閑話その三 女王様の侍女の憂鬱
私が女王陛下の侍女としてお仕えし始めてから、もうかれこれ五年くらいになる。
「ミセラーナ様。お初にお目に掛かります、セレンプナ・ベスティンバーグと申します。本日よりミセラーナ様付きの侍女としてお仕えいたします」
そう言って、私が初めてお目通りをした時はまだ父王陛下のご在位中で、彼女はミセラーナ王女と呼ばれていた。
そのお顔にはまだまだ幼さが残っていた頃だ。
「お仕えするのがミセラーナ様だなんて、本当に羨ましいわ」
私は王宮の侍女仲間からよくそう言われた。
お仕えしてすぐに私には自分の主人が優しく、とても聡明な方だと分かったし、その上控えめで、私たちにも丁寧に接してくださる方だった。
すぐに彼女は私を親しく「セレン」とお呼びくださるようになった。
「セレンはしっかりしているのね。おかげで本当に助かります」
私は自分でも少しきつい性格なのかもしれないと思っていたのだが、ミセラーナ様はそうおっしゃってくださる。
そんなミセラーナ様だって、実はかなりしっかりされているのだが、時々ほんわかとした雰囲気をまとわれることもあり、それがまた愛らしく、同性の私から見ても魅力的なのだった。
そして、お仕えする侍女の中では比較的年齢が近かったせいもあるのだろう。私のことをとても信頼してくださり、段々と重要な事柄もお任せくださるようになった。
そんな私を痛恨の事件が襲ったのは、もう一年以上前になる。
ミセラーナ様につき従って王宮の中庭を歩いていたところ突然、旋風が巻き起こり、恐ろしい魔族が姿を現わしたのだ。
「か弱き人間の女よ。私と共に来てもらおうか」
そう言った魔族は真っ黒なマントをなびかせ、銀色の髪をした妖しげな女性だった。
その耳は尖り、顔には邪悪な笑みが浮かんでいた。
「キャー!」
中庭に響いたのは、だが、ミセラーナ様の悲鳴ではなく、私の上げたものだった。
私にできたのは、ただそうして周りに危機を知らせることだけだった。
その間に、現れた魔族はミセラーナ様を当て身で気絶させると、彼女を抱いたまま忽然と姿を消してしまったのだ。
身を挺して王女様をお守りすべきだったのに、私は何のお役にも立たなかった。
悲鳴を聞いて駆けつけた武官が、まさに姿を消そうとする魔族を辛うじて目撃していたことで、私の証言は裏付けられた。
だが、それでも私がミセラーナ様をお守りできなかった事実は消えない。
(これからどうなってしまうの?)
あの優しいミセラーナ様が酷い目にあっているのではないかと思うと、胸が締め付けられる想いがした。
また、私はこれでも子爵家の娘なのだが、王家に睨まれるようなことを仕出かしてしまい、実家だって慎みの意を表す必要に迫られるかもしれない。
私が不できなためにお父様にまで迷惑を掛けることになったのだ。
「どうか、せめてご無事で……」
私にはもう祈ることしかできることはなかった。
だが、そんな私の祈りが通じたのか、ミセラーナ様は数日で王宮へお戻りになった。
「王女様のご無事でのお帰り、とても嬉しく思います。ですが……、私はあの時、何のお役にも立てませんでした。本当に申し訳なく思っております」
責任を感じていた私は、涙ながらにそう暇乞いを申し出たのだが、ミセラーナ様は、
「セレン。相手は高位の魔族でしたから、あなたのせいではないのです。それに私もこうして戻って来られましたから。セレンにはこれからも私の側にいて欲しいのです」
そう優しくおっしゃってくださり、私はなんの罰も受けずに済んだのだ。
王宮の発表では、王女様はエスヒシェキールの町で魔族に襲われ、あの魔王を封印した伝説の英雄バルトリヒの子孫である近衛騎士のシュタウリンゲン卿が中心となって、その魔族を撃退したということになっていた。
だが、事実がそうではないことは私が一番良く知っている。
暫くすると、私のような者のもとにも、王宮の公式発表とは異なる様々な情報が入って来た。
