第百八十三話 主宰者の決断
「メーオ、褒められてとっても嬉しいです。でも、それとあなたの世界とこの世界をひとつにすることは別ですよ」
俺はげっそりしていたが、メーオは何だか機嫌が良さそうだ。
別とは言いながら、それでも実際には彼女に負担を掛けるのだから機嫌よくやってもらうに越したことはないだろう。俺はそう思っていたのだが、メーオは続けて、
「だって、せっかくメーオとお父様が苦労して何度も消滅の危機を回避してきたこの世界が、あなたの世界とひとつになることで、また、なにか危険に巻き込まれるかも知れないじゃないですか」
いや、消滅の危機って、そのうちのひとつはメーオが招いたんだろうと思ったが、それを指摘したところで彼女がしおらしくなるとも思えなかったので、俺は黙っておいた。
女神もようやく口を開き、
「私もその危険性については考えていました。あなたは私たちの世界とひとつになることで、滅びを回避することができるとおっしゃいましたが、逆にこの世界がまた滅びに向かうことはないのですか?」
彼女の指摘にセフィーリアは苦しそうに、
「それは……、やってみなければ分かりません」
声を絞り出すようにして答えた。
「俺はいいと思うんだけれど。何しろ俺の判断だからな」
ドラゴン・ロードとの盟約が失われたとき、俺たちはその盟約を復活すべく、俺が王国貴族になるという判断をしたのだった。
そして貴族に叙せられるように散々苦労したのだが、結局、それは何の意味もなく、赤い鱗のエンシェント・ドラゴンのジャーヴィーと、そして古竜王と戦うことになったのだ。
今回もまた同じように俺の判断なんかに従うと、苦労を背負い込むだけのような気もする。まあ、あの時はアルプナンディアの意見に乗った面も大きかったのだが。
「いいえ。この世界では、あなたの判断は何ものにも優先します。何しろ主宰者なのですから」
女神はそんな恐ろしいことを口にした。
俺の判断ですべてが決まるなんて悪夢としか言いようがない。
宰相府でだって、俺は判断しているように見えているかもしれないが、ティファーナやハルトカール公子、それに何よりイベリアノの判断に乗っかっているだけなのだ。それが統治の要諦らしいしな。
「上手くいったら滅びそうな世界の主宰者たちが、きっと次々とお父様のところにやって来ると思います。メーオ、そんなに働かされたら倒れてしまいます」
メーオもそう言って、あまり乗り気ではないようだ。
フォータリフェン公爵も俺たちに『英雄の剣』や『サマムラ』を渡す時、俺たちの後に剣が欲しいという冒険者が続々と現れても困るからドラゴンスレイヤーの称号を手に入れてほしいと言っていたから、メーオが言ったようなこともあるのかもしれない。
俺と違って頭のいい人には、色々と先が読めるということのようだ。
「それはあなたが回転扉をきちんと調整すれば良いのではありませんか?」
女神の冷ややかな声が響いたが、メーオはまったく堪えた様子もなく、
「でも、お父様が行き来されている以上、完璧に排除なんてできません。それにお父様はメーオをはじめとして綺麗な女性からのお願いなら何でも聞いてしまうのですから」
頬を膨らませて不本意そうな顔を見せた。
俺だって彼女の言い種はとても不本意だが、俺が頬を膨らませたって可愛くもなんともないので、そうしないだけだ。
まあ前半部分は俺の我が儘でそうなっているのだし、あの回転する板の入った小箱はとても便利で手放せないから甘受するにしても、後半部分はなんなのだ。
ちゃっかりと「メーオをはじめとして」とか言っているし。
「確かにメーオの言うとおりですね」
だが、俺のそんな心の叫びは誰にも届くことはなく、女神はそう言うし、
「では兄も私と同じような姿で現れたら、消滅したりせずに済んだのでしょうか?」
セフィーリアもそんなことを言い出した。
ゼルフィムはそんな奴ではなかったから、さすがに無理だと思うぞ。
だが、そう思ったのは俺だけのようで、
「だからセフィーリアさんはさすがです。相手の弱点を攻めるのが勝利の秘訣です。メーオもびっくりです」
そんなメーオの言葉に女神も静かに頷いていた。
何だか言われたい放題だが、俺は改めてメーオの顔を見て、
「それでも俺は彼女の世界を救えたらって思うんだ」
そう口にした。
