第八十四話 大宰相就任
女王様のご意思にハルトカール公子が賛同したことで、何となく謁見の場の空気が支配されてしまったようで、もうあまり俺の大宰相就任に反対意見を言う者がいなくなってしまった。
「大変ありがたい思し召しではありますが、この浅学菲才の身で、到底そのような重責に耐えられるとは思えません」
最大の反対者である俺は焦ってそう意見を述べるが、ティファーナ様に、
「既に大賢者とさえ呼ばれる大公が、そのようなこと、ご謙遜が過ぎますわ。大宰相の配下には宰相府もありますし、ご不安がおありなら信頼のおけるものを何人か、宰相府にお召しになればよいのですわ」
そう簡単にいなされてしまう。
(この世界の大賢者はやっぱりトゥルタークだろう、彼の熟練の魔法と深い知識には、俺なんかではとても歯が立たないし)
俺はそう思うのだが、世間では本当にそんな風に俺のことを呼んでいるのだろうか。
まあ、大賢者は別に一人だけである必要はないからな。
それに、そもそもの発端は、彼女が宰相府を辞めるとか言い出したことなのだ。
それなのにまったく遠慮する気配さえ見せず、俺の大宰相就任を進めようとするのは、やはり彼女が生まれついての大貴族だからだろうか。
まあ、発端のそのまた発端は俺なのだが。
それにしても魔王バセリスを討伐して王都へ戻ったとき、俺は王宮魔術師への就任を断ったはずなのだが、よくそんなことができたなと、その時の俺を褒めてあげたいくらいだ。
(そうか。あの時はまだ、前の国王陛下がいらっしゃったからな)
国王陛下は俺なんかの意見を採用してくださったし、恩のある方ではあるが、謁見の間でしかお目に掛かったことはないし、親しくお話をさせていただいたこともない。
だから、お互いにと言うのは大変失礼なのかも知れないが、ドライな対応ができたように思う。
ペラトルカさんは、俺が王宮魔術師への就任を断ったことが、前の国王陛下のお心を煩わせることになったとか言っていたが、やっぱりそれは考えすぎのような気がする。
俺みたいな小物のことを、国王陛下がそこまで気にされていたとは思えない。
そんなことよりも、このままだと女王様にティファーナ様、さらにはハルトカール公子までが応援に加わって、俺は大宰相にされてしまいそうだ。
そんなことを考えて、少しの間、黙っていた俺が不安そうに見えたのか、女王陛下も、
「彼女の言うとおり、大公の推薦であれば、その者を宰相府に召しましょう。どなたか心当たりはありますか?」
そう優しくお尋ねくださった。
(心当たりか)
女王様のお言葉に、俺の頭に浮かんだのは二人の人物だった。
ひとりはハルトカール・フォータリフェン公子だ。
彼には先ほどのウィンクの責任を取ってもらおうと思う。
まあ、それは半分冗談だが、俺なんかの意見をこの王宮で押し通してしまう彼のあの説得力は得難いものだと思う。
彼の助力があれば、かなり無理目の施策でも、王宮の支持を得て推進できそうだ。
やっぱり、悲しいかな俺なんかでは到底、彼の真似はできないのだ。
あの常に自信に満ちた態度や、それでいて威儀を保った物言い、何事にも動じない豪胆さは、貴種に生まれついた彼だからこそという気がする。
それに、彼はおそらくバール湖畔にいる彼の父親から、様々な指示や情報を受けている。
彼を味方に引きずり込めば、その情報収集力やフォータリフェン家の支持層を取り込むことができる可能性が高い。
もう一人は、やはりイベリアノだ。
俺は彼を配下にしたいと思って以前、仕えるように誘っているが、その時には断られている。
だが、今回は俺の家臣ではなく、王宮の宰相府の一員としての出仕の要請だ。
それでも彼が受けてくれるかは分からないが、女王陛下のご依頼なら、何よりナヴァスター公爵家が断らない気がする。
あの家は脛に傷のある身だからな。
「では、お言葉に甘えて、ハルトカール・フォータリフェン公子と、ナヴァスター公爵家の書記官のイベリアノを宰相府に招きたいと思います」
俺がそう述べると、ハルトカール公子は相変わらず人好きのする爽やかな笑みをその顔に浮かべたまま、
「大公のご推薦とは誠に光栄です。承知しました」
まったく動じた様子もなく、そう言った。
彼に続けて女王様も、
「では、ナヴァスター公爵家にも早速、王宮から使いを出しましょう。これで安心ですね」
そう嬉しそうにおっしゃった。
(あれ? これって、もしかして俺が大宰相就任を受けたことになってる?)
俺は今さらそう思ったのだが、もう後の祭りのようだ。
まあ、俺が断ったらティファーナ嬢も「では、やっぱり私も無理です」とか言い出しそうだし、仕方ないよね。
俺ってやっぱり諦めが早いよな。
もうこうなったら、俺の配下となるらしい信頼できる二人に、すべて丸投げして任せてしまおうと思う。
ティファーナ様が言っていたように、それが大領を治める『要諦』のようだからな。
カーブガーズへ戻った俺は、同じように新しい『賢者の塔』に戻って来ていたトゥルタークと、ダイニングで久しぶりにお茶を飲みながら話をしていた。
まあ、それまでにはまた任命の儀式からお披露目のパーティーと、一連の仰々しい行事の流れがあり、俺はもうそれに流されるままに身を任せていたのだが。
トゥルタークはトゥルタークで、カーブガーズの各地の探索に相変わらず忙しかったようだが、どちらがより充実感があったかは、言うまでもない気がする。
「フォータリフェン公爵やイベリアノは、変な動きをされると、それを止められる自信がありませんから。俺なんか、彼らの手にかかれば簡単に手玉に取られてしまうでしょう。側近くに置いておくに限ります」
俺がそう言うと、トゥルタークは笑って、
「虎は野に放つべきではない。そなたが考えたようなことを、女王様も考えられたのであろうな。まあよい。王都へちょくちょく顔を出し、王宮の者たちを安心させてやることも必要であろう」
そんな彼の言葉に、俺は改めて自分の鈍さに気づかされた気分だ。
本来の俺は借りてきた猫のように大人しいから、どうも忘れがちなのだが、俺は王国にとって最も危険な要監視対象なのだ。
そう考えれば、俺の大宰相就任に思ったほど反対者がいなかったのも納得がいく。
逆にあの場で反対意見を述べた者たちは、場の空気が読めなかったり、事前の根回しを受けられなかった程度の小物たちだと言うことだ。
(うーん。女王様やティファーナ様がどこまで考えていたのかは気になるけれど、もう決まってしまったことだから仕方ないよね)
まさかアンヴェルのプロポーズを受けて喜んだことまでが、演技だとは思えないから、そこまで考え込む必要はないのかもしれない。
だが、王都の、特に王宮に暮らす人たちは、純朴な俺なんかとは比較にならないほどしたたかなようだから、気をつけないとなと改めて思った。
それと、この程度のことも気がつかない俺なんかではなく、やっぱりトゥルタークこそが『大賢者』には相応しいと、俺は我が師に対して尊敬の念を改めて抱いたのだった。




