第ニ話 魔術師修行
「まだじゃ。もっと精神を集中し、魔力を高めるんじゃ。そう。その調子だ」
大賢者の直接指導を受け、俺の魔法の腕前は思った以上に上がっていた。
モンスターを倒している訳ではないのでレベルは上がっていないと思うのだが、ゲームではレベル十の魔法使いでないと唱えられない魔法が既に使えたりする。
異世界から来た俺は当然知らないことだったが、トゥルタークによれば、オーラエンティアで魔法を使える人間はまれにしかおらず、俺はその中でもかなり才能がありそうだということだった。
(これが転生ボーナスというやつかな?)
俺は思ったが、逆に現代人の俺は魔法の才能くらいないとこの世界ではお手上げだろう。
特別な知識や技能を持たない、ただのサラリーマンの俺ができることなどたかが知れているからだ。
どうも見る人が見れば、その人の持つ魔法の才能は分かるものらしい。
ましてトゥルタークは大賢者。この世界の魔法の第一人者だ。
今の俺にできることは、彼の言葉を信じて、ひたすら魔法を鍛錬することだけだった。
賢者の塔のすぐ側で、俺は今日もトゥルタークの教えを受ける。
塔はなだらかに河から上ってくる草原が徐々に林へと変わっていく境界に建っていて、今は季節もいいのか、爽やかな風が草原を吹き抜け、俺の顔を撫でる。
トゥルタークは朝食を済ませた後、午前中の数時間、毎日、俺に魔法を教えてくれた。
途中でハチミツ入りのお茶を淹れて休憩をとるのも毎日のルーティンだ。
「では、今日は新しい魔法を教えよう。結界の呪文。一定の範囲に魔族の侵入を防ぐ結界を築く魔法じゃ。まずは手本を見せよう」
彼はとても良い先生だった。大きな声を出したり嫌な顔をすることもなく、根気強く丁寧に教えてくれる。
異世界人の俺がすぐに魔法を使えるようになったくらいだから、おそらく教え方も上手いのだろう。
無口な職人気質の頑固者で「魔法は人様から教えてもらうものじゃない。盗むものだ」なんて言われていたら、俺はいまだに「ライト」の魔法すら使えていなかったかもしれない。
ちょっと極端な例えだが……。
大賢者が杖を携え、魔法を行使する構えを見せる。そして、
「……邪まなる闇の眷属を防ぐ護りを築け。アンチデモンシェル!」
彼がそう呪文を唱えて虚空に指を躍らせると、輝く魔法陣が現われ、それはゆっくりと落ちていく。
そして地面に着いた瞬間、弾けるように消え、同時に青みがかった淡い光がさっと周りに広がっていった。
「これの効果で魔族どもの侵入を防ぐことができる。逆に言えば、この結界から出なければ、魔族に近づいて攻撃することができないということにもなるがな。効果範囲と持続時間、防御の強さは込めた魔力次第じゃ」
俺は教えてもらった呪文を唱え、胸の前で先ほど見た魔法陣をイメージして指を振るう。
初めは魔法陣が現われなかったり、途中で消えてしまったりしたが、何度か繰り返しているうちに上手くできるようになってきた。
魔法の発動自体も、結界の大きさや持続時間の制御も、それ程難しくはないようだ。
「この魔法は極めて重要ゆえ、日々きちんと鍛錬を続け、熟達するように。わしもこの塔に毎日掛けておる」
(やっぱり魔法は火力だよね)
そんな方向に偏りがちな俺の考えを見透かしたのか、珍しくトゥルタークが注意する。
俺は改めて姿勢を正し、もう一度、結界の呪文を唱える。
「うむ。まあよい。他の魔法は忘れても構わぬが、この魔法だけは毎日唱えよ。決して忘れないようにな」
三百年前、英雄バルトリヒとともに魔王と戦い、魔王を封印したトゥルタークは、その類まれなる魔法の力で、それからずっと封印を守護してきた。
封印を一番安全なところ、自分の命に結び付け守ってきたのだ。
