第百八十話 神の御座で
ベルティラの瞬間移動で、俺たちはエレブレス山の洞窟の前の断崖の上へ降り立った。
「洞窟へは入れないんだね」
エディルナが崩落した岩で埋まった洞窟を見て言った。
「ああ。そうみたいだな」
俺は答えたが、物理的には入れなくても、女神は何らかの方法で中に入っているみたいだから俺も入れるのかもしれない。特に用事もないから入れなくても問題ないが。
「ユディ。まだ奴はやって来ないか?」
この中で奴に最初に気づくのはアグナユディテ以外にありえないと思って俺が尋ねると、
「そうね。島はあちらの方だと思うからそちらを見ているのだけれど、人間程度の大きさだと、まだ難しいのかも」
彼女は目を細めて東を眺めていたが、
「ちょっと待って! もしかして、あれかしら?」
何かがこちらへ向かって来るのを見つけたようだ。
「白い翼で羽ばたいているみたいだし、真っ直ぐこちらに向かって来ているから間違いなさそうね」
さすがに俺にはまだ米粒のようにさえ見えないが、彼女が言うのなら間違いはないのだろう。
俺は念の為、魔法防御を展開した。
これはゼルフィムの「スーパー・ノヴァ」にも耐えたのだ。たとえ東から来る者が別の世界の主宰者で、いきなり攻撃してきても、それを弾くくらいはしてくれるだろう。
「けっこう速いわね。エンシェント・ドラゴン並みかも」
そう言って東の空を睨むアグナユディテの視線の先に、俺にも小さな点の様なものが見えてきた。
向こうからもこちらは見えていると思うのだが、ここにいる者たちが誰なのかは分からないだろう。
でも、神の御座があると言われる山にこれだけの人数が見えれば、自ずと答えは出るかもしれない。
格好からしても、最終キャンプの登山隊の面々だなんて思わないだろうし。
やはり向こうも俺たちの姿に気づいたらしく、真っ直ぐに断崖の上に並ぶ俺たちを目掛けてやって来た。
あっという間に距離が詰まり、その姿がはっきりと確認できる。
今や俺たちの目の前にいるのは、やはりミリナシア姫の島で聞いた背中に白い翼を生やした天使のような姿をした者だった。
幸い、いきなり攻撃魔法を叩き込まれるようなことはなく、そいつは空中に浮かんだまま、こちらに声を掛けてきた。
「そこにいらっしゃるのは、この世界の神々ですか?」
それは美しく澄んだ女性の声だが、少し焦っているようにも聞こえる声だった。
「わしは大賢者トゥルターク。神でも魔王でもないぞ」
いきなりトゥルタークがそう主張した。最初に言っておけば間違われることはないってことなのかもしれないが、そんなこと聞かれていないから。
「神様って言われると抵抗があるけれど、一応、俺がこの世界の主宰者だ」
話しがややこしくなる前に、俺は一歩前に出てそう告げた。
後ろに「たぶん」って付け加えたい気もするが、敢えて言い切った。いや、余計な前置きをしているからそうでもないか。
こういった相手には、「余がこの世界の主宰者にして総てを統べる全能の存在、至高の支配者である」とか言った方がいいのだろうか。
俺のキャラではないから無理する必要もないな。周りの皆に突っ込まれそうだし。
「あなたが?」
天使のような姿をしたそいつは、何だか疑わしいといった様子で俺のことを見てきた。
ちょっと失礼な聞き方の気がする。
ゲームでのアマンは、根暗で偏屈なところもある人気のない魔法使いだったから、それなりにイケメンとはいえ、俺が主宰者というのは意外なのだろう。
彼女も少しきつそうには見えるが恐ろしく整った顔をしているし、エレブレス山の女神だってそうだが、わざわざ普通の風貌にする理由もないからな。
「ああ。そうなんだが信じられないかな。じゃあ、これでどうだ?」
仕方がないので、俺は普段は抑えている身体から発する光を解放して見せる。
これなら多少は神々しく見えるだろうか。
「失礼しました。この世界の主宰者は女性だとばかり思っていたものですから」
彼女はそう言って頭を下げると、
「私はセフィーリア。とある世界の主宰者です」
自らそう名乗った。
