第百七十八話 漂着した者
「姫様。浜辺に漂着し、倒れていた者がおりました」
王都から久しぶりに島に戻り、真新しい屋敷の執務室にいた私のもとにそんな報告がもたらされた。
「珍しいですね。島の者ではないのですね?」
私が確認すると、報告に来た係の者は、
「はい。この島の者ではありません。どうやら海から打ち上げられた者のようなのです」
少し困惑した様子で答える。
アマン様のおかげで海が平和になってから、浜辺に人が倒れていることなんて滅多になくなった。
「船で島を訪れた方でもないのですか?」
シュタウリンゲン卿とエルクサンブルクのティファーナ様のハネムーンの地に選んでいただいてから、私たちの島を訪れる人はとても増えていた。
「ホテルにも確認しましたが、行方不明になっている宿泊者はいないとのことです」
島にはアマン様が魔法で立派なホテルを何軒か建てて下さったし、私の屋敷も、
「ホテルの方が領主の館より立派なのもなんだからね」
そうおっしゃって、私などには勿体ないほど大きな屋敷を建てて下さったのだ。
「それに今朝は涼しく、浜辺とはいえ、よもや熱中症などには罹らないでしょう」
係の者の言うとおりだとすると、本当に浜辺に漂着した人ということになる。
王国大宰相であるアマン様のお力添えで、私は王国からこの島の領主として正式に認められた。
島も王国の一部となったのだから、私の先祖のように王国から逃れて来る者はもういないのだ。
「ここ数日、海は穏やかだったと思うのですが」
昨日も浜辺から遠く霞んで見えるエレブレス山を眺め、彼のことを思い出した記憶があるから天気は良かったはずだ。
島は何故か大陸からとても近くなっていた。
本当に不思議なのだが、以前、アマン様がこの世界を襲った危機のことを伝えて下さってからだから、なんとなく彼と関わりがあるような気がする。
奥ゆかしい方なのだろう、あまりはっきりとはおっしゃらないのだが。
「はい。おっしゃるとおり海は静かでしたし、大陸との連絡船からも異常の報告はありません。それにその者は……」
係の者の報告は少し奇妙なものだった。
「あっ」
カーブガーズの屋敷のダイニングでお茶を飲んでいると、メーオが突然、声を上げた。
危うく俺はお茶をこぼしそうになった。
「いきなりどうしたんだ?」
俺の問い掛けに彼女は、
「お父様。怒らない?」
前置きなしに聞き返してきた。
要は怒られるようなことをしたってことだ。
「俺がメーオのことを怒ったことなんてあったかい?」
俺はにこやかに返すが、心の中では危険信号が鳴り響いていた。
彼女はすることのスケールが違うから、俺が怒るくらいで済むなら御の字なのだ。
「いつもお優しいお父様。だーい好き!」
メーオは椅子から立ち上がって俺に近寄り、腕を取ると頬をすりすりとしてきた。
「怒らないから言ってごらん」
俺は努めて落ち着いた様子を見せていたが、もう頭の中は危機感でいっぱいだった。
俺の誘いに彼女は俺を見上げると、少し心配そうな顔を見せ、
「本当に怒らない?」
唇に指を当て、上目遣いに俺を見て言ってきた。
これはかなりやばそうだ。
「ああ。お、怒らないよ。どんなことなのか教えてくれたら嬉しいな」
俺はかなり焦って、とにかくその怒られそうな話とやらを聞き出そうとした。
「じゃあ、特別に教えてあげます。回転ドアからまた誰かが入って来ちゃったみたいでーす。てへ」
(おい! てへじゃねえだろ)
握った左手を頭に置き舌を出した彼女に、俺はもう少しで大声を出しそうになったが、そんなことをしている場合ではなさそうだ。
「それは大変だ。女神に報告しておかないとまずいだろうね」
俺はそのままもう一度お茶に口をつけ、ティーカップを静かにソーサーに戻しながら笑顔を見せた。
「お父様。落ち着いていてなんだか格好いいです。メーオ、また好きになっちゃいそうです」
瞳をうるうるさせて、握った両手を今度は口に当てて俺を褒めてくれるが、俺が落ち着いているように見えるのには訳がある。
「これはどういうことですか?」
エレブレス山の女神が姿を現し、いきなりメーオに詰め寄った。
どうせこうなるのだから、なにもわざわざ俺が彼女を問い詰める必要もないのだ。
「予期せぬ侵入者を感知して、こちらへ飛んで来たのです。異界の主宰者が警告してくれたのに、なにも対策を施さなかったのですか?」
女神が焦った様子でメーオ目掛けてやって来ると、彼女は俺の背後に隠れ、怯えた様子を見せる。