エスヒシェキールの町でシュタウリンゲン卿の一行が王女様を救われたのは事実のようだった。
だが、その中心となったのはどうやら一行の中にいた魔法使いらしい。
その魔法使いは、あのバルトリヒと共に魔王を封印した伝説の大賢者トゥルタークの弟子と称しているようだった。
その噂がどうやら本当のことだと分かったのは、シュタウリンゲン卿が魔王討伐を王から正式に命ぜられたときのことだった。
「賢者様のお姿がないようですが、今日はどうされているのですか?」
こういった儀式の席では、いつも静かにその進行を見守っておられたミセラーナ様が、シュタウリンゲン卿にこうお尋ねになったのだ。
そんな発言をされること自体がとても珍しいことなので、皆、驚いていたようだ。
シュタウリンゲン卿は「彼はエルフ族に共闘を促し、魔族に対する援軍を要請するために、彼らの住む森に向かっております」とお答えになった。
だが、私にはミセラーナ様は、そんな目的云々よりも、魔法使いの彼に会えなかったことを残念に思われているように感じられた。
その後も魔王討伐に向かったシュタウリンゲン卿一行の動向を、ミセラーナ様はとても気にされていた。
一行の中にけが人などの犠牲者が出ていないことが伝わると、とても安堵されたことが、少なくともお側近くにお仕えする私には隠しきれないくらいだった。
私もそのご意向に沿うよう、できるだけ彼らの情報を集めているうちに、徐々にその魔法使いについて分かることが増えてきた。
一行のリーダーはもちろん、国王陛下が魔王討伐をお命じになったシュタウリンゲン卿なのだが、どうやら彼らの行動を実質的に決めているのは、その魔法使いらしいのだ。
魔法使いはその知識の豊富さから賢者とも呼ばれるように、こういったパーティーの軍師や参謀役に収まることが多いとも聞いている。だが、彼の場合は少し度が過ぎるようだった。
あまり公にはなっていないのだが、ドゥプルナムでも、エルクサンブルクでも、彼はかなり活躍したようだ。
あの高名なフォータリフェン公爵は、彼を『半神』と呼んだらしい。
王国の様々な方面に多大な影響力を持つ彼が、あの魔法使いの実力を認めたようなのだ。
だが、彼らは魔王討伐に失敗した。
魔王の統べる地へ入ってすぐに、リーダーのシュタウリンゲン卿が倒され、尻尾を巻いて逃げ帰って来たと王宮雀たちの評判になっていた。
この世界が魔王に支配されてしまうかもしれない瀬戸際なのに、お気楽にそう話す人たちはどうかしているのではと、一介の侍女に過ぎない私でさえ思ったのだが。
当然、王宮で彼は非難の矢面に立たされた。
それを救われたのはミセラーナ様だった。
「私を救ってくださった彼の御恩に少しでも報いたいのです」
そう悲痛にさえ見えるご様子で国王陛下に懇願される彼女の姿は、私があの魔族に襲われた時にできなかった「身を挺して」と言っていいほどのなさりようだった。
その甲斐もあって、彼は正式に魔王討伐を国王陛下から命ぜられることになった。
翌日、彼が魔王討伐を王から命ぜられる日、ミセラーナ様は朝からかなりソワソワされておられることが、普段からお世話している私にはよく分かった。
ご衣裳も、いつもは私たちがお薦めするものを特にお断りされることもなく素直にお召しになることがほとんどなのに、その日は中庭で花の盛りを迎えた木香薔薇に合わせて、柔らかいイエローのドレスを自ら選ばれていた。
そして、私は任命の儀式の後、その魔法使いを王宮の中庭に連れて来るよう命ぜられたのだ。
「ミセラーナ様が、賢者様にお会いして、お渡ししたい物がおありとのことですので、少しお時間をいただけますでしょうか?」
私がそう言ってその魔法使いを王宮の中庭に誘うと、彼の仲間が皆、エルフの女性を見ていたから、どうも彼とそのエルフの女性は特別な関係にあるようだった。
だが、彼はそんな皆の様子にも無頓着なのか、何も気にしないかのように私について中庭までやって来た。
(この人が本当に『半神』と呼ばれるほど凄い人なのかしら?)
