらしい」
「奴は我らがナヴァスター公爵家の宿敵だからな。奴を恨んでいる者は多いし、上手くいくといいな」
人目も憚らず、そう言って笑いあう同僚たちの姿に、私の心は波立った。
(本当はご主君の家は、彼のおかげで破滅を免れたのだ)
それは間違いのない事実であり、少なくとも私はそう思っていた。
だが、ナヴァスター公爵家に仕える多くの者にとって、彼はその位に就く資格が十分にある主君の国王即位を妨害し、あまつさえ、その領地を削った憎むべき現女王の一味、いや、その巨魁と言ってよい存在なのだった。
ミセラーナ様がいらっしゃるのに、彼女を差し置いて即位するなど痴人の夢と言っていいであろうに、そのようなことをと、私は思っていた。
だが、本当の忠臣なら、主君の夢の実現のために、あらゆる努力をすべきだったのではないかという問いから、私が逃れきれないことも事実だった。
ハイラディン様に王都到着のご挨拶をすると、若き我らが当主は、
「そういえば、イベリアノはカーブガーズ大公と面識があったね」
さりげない様子で、そうおっしゃった。
『カーブガーズ大公』
その名を聞いて、私の心はまた騒めいた。
彼から仕官の誘いがあったとき、私は本当は跳び上がるほど嬉しかった。
すぐにでも彼の下に馳せ参じ、自分の実力を試してみたかった。
直臣の少ない彼の下なら、私のような軽輩でもそれなりの地位を与えられ、重要な任務に就かせてもらえるかもしれない。
それに自惚れかもしれないが、私は彼に評価されていると感じていた。
だが、領地の一部を失い、当主が引退を余儀なくされたナヴァスター公爵家を見限るように去ることは、私にはできなかった。
たとえ、その方が家臣を減らす必要がある主家の為になるにしてもだ。
破滅的な事態を回避するためだったとは言え、それには私も深く関与していたのだから。
「どうやら宰相府に彼を害しようとする計画があるようだ。次に彼が王都へ来るまで君は王都に留まって、彼にその計画について教えてさしあげてくれないか」
驚くことに、ハイラディン様は私にそうおっしゃった。
不躾かと思ったが、思わずハイラディン様を凝視してしまった私を咎めることもなく、彼は、
「私は大公と是非、お近づきになりたいと思っているのだよ。バール湖畔に住まわれる方などは、もうご自身の子息を通じて、彼と昵懇の間柄のようじゃないか。少し悔しいと思ってね」
そしてその後、私を連絡役として、宰相府からやって来たそこで同様な役目を持つ者に紹介してくださった。
どうやら宰相府で大公を陥れようとしている者たちに、ナヴァスター公爵家はかなり信用されているようだ。その男はペラペラと計画について話してくれた。
「魔力の流れを遮断する部屋か」
私は考えたなとは思ったが、魔王を滅ぼし、王都を襲ったエンシェント・ドラゴンを倒した大公を甘く見過ぎているのではないかとも思った。
彼の力はその程度のものではない。対抗できるのは、彼と共に魔王を倒した仲間たちくらいだろう。
我らの家はその一人であるリューリットという剣士を雇ったのだが、それでも彼を斃すことはできなかった。
そうしているうちに、今度は彼が宰相府に招かれ、王都へ姿を現わしたという情報がもたらされた。
何しろ彼は今最も、王都で注目を集めている存在だ。
彼の動向は、知ろうと思えば王宮や魔術師ギルドなど、様々な方面から知ることができる。
どうやら彼はいきなり宰相府を訪れ、まだ準備の整っていなかった宰相府の面々を慌てさせたようだ。
そして、宰相府の勧めるまま、『オテル・エクサルシアーレ・デュ・パレ』に宿泊したようだった。
私は今しかないと思って、宿の部屋に彼を訪ねた。
案内してくれた部屋付きの執事も、そこで給仕をしているメイドも、どうやら私が見たことのある宰相府の者らしかった。
執事に、こんなこともあろうかと思って着こんできたコートを預け、メイドにお茶を所望して、それぞれその場から引き離すと、私はさっと彼に近づき、
「彼らは宰相府の息の掛かった者たちです。明日の宰相府ご訪問では魔力の流れにご用心を」
小さな声で素早く、彼にそう注意を促した。
すぐに執事とメイドが戻ってきてしまったので、もうその件について話すことはできず、その後は私はハイラディン様と彼との面談を提案してみた。
残念ながら彼は本気と思ってはくれなかったようだったが。
その後、彼は見事に彼を陥れようとした宰相府の陰謀を打ち砕いた。
それだけではなく、次に彼が王都へ姿を現わしたとき、彼は亡くなったはずのアンヴェル・シュタウリンゲン卿を伴っていたのだ。
彼については、もう何があっても驚かないつもりでいた私も、これにはさすがに衝撃を受けた。
