第百七十七話 真のエンディング
俺たち一行は、俺がパーティーの全員にレビテーションを掛け、その上でトゥルタークがトルネード系の魔法で推進力を与え、魔王の城から退避した。
玉座の間を出たところで、俺が部屋全体に掛けていたレビテーションを解いたところ、玉座の間は魔王の城の残骸に向けて落ち込んでいき、皆はその光景に息を飲んでいた。
「で、こいつはどうするんだい?」
エディルナがベルティラの処遇を俺に聞いてきた。
「まさか王都へ連れて行くわけではあるまいな。見世物くらいにはなるかも知れぬが」
リューリットも不審そうに俺に尋ねてくる。
「アンヴェル。王国はこのカルスケイオスを治める気はあるのかな?」
俺はそんなことはあり得ないと知ってはいたが、念の為、彼に確認してみた。
「いや。それはないな。余程豊かな土地であれば無理をしてでもということもあるかも知れないが、この有り様ではな」
彼の言うとおりカルスケイオスは荒涼とした大地だった。
「じゃあ。いずれにせよ、ここの統治者が必要じゃないか。それを彼女に任せてはどうかと思うんだ」
俺の言葉にパーティーの皆はもとより、相変わらず転がされたままのベルティラも目を見張って驚いていた。
「何しろベルティラは魔王の四人の腹心のひとりで人望もあるし、こう見えて結構、統治の要諦も心得ているんだ」
俺の言葉に皆がまた驚いた表情を見せる。
「そいつ、魔王の腹心だったのか。それにしては……」
エディルナが失礼なことを言い出したが、それはベルティラが戦った相手が俺だったからであって、彼女は高位の魔族で指折りの実力者なのだ。
魔王バセリスがいなくなり、悪魔ドゥーゲルも消えた今となっては魔族の中では最強と言えるだろう。
「ゆくゆくは王国の同盟者にでもなってもらえれば、お互いに争わずに済むんじゃないかと思うんだ。時間が掛かるかもしれないけれどね」
俺はそうなったことを知っているから気軽に言ったのだが、エディルナなんかは天を仰いで、(あり得ない。何言ってるんだこいつ)って様子だった。
そうして皆の見守る中、俺が指を「パチン」と鳴らすとベルティラに掛かっていた魔法が解け、真っ黒な枷や鎖が消え去って、彼女は自由の身となった。
だが、彼女はトゥルタークに向かって跪き、
「ベルティラ・デュクラン、一生の不覚でございます。この上は死を賜ろうとも恨みはございません」
そう口上を述べると、そのまま動かなくなった。
「ベルティラよ。わしはもう疲れたのじゃ。後のことはお前に任せるゆえ、よきに計らってくれ」
トゥルタークの察しの良さはさすがだ。打ち合わせた訳でもないのに、俺が考えていたとおりのセリフを言ってくれる。
でも、バセリスの一人称は「わし」ではなくて「妾」だけどな。
トゥルタークはベルティラと、
「私をお許しいただけるのですか?」
「うむ、後は頼んだぞ」
なんて会話を続けている。どうやら今回のトゥルタークは魔王の演技を楽しんでしているようだ。
しばらくして立ち上がり、手首を擦る彼女に近寄って、俺は懐からあの金のブレスレットを取り出すと、
「こっちは返すよ。もう一方は、俺は魔法使いだから、ああいう品があっては困るんだ」
そう言って彼女に差し出した。
彼女はそれを奪うように俺の手から取って、すぐに右腕に嵌めた。
その様子を見た俺は、続けて声をひそめて、
「万が一、伝説のエンシェント・ドラゴンがこの土地に攻め込んで来たら、無理をせずに魔王と一緒にいる俺たちを頼るんだ。それともう一つ、これはこの土地の統治者となったベルティラへの俺からの贈り物だ」
そう伝えてすぐに魔力を高め、上空に二つの金色に輝く球体を作り出した。
そして、それをそれぞれ、東に見える『黒い壁』と、同じく西に見えるそれに向けて高速で撃ち出した。
二つの球体はすぐに消えてしまったように見えたが、その消えた遥か先、『黒い壁』の一部が真っ白な輝きを放つ。
その輝きはそのまま巨大な火球となって『黒い壁』の一部を消し去った。
ベルティラはもとより、全員が畏怖の念に囚われた様にその様子を無言で眺めていた。
