第百七十三話 魔王の居城へ
遂に『大トンネル』を抜けて、俺たちは魔王の統べる地、カルスケイオスの大地に立った。
「カルスケイオス一番乗り!」
エディルナが宣言するように言ってトンネルから外に飛び出すが、ああ見えてちゃんと出口の周りの安全は確認しているようだったから、さすがは冒険者なのだろう。
「ここが魔王の支配する地なのですね」
「これは凄いな」
アリアとアンヴェルも驚きを隠せないようだった。
カルスケイオスは荒涼とした大地のままだった。
前の世界でベルティラは俺の屋敷にばかりいたけれど、彼女の治めるあの土地はかなり緑が増え、農業も盛んになりつつあった。
この景色を見ると哀しくなってくる。
ドラゴン・ロードもエンシェント・ドラゴンのジャーヴィーも、碌な奴ではなかったが、あいつらが大河をこの地に導き、その水の出口を用意したのだったなと俺は改めて思い出した。
「気をつけて。魔物の気配がします」
アグナユディテが小声で忠告してくれ、俺たちは不意討ちを受けることなく魔物と対峙することができた。
俺たちの前に姿を現した魔物は、あの「悪魔ジロイド」だった。
三体のレッサーデーモンを従え、呪文を放つ機会を窺っているようだ。
(来たな。ここで会ったが百年目だ!)
いや、もちろんアンヴェルに死の呪文を放ち、彼を死に追いやったジロイドそのものではないことくらい俺にだって分かっている。
カルスケイオスにジロイドが一体しかいないわけではないし、ましてここは前の世界とは違うのだ。
だが、やはりこいつの姿を見ると、俺はアンヴェルのことを思い出してしまう。彼を救えなかった苦い記憶とともに。
俺はそのままずっと黙っていろとばかりに、まずは無詠唱で『サイレント』の呪文をジロイドに飛ばす。
「光の矢よ!」
続けて大きな声を出して、皆に魔法を使うことをアピールする。すでに悪魔に向かって駆け出していたリューリットが急ブレーキを掛け、慌てて俺を振り返る。
俺のその声とともに、矢と呼ぶにはあまりに太い棒状の光が奴に向かって放たれた。
極太のビームのような光の一撃はジロイドの頭を吹き飛ばし、奴はそのまま倒れてしまう。
残ったレッサーデーモンは前衛の三人が一体ずつ片付け、戦闘は一瞬で終わりを迎えた。
「何だい、今のは? 凄い魔法だったね」
エディルナが感心したように俺に声を掛けてくるが、あの程度、何てことはない。
「ああ。あいつは死の呪文を唱えるからな。焦って、咄嗟に大きな魔法を使ってしまったよ」
俺の答えにアリアが、
「死の呪文に対しては、いつかエルフのオーブを取り返すときに使った沈黙の呪文を唱えられた方がよろしかったのではないですか?」
そう返してきた。正論に俺は言葉もない。実際にそのとおりのことをしたのだし。
「賢者アマンでもそんなことがあるんだな。何となくホッとするよ」
アンヴェルが言ってくれたのは、この場を収めるためだろう。今だって俺はアリアに詰められてオタオタしていたのだし。
そんな俺たちの様子を見ていたのか、今度は暗黒騎士の集団が俺たちに襲い掛かってきた。
リューリットが素早く前に出てサマムラを振るう。
彼女の剣が一閃する度に、暗黒騎士は一人、また一人と倒されていく。
彼らの堅い鎧をものともせず、リューリットは敵の急所を、鎧の継ぎ目を狙いすまし、人間業とは思ぬような恐ろしい技量を見せつける。
アンヴェルとエディルナが加勢して、それぞれ敵をなぎ倒し、見る間に暗黒騎士は全滅をしてしまった。
後衛の俺たちが魔法を使うまでもなかった。
最後の敵を倒したリューリットが俺たちの許に戻って来たが、彼女は息を切らすこともなく平然とした様子だ。
「エディルナばかりにいいところを取られる訳にはいかないからな」
彼女に名指しされたエディルナは苦笑するしかないようだった。
その後も、行く手を阻む魔物や魔族を退けて進んだ俺たちの前に、魔王の居城がその姿を現した。
城の前には、高位の魔族たちの物なのだろう立派な邸宅が建ち並んでいる。
