第四百九十一話 アマン絶命
その後、俺たちはパシヤトさんから改めて『生命の石板』の使い方を教わった。
あの「相手の生命力をイメージする」ってやつだ。
「さっきのあの緑色の光が生命力なの?」
ララティーは不審そうだったが無理もない。
あれがHPゲージに見えるのなんて、この世界では俺だけだろうからな。
「ああ。あれを見るがいい。あの石板の一枚一枚がこの世界の生命に繋がっておる。中にあるのが生命力なのじゃ」
パシヤトさんはそう言って祠の奥に指を向ける。
そこには黄緑色の光を宿した夥しい数の石板が浮かんでいた。
ぼんやりと光る石板が果てしなく続く光景は幻想的でさえある。
「パシヤトさんはここでずっと、お一人でこれを管理されているのですか?」
ヨランがさすがに信じられないと言った様子でそう尋ねた。
一方のパシヤトさんは何でもないって顔だ。
「そうじゃよ。まあ退屈ではあるがロードに命ぜられた仕事じゃからの。それでもたまには対処せねばならぬこともある」
彼はのんびりとそう言った後、急に気がついたようで、
「そうじゃ! 危うくロードに大目玉を喰らうところじゃった。人間の中に『延命の魔法』だかで三百年もの齢を重ねておる者がいるのじゃった。すぐに何とかせねば!」
慌てて祠の奥へと姿を消して行く。
「どうしたのかしら?」
ララティーも不審そうに疑問を口にしたが、俺は嫌な予感がした。
三百年も生きている人間って、元の世界ではトゥルタークのことだったけれど、この世界でそれに該当する人間に心当たりがあるからだ。
パリーン!
祠の奥から何かが、いや『生命の石板』が砕ける音がして、すぐにパシヤトさんは戻って来た。
「ふうっ。危なかったの。こうして世界の秩序を守るのがわしの仕事でな。まあ、重要と言えば重要な仕事じゃな」
パシヤトさんはいつもののんびりした態度で笑っているが、アグナユディテの顔色は明らかに悪くなっていた。
おそらく俺も同じだろう。
「アマン。あれって……」
「ああ。俺もそうだと思う」
おそらくパシヤトさんが壊したのは、この世界の大賢者、アスマット・アマンの生命に繋がる石板だろう。
それがどんな効果をもたらすかなんて考えるまでもない。
俺とは別人で、直接関係がないとは言え、気持ちの良いものではない。
「どうかしたの?」
アグナユディテの様子がおかしいことに気がついたのだろう。ララティーも尋ねてきた。
「いえ。何でも……ってことはないわね。三百年、生きている人って聞いて、その」
どこまで情報を開示すべきかアグナユディテが迷っているうちに、ヨランがパシヤトさんの言葉が誰を指しているのか気がついた。
「まさか。三百年の齢を重ねている人とは、大賢者のことなのですか?」
祠の中は薄暗くてよく分からないが、彼女も顔色を青ざめさせているのだろう。
「えっ。大賢者って魔王を倒した英雄の? ユディの仲間じゃない!」
ララティーも叫ぶような声を上げる。
アグナユディテもそうだけど、この世界のアスマット・アマンは有名人だからな。
「もしかして大賢者が亡くなったって言うのかい? 信じられないけど、そんなことって。王都が大騒動になるんじゃないか?」
アデーレも何が起きたか分かったようで、急に騒ぎ出した。
でも、彼はシヴァース郊外の塔に隠棲していたはずだから、大きな影響はないと思う。
「同姓同名なのにアマンは冷静ね。これで自分が正真正銘、唯一のアスマット・アマンになったって思っているのかしら?」
ララティーが俺に突っかかってくるが、俺だって背筋が薄ら寒いなって思いはある。
でも、この世界の人が受けた衝撃には敵わないようだ。
アスマット・アマンとは長い付き合いだけれど、『Ⅱ』の彼のことはよく知らないからな。
「そんなことは考えてもいないさ。でも、今は彼のことを考えても仕方がないからな。彼がドラゴン・ロードと交渉してくれるなら別だけど」
この世界のアスマット・アマンは、おそらくゲームでは大した役割を与えられていないのだろう。
セヤヌスも何も言っていなかったし、そんな役割があるのなら、こんなに簡単に亡くなるはずもない。
ゲームが詰んでしまうからな。
「そうね。私たちでやるしかないって決めたのだった。大賢者のことは、今は考えても仕方がないわね。偽者ではなくなったアマンの言うとおりだわ」
俺は元から偽者じゃないんだが、この世界の人からしたらそうなのだろう。
でも、ララティー以外はそんな失礼なこと、そうそう言わないからな。
「行きましょう。エレブレス山へ!」
ララティーが宣言して、俺たちはドラゴン・ロードの棲まうエレブレス山へ向かうことにした。
勇ましく出発を宣言したララティーだったが、パシヤトさんは忖度することなく、
「いや。いかんいかん。ここを出る前には調整が必要なのじゃ」
なんて言って彼女の出足を挫き、皆の間で何となく気まずいムードが漂った。
いきなり浦島太郎みたいになっても困るから、必要な手続きではあるのだが。
それでもやっぱりララティーは不満だったらしく。
「私たちは急がなければならないの。早くしてもらえないかしら」
なんて、この世界のすべての生命を司る人に向かって無礼と思えるような口をきいていた。
パシヤトさんも驚いた様子で、
「まったく年寄りを急かしおって。ほれ。これで良いじゃろう」
何だか投げやりな感じでそう言っていた。
そのせいか祠を出た俺たちを待っていたのは、神聖な山の麓を包む朝の空気だった。
日の光に輝く草木の上の朝露がとても美しい……って、これ絶対に翌日の朝だよな?
