閑話その三十六 三百年後行きの舞台裏
「お姉さまは幸せ者ね……」
雲の中の神殿で妹と二人してお茶をいただいていた時、私はついぽつりとそんな言葉を漏らしてしまった。
今は主宰者である彼から『エレブレス山の女神』と呼ばれているお姉さまは、本当なら私たちのいるこの世界もろとも滅んでしまうはずだったのだ。
「それは幸せ者でしょうよ。セヤヌス姉さまとメーオみたいな素晴らしい妹が二人もいるんですもの」
妹は私の独り言を聞き逃すことなく、当然だという風に答えてきた。
そんな彼女の様子に私は苦笑せざるを得ない。
だって彼女はそもそもお姉さまの存在がなければ、存在し得ないのだから。
「でも、お姉さまの魅力が彼を捉えたことは間違いないでしょう? そこはお姉さまの力ではなくて?」
妹は自分のことを「そもそも存在しない存在」だと言っていた。
この世界に仮寓する泡沫のようなものなのだとも。
だから、やはりお姉さまの力あっての私たちだと思うのだ。
でも、妹はいつものように強気だった。
「セヤヌス姉さまはおとなし過ぎるんです。いつも控えめで、それがお父様の好みには合うのかもしれないですけれど。でも、それだけじゃあダメな気がします」
「そんなつもりはないけれど……。でも、彼に働きかけたのはお姉さまだけ。それは間違いのない事実ですもの」
実際に彼のいた現実世界に具現化したのはお姉さまだけ。
私は世に出ることなく終わり、妹はそもそも彼の中だけに存在していたに過ぎないのだ。
「いいえ。すべてはメーオの力なのです。お父様をこの世界に連れて来たのもメーオだし、その後の調整も全部、メーオがしてるんですから」
私の言葉に妹は憤慨したとでも言うような、その点だけは譲る気がないという様子を見せた。
「それは確かにメーオは特別よ。あなたみたいな存在はほかにいない。あのセフィーリアだって、そう言っているのですから」
私がそう言うと、妹は目を瞑って当然だとでも言うように顔を上げて、
「あのおねだり上手な天使気取りの女なんて、メーオに足を向けて寝られないはずです。メーオの力でお父様を彼女の世界に送ってあげたんですから」
鼻を鳴らすように自慢げな態度を見せる。
私はその様子にお姉さまの世界の、そして私の世界のプレイヤーでもあるエルフの精霊使いを思い出した。
いや、彼女が妹とこの世界の主宰者である彼とは似ていると言っていたことを思い出したのだ。
(彼はこんな自信に満ち溢れた態度を取ることなんて、まずないように思うのだけれど……)
私にはそう思えたが、エルフの彼女はこの世界で彼と長い時間を過ごしている。
その彼女が言うのなら、そういった面もあるのかも知れないとも思えた。
「お父様が望んでもいない世界へ無理に無理を重ねて行かせてあげたんです。もっと感謝してもらってもいいとメーオは思います」
妹はまだあのセフィーリアのことを言っているようだった。
「彼が望んでいなかっただなんて。そんなことはないのではなくて?」
私は妹を窘めた。
彼は私たちRPGを愛する人だと自分でも言っている。
だから、セフィーリアの世界へ行くことを望んでいなかったとは思えない。
それに今はもうその地位を彼に譲ったとはいえ、彼女は元は別の世界の主宰者だった者だ。
妹と彼女が対立するようなことになったら、困るのは主宰者である彼だろう。
「いいえ。そんなことがあるんです。だって、あのお父様が彼女の世界のことは知らなかったんです。余程、酷い世界に違いありません」
妹は今度は腕を組んで、また憤慨したって様子を見せる。
セフィーリアはどちらかと言えば私に似て、あまり争いを好まないタイプに見える。
だから妹と事を構えることなんてないのかもしれないけれど、妹のあまりに彼女とその世界のことを酷評するような態度には、はらはらしてしまう。
「それにどうせお父様に行っていただくなら、セヤヌス姉さまの世界が良かったです。その方がメーオもやりがいがありますし……」
「わたしの世界?」
それは思ってもみないことだった。
私も妹と同様、お姉さまの世界あっての存在だ。
だから私の世界を彼に訪れてもらうなんて発想はそもそもなかったのだ。