「あれは賢者アマンが、君がやったのかい?」
アンヴェルが何とかといった面持ちで俺に尋ねてきた。
「いやあ。魔王を滅ぼしたことに対する神様からの贈り物なんじゃないか。とても人間業ではないだろう」
俺はそう言った後、またベルティラに向かって小声で、
「これであの壁の向こうから川の水が流れ込んでくる。作物を作って人間に干渉せずとも暮らしていけると思うぞ」
そう言うと、茫然としていた彼女はキッと俺を睨み、
「大きなお世話だ。貴様だけは許さない。必ずこの報いを受けさせてやる」
そう言って右腕を突き上げると、一陣の風を残し姿を消した。
俺には懐かしかったが、皆は初めて見る瞬間移動に驚いたようだった。
その後、カルスケイオスを出て、スニユ山の麓の村で預けていた馬車を受け取った俺たちは、そのまま真っ直ぐ王都へ帰還した。
もたらされた「魔王バセリス滅ぶ」の報に、王都はお祭り騒ぎとなった。
それからほぼひと月にわたり、俺たちは英雄として王都で大歓迎を受けた。
俺は前回より熱狂の度合いが高いように感じて、ちょっと複雑な心境だった。
でも、やっぱり英雄バルトリヒの子孫であり近衛騎士でもあるアンヴェルが凱旋したのと、一介の魔術師の俺とでは勝負にならないのかもしれない。
見てくれにだってかなり差があるしな。
吟遊詩人たちの要望も前回以上だった。
こちらもサーガとして唄いやすいのはどちらかと考えれば、納得の結果ではある。
もちろん魔王討伐を果たしたパーティーのリーダーであったアンヴェルの名声はとみに高く、王宮には特別な計らいがあるらしいとの噂が王都の人々の関心の的となっていた。
どうやら王のひとり娘であるミセラーナ王女との結婚を許し、ゆくゆくはこの王国の舵取りを彼に任せようと、国王陛下は考えておられるようだ。
そして、それは王女様のお心にも叶うことだとの噂だった。
エディルナは王宮からの打診にさんざん迷った末に、ミセラーナ王女の親衛隊長になることを受けた。
「わたしに王宮勤めなんてできるはずがないと思ったのだけれど。アンヴェルからどうしてもって言われてね。彼がそう言うのなら、やってみるかって思ったんだよ。彼は、だめなら逃げ出しても構わないって言ってくれたしね」
彼女は屈託なく笑って言った。
「リューリットも大賢者も、また、一緒にやれたらいいなって、わたしはそう思っているよ。できれば、また皆でアンヴェルを支えられたらって思わないかい。実際には、わたしが彼に支えられているんだろうけれどね」
そう言う彼女の顔は未来への希望に溢れているように見えた。
リューリットは王家の剣術指南役に就任した。
「魔王と戦ったことで、私が王都へ来た『強い者と剣を合わせる』という目的は十二分に果たされた。一時の魔王を倒したという高揚感が去って、私は目標を見失った気分だったのだ」
彼女は俺に向かって、珍しく自分の心の内をそう吐露した。
「だが、そんな私に向かってアンヴェルは、では、私の剣を王家に仕える騎士や剣士に伝えてほしいと言ってくれたのだ。私はこれまで剣の天才などと故郷で言われたこともあったが、所詮は自分のことしか、自分の剣の腕を高めることにしか興味がなかったことに気づかされたのだ。
剣術使いが後世に残せるものは自分の剣で打ち立てた名声だけ。私は漠然とだが、そう思っていた節がある。だが、彼は私の剣を後世に残す別の方法を教えてくれた。私はそれに懸けてみようと思う。
それにアンヴェルは、剣術指南役に就けば国王陛下にお願いして、王家に伝わる伝説の名剣を見せてくれると言ってくれたのだ。浅ましいとは思うが、それも私にとっては魅力的な提案だったのでな」
彼女の声は迷いがないという澄み切ったものだったが、その顔は少し恥ずかし気な様子で、俺は彼女がカーブガーズの俺の屋敷に部屋が欲しいと言った時のことを思い出した。
アリアは王宮の中にある王家の礼拝堂に仕える司祭を引き受けていた。
聖カテリアーナ教会にも籍を置いたままではあるが、その役目は教会での地位こそそれ程高くはないが、何しろ王家の方々と直に接する重要なポストであり、その地位を経て王都の大聖堂の大司教となった者も多いということだった。