「俺はアスマット・アマン。さっきも言ったとおり一応、この世界の主宰者らしい。以前はあなたの言ったとおり、別の女性が主宰者を務めていたんだが、この間、交代したんだ」
俺の言葉にセフィーリアは、
「主宰者が交代するなんて。そんなことがあるのですね」
そう言って驚いていた。
「その世界の主宰者が何の用で俺を訪ねて来たんだ? まさか表敬訪問ってわけでもないだろう?」
そんなことは聞いていないが、もし主宰者同士の付き合いとかあるのだったら、ますます面倒だからエレブレス山の女神に丸投げだな。
俺の問い掛けにセフィーリアは頷いて、
「では、単刀直入に申し上げます。私の世界を救っていただきたいのです」
突然そんなことを言い出した。
「あなたの世界を救うって、いったいそれはどういうことなんだ?」
いきなりそんなことを言われても、何が何だかさっぱり分からない。
確かにRPGの世界なら、いきなり、
「勇者様。この世界をお救いください」
なんてお姫様から言われて、魔王を倒す冒険の旅に出るとかあるかもしれない。
でも実際には急にそんなことを言われたって、「いや。ちょっと都合があるし」と言ったところなのだ。
「私のいる世界は今、滅びの運命を迎えようとしています。お恥ずかしいのですが、私のいる世界を誰も訪れなくなってもうかなりの年月が経ちました。そんな世界は必要ないと見做されてしまうのです。
作られた目的を果たす機会が失われ、世界がなくなってしまう前に、滅びの運命を回避したこの世界と私のいる世界とを、ひとつにしていただきたいのです」
どこかで聞いたような話だが、やっぱり彼女が主宰者である世界も低評価のRPGの世界なのだろうか。
ここから先はあまり皆には聞かれたくない話になりそうだ。
「込み入った話みたいだな。なら、こんな所で立ち話じゃなく、少し落ち着いて話したいんだが……。一緒に来てくれるか?」
俺がそう言って左手を差し出すと、彼女は何のことか分からなかったようで、戸惑う様子を見せたので、
「手を繋いでくれたら、瞬間移動の魔法で一緒に連れて行く。さっきの浜辺の町で話をしよう」
俺の説明に頷いて彼女も左手を差し出し、握手するような格好になった。
「ベルティラ。頼む」
ひと言、言うと彼女も頷き、俺の右手を取った。
アグナユディテが慌てて俺の右腕に手を添えると、ベルティラが右腕のブレスレットを高く掲げ、俺たちはまた、クレスタ島の浜辺へと舞い戻った。
島に着いた俺はミリナシア姫にお願いし、領主屋敷の一室を貸してもらった。
俺の様子を見ていたトゥルタークは、
「わしは予定どおり浜辺でゆっくりとさせてもらうが。アスマットよ。それで良いか?」
そう聞いてきてくれた。
「そうだね。せっかく島に来たのに海もほとんど見てないからね」
エディルナもトゥルタークと一緒に行ってくれるようだ。
俺は心の内が顔に出やすいタイプなのは分かっていたが、二人とも察しが良過ぎる気もする。
もう付き合いも長いから、気を遣ってくれているのだろう。
ここまで苦労した甲斐があったというものだ。
リューリットも、
「大丈夫だとは思うが、油断だけはしないようにな」
小声で俺に注意してエディルナの後に続き、アリアも短く祈りを捧げてくれると、リューリットとともに部屋から出て行った。
だが、自分は特別だと思っているのか察しが悪いのか、ベルティラは俺の側に俺を守るかのように立ったまま皆を見送っていた。
「ほら。私たちも行くわよ。アマン。気をつけて」
アグナユディテが心配そうな顔を俺に向けながら彼女の手を引くと、
「やめろ! こんな機会は滅多にないのだ。離せ! このエルフめ!」
そう悪態を突きながらアグナユディテに連行されて行った。
あの様子だと別に俺を守ろうとしてくれていたのではなかったのかもしれない。
扉を閉め、静かになった部屋でテーブルに着いてセフィーリアと向き合うと、
「で、この世界とあなたの世界をひとつにしてほしいと言っていたと思うんだが、そもそもそんなことができるのか?」
俺は彼女の青い目をしっかりと見て、まずはそう尋ねた。