第三百十四話 公女逆転
謁見の間で俺たちはトラコーン公をはじめ、アドゥーア公国の重臣たちと会話を続けていた。
だが、皆があのセラディアとか言う悪役令嬢のことを気にしているらしく、何となく議論は上滑りしている感じだ。
「なあ。プロメイナ。彼女、この城には水晶球がもう一つあるって言ってたと思うんだが?」
公の家臣たちからの質問も途切れがちで、俺はプロメイナにそう尋ねてみた。
「私には理解できませんわ。私の水晶球はアマンのせいで壊れてしまいそれっきりですもの。手を尽くして探させてはいますけれど、同じものは見つかっていませんし」
彼女の答えに、俺はそんなものを探させていたんだと思って驚きを隠せなかった。
もう元の世界では大魔王も邪神も滅んで平和になったのに、何に使おうというのだろう?
俺のそんな視線に気づいたのか、彼女は慌てて言い訳のようなことを言ってきた。
「あの。また戦争を起こそうなんて考えていませんから。その。アマンの未来は見られませんけれど、アマンの周りの方々の未来が見られたら、間接的に私の未来も分かるかななんて思いまして」
そんなよく分からないことを言い出した。
何故か顔が真っ赤だし、俺の周りの人たちってトゥルタークとか、それともイベリアノたち三人のことだろうか?
いや、秘書のカトリエーナのことかもしれない。
そんな会話を続けているうちに奥の扉が再び開き、ゴージャスな縦ロールの髪を揺らして、悪役令嬢、もといセラディア公女が姿を現した。
彼女は胸の前に薄紫色の水晶球を両手で抱えていた。
「驚きましたわ。本当にもう一つあるなんて」
プロメイナもそう口にしていたし、俺もセフィーリアは大盤振る舞いが過ぎるんじゃないのかと思った。
だが、セラディアはそんな俺たちの感想など知る由もない。
「今度は逃しませんわ。まず手始めにあなたの方から未来を暴いて差し上げます。赤裸々に晒された己が憐れな未来の姿に卒倒されないとよろしいですわね」
プロメイナに向かって告げて、片方の口の端を引き上げるようにして笑うと、彼女は手に持っていた水晶球を小ぶりなテーブルの上に置き、両手をかざした。
「クリュナミアの王女プロメイナ。あなたの愚かな未来には……」
そこまで言って、彼女はそのまま水晶球を覗き込んで固まってしまう。
周りに集った人々からも、小さく騒めきが起き始めた。
「どうしたのです。私はどんな未来でも受け止める覚悟がありますわ」
やっぱりプロメイナって強いよなと俺は思った。
俺なんてセラディアの言ったとおり、悲惨な未来が示されたら卒倒するかもしれない。
そうなったら取り敢えずゲームとラノベで現実逃避だな。
だが、そんなプロメイナの宣言にも、セラディアは必死の様子で水晶球を覗いて動かない。
何となく汗をかいているようにも見える。
「おかしいですわね。きっとあまりに無様な未来に呆れ、高貴な私の水晶球が映し出すのを忌避しているのですわ。仕方ありません。やっぱり随身者のあなたの未来を覗いてあげますわ!」
俺は懲りないなと思っただけだが、プロメイナはまた警告を発していた。
「アマンの未来を見ることはできません。また、水晶球が壊れてしまいますよ」
彼女、親切だなと思ったが、まさかあの水晶球を自分のものにしようと思っていないよな。
だが、セラディアの前の水晶球は光を発して砕けることもなく、彼女はすごい形相でそれを睨んでいる。
こめかみには血管が浮き出ているみたいで、ちょっと心配になるくらいだ。
「あなたの未来は……魔法使いは風の魔法と……えーと……火の魔法を……それを、その、使って……悪事を働こうと……」
たどたどしくそんな訳の分からない、いや意味のないようなことを言い出した。
そもそも俺の未来を見ようとした瞬間、水晶球は砕けているはずだから、どう考えても彼女が口にしているのは出鱈目だろう。
「嘘よ!」
プロメイナが叫び、俺はまた嘘つき仲間が増えたかと思ったのだが、その時、思いもかけなかった声が広間に響いた。
「そうよ。風や火の魔法は私たちエルフが使うもの。いい加減なことを言わないでほしいわ!」
懐かしいその声は、アグナユディテのものだった。
でも、俺だって風や火の魔法は使えるんだけどな。
「ユディ。どうしたんだこんなところで」
俺が驚いて尋ねると、彼女は少し不機嫌そうに、
「こんなところって随分ね。私の方が聞きたいくらいだわ。アマン。あなたクリュナミアにいるんじゃないの?」
そんな約束をした覚えはないが、彼女の中ではそうだったのだろう。
でも、この世界へ来た目的はプロメイナと旅をすることだったから、最初に配置された場所にずっといる訳にはいかないのだ。
「いや。これには深い訳があってだな」
俺は久しぶりにあの問題すべてを一発で解決する魔法の言葉を使ってみたが、アグナユディテは俺を斜めに見て、
「ふーん。深い訳ね」
なんて言っていたから、どうも成功したとは思えなかった。
だが、当たり前だが悪役令嬢にとっては、俺とアグナユディテの再会など考慮に値する事項ではないようだ。
「セルティア! この役立たず! 水晶球が役に立たなくなったのはあなたのせいではなくて!」
アグナユディテの隣に立つ、背の高い女性に向けてだろう。そう大きな声を出した。
(双子かな?)
