閑話その四十二 フォータリフェン家の次男
「ルーブレヒトは将来、お父様の跡を継ぎ、フォータリフェン家の当主となるのですから、もっと励まねばなりませんよ」
私がまだ小さな子どもの頃から、母上はそう私に教えた。
「はい。お母様。昼からも弁論術の先生とがんばります」
私もその期待に応えようと勉学に、そして剣の扱いや運動に懸命に取り組んだ。
「ルーブレヒトは優秀だと先生も褒めてみえましたよ。その調子です」
母上はそう言ってくださるし、滅多に私と母上の暮らすネアフォータリには顔を見せない父上も、偶にお会いした時には私のことを聡明だと褒めてくださることが多かった。
「ルーブレヒトは良く励んでいるようだな」
父上の問いに母上は、
「教授方も末恐ろしい程だとおっしゃっていましたわ。さすがはフォータリフェンとリールセンの血を引く方だと」
嬉しそうにそう答えていた。
最初は私も嬉しく思っていたが、次第にそれは私が母上によって早くから十分な教育を授けられ、選りすぐった多くの有能な家臣に傅かれていたからこそだと思うようになってきた。
早くに実の母を亡くされた兄上には当然、母上のような人はいなかったし、政務と家業に没頭する父上は兄上には無関心だった。
「ハルトカールはあまり賢くないから心配だ」
父上が常々、そう漏らされていると聞いて、母上は嬉しそうだった。
「今の時代、長子だからというだけで家を継げるわけではありません。父上やあなたのように賢明で家を発展させられる能力のある人でなければ」
母上は私の爵位継承を念頭に置いてだろう。自信ありげにそうおっしゃっていたが、私は納得できなかった。
兄上と話す機会はそれほど多くあったわけではなかったが、私には兄上が父上や母上の言うような暗愚な人とはとても思えなかったからだ。
「ルーブレヒトは賢いな」
そう言ってくださった兄上の方が、私などよりずっと頭が良いのではないかと思えた。
母上の心は見え透いているし、父上もそれに異を唱えようとはなさらない。
そんな境遇にあって、それでも飄々とされている兄上は只者ではないと私には思えたのだ。
「ルーブレヒトは父上に似たのかもしれないね。きっと立派な貴族になるよ」
そうも言ってくださった兄上は達観されているように見えた。
もし私と家督を争うようなことになれば、兄上はどうされるのだろうと、そんな思いを私は抱いた。
そんな兄上が父上から王都への供を命ぜられたことを、母上は初め、意外に思っていたようだった。
「あの方などどこか小さな町でも治めさせておけば良いのです。どうしてわざわざ王都になど……」
母上は不満そうだったが、じきに父上が宰相府のお役を辞め、兄上が王都に一人残されたと伝わると、安堵の息を吐いていた。
「やはり旦那様は世間の評判どおり物事がよく見えていらっしゃるようね。あの方は今後も領地と切り離され、王都で私たちのために家業の監督をして過ごされるのでしょう」
王都にいる家臣など取るに足らない者ばかり、将兵はすべて私たちの暮らすネアフォータリを中心とした領地にいるのだからと母上はおっしゃっていた。
だが、私にはそう簡単なこととは思えなかった。
(兄上が母上が思われているような愚かな人なら、王都で遊んで暮らし、評判を落とすだけだろう。そうなれば父上のこと、廃嫡されるかもしれない。でも……)
私の考えるとおり兄上が賢明な人なら、王都にいる機会を最大限に利用しようとするだろう。
そして私の予想は当たることになる……。
「あの方が宰相府に召されたと言うのですか? 何かの間違いでは?」
王都に詰める家臣からそんな報がもたらされたのは、王都がドラゴンの襲来から救われ、しばらくした頃だった。
「いいえ。王都を救ったカーブガーズ大公が王国大宰相に就任され、大宰相のご指名でハルトカール様は宰相府に出仕されることになったのです」
フォータリフェン家にとって、とても名誉なことだと家臣は付け加えていたが、母上は呆然としていて、その言葉は耳に入っていないようだった。
「どうしてそんなことに……」
ようやく口にした疑問の言葉に、家臣はその顔に笑みを浮かべて、
「何でも今回のドラゴンの討伐で、ハルトカール様は大きな功績を上げられたとか。最近はご主人様の名代として王宮にも出入りされていたようですから」
兄上が王宮に出入りしているなどとは聞いたこともなかったし、それは母上も同じだったようだ。
「どうしてあの方が王宮に出入りしているのです。私たちに隠れてこそこそと!」
母上の非難の言葉に家臣は意外そうに、
「それはもちろんご主人様のご指示でしょう。ナヴァスター公爵の一件以来、王宮の実権を握った大宰相にお近づきになる必要がありましたから」
それには偶々王都にいた兄上が適任だったのだろうと家臣は続けたが、母上は忌々しそうに、
「アスマット・アマン! あの成り上がりの魔法使い風情が!」
そう言って憤りを隠さなかった。
だが母上の言った成り上がり者と組んだ兄上の活躍の様子は、王都から遠いここ、ネアフォータリにも届くようになっていた。
(またか……)
王国の東に侵入した正体不明の軍隊に向けて、大宰相が総帥となった王国軍が派遣された時、我が家の総大将に指名されたのは兄上だった。
「お父様は万が一にもあなたに何かあってはと心配されているのです。あのような荒事はあの方にこそお似合いですわ」
