第三話 先生からの手紙
シヴァースの町の教会と葬儀屋にお願いしてトゥルタークの弔いを終え、賢者の塔の側に彼を葬ると、俺はすることがなくなってしまった。
彼が教えてくれた魔術の修行は続けていたが、一日中、そうしていられる訳でもない。
ゲームもラノベもないこの世界でこうしていると、前世で感じた以上の孤独感がある。
『ドラゴン・クレスタ』では、魔王の討伐を目指すパーティーが賢者の塔を訪れ、大賢者の弟子を仲間に加えるのだったが、このままここでそれを待っていていいのだろうかと不安が募る。
「そういうときはハチミツをたっぷり入れた温かいお茶でも飲みながら、こうしてダイニングの壁でもゆっくりと眺めるのじゃな」
そう言ったトゥルタークの声を思い出し、俺はダイニングでお茶を飲むことにした。
ポットがシュンシュンと音を立て、キッチンに湯気が広がっていく。
毎日、午前と午後、二人分のお茶を淹れていたから手慣れたものだ。
温かいお茶を注いだカップにハチミツを入れると、お茶のそれと合わさった良い香りがダイニングに流れていく。
俺はダイニングのテーブルの定位置に、ティーカップを前に座り、いつもトゥルタークが座っていた側の壁をぼんやりと眺めた。
するとティーカップから立ち昇った湯気が急に渦を巻き、ダイニングの壁に向かって流れ、形を変えていく。
壁の前で湯気は文字を描いた。
『最上階のチェストを開け』
湯気の文字はすぐに消えてしまったが、確かにそう読めた。
塔の最上階のチェストには手紙が三通と、不思議な輝きを放つ宝珠が入っていた。
手紙の宛先は王都の魔術師ギルドとエルフ族の長、そしてもう一通は俺に宛てたものだった。
トゥルタークは俺がお茶を飲まなかったら、どうする気だったのだろうか?
『アスマット・アマン殿』
表にそう書かれた手紙の封を切り、俺はトゥルタークからの手紙を読み始めた。
「アスマット。あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はすでにこの世を去ったのだろう。
もし、私が生きているうちにこの手紙を手に取ってしまったのなら、この先は決して読んではならない。すぐに手紙をもとに戻すのだ。
私の亡きあと、あなたにしてもらいたいことが二つあるので、まずはそれを記そう。
ひとつは魔族への対策だ。奴らの力は強大で神出鬼没。できるだけ早く町に魔族に対する結界を張らねばならない。
ほとんどの民は日々、魔族の襲撃の恐怖に怯えながら、心正しく暮らしを送れるほど強くはないのだ。
三百年前がそうだった。人心は荒み、耕作地は放棄され、街道には野盗がはびこって狼藉のかぎりを尽くし、人々の生活は立ち行かなくなった。
恨みが魔族から自分たちを守ってくれぬ為政者に向かいさえした。
魔族との戦いに力を合わせるべき時に人同士が争って時間を浪費し、大きく力を削がれたのだ。
私はこの三百年、魔族への対抗策を研究してきた。あなたに教えた結界はその研究の成果。魔族を防ぐためのものだ。
あなたには王都へ向かって、結界を張る方法を王都の魔術師ギルドに伝え、ギルドの魔法使いたちに各地の町を結界で守らせるようにしてもらいたい。
そしてもうひとつはエルフ族のことだ。
私は彼らから三百年前、ひとつの宝珠を託された。この手紙を読んでいるのならば、その宝珠も見つけたことと思う。
私が死んだのであれば、もうそれをここに置く意味はない。あなたには北の方、エルフの住まう森に赴き、彼らに宝珠を返してもらいたい。
私から王都の魔術師ギルドとエルフ族に宛てた紹介状も用意した。
すでに隠棲して長い私の名前に、如何ほどの力があるか分からないが、役立ててほしい。
そして念のためもう一度警告しておこう。私が生きている間はこの先を読んではならない。
私が死んだ後でさえ、これから書き記すことを伝えることが、あなたを害しはしないかと私は恐れているくらいなのだ。
だが、おそらく大丈夫なはずだ。
私が死ぬと魔王の封印は解ける。このことを生前、私は誰にも言わなかった。あなたは何故か知っていたような気がするが、あなたにも言わなかった。
正確には三百年前、何人かには言ったのだ。魔王の封印は私の命に結び付けられており、私が死ぬと封印は解けると。
だが、誰もそれを信じなかった。それは驚くほどだった。
どんなに親しい友も、近しい親族も、無垢な子どもたちでさえ。私の言うことを決して信じてはくれないのだ。
私が魔王を封印した。私は魔術が使える。そういったすでに起こったこと、いまある事実は理解してくれる。
だが、将来起こることは私が口にした途端、だれもそれを信じないのだ。
英雄バルトリヒを死に追いやったのも私だ。
『今夜、宴に出向いたら死の魔法で殺されるぞ』と彼に告げてしまったのだ。
その言葉を信じなかった彼は宴に出向き、案の定、殺されてしまった。
魔王を封印したときから何かがおかしい、何かが狂っている。
そして私は封印される魔王が、私を指さして言った言葉を思い出した。
『口惜しいことに、どうやらお前に封じられてしまうようだな。だが、お前以外の人間は封印が解けることを知ることはできぬ』
それは恐ろしい、そして凄まじいまでに強力な呪いだった。封印された時、魔王は私に呪いをかけたのだ。
私は何とか呪い解く方法がないか、呪いを回避する方法がないか、必死になって探した。
教会で聖水を授かり、解呪の呪文も試してもらった。
精霊魔法の使い手であるエルフの勇士は、私の命の流れには禍々しいものが絡みついて溶け込み、最早ひとつの流れになってしまっていると言った。
文字にして相手に伝えてもみたが信じてもらえなかった。口述筆記でも同じだった。
『あなたは人間だから必ず死ぬ』、『この石を投げると落ちてくる』、そういった否定できないことでも試してみたが無理だった。
呪いは論理を超えていた。私がそう言ったときだけ、みなは全力で否定するのだ。
その後、何事もなかったかのように論理的に話す人たちに私は恐怖した。私と話すことで彼らに悪い影響があるのではないかと恐れた。
私は住み慣れた王都を出て、シヴァースの町の側で、ひとりひっそりと暮らすことにした。
誰とも話さず、少しでも魔王の復活を遅らせるため自らに延命の魔法を掛けて。だが、それが正しいことなのか常に疑問を抱きながら。
そして遂に私の命が尽きる時が来た。
魔王も封印が解けて満足していることだろう。奴の呪いも私の死によって、その効力を失ったはずだ。
魔王が復活することを知りながら私は無力だった。
だが、私は『魔王との戦い方を最もよく知る者』であるあなたを召喚することができた。あなたに私の知りえたすべての知識を伝える事も。唯一、魔王が復活することを除いて。
わが弟子、アスマットよ。あなたは私にとって最後に残った、たったひとつの希望。黄昏に輝く金色の明星だったのだ。
魔王は封印してはいけない。それがどれ程困難であっても滅ぼさなければ。これが私の最後の忠告だ。そして、あなたなら必ずできると信じている」