アグナユディテと一緒に姿を見せた女性と悪役令嬢とは、身長も目や髪の色もそっくりだと思うけど、着ているドレスの趣味と、何より髪型が違いすぎてすぐには断定できない気がした。
「セルティア公女ですわ。セラディア公女の双子の妹の」
プロメイナが解説してくれたので、俺は二人の関係を理解することができた。
「いいえ。その水晶球は私のもの。ですからお姉様はお使いになることはできないのです」
静かに告げるセルティアとは対照的に、セラディアの悪役度はますます上がってきたようだ。
「お姉様ですって! あなたのような何もできない役立たずにそう呼ばれる筋合いはないわ! どうして用もない謁見の間に。下がりなさい!」
額に汗を浮かべ、大きく腕を振るってそう命令するようなセラディアの焦りが、セルティアには分かっていたようだった。
「そう。お姉様のおっしゃるとおり私は役立たず。でも、水晶球を失って、お姉様もそんな私と同じ境遇におなりになったのではなくて? もう未来を見通すことはできないのでしょう?」
セルティア公女の言葉に、謁見の間に大きな騒めきが起きる。
セラディアの顔は真っ青で、額からは汗が流れ落ちていた。
「そ、そんなことは……」
今までとはまったく異なる弱々しい声で否定しようとしたセラディアに、セルティアが優しく声を掛ける。
「可哀想なお姉様。きっとこれまでお姉様は神ではなく、悪魔に弄ばれていたのではないですか? だって未来を見通すだなんて、そんな怖しい力、とても普通の精神では耐えられないと思いますもの」
セルティアの声は大きくはないのに、皆に染み入るように聞こえていた。
でも、普通の精神では耐えられないって、プロメイナはどう思っているのだろう。
あと、悪魔に弄ばれていたって、セフィーリアに是非聞かせたいものだ。
「そんな。私が役立たずのセルティアと同じ。同じ役立たずに成り果てただなんて」
セラディアの口からは相変わらず悪役令嬢が吐くに相応しい酷い言葉が出ていたが、相当なショックを受けているようだ。
この事態を招いたのがセフィーリアだというのなら、確かに悪魔と言われても仕方がないかもしれない。
「役立たず、役立たずって。おかしいのではないの? あなたもセルティア様も公女なのでしょう。未来を見通すことができなくたって、できることは他にもあるはずよ」
突然、アグナユディテがそんな声を上げた。
ここで発言するって、空気読めよって言われそうな気もするが、エルフだから許されるってところもあるだろう。
でもそれだけでなく、被害は俺にも及んだのだ。
「アマンも何とか言ったらどうなの? あなた外国の使節なんでしょ。言ってやりなさいよ!」
彼女はかなり気が立っているようで、俺なんかが反論しても無駄な気がした。
仕方なく、俺も彼女に便乗する形で、悪役令嬢に言ってやることにした。
「別に役立たずでもいいじゃないか。人間は道具じゃないんだから役に立つかどうかなんて問われないんじゃないか」
俺の言葉にアグナユディテは驚いたようだ。まあ、彼女の言葉を否定しているような気もするから致し方ないのかもしれない。
「役立たずで結構。役に立つとか立つないとか、そんな判断基準は人間以外だけでたくさんだ。あ……、あとエルフもな」
アグナユディテが俺を見ていたので慌ててエルフも付け足した。
それにしても、役に立つ者しか存在意義がないなんて、どんなディストピアなんだって思う。
そしてやっぱり会社員として役立たずであろう俺が言うと、説得力があるよな。
「そちらの方のおっしゃるとおりです。お姉様はたとえ未来が見通せなくても私のお姉様。だって、お姉様がそうなる前から私たちは姉妹だったのですもの」
そう言いながら、放心したように水晶球の側に佇むセラディアに向かって、セルティアはしっかりとした足取りで歩み寄って行った。
謁見の間に居並ぶ皆の見守る中、彼女は遂にセラディアの横に立ち、彼女の手を握った。
「お姉様。しっかりなさって。お姉様のこれまでの功績は誰もが知っています。誰もお姉様を責めたりしません」
そんな彼女の言葉を、俺は本当かなと思って聞いていたのだが、その時、小さなテーブルに置かれた水晶球が紫色の怪しい光を放った。