セヤヌスの神殿での会話を思い出すと、別に彼女たちの間に上下関係とかは無さそうだったし、本気で怯えているわけではないだろう。
でも、傍から見たら虐められているように見えそうだから、やっぱりメーオの姿は得だよな。
「なにもしてなかったわけじゃなくて。ちょっと忙しくて、これからしようと思っていたんです」
メーオよ。それを人はなにもしていないと言うのだ。
「で、入り込んだのは、またゼルフィムみたいな奴なのか?」
俺が尋ねるが、どうやらはっきりとは分からないらしい。女神もメーオも首を傾げていた。
「もし奴みたいなのが再び現れたなら、エレブレス山を留守にするのは危険じゃないのか?」
あの時はそれでエレブレス山の洞窟を奴に乗っ取られたのだ。
だが、さすがに女神は俺やメーオと違って用意周到なようだった。
「パスワードも長いものに変更しましたし、セキュリティー対策は万全です。なにより新しい主宰者の力が強いですから」
そう言って珍しく自慢気だ。
「それに侵入者の動向は把握しています。どうやらクレスタ島近辺にいるようです」
メーオにも分かっているのか隣で頷いている。いや、話を合わせているだけか。
「クレスタ島って、どこの島なんだ?」
俺の知っている島となるとかなり限られて、嫌な予感しかしないのだが、とりあえず聞いてみる。
「クレスタ島はカーブガーズの東に浮かぶ、お父様のことを『アマン様』と呼ぶ、馴れ馴れしい女の人のいた島です」
やっぱり思っていたとおりミリナシア姫の治める島だったようだ。
「あの島はお父様が命名された島なのに、もう忘れてしまわれたのですね。この世界ももうお終いかも」
メーオが急に物騒なことを言い出した。
俺だってあの黒い表紙のノートに書いたことを全て覚えているわけではない。でも、言われてみれば『クレスタ島』なんて安易な名前、いかにも俺が付けそうだ。
まあ、メーオと違って無駄に長い名前でなくてまだマシだな。
「悪かったな、メーオ。でも、メーオのことは覚えていたんだから、そんなことを言わないでくれよ」
俺の言葉にメーオは胸を張って、
「他ならぬお父様のお願いですもの。メーオ。許して差し上げちゃいます」
目を瞑り、満足した様子で俺に向かって言った。
「いいえ、メーオ。許して貰わなければならないのは、あなたの方ですよ」
俺もそれは思っていたのだが、女神がきちんと言ってくれた。やっぱり姉妹なのだろうか、遠慮はなさそうだ。
「そういうわけで、何だかまた面倒なことになるといけないから、俺は島へ行って来るよ」
俺はさっさと行って来ようかと思ったのだが、一応、皆を集めてそう伝えた。
「王宮へは連絡しておかなくていいのかい?」
エディルナが聞いてきたが、昨日まで宰相府で働いてきたし、まあいいだろう。
「では、私の出番だな」
ベルティラが張り切って言ったので、
「ああ。じゃあお願いしようかな」
俺は彼女に島までの瞬間移動を頼むことにした。
「メーオじゃダメですか?」
何となく瞳をうるうるさせて、メーオが俺を見上げて聞いてきた。
彼女も瞬間移動を使えるのだが、島まで同行してもらったら、ここへ帰って来るとは思えない。
いや、別にあの島で回転ドアの調整をして貰えばいいのかなんて俺は一瞬、心が揺らいだのだが、
「あなたはここに残って、回転ドアの調整に集中するのですよ」
女神はそう言って、メーオを見張ってくれるようだ。
「お父様もそうして欲しい?」
メーオが聞いてきたので、俺は腰を屈めて、彼女と目の高さを合わせ、
「ああ。こんなことが何度も起こると大変だからね。元々、俺の為だから申し訳ないけど、お願いできるかな?」
頭を下げるとメーオは少し残念そうに、
「私も行きたかったけれど我慢します。回転ドアの調整は結構、難しいんです」
殊勝な態度でそう言ってくれた。
またミリナシア姫のことを「馴れ馴れしい」とか言われても困るので、その方が助かる気がした。
瞬間移動の力は俺も獲得すべきかなとは思った。
女神によれば、主宰者の力を行使すれば可能だと言うことだった。
ゼルフィムみたいな奴が現れたときの為に、俺と女神たち三姉妹はその力を使えるようにしておくべきかとも考えはした。
メーオはもとから使えたけどな。
(瞬間移動なんて異世界三種の神器と言っても良さそうな能力だけどな。俺も使えるようにしておこうかな?)
一瞬、そう考えたのだが思いとどまった。
俺が瞬間移動の魔法を獲得して、碌なことがないんじゃないかって思えたからだ。
餅は餅屋。
瞬間移動はベルディラやメーオに任せておくべきだろう。