トゥルタークがこの世に留まるかぎり魔王の封印は解けない。
だから彼は死ぬわけにはいかなかった。
延命の魔法を使い、人の身でありながら三百年の齢を重ねてきたのだ。
だが、それにも限界がある。俺のゲーム知識によれば、彼の命の火は間もなく燃え尽きようとしているはずだ。
何度か結界の魔法を練習して、俺は素朴な疑問を大賢者にぶつける。
「先生。魔族が大挙して現れる前に、今から結界を準備しておけばよいのではありませんか?」
だが、我ながらナイスアイデアと思った俺の疑問に、彼は一度目を瞑り、ゆっくりと首を振って答えた。
「まださして現れてもおらぬ魔族に備え、膨大な数の魔法使いを結界を維持するために使うことなど、どんなに繁栄し力のある町であろうとて、そのようなことはせぬよ。そんな余裕があるなら、いくらでも魔法使いの使い道はあるからの」
だが、俺は珍しくなおも食い下がった。少し大賢者の優しさに慣れが生じていたのかもしれない。
「でも、大賢者として尊敬を集める先生が国王に危険が迫っていると説けば……」
するとトゥルタークは急に眼を見開き、大きな声を出した。
「信じぬのだ! わしの言うことなど誰も信じぬ。どれだけ言っても。誰も!」
トゥルタークが感情を爆発させる姿など見るのは初めてだった。俺が黙り込むと、彼はすぐに落ち着きを取り戻した。
「すこし驚かせてしまったか。まあよい。こういったときはハチミツをたっぷり入れた温かいお茶でも飲みながら、ダイニングの壁でもゆっくりと眺めるとするかの」
こうしてトゥルタークから魔法の教えを受ける日々を続け、二か月ほど経ったころ、彼は俺に大魔法を教えてくれると言ってくれた。
「今日は少し大きな魔法を試してみるか。時間はかかるが、林の向こうの湖まで行った方がよいであろうの。
最近、そなたの魔法はかなり強力になってきておる。攻撃魔法の訓練で、我らが住む塔を吹き飛ばされでもしたら、かなわんからの」
俺はトゥルタークの後について、鳥のさえずりを聞きながら林の中を通る小路を抜け、澄んだ水が日の光にきらめく湖にやってきた。
周りの木々が風を遮るのか、穏やかな湖面は薄青色に輝く鏡のようだ。
俺たちが湖に到着するのを待っていたかのように、突然、俺たちのすぐ側で自然ならざる空気の流れが起こり、突風となって吹き荒れる。
そしてそれが収まったとき、その女がそこにいた。
「ダークネス・バースト!」
女の声が響くと、いきなり闇の魔法が俺たちに向かって放たれる。
とっさに大賢者は俺をかばうように俺の前に立ち、向かってきた暗黒の球体がその目の前で大爆発を起こす。
「われは魔王様の忠実な僕、ベルティラ・デュクラン。大賢者トゥルターク。お前は邪魔なのよ!」
銀髪に褐色の肌をもつ美貌のダークエルフが、魔王の封印の鍵を握る大賢者を狙って襲撃してきたのだった。
「そんな。ベルティラ・デュクランって……」
トパーズのような冷たい瞳に人形のように整った顔、小柄な割にグラマラスな容姿のダークエルフ。
黒のレザードレスに身を包み、右手には金のブレスレットを、左脚には銀のアンクレットを嵌め、長い銀色の髪と漆黒のマントを風になびかせるその姿は、駆け出し魔法使いの俺には死神そのものに見えた。
そして俺はその名前に聞き覚えがあった。
『ドラゴン・クレスタ』における魔王の四人の腹心の一人で攻略推奨レベルは五十。
(俺はまだ、どう高く見積もってもレベル十だ。どうすることもできない。)
トゥルタークなら互角に渡り合えるかもしれないが、彼は闇の魔法で大ダメージを受けている。それにベルティラは……。
「アイシクル・ランス!」
大賢者の魔法が完成し氷の槍がダークエルフに向かう。だが、それがまともに命中したと思った瞬間、彼女の身体が銀色に輝き、氷の槍が霧散してしまう。