シュタウリンゲン卿については、これまで魔王の支配するカルスケイオスで悪魔に襲われ、亡くなったとされていた。
その情報が誤りで、彼はどこかで生きていて、傷を癒し、再び王都に姿を現わしたと考える方が普通だろう。
実際、そう考えた人は多いようだった。
だが、私はもしかしたらと思った。
それは到底、人間の為せる術ではない。だが、相手が彼であるのなら、そう考えた方が自然なのかもしれなかった。
そんなことを考えているうちに、ナヴァスター公爵家に王宮からの使者があった。
ノーヴェストの町で先代から呼ばれて、御前に伺った私に先代は、
「王宮は、そなたが宰相府に仕えるようお望みのようだ。行ってくれるかな?」
宰相府から彼を陥れようとした者たちが追放され、人手が足りなくなるであろうことは理解できる。だが何故、一介の陪臣に過ぎない私などが宰相府に呼ばれるのか。
その疑問への答えは、急ぎ向かった王都でハイラディン様が教えてくださった。
「カーブガーズ大公が王国大宰相に就任されたのだ。彼はその時、女王様にフォータリフェン公子と、お前を宰相府へ招くことを条件とされたそうだよ」
驚きに言葉もない私に、ハイラディン様は続けて、
「わが家のためにも是非受けてもらいたいのだ。宰相府へ行ってくれるね?」
そうおっしゃってくださった。
有り難いお言葉に、私は涙の出る思いだった。
そして今、私は宰相府の一員として充実した毎日を送っている。
大宰相に招かれ、その顧問のような地位に就いた私は、常に彼の側近くに仕え、あらゆる重要な会議に出席し、彼に直接、意見を具申することができる。
これまでの私であれば一生、口をきくことさえ許されなかっであろうティファーナ様やハルトカール公子も、そんな私を軽輩と侮らず、敬意をもって接してくれている。
そして何より、大宰相となられた大公が私を信頼してくださっていることがひしひしと感じられる。
その信頼の強さは、自分で、どうしてなのかと驚かされる程だ。
大宰相は私の意見をそのまま採用してくださることが多いのだ。
自分のことを信頼してくれる人の下で、存分に腕を振るわせてもらう。
責任の重さはもちろん感じるが、これ以上の喜びはそうはないだろう。
私は浅学菲才の身ではあるが王国のために、いや彼のために、日々、全身全霊でお仕えする。
そして、それが私の喜びでもあるのだ。
「イベリアノはどう言っているんだ?」
今日も大宰相のご判断を求めてきた宰相府の文官に、俺はそう尋ねる。
「はっ。良い案であるからすぐに実施すべきであると。但し、かの地の担当者は、これまでこの規模の予算を扱ったことがないので、その執行には充分に注意すべきであるとのことでした」
そう言った文官に、俺は、
「じゃあ、それでいいんじゃないか。その通りにしておいてくれ」
そう言って下がらせる。
まあ、俺は仮にも王国大宰相だから、あの規模の予算を伴う施策となると一応、俺の直接の判断が必要なのは分かるが、面倒なことだなと思ってしまう。
本当は、俺なんかにそんな判断ができるわけがないのだ。
イベリアノとハルトカール公子を宰相府に招いたのは、俺にしては上できだったなと今も思う。
特にイベリアノだ。
ハルトカール公子も俺に丁寧に接してくれているが、彼は大身の公爵家の跡継ぎだ。
それに、治世に関する優秀さで言えば、イベリアノに引けを取らないかもしれないティファーナも大領を有する大貴族だし、もともと小市民の俺は、彼らを前にするとどうしても気後れしてしまうのだ。
イベリアノだって、書記官だったとはいえ、大貴族の家臣だし、冴えないサラリーマンだった俺からしたら別世界の住人なのかもしれないが、彼はいつも俺を気遣ってくれるし、彼の声は涼やかで、聞いていて落ち着くんだよな。
(それに、イベリアノは間違えない人だからな)
ゲームと現実の異世界を混同してはいけないのかも知れないが、俺はそう思っている。
最近は、俺があまりに「イベリアノに聞いてくれ」と言うものだから、これでは彼が大宰相のようなものだと陰口を叩く者がいるらしい。
俺は別に大宰相になりたくてなった訳でもないのだから、言いたい者には言わせておけばいいと思っている。でも、それって実は魅力的な案なのかもしれない。
今度、女王様に、俺に代えてイベリアノを大宰相にしていただくようお願いしてみようかと思ったが、これ以上、お忙しい女王様を困らせるようなことはしない方がいいだろう。
今の状態なら俺も忙しくはあるが、何とか回っているからな。
臣下に任せることが大領を治める要諦だと言っていたティファーナも、今なら俺のことを褒めてくれるかもしれない。
いや、彼女のことだからきっと「やり過ぎですわ。何事にも限度と言うものがあるのです」とか言うのだろうなと俺は思ったのだった。