母上はそんなことを言っていたが、私にはとてもそうとは思えなかった。
ミセラーナ女王の信頼篤く、政務一切を取り仕切っている大宰相が、今は大元帥として軍権まで付与されて戦場へ赴くのだ。
その軍に同行する者こそが、今後の王国の将来を担うことになるであろうことなど、誰に言われなくとも分かりきったことだ。
「私もお屋形様の名を辱めぬよう全霊をもって兵を指揮いたします」
実質的にフォータリフェン公爵家軍を指揮する家老のテミクドロスは母と私にそう挨拶をした。
「当たり前です。それにここネアフォータリの兵は本来、ルーブレヒトを守護する者たち。それを損ねぬよう努めなさい」
母上の言葉にテミクドロスは苦笑していたが、あのナヴァスター公爵家などは当主自ら出陣するようだ。
目ざとい者たちが、この機会をどう捉えているかは火を見るよりも明らかだった。
(母上は気がついていないのだろうか? もう次の当主は兄上で決まりなのに……)
父上は私を兄上よりは頭が切れると認めてくれているのだと母上はいつもおっしゃっていた。
そのとおりに私の頭が切れるのかは分からないが、この状況を見て、そんな楽観的な見通しなど立てられるはずがないことくらいは分かる。
「兄上。ご武運をお祈りいたします」
ネアフォータリから我が家の兵を率いて出陣する兄上に、私は母が気分が優れず、見送りに来られないことを詫びるしかなかった。
「ありがとう。ルーブレヒト。母上にもよろしく伝えてくれ」
母上の気分の優れぬ理由など分かっているであろうに、兄上は私に笑顔を見せさえしてくれた。
多くの貴族同様、母上も今回の王国軍の遠征が失敗に終わることを願っている。
そう思うと私はやり切れない気がしていた。
だが、母上の願いが叶うことはなく、王国軍はほとんど損害を被ることなく、クリュナミアと称する敵軍を撃破した。
兄上も敵の魔法使いを中心とした部隊を撃ち破るという武功を上げていた。
「噂どおり、あの魔法使い風情には悪運がついて回っているようね。それもいつまで持つことやら」
そんな不穏な言葉を呟く母上を悲劇が襲ったのは、その直後のことだ。
私の伯父に当たるリールセン伯爵の屋敷が火災に遭い、当主の伯父だけでなく、その家族も亡くなったのだ。
「旦那様。折り入ってお願いがございます」
母上を慰めようと本当に久しぶりにネアフォータリを訪れた父上に、母上は改まった態度で申し出ていた。
「何だね? 言ってみるがいい」
さすがに父上はいつにもない優しい態度で母上に接していた。
「ルーブレヒトをリールセン家に養子としていただきたいのです。いいえ。正式には父からお願いに伺いますが、私からもお願いいたしますわ」
爵位を亡くなった伯父に譲った前当主、私のお祖父様は難を免れていたが、家名の存続を図るには、かなり遠縁の男爵あたりに爵位を継がせるしかなくなるようだった。
父上はしばらく思案していたが、結論はすぐに出された。
「良いだろう。ルーブレヒトなら血筋から言っても誰からも苦情は出ないであろうし。だが、本当にそれで良いのかね?」
父上が言っているのは、母がずっと拘っていたフォータリフェン公爵家を私が継ぐことについてだろう。
だが、母上はあっさりとしたものだった。
「私の実家が碌に会ったこともない男爵如きのものになるかの瀬戸際なのです。良いも悪いもありませんわ」
私の意思はどうなるのだと思って唖然とする思いだったが、父上はそんな私の心を見透かしたかのように、私に尋ねてきた。
「ルーブレヒトもそれでいいのだね? 我が家は継げないことになるが……」
父上の表情はあくまでも温和なものだったが、その目が決して笑ってはいないことに私は気がついた。
「もちろんです。フォータリフェンのお家には兄上がおられます。母上のお望みですし、リールセンのお家を継ぐことに異存はありません」
私の答えに父は安心したように笑みを見せた。
「そうか。ハルトカールは頼りないところもあるが、家臣に人を得れば現状を維持するくらいのことは何とかするだろう。リールセンの家は伯爵とはいえ富裕な家だし、ハルトカールを支えてやってもらいたいね」
父上の言葉にも私は変化を感じていた。
あの父上が「現状を維持するくらいは何とかする」と兄上を評しているのだ。
やはり状況は変わったと言うことだろう。
その後、私はリールセンの家を継ぎ、王都から程近い領地の町で静かに暮らしている。
ハイラディン王は皇帝陛下の側近となった兄上の弟である私に、何かと気を遣ってくださっている。
「今回の陞爵は、あなたの統治の見事さに国王陛下が感心されたからこそです」
母上は相変わらずそんなことをおっしゃるが、我が家が侯爵の位を授けられたのは、兄上の尽力に依るのだと私には分かっていた。
それにしても、もしリールセンの家で伯父上と家族が亡くなることなく、兄上と私が家督を争うことになっていたらと考えるとぞっとする。
「あなたにリールセンの家を継いでもらって本当に良かった。あなたは私の誇りです」
今はそう言って目を潤ませる母上は、決して私が家督を継ぐことを諦めることはなかっただろうと思えるからだ。
「ええ。私もリールセンの家を継ぐことができて幸せです」
私が母に伝えた気持ちは、まったく偽りのないものだった。




