閑話その三十七 西の岩山
「殿下? ララティー殿下。どうされたのですか?」
先ほどまで護衛である私と他愛もない話をしていたララティー殿下の瞳が急に輝いたかと思うと、彼女は呆けたような顔を見せた。
いつも溌剌とした彼女には見られない表情だ。
「殿下! 大丈夫ですか? ララティー殿下!」
立ち尽くす彼女に、悪霊でも取り憑いたのではないかと想像して私はぞっとした。
素直な彼女はいかにも憑依されやすそうだ。
「今、言っていたことって本当?」
彼女は口角をぐっと上げ、にんまりと言うような笑顔を見せると、私にそう尋ねてきた。
奔放な性格とはいえ、彼女は王家の姫君だ。
護衛として常に側近くに控える私も、さすがにこれまであんな笑顔を見たことはない。
「ララティー殿下。大丈夫ですか?」
やはり悪霊に支配されてしまったのではと心配になった私は、そう尋ねたのだが、
「大丈夫に決まっているし。それよりさっきの話だよ!」
さっきの話って……と私はそれらしい話題を思い出す。
そんな重要な話をしていたわけでもなく、殿下も気乗りしないって顔だったと思うのだが。
そもそもいきなりそう問われた私でさえ、すぐには思い当たることがなかったくらいなのだ。
「ええと。アンヴェル王のお話ですか?」
私は殿下と、魔王バセリスを倒した六人の英雄のリーダーと言えるアンヴェル・シュタウリンゲン卿、後のアンヴェル王の話をしていたと思う。
殿下の教師を務める神官のヨランから、できるだけ王女としての自覚を持てるような会話を心がけてほしいと頼まれていたからだ。
彼女の先祖の話は、格好の話題のはずだ。
ララティー様にはあまり効果はなさそうだなとは思ってはいたが、たまには実行することもある。
先ほどがそうだったのだ。
「違うし。その何代か前の人の話だよ」
やはり殿下はおかしい。
いや、いつもおかしな人ではあるのだが、今の殿下はいつもとは明らかに違っている。
「何代か前の人……。ああ、奇跡を起こしたご先祖のことですか?」
確かにそのことにも私は触れていた。
バルトリヒからアンヴェル王まで、シュタウリンゲン家の当主は立派な方ばかりだったのだ。
数々の逸話に彩られたそれら英傑たちの中でも、とりわけ異彩を放つのが、アンヴェル王から七代前の当主だ。
「そうそう。今はその人も立派な人だって言われているんだよね?」
「もちろんです。国王陛下や殿下の先祖に当たる方ですから。ご立派な方だったこと、疑うべくもありません」
私は自信を持って答えたのだが、ララティー様は珍しく疑問を口にされた。
「でも、その人は家宝である『英雄の剣』やバール湖畔の別邸を王家に召し上げられたでしょう? それでどうして立派だなんて言えるの?」
いつもなら王家やシュタウリンゲン家の歴史を私が説こうものなら、
「ああ。そういうのはいいから。ヨラン先生だけでたくさん」
なんて不満げな顔で返してくるのが常なのだ。
それが私にさらに説明を求めてくるなんて、あり得ないことだ。
やはり殿下はおかしい。そう思ったのだが、瞳を輝かせる彼女に、私は臣下として答えないでいることもできなかった。
「それは……。確かにその時には暴挙であるとして非難した王家に、自ら剣や別邸をお譲りになられたとされています。しかし、後にその行動が王国の為を思ってなされたことだったと皆が理解したのです」
当時は王家に害されたバルトリヒの後裔が起こした怪異であるとして、民衆の中には王家への不信を強めた者もいたようだ。
だが、それももう五百年も前の出来事なのだ。
それにしても殿下はよくそのことを覚えておられたものだ。
ヨランが興味のないことは教えてもすぐに忘れてしまうとこぼしていたのだが。
「その時に崩れた王都の西の岩山の跡は、王家の狩り場になっています。何より岩山を避けて大きく迂回していた西へ向かう街道を、真っ直ぐなものにできましたから」
私の答えにララティー殿下の瞳が爛々と輝き、彼女は両手を胸の前で組んで空を見上げ、うっとりとした顔を見せる。
「そうか。そうだよね。みんなが真意を理解してくれたんだね!」
まるで自分のことのように喜ぶ彼女の様子に、これまでその先祖の存在が心の棘になってでもいたのだろうかという考えが浮かぶ。
でも、ララティー様に限ってそんなことはあり得ない。
「歴史とかどうでもいいし」と言うのが、これまでの彼女の信条なのだから。
私がそんな疑問を抱きながら彼女を眺めていると、彼女は私にさらに疑問をぶつけてきた。
「でも、王家はそれを謝罪したわけじゃないよね。剣も別邸も返していないし……」
先ほどまでの浮かれた態度が嘘のように、今度は腕を組んで不満げだ。
彼女は感情の豊かな人ではあるが、ここまで起伏が激しくはなかったと思うのだが。
「それは……。アンヴェル王が即位され、英雄バルトリヒの血筋は既に王家と一体化していますから。剣も別邸も王家の物。即ちバルトリヒの子孫の物でもあるのです。謝罪については尚更、王がそのご先祖に謝るべきだなどと言う者もおりますまい」