なんだか間が抜けているようにさえ見える彼を見て、私は戸惑いを覚えていた。
「そして、これは私からのおまじないです」
王室の宝物を彼に渡した後、そう言って中庭に咲いていた小さな花を彼の胸に挿すミセラーナ様の姿に、私は驚いていた。
いや、正直に言うと少し引いてしまった。
(えっ。こんな場所にリナリアなんて。咲いていたかしら?)
私は危うくそう声に出しそうになった。
だって、毎日のようにミセラーナ様とこの中庭を歩いているのだから、見間違えるはずがないのだ。
それによく見ると土の色もそこだけが違っている。どうやらこのリナリアの花は、誰かが別の場所から植え替えたようだ。
そして、その誰かはおそらく私以外のミセラーナ様付きの侍女のひとりなのだろう。
リナリアの花に込められた想いを考えると、私には空恐ろしい気さえした。
だが、一国の王女と一介の魔術師とでは身分が違い過ぎる。
(所詮はひと時の気の紛れに過ぎないわ)
私はそう思っていた。
聡明なミセラーナ様はご自身の立場を良くお分かりになっている。そう思っていた。
彼はその後、無事に魔王を倒し、王都へ凱旋した。
この国の英雄となった彼は、だが、王宮魔術師への就任さえ辞退し、地方へ引きこもった。
ミセラーナ様はとてもお寂しそうだったが、仕方のないことなのだ。
そして、すべては終わり、ミセラーナ様の周囲も平和になったはずだったのだ。
ところが、その後も彼はナヴァスター公爵に幽閉されたミセラーナ様を王都の西の離宮から救い出し、反逆者をドゥプルナムの城塞に討った。
父王陛下が崩御され、ミセラーナ様が即位されると、彼女はあの魔法使いを伯爵に叙してしまったのだ。
(えっ。彼女はあのときの……そんな!)
その叙爵の場に、ダークエルフがいたことに私は驚愕した。
見間違うはずがない。彼女はミセラーナ様をさらったダークエルフに違いなかった。
混乱した私には、あの事件も彼らが示し合わせたのではとさえ思えてしまう。
だが、そのダークエルフは幽閉されたミセラーナ様の救出劇に多大な貢献をしたとのことだった。
(いったい、何がどうなっているの?)
