第百六十八話 サーカス襲撃
『月光の石』を手にした俺たちは、ディヤルミアからエルジャジアンの町へ向かった。
『月光の石』はポンポンと叩くと、石の一部が淡い光を発して大トンネルの入り口の方角を示してくれる。
どうしてそんなことが可能なのかは、問うだけ野暮と言うものなのだろう。魔法の力によるとしか言いようがない。
こうして科学の発展が阻害されるんだろうな。
エルジャジアンの町も俺には懐かしい場所だ。
領主のダルヴァール卿に「その節は大変お世話になりました」と挨拶したいくらいなのだが、この世界では会ったこともないから、不審者扱いされて終わりだろう。
遠く見えてきた町は当たり前だが昔のままだ。
その後、カルスケイオスからカーブガーズへ至る街道の玄関口となって、かなりの発展を遂げているのだが、今はまだ辺境の町といった感じだ。
遠く望める『黒い壁』も傷ひとつなく、人を寄せつけない厳しさを見せて聳えている。
だが、エルジャジアンの町の側に俺たちが見たのは、それだけではなかった。
「あのテントは、もしかしてエリスちゃんのサーカスが来てるんじゃないか?」
エディルナが指差した町の外に張られたテントは、確かに見覚えのあるサーカスのものだった。
町の向こう側だから、もともと大きなテントとはいえ目を凝らさないとそれとは分からないのだが、彼女はよく気がついたものだ。
そう、この町ではまたサーカスを見に行くイベントが発生するのだ。
前回、俺はすっかり忘れていてアンヴェルたちだけで出掛けさせてしまい、後から大慌てで駆けつけた。
それでも結局、間に合わず、アリアのおかげで事なきを得たのだった。
「エディルナはまた見に行きたいのか?」
リューリットが呆れたように聞くが、エディルナには通じないようだ。
目を輝かせ、両手を握りしめて大きく頷いた。それじゃあまるで子どもだろう。
「やったー! また、エリスちゃんに会えるぞ」
叫ぶように大きな声を出した彼女に、反論できる者は誰もいなかった。
まだ宿を取るには少し早かったのだが、エディルナは是が非でもサーカスを見る気だし、かと言って今日の公演はさすがに難しいだろうということになり、俺たちは町の宿に落ち着いた。
宿の亭主に聞いてみると伝手があるとのことで、翌日の公演のチケットを人数分、用意してくれた。
魔族がやっているサーカスに伝手があるって、何だか恐ろしい気がするが、そう公言している訳ではないからな。
食事も済み、部屋で休んでいると、珍しく扉をノックする音がする。
「どうぞ」
不用心過ぎる気もするが、まさか魔族が町に入り込んでいたりはしないだろう。
別に相手が魔族でも何とでも対処はできるが、町の中、しかもパーティーの皆のいる側で、あまり派手にやらかす訳にはいかないのだが。
「賢者様。お邪魔します」
入って来たのはアグナユディテだった。
俺が彼女に席を勧めると素直に俺の前に座ったものの、まだ迷っているような様子を見せた。
「ユディは何か俺に話でもあるんだよね?」
俺がそう言って促すと、彼女は意を決したのか口を開いた。
「賢者様にご相談があるのです。あのサーカスのことをどう思われますか?」
彼女の声には何か訴え掛けるような雰囲気があった。
アグナユディテはどうやら何かに気づいたらしい。
だが、本当のことを言う訳にもいかない俺は、
「いや、まあ普通のサーカスじゃないか。エディルナはやけに気に入っているみたいだけれど」
そう言って彼女を見ると、少し項垂れたような様子を見せる。
そんな彼女がやっぱり可哀想な気がして、
「ユディは何か気になることでもあるのかい?」
柄にもなく、そう聞いてしまった。いや、これはゲームのアマンらしくもないし失言かなと思ったが、取り消す訳にもいかないので仕方がない。
「実はあのサーカスに魔物の気配を感じたのです。あんなに離れていたのに、まさかとは思ったのですが、思い返してみても間違いない気がします。もしかしたら高位の魔族がいるのかも知れません」
彼女は俺にそう訴えてきた。
まあ、あそこには魔王がいるし、ベルティラもいるのかもしれない。
ちゃんと気配を消しておけよと苦情を言いたいくらいだが、おそらく油断しているのだろう。
「で、どうして俺に?」
そういうことはアンヴェルに伝えるべきだろうと思うのだ。
彼女は少し迷っているような様子を見せたが、俺が再度、答えを促すと、
「あんなに喜んでいるエディルナの様子を見ると、とても言い出せなくて。賢者様は冷静でいらしたから」
まあ、俺はいつもどおりにつまらなそうな顔をしていたってことだろう。仏頂面もたまには役に立つようだ。
だが、現実問題として、ここでサーカスのテントに夜襲を掛ける訳にもいかない。いや、できるのだが、ゲームが終わってしまうからな。
「ユディ。ありがとう。明日は十分に注意することにするよ。油断していなければ対処のしようもあるだろう」
俺の言葉に彼女はまだ心配そうな様子で「本当は私が一緒に行けると良いのですが」と言っていた。
だが、俺が何度か「大丈夫だから」と言うと、これ以上は失礼だと思ったのかもしれない、
「賢者様。明日は皆をよろしくお願いします」
エメラルドグリーンの瞳で俺を見詰め、頭を下げると部屋から去って行った。
その夜、俺はベッドに入って寝ようとしたのだが、アグナユディテの言ったことが気になって容易に寝つけなかった。
もちろん魔王や魔族を恐れている訳ではない。
(あそこにはベルティラがいるかもしれないのか……)
前の世界では俺のことを「我が主」と呼ぶほど俺に懐いてくれたのに、ここでは俺に会いに来てくれさえしない。
いや、会いに来られても困るのだが。
だが、俺はそう考えだしたら無性に彼女の顔を見てみたくなった。
さっきサーカスのテントに夜襲を掛ける訳にもいかないとか思ったのもまずかった。
(そうだ。夜の闇に紛れて少しだけなら)
そう思うともう居ても立っても居られない気がした。
俺はベッドから起き上がると、スファテペの町で使った真っ黒なローブとフードを身に着ける。
そしてまたレビテーションの魔法で宿の窓から外へと飛び出した。
辺境の町の城壁など俺の前には無きに等しい。
俺はレビテーションで余裕で城壁を跳び越えると、そのままゆっくりとサーカスのテントへと向かった。
(さあて。ベルティラはいるかな?)