パシヤトさんを慌てさせたせいで、時間の調節がおざなりになったようだった。
でも本当に翌朝なのか?
スマホもないから日付の確認のしようもないんだよな。
「パシヤト殿も言っていたが、ドラゴン使いの荒いことだな」
俺たちはそんな苦情を口にするジャーヴィーの背中に乗って、山の中腹にぽっかりと開いた洞窟へと向かった。
「あなただってロードに言い訳する必要があるでしょう? 私が強くて歯が立ちませんでしたって」
ララティーはそう言って自信満々だが、俺のバフがあるにしても、彼女がロードに勝てるかは微妙だろう。
いや、シナリオの都合からして勝てないってのが正しい気がする。
「それでドラゴンの王が諦めてくれるのでしょうか?」
リズが不安そうに口にするが、絶対無理だと思う。
思うけれど俺はジャーヴィーの赤い鱗に掴まっているので手一杯で、話に加わる気になれないのだ。
やっぱりパーヴィーは優しく飛んでくれてたんだなってつくづく思う。
「ここだ」
それでも『生命の祠』からエレブレス山の洞窟までは大した距離はない。
俺たちを乗せたジャーヴィーはすぐに洞窟の前に広がった岩場に降り立った。
「不思議な岩場だね。刃物で切ったみたいに真っ平らだよ」
アデーレが言うとおりで、この岩場はやっぱり自然のものではなさそうだ。
「ここで待っていればいいの?」
ララティーがジャーヴィーに訊くが、ジャーヴィーは首を振って、
「我はそれでも構わぬが、人間にはそれ程、時間はないのだろう? 洞窟へ入るしかないのではないか? 何が起こるか保障はできぬがな」
そんな答えを寄越した。
エンシェント・ドラゴンの時間感覚は人間とはまったく異なるようだから、待っていたってロードが出てくるのは何年か、下手をすれば何十年も後かもしれない。
それなら少なくともそれまでは世界は救われるって面はあるが、さすがにちょっと勘弁してほしい。
「そうね。私はドラゴンと交渉するためにここに来たのだから、中に入るしかないわね。ここがロードの巣穴なんでしょう?」
巣穴かどうかは定かではないが、元の世界の俺の経験では、この洞窟に入った後でロードが姿を見せている。
ここは中に入る一択だろう。
「いきなり人間がやって来たらびっくりしちゃうだろうから、ジャーヴィー。あなたがロードを呼んで来てくれる?」
俺はてっきり皆で洞窟に入るのかと思っていたのだが、ララティーの選択は「ジャーヴィーにロードを呼びに行かせる」ってものだった。
これには意表を突かれたが、王族である彼女の感覚では、人に何かさせるって、ごく普通のことなのかもしれない。
俺もティファーナに鍛えられて、かなり『統治の要諦』を理解した気になっていたが、生まれついての王族のララティーには敵わないみたいだ。
「我が呼びに行くのか?」
一瞬、絶句して固まっていたジャーヴィーは、ようやく口を開くとララティーに尋ねたが、彼女の答えは変わらなかった。
「ええ。だってあなたたちの王なんだし、カルスケイオスへ攻め込めって命令もロードから受けたんでしょう? しょっちゅう会っているのだろうから、あなたが適任でしょう?」
あのロードがわざわざジャーヴィーに、直々に命令を下したとは思えない。
きっと例のドラゴン同士の会話を使って命じたんだろうと思ったが、やはりそのようだった。
「いや。我はもうロードとは長いこと顔を合わせていないのだ。ドラゴンの間では、相手と話したいと強く願って口に出せば、それで相手に伝わるからな」
ブロックされていない限りはなって俺は思った。
でもロード側からはともかく、ジャーヴィーの側からブロックするなんて自殺行為だろうから、会話できるんだろう。
「それならもっと話が早いじゃない。ロードに出て来いって伝えてよ。話があるからって」
言われたジャーヴィーは目を白黒させているみたいだった。
ララティーはロードと話したこともないから、如何に理不尽な取引先的な存在か分かっていないのだ。
現実世界なら確実にカスハラで訴えられるレベルだろう。
「いや。それはちょっと……」
エンシェント・ドラゴンとは思えぬ気弱な態度でそう口にしたジャーヴィーに、俺は同情を禁じ得なかった。