「ええ。お姉さまの世界です。お姉さまの世界なら、きっとお父様は行ってみたいに違いありません。メーオが保証しちゃうのです」
妹はまた自信満々といった態度で言ったが、そんなことは信じられない。
「メーオも覚えているでしょう? あの別の世界の主宰者であったゼルフィムが私を『出来損ない』と呼んでいたことを。そんな私の世界なんて……」
私はそう呼ばれても仕方のない存在なのだ。
何故なら私の世界は……。
「そんなことはないです。お父様は絶対にお姉さまの世界に行ってみたいはずです。だからこそメーオを生み出してくださったのですから」
それでも妹は確信を持ってそう言ってくれる。
彼女がそこまで言うのなら、そうなのかもしれないと私にもそんな気持ちが芽生えてきた。
「お姉さまは心配ですか?」
私は考えに沈んでいたらしい。
妹はいつの間にか私の顔を覗き込むようにしていて、私にそう訊いてきた。
「ええ。それはね。まずは本当に彼が私の世界に行きたいと言ってくださるかどうか。それに私の世界に問題があることはあなたも知っているでしょう?」
そう。私の世界は不完全なのだ。
無限の生命力を持つ存在。そんなものを、ましてこの世界で上手く表現できるのだろうか?
だが、妹はあくまで強気だった。
「そんなの問題にならないです。メーオの辞書に不可能の文字は無いんです。メーオにお任せくださいです」
彼女にそこまで言われてしまうと、私にはもう我慢することが難しかった。
自分の世界を楽しんでもらう。
私たちはそのために生まれ、そのためにこそ存在する者なのだから。
「それに、お姉さまだけにいい思いをさせておく必要なんてないんです。セヤヌス姉さまにだって、お父様に自分の世界で楽しんでもらう権利くらいあるはずです」
妹は私の気持ちを見透かしたような言葉を口にした。
「私の世界で楽しんでもらう?」
それは望んでも得られないと諦めていたことだ。
出来損ないの私には、過ぎた望みだと。
「そんな。私の世界を楽しんでみたいだなんて。そんなこと本当に思ってくださるのかしら?」
妹の言葉に一度は傾きかけた私の気持ちの天秤はまた、元の考えに戻りかける。
私は不完全な存在で、誰かを楽しませることなんてできないのだから。
「大丈夫です。メーオが保証します。メーオはお父様と一心同体。メーオがお願いしたら、お父様に否やはないんです」
「そう言われても……」
妹は保証するなんて言ってくれているけれど、安請け合いって言葉がぴったりな気がする。
実際に私の世界を訪れるかを決めるのは彼なのだ。
「そんな出来損ないの世界に行けるはずないだろう? 俺にデバッグの作業でもしろって言うのか?」
なんて嘲笑を受けたのなら、私は消え入りたい気分に、いえ、本当に消えてしまうかもしれない。
「聞きにくいのならメーオがお父様に聞いてきちゃいます。お父様のことだから、どうせそろそろお茶を飲むに決まってますから、その時にでも……」
「あっ……、待って」
私がそう言うのを予期していたかのように、妹は澄ました顔で、
「メーオは無理にとは言いません。でも、お姉さまが聞きにくいと言うのなら、聞いてみるくらいのことはしてあげちゃいます。メーオは自信があるんです」
重ねてそう言ってきた。
もし彼に私の世界に行ってみたいと言ってもらえるものならば、やはりそれは自分で直接、聞いてみたい。
「明日の朝、私が聞いてみます。もし彼が行ってみたいとおっしゃってくださったら、メーオにお願いしますね」
私の言葉に妹はにっこりと笑みを浮かべ、
「もちろんです。でも、心配し過ぎな気がします。お父様がお姉さまの世界に行きたくないなんて言うはずがありませんから」
そう言ってくれた。
彼女の態度に、私は自分の気持ちが高揚してきたのを感じていた。
(彼が私の世界を楽しんでくれる。それはどれほど喜ばしいことなのかしら)
もし、本当にそうなったのなら、私は歓喜に打ち震えることだろう。
(でも、やっぱり自信がない。人気のない場所で聞くことにしよう)
私は期待と不安の入り混じった複雑な気分で、その日の朝を迎えることになった。