彼女はすでに民衆の間では聖女と敬われ、王家からの信頼も厚い。
特にアンヴェルとは親しかったので、アンヴェルがミセラーナ王女と結婚する布石と考える者も多いようだった。
「賢者アマン。私はあの魔王を倒すための旅で、とても大切なものを見つけることができました。あなたにも神の恩寵と祝福がありますように」
聖カテリアーナ教会を訪ねた俺に、いつものように教会の勤めを果たしながら、彼女はそう言って笑顔を見せてくれた。
アグナユディテはグリューネヴァルトへ帰って行った。
国王陛下から皆に褒賞が示された場で、彼女は毅然として、
「私は、わが一族の誇りと、友人のために戦ったのです」
そう言って、褒美を一切受け取らなかった。
その日の夜、彼女は王家が用意してくれた王宮の側の宿の部屋に俺を訪ね、
「賢者様。私はどうしたらよいのでしょうか?」
これからのことをそう尋ねてきた。
「ユディはどうしたいんだい?」
俺が聞き返すと彼女は、
「分かりません。私の『真の名』をご存じのあなたに付き随うべきという気もするのですが、でも、本当にそうしたいのか分からないのです」
そんな迷いを見せた。
俺はベルティラのことで悪いことをしてしまったという気持ちが多分にあったので、彼女に向かって、
「まずは故郷のグリューネヴァルトへ帰って、アルプナンディアにでも会ってみたらどうだい。そのうち先生も行くと言っているし。それでもし俺に会いたくなったら、その時にでも王都へ来てみたらいい。俺は多分ここに居るから」
そう言ったのだ。
「自分の気持ちに向き合ってみたいと思います。それまで待っていてもらえますか?」
その言葉に俺は頷き、王都を去る彼女を見送った。
そして俺は……、
王家からの王宮魔術師への就任の要請を快く受諾した。
「正直、まさか賢者アマンが受けてくれるとは思わなかったよ」
アンヴェルはそう言って驚いていたが、真のエンディングでは、俺はその地位にあるはずなのだ。
「賢者アマンは僕なんかとは違う世界に生きる存在だと、そう思わされたことが何度もあったからね。だから何だか空恐ろしい気がするよ」
アンヴェルの言葉に俺は、
「いや。俺はアンヴェルとミセラーナ様の治世を支え、エディルナやリューリット、それにアリアとも協力して、王国を末永き繁栄へと導くのが自分の使命だと思っているからな」
そう言ったが、ちょっとやり過ぎかもしれない。
でも、ゲームでのアマンは王宮魔術師に就任したのだから、間違えてはいないだろう。
それから数か月が経ち、俺は大聖堂でアンヴェルとミセラーナ王女様の結婚式に参列していた。
壮麗なカテドラルには王国の大貴族や高官たちのほか、俺やエディルナ、リューリットも招かれ、荘重な伝統を感じさせる中にも華麗な式典が進行するのを眺めていた。
(アンヴェルが結婚か。前と相手が違うのは気にならないではないけれど、良かったな)
なんて最初は思っていたのだが、式が進むにつれて、何だか落ち着かない気持ちになってきた。
(真のエンディングを迎えて俺は嬉しいはずだ。これからこの世界は魔王の脅威から逃れ、末永く幸せに……)
そう思うのだが、どうしても落ち着かない。何だこれは?
俺がそんな気持ちを抱えているうちにも、結婚式はクライマックスを迎え、
「では、誓いの口づけを」
と言う神官の声がやけに大きく聞こえた。
(これってどこかで。そうか。ゼルフィムと女王様の結婚式だ)
あの時はアグナユディテが「風の護り」を掛けて妨害したのだった。
だが、今回は彼女はグリューネヴァルトへ戻り、ここにはいない。
アンヴェルがゆっくりと王女様のヴェールを引き上げる。
そして……、
「ああああああああ!」
俺の叫び声が大聖堂に響いた。
皆の注目が一斉に俺に集まる。主役のアンヴェルとミセラーナ様さえ、驚いて俺を見ているようだ。
思わず叫んでしまったが、この後、どうするかなんてまったく考えていなかった。
「すみません。続けてください」とか言えばいいんだろうか?