俺は城の正門に続く大通りから少しだけ横道に入り、そこにあった屋敷のひとつを眺めた。
周りをぐるりと高い塀に囲まれたその屋敷は二つの塔を持つ立派なもので、深緑の壁に鉄格子の嵌った窓がいくつか確認できる。
鋼鉄製の大きな門からは中の様子は窺えないが、その堂々たる佇まいは、この屋敷の持ち主がかなりの力を持っていることを示していた。
(家憑き妖精の結界が機能しているみたいだな。ベルティラは無事だな)
エルジャジアンの町にも来ていたし、今回は魔王に地下牢に幽閉されたりしていないようだ。俺は彼女のことを思って、胸を撫で下ろした。
「この屋敷がどうかしたのかい?」
俺は最後尾だから、こっそりとパーティーから離れたつもりだったのだが、アンヴェルは常にメンバーのことを気遣っているからなのか、彼に気がつかれてしまっていた。
「いや。何でもない。立派な屋敷だなと思ってね」
俺はそう言って誤魔化した。
「カルスケイオスの屋敷はどれもこれも趣味が悪いね」
エディルナはそんなことを言っていたが、じゃあこの建物の真の姿である「シュガー&シナモン・ハウス」とどっちがいいのだろう。
俺はどちらも微妙だけどな。
だが、アグナユディテは、
「この屋敷には何かの魔法がかかっているみたいです。精霊? いえ妖精の力を感じます」
この屋敷の姿がカモフラージュされたものであることに気がついたようだ。
「屋敷に魔法が掛かっているなら、さっさとここを離れた方がいいな。さあ、行こう」
急に歩き出した俺を皆が怪訝な顔をして見ていたが、本当の屋敷の姿を暴いたところで、誰も幸せにならないからな。
だが、屋敷を離れ、俺たちの前に魔王の城の正門が見えてきたところで、俺は重大なことに気がついた。
(えっ。俺ってベルティラと戦うのか?)
今さらそんなことをと自分でも驚いてしまうのだが、このまま歩みを進めると、俺は彼女と戦うことになってしまう。
彼女は今まさに見えてきた門に隠れて、俺たちを待ち伏せているはずなのだ。
考えてみると、前回はトゥルタークの仇である彼女を倒そうと、俺は復讐心に燃えていた。
だが、俺たちが早々に王女様を助けたことで、彼女は魔王の怒りを買い、城の地下に幽閉されたと聞いた気がする。
そのために彼女は俺たちと戦うことができなかったのだ。
俺も彼女が出てこなかったことで情けない思いをしたのだが。
今回はそんなことは起きていないようで、俺は実際、エルジャジアンの町で彼女の姿を目撃している。
「ちょっと、ストップ。皆、ちょっと待ってくれ」
俺は皆の前に走り出て、両手を挙げて、皆の歩みを止めさせた。
ゲームでは当たり前だったのだが、前回、それがなかったことと、あまりに彼女と親しくなり過ぎて、俺には彼女と戦うイメージがなかったのだ。
「何だい? 藪から棒に」
エディルナは少しぶっきらぼうな口をきいていた。
いよいよこれからだと思っていたのだろうから、気持ちは分からないでもない。
「いや、その。そうだ! 道を変えないか。裏門を探すとか。ほら、いきなり正面から乗り込むのも芸がないんじゃないかな?」
俺の言葉に皆が戸惑いを見せる。
「いや。そんなことを言われてもな」
「賢者アマン。いきなりどうしたのだ?」
「もしや何か気づかれたことでもおありなのですか?」
門を背にして立つ俺に向かって、皆がそう言って詰め寄って来る。
「いや。この先はまずいと言うか……。そうじゃなくて、ほら、客じゃないんだから」
俺はますます煮詰まって、自分で言ってて、何を言っているんだか分からなくなってきた。
だが、そんな俺たちの様子を見て、門に隠れていた者は待ち伏せに失敗したと判断したようだった。
「魔王様が人間をお招きしたなどと聞いたことはないな。招かれざる客。貴様たちが魔王様に害をなそうとする虫どもか! ここから先へは行かせぬぞ!」
銀色の長い髪の女性が門を守るように立つ。
漆黒のマントを風になびかせる美貌のダークエルフの姿が、そこにあった。