私にはさっぱり理解できず、頭を抱える思いだった。
『半神』と呼ばれているにしては、少し抜けているのではと思われるような彼が、どうして敵だった魔族まで仲間にしているのか。
彼には私などには理解できない力があるのではないかと恐ろしささえ感じてしまう。
その後も彼は伝説のエンシェント・ドラゴンを相手に縦横無尽の活躍で、王都の守護者となり、遂には広大な新領土を有する『カーブガーズ大公』となってしまった。
ついこの間までただの魔術師に過ぎなかった彼が、今やこの国で女王様に次ぐ地位に就いたのだ。
彼は最早、一介の魔法使いではなくなった。
地位だけで言えば、女王様のお相手として相応しいとさえ言える。
けれど、彼には敵が多いことも確かなのだ。
「成り上がり者の魔法使い風情が」
そんな苦々し気な声が王宮内でささやかれるのを、私は何度も聞いている。
実家のベスティンバーグ子爵家だって、そこまで歴史があるわけではないけれど、そんな私でさえ同じような感情を抱かなかったと言えば嘘になる。
古くからの家柄を誇る大貴族たちは、ほぼすべてが反感を抱いていると言っても間違いではないだろう。
例外はフォータリフェン公爵くらいだろうか。
ハルトカール公子はかなり無理をしてまで、魔法使いの彼の意見に賛成しているように見える。
それがバール湖畔に住まう公爵の指示であるならば、フォータリフェン公爵はそうすることが得策と考えているということなのだろう。
あの方の先見の明は誰もが知る程だから、そう考えると彼の未来は安泰なのかもしれない。
でも、王宮は数多の魔物が巣食う場所なのだ。
女王様とフォータリフェン公爵家の支持だけを当てにしていては、思わぬところから足をすくわれかねないと思うのだが。
(もうひとつの懸念材料は、彼女よね)
私は最近、そう思っている。
彼女とは、若くして宰相府の一員となったエルクサンブルクのティファーナ様のことだ。
彼女はとても優秀で、あの年齢で、この王宮で長年暮らして来た、ある種、妖怪のような大貴族や老官僚たちとも互角に渡り合っているようだ。
最初は任命した女王様の顔を立てて、少しだけ彼女の意見を実行させてみるかという程度だった彼らも、その施策があまりに当を得たもので、効果も覿面なので、最近は彼女に押され気味のようだ。
(でも、本当に凄いのは、そんな彼女を見出して、抜擢したミセラーナ様よね)
私はそう思って、自分のお仕えする方を誇らしく思っている。
だが、彼女はまだ若く、王宮内に味方が少ないのはカーブガーズ大公と同様だ。
彼女のような者を王宮から放逐する方法なんて、そこでずっと生きてきた者たちからすれば、いくらでもあるのではないだろうか。
そして、どうも彼女は大公に対して何か含むところがあるようなのだ。
彼女と亡くなったシュタウリンゲン卿は遠縁にあたり、しかも相思相愛の仲だったとも聞いている。
その彼を守り切れなかった大公のことが許せないのかもしれない。
(恋は盲目と言うから、宰相府ではいつも冷静な彼女も、大公のこととなると正しい判断が下せるのかしら?)
私はそれに興味はあったが、ミセラーナ様のためにも、おかしなことにならなければ良いのだがと思っていた。それに、
(彼に敵対するのは止めた方がいいと思うのだけれど……)
私は諦めにも近い気持ちで、最近ではそう思っている。
シュタウリンゲン卿が亡くなる直前に、彼と言い争っているのを見たと言う者がいるらしい。
また、ディヤルミアの町がエンシェント・ドラゴンの襲撃によって壊滅したのは、町に入ろうとした彼を追い払ったからだと、まことしやかに言う者もいる。
(女王様のためにも、ティファーナ様には自重をお願いしたいところよね)
私はそう願っているのだが、その願いが彼女に届くと良いのだが。
彼女を重用して政務を任せ、新領土の視察のためという名目でカーブガーズに足しげく通われるミセラーナ様のことを、冷めた目で見ている者は王宮の中には多いのだ。
そういう意味ではミセラーナ様だって、決してその地位は盤石と言えるほどではない。
この世界で最も強い力を持つ彼の支持が、女王様を支えているとも言える。
ミセラーナ様は、王都の西の離宮から救い出して王宮まで彼女を守り、そして王位に就けてくれた彼こそが、ご自身の守り神だと思われているようだ。
(でも、いくらなんでもカーブガーズをご訪問されすぎだと思うのよね)
驚いたことに、ご自分を攫ったことのある、あのダークエルフの力をお使いになられて、かの地をお訪ねになられているのだ。
最近では数日ご滞在になられることもあって、正直に言って、王宮の中にも眉をひそめる者も現れている。
(ミセラーナ様も実は恋に盲目なのかしら?)
王宮へいらっしゃる時もときどき東の方を眺めては、憂いを含んだお顔で、ため息をつかれていることのある女王様のお姿に、私は悪いことが起こらないよう祈るような心地だ。