だがその時、俺の耳に、俺をこの世界から救い出す声が聞こえてきた。
「ほら。やっぱり。メーオのいない世界なんて、つまらなかったでしょう? お父様、今お救いしますからね」
その声とともに、俺の周りに虹色の光が渦巻き、俺は前の世界のカーブガーズの屋敷に帰還した。
「もう帰っていらっしゃるかしら、もうそろそろって、メーオはずっとお待ちしていたのに。そんなにメーオのいない、あちらの世界が楽しかったですか?」
俺は屋敷のダイニングでお茶を飲みながら、メーオからそう責められていた。
エレブレス山の女神からも、
「できれば魔王を倒し、謁見の間で王から褒賞を示されるところまでで戻ってきていただきたいとお伝えしたはずですが。その後はコントロールが難しいのです。他にも調整が必要なことがかなりありましたし」
お小言のような感じで言われてしまった。
少し考えただけでもドゥプルナムの城塞の破壊とか、エディルナの『光の剣』とか、ベルティラを生かしたこととか、さらには『黒い壁』の一部を消失させたりと色々とやらかしたからな。女神も大変だったということなのだろう。
「いや。でも、どうしたらこの世界に戻って来られたんだ?」
俺が尋ねるとメーオは、
「王からの褒賞が示されてファンファーレが鳴ったら、後はご自分でエンディングのテーマ曲を口ずさんでもらえば良かったのです」
そう教えてくれたが、そうだったのかって、いや、聞いていないし。
「お父様ならきっとそうされると思っていたのですが」
俺の顔が不満気に見えたのか、メーオが言い訳のように言ってくるが、謁見の間で鼻歌を歌うなんてできる訳がない。まあ、頭の中ではエンディングテーマが流れていたけれど。
「だって、あのへんな動きだってしてたじゃないですか」
とどめとばかりに彼女が言葉を継いでくる。確かに鼻歌の方があれよりはマシか。でも、あの時はアンヴェルを喪って、本当に必死だったんだよ。
メーオたちがダイニングから出ていくと、今度はアグナユディテが来てくれた。
「アマンが行っていたという世界はどうだった?」
彼女は俺にそう尋ねてきた。
「そうだな。この世界とあまり変わらないけれど、皆の性格が違っていて面白かったよ」
俺は少し軽い感じでそう言ってみた。あんなことになって、お別れも言わずにこの世界へ帰って来てしまったから、あの世界の皆のことを思い出すのは、まだ少し辛いのだ。
「たとえば?」
彼女は興味があるのか、さらに話を続けようとする。
「ああ。たとえば、あちらの世界のユディはとてもお淑やかで控えめで、エルフのお姫様ってイメージそのものだったよ」
あまりあの世界のことに触れたくなかった俺は、牽制するつもりで、つい、そんなことを言ってしまった。
アグナユディテは俺の言葉に、
「そう……。アマンはお淑やかな女性が好みだものね」
何だか寂しそうにそう言って黙ってしまったので、俺はそんなことを口にすべきではなかったなと少し後悔した。
「でも、彼女は俺を生命を捨ててまで守ってくれたり、『真の名』を教えてくれたりはしなかった。それに何より、ずっと俺と一緒に居てくれる訳ではなかったからな」
ばつが悪そうに言う俺に、アグナユディテは笑顔を返してくれた。
世界の主宰者の力を持って、アスマット・アマンにとってのゲームのスタートである賢者の塔へパーティーの皆が訪れるところから始めてみた俺の冒険は、結局あんな結果になった。
アマンにとっての真のエンディングって、実はあんなものだったのかも知れない。
(でも仲間たちはやっぱり皆いい奴だったし、あの世界にはあの世界の良さがあったな)
俺はそう思いながら、やっぱりこの世界は特別だと感じていた。
俺はこの世界で、仲間とともに悩み、選択してここまでやって来たのだ。ゲームのシナリオを遥かに越えて。
そこにはいくつもの誤りがあっただろう。でも、それも含めてすべてが今、俺にとってかけがえのないものになっている。
「平和なこの世界とは違って冒険の旅だったのでしょう? また、新しい世界に行ってみたい?」
アグナユディテが、そう尋ねてきた。
(なべて世は事もなしか)
俺はそんな言葉を思い浮かべながら、でも、この世界だって初めから平和だった訳じゃないよなと思った。
「いや。もういいかな。何だか疲れたし、俺はもうこの世界に慣れてしまったらしくて、ユディといるのが一番、落ち着く気がするよ」
俺の言葉に、彼女ははにかんだ笑顔を見せてくれる。
こんな平和な一日が、俺には今、とても愛しく感じられる。
そして俺と同じ思いを持ってくれている人が、いつも側にいてくれる。
それはとても幸せで大切なものだ。
この異世界はもう俺にとって現実の世界と変わらず大切なもの。俺はそう思っていた。
【第五章・完】