公式見解など出てはいないが、強いて言えばそう言うことになるのだろう。
名誉回復くらいすべきってことも言えそうだが、そうなると当時の王の判断が誤まっていたと認めることになる。
王家としては避けたいのが本音だろう。
「そうか。自分で自分に謝ることになるものね。謝るのは嫌だし。仕方ないよね」
ララティー様の言い様に違和感を覚えたが、王家がその先祖に謝罪するってことだから、王家の内の問題だと言えばそのとおりだ。
「そのとおりです。それにもう五百年も前の大昔の話ですから。今さらでもありますから」
ララティー殿下は行動力があるから、国王陛下に「謝ってください」なんて進言しかねないと思って、私は釘を刺したつもりだった。
だが、それを聞いた殿下は急に慌て出した。
「えっ。大昔って、そんなに昔のことなの?」
「五百年前ですぞ。当時のことを知るのはエルフくらいでしょう。我々は記録や伝承で教えられるのみですが、バルトリヒやアンヴェル王の逸話に比べれば地味ですし」
バルトリヒの子孫が起こした奇跡として、知る者ぞ知るという事件ではあるが、一般の国民は知らない者の方が多いくらいだろう。
五百年も経てば、よほど重要な出来事以外は忘れ去られてしまうものだ。
「えっ。じゃあ五百年の間、バルトリヒの子孫はのうのうと暮らしてきたの? みんなの役に立つこともせずに?」
明らかに焦りを見せるララティー殿下だったが、さすがに私は彼女を嗜めた。
「おそれながら。バルトリヒの子孫、殿下のご先祖たちはアンヴェル王が魔王を退治され、世に安寧をもたらされました。その後も国王として民を導かれ、国を豊かにされています。役に立っていないなどと……」
だが、私の反論にも殿下は納得されなかった。
「だって毎日、美味しいものを食べて綺麗な服を着て、狩りやダンスを楽しんだり。そこまでさせてもらっておいて、何か目に見えるもので返さないと……」
やはり殿下はおかしい。
それに王室や貴族を批判するような発言は、王家の者として控えるべきなのだ。
そんな心配をする私に向かって、ララティー様は急に何か閃いたようで、
「分かった! みんながあれは良いことだと理解してくれたんだから同じことをすればいいんだ。ちゃんとバルトリヒの子孫も役に立っているって、みんなに知ってもらう必要があるね」
そうおっしゃって突然、席を立ち、私室を出られると廊下をずんずんと歩いて行く。
「お待ちください! 殿下!」
私の呼び掛けに構わず、殿下は途中で出会った召使いや警備の兵に「ちょっと一緒に来てくれる?」などと声を掛け、王宮の廊下をどんどん進んで行った。
突然のご命令に皆は困惑していたが、何しろ殿下のお言葉ゆえ素直に従って、すぐに私たちは十人程の集団となった。
「よーし。ここでいいね!」
到着したのは王宮の西の回廊だった。
殿下はそこでまた、あのにんまりと笑うような顔を見せた。
「久しぶりだから上手く行くか分からないけれど、王国に暮らすみんなのためにひと肌脱いじゃうよ。それっ!」
殿下がそうおっしゃったかと思うと、彼女の頭の上に金色の輝きが出現した。
それは一瞬で消え去り、集まった人々の中には幻だったのではと眼を擦る仕種をした者もいた。
だが……、
ゴゴーン!!
西の方角で眩い輝きが発生し、続けて轟音が響く。
さらには突風のような風が吹き抜け、私たちのいる王宮にばらばらと小さな石が落ちてきた。
「こ、これはいったい?」「何が起きたのだ!」「まさかララティー様が?」
皆の間に動揺が走る中、殿下はまたにんまりとされて、
「これでますます便利になるね! やっぱり良いことをすると気持ちいいなあ! これで当分は安泰だろうから、後はみんなよろしくね」
そんなよく分からない言葉を口にして、また、先ほど見せた呆けたような顔を見せた。
「あら? えっとここは王宮よね? 私ここで何をしていたの?」
しばらくして我に返ったように言ったララティー様に、私たちも我に返った。
「何をしていたもないでしょう? あのような破壊行為。殿下と言えど許されることではありませんぞ!」
私たちと合流した一人の貴族がそう口火を切ると、
「あの森は王家の狩り場ですぞ!」
「あの岩山には建国にまつわる祠があったはずでは……」
一緒にいた武官と文官もそう言って殿下を見遣る。
「えっ。えっ。みんなどうしたの? 私に何を言っているの?」
ララティー殿下はそう言って理解できないという様子だったが、
「殿下。さすがにこれだけの証人がいる中で、それは無理と言うものです」
残念ながら私もそう進言するしかなかった。
やはり殿下は悪霊にでも取り憑かれていたのかもしれなかったが、それもいまさら証明のしようもない。
「ええと。どういうこと? リズ。あなたまで何を言うの」
皆の冷たい視線を浴びながら、ララティー殿下はまだ首を捻っていた。
こうなっては私にできることは、陛下の寛大な処分を願うことくらいだった。