メーオが不思議そうな顔を俺に向けるが、俺はためらうことなく、
「だって俺はロールプレイング・ゲームをこよなく愛する男だからな。その世界が消えてしまうのって、耐えられない気がするんだ。たとえそれが俺がプレイしたことのないものであってもな」
俺はRPG『ドラゴン・クレスタ』の世界に、その世界の主宰者から最後の賭けとして呼び出されたくらいの男だ。このくらいは言ったっていいだろう。
「お父様。何だか格好いい気がします」
メーオが俺を眩しそうに見ていた。危うく「あと、ラノベもな」と追加しようかと思っていた俺は、そこで踏みとどまることができた。
「結論は出たようですね」
女神は淡々としたものだった。さっき彼女が言ったとおり、俺の決定には従うってことなんだろう。
「私も長期間にわたって訪れる者のいない世界が消滅させられてしまうだなんて、ゼルフィムも言っていましたが、何て理不尽なのだと思って藁にも縋る思いであなたをお呼びしたのです。ですから、この方の気持ちは分かります」
彼女はそう言ったが、ゼルフィムが理不尽だと思ったのは、この『ドラゴン・クレスタ』の世界が残って自分の世界が消滅することで、消滅すること自体は仕方がないと受け入れていた気がするぞ。
まあ、こちらから言わせてもらえば、その思いの方が理不尽なのだが。
「じゃあ、お父様。早速、始めちゃいますか?」
メーオももう異論はないようで、俺をそう誘ってきた。
「いや。ちょっと待ってくれないか」
俺がストップを掛けると、セフィーリアが悲壮にさえ見える様子で、
「何か条件でもあるのでしょうか? 私はどんなことでも」
そう言って縋るような顔を見せた。
「いや。そんなことはないんだ。でも、せめてパーティーの皆くらいには事前に言っておこうと思ってね」
敢えて軽い感じで伝えてみた。
俺が女神とメーオ、それにセフィーリアを連れて浜辺へ行くと、パーティーの皆は思い思いにくつろいでいた。
アグナユディテは木陰に座って海の様子を眺めていたし、エディルナはリューリットとベルティラと三人で、こちらも木陰のテーブルを囲んで何やら話していたようだ。
トゥルタークはビーチチェアみたいな椅子の背もたれを倒し、トロピカルジュースのような色の飲み物を飲んでいて、一番この島を満喫しているように見えた。
残念ながら水着で泳いだりしている者はいないようだった。
いや別に皆の水着姿が見たいとかではなく、せっかくの海なのだから泳いだらいいのにと思っただけだ。本当だ。
島の教会を訪れていたアリアをリューリットに呼んで来てもらい、全員が揃ったところで、俺はセフィーリアからの提案を受け入れることにしたことを皆に伝えた。
「困っている人を見捨てるわけにはいかないからな」
俺の言葉に、皆は一様に驚いた様子を見せる。
いや、俺ってそんなに薄情な人間だと思われていたのだろうか。
だが、エディルナがセフィーリアの姿に、
「さっき見た時も思ったけど、やっぱり綺麗な人だな。これじゃあ、まあ仕方がないか」
俺に視線を向けて、何だか棘のある言い方をしてきた。
「本当に耳が長ければユディのようだな。まあ、致し方なしといったところか」
リューリットまで、そんなことを言い出した。
俺はセフィーリアのすこし厳しそうにも見える整った顔は、アグナユディテというよりも、どちらかと言えばリューリットに似ている気がしていたのだが。
「そうすると私の同盟者である女王に似ていると言った方がいいのかもしれないな」
ベルティラがそう感想を述べると、それで思い出したようにアリアが、
「賢者アマン。他の世界とこの世界をひとつにするなど、女王様にはご相談されなくてもよろしいのでしょうか?」
心配した顔で俺に確認してきた。
言われてみれば人間の世界では、俺は大公とはいえ、女王様の臣下に過ぎない。
でも女王様はいいとして、王宮で議論なんかされた日には、結論がいつになったら出るか分からないし、ハルトカール公子に頑張ってもらうにしても俺の望んだ結論が得られるとも限らない。
「いや、これは天災みたいのものだから起こってからでいいだろう。女王様は何もおっしゃらないさ」
俺の返答にアリアは口を噤んだが、アグナユディテが心配そうな顔を俺に向け、
「私は何だか胸騒ぎがするわ。でもアマンがそうしたいなら仕方がないわね」
珍しく弱々しい感じで言ってきた。