「われに魔法は効かぬ。トゥルターク。貴様の負けだ」
俺は必死に記憶をたどり、ベルティラとの戦いを思い出す。
屈強な戦士に防御魔法を掛け、接近戦に持ち込めば、非力なダークエルフを倒すことができるかもしれない。
だが、いまここにいるのは魔法使い二人だけだ。
俺は腰に下げた短剣を引き抜くと、ベルティラに向かって投げつける。
「愚かな。その程度の剣。かわすのは容易いわ」
ベルティラは俺の攻撃を鼻で笑ってかわすが、もちろんこれはフェイントだ。
「ライトニング!」
俺が放った光の矢は、狙い通りベルティラが左脚に着けたアンクレットを捉える。
「パキンッ」と乾いた音がしてアンクレットが壊れ、ベルティラは驚愕の表情を見せる。
魔王の四人の腹心の一人のベルティラは、すべての魔法を無効にする力を持つ魔術師キラーのダークエルフだが、その力は彼女が常に身に着けているアンクレットのものなのだ。
「先生。今です!」
「アイシクル・エクスプロージョン!!」
トゥルタークが杖を振るうと彼の前に青白く輝く魔法陣が現れ、そこから巨大な氷塊が生まれてベルティラに向かっていく。
そして彼女の目の前で轟音とともに炸裂した。
氷の大爆発をその身に受け、彼女は地面に叩きつけられたが、やがてふらふらと立ち上がった。
ベルティラは何とか少しでも追加ダメージをと呪文を唱える俺に、忌々し気に目をくれた後、トゥルタークに視線を移す。
大賢者を見た彼女の口の端に嘲るような笑いが浮かぶ。
そして彼女が右手を掲げるとブレスレットが輝いて一陣の風が起こり、ベルティラは現れたときと同じように忽然と姿を消していた。
(よかった。ブレスレットが瞬間移動で、アンクレットが魔法無効で間違ってなかった。反対だったら殺されていたな)
二十年以上も前の記憶なのであやふやだったが、二分の一の確率が当たってよかった。
おかげで辛くも魔王の腹心を退けることができた。もちろんトゥルタークの力あってこそだけれど。
俺は怪我を負った偉大なる師、トゥルタークのもとに駆け寄った。
「先生。ダークエルフは逃げ去りました。さすがです。あれ程高位の魔族を撃退されるとは」
だが、杖に寄りかかり、肩で息をしていた大賢者は、俺の目の前で崩れるように倒れた。
「いや。狡猾な者にしてやられた。かの者は目的を達し、退いたのだ」
見ると大賢者の負った傷は深く、大量の出血は、老齢の彼には長くは耐えられそうにないものだった。
「先生。早く止血を」
賢者の塔に薬箱を取りに戻るべきか判断に迷う俺にトゥルタークは言った。
「いや、よい。わしはもう充分に生きた」
老賢者は俺を手招きする。
「アスマットよ。そなたには本当に悪かったと思っている。まさか我が後継者に異界の者が選ばれるとは思ってもみなかったのだ。
このような世界に呼び寄せてしまい、本当に済まない。だが、そなたは本当に強くなった。そなたは良き弟子であったぞ」
トゥルタークは喘ぎながら俺に笑顔を見せようとするが、その顔はすぐに苦痛にゆがんでしまう。
「先生。そんな。そんなことを言わないでください。俺はまだ未熟です。まだ教えていただかなければならないことが山ほどあります」
俺をこの世界に導き、そしてこの世界で生きる術を授けてくれた恩人が、この世界を去ろうとしていた。
突然の別れに自分でも驚くほど動揺し、滂沱として涙が頬を伝い滴り落ちる。
「いや。そなたの才能はわしをはるかに上回る。この期に及んで嘘は言わぬよ。まあよい。だが、オーラエンティアはそなたを必要としておる。アスマットよ。頼んだぞ。
ああ。やっとバルトリヒに謝ることができる。だが、あやつめ、最後はわしだけに押しつけおって」
それだけを言うと、大賢者は静かに目を閉じた。