俺は空中からテントの中が覗けないかと近寄って行った。
見張りはいるようだが、まさか空の上から近づく者がいるとは思っていないのだろう。彼らが俺に気づくことはなかった。
だが、あいにく今夜は満月に近い月が空にあり、ぼんやりと明るい空に俺のシルエットが浮かんで見えたらしい。
優秀なダークエルフが俺の気配を感じ取ったようだった。
「何者だっ!」
聞き覚えのある声でそう咎められる。
声のした方を向くと、そこには月明りに佇む懐かしいベルティラの姿があった。
(あらためて見ると、やっぱりベルティラって綺麗だよな)
久しぶりに姿を見たということもあるのだろうが、俺にはそう思えた。
厳しい表情を見せてはいるが、その美貌はいささかも損なわれてはいない。
美しい銀色の髪は月の光に輝きを返しているし、彼女は小柄な割にグラマラスなのだ。
そして彼女の右手にはあの金のブレスレットがあり、左脚には久しくお目にかかっていない銀のアンクレットを嵌めていた。
(あれがあると言うことは魔法は無効ってことだよな)
俺がそんなことを考えているとは思ってもみないだろうベルティラは、
「怪しい奴め。降りてこい!」
そう俺に呼びかける。
(はい、はいっと)
俺は呼びかけに応え、一気に高度を下げて彼女のすぐ前に降り立った。
「なっ!」
驚いたベルティラが跳び退こうとしたのを、彼女の右腕を掴んで阻止する。
「貴様! 離せ!」
今度は彼女の言ったとおり手をパッと離してやると、彼女は数歩後ろへ下がりたたらを踏んだ。
「何者だ。ふざけおって。名を名乗れ!」
刺すような目付きで俺を睨む彼女に向かって、
「随分だな、ベルティラ。せっかく主人が会いに来てやったというのに」
俺が声を掛けると、彼女はまた驚きの表情を浮かべ、
「貴様。何故、私の名を……。いったい何者だ?」
前の世界なら俺から会いに行ったら涙を流すくらい喜んでくれたのに、仕方ないのだが残念だ。
「俺のことを忘れるとはな。お前はその程度の奴だったのだな」
この世界のベルティラには、まったく身に覚えのないことなど十分承知しているが、俺はそう言いたくなったのだ。
でも、前の世界のベルティラがこのことを知ったら、きっと「大変なご無礼を働きました。お許しください」と謝ってくると思うぞ。
「私の主人は魔王様だけだ。ふざけるな!」
彼女はいきなり殴り掛かってくるが、俺はその拳をひょいとかわし、ちょっとだけ押し込んでやる。
彼女はまたバランスを崩し、たたらを踏むと、
「この私の攻撃を見切るとは。ただの偶然か?」
今度は腰のダガーを抜いて切り掛かってきた。
彼女が次々と繰り出すダガーによる攻撃を、俺はすべて余裕で見切る。
攻略推奨レベル五十程度の彼女の攻撃が俺に当たるはずもない。
でも、ダガーには毒が塗られているかも知れないから気をつけないとね。
避け続けるのも面倒になってきた俺は、またレビテーションを使い彼女の攻撃から逃れた。
「卑怯者め! 降りて来い!」
彼女の呼び掛けの声に気づき、そろそろほかの魔族どもも集まってきそうだ。
もう顔も拝んだし、十分だなと思った俺は高度を上げて、竜巻の魔法を推進力にして逃げ出そうとした。
その瞬間、
「逃すか! ダークネス・フレイム!」
いつの間に呪文を唱えていたのかベルティラの魔法が発動し、闇の炎が俺を襲った。
だが、それは俺の作り出した強力な竜巻に弾かれ、サーカスのテントを直撃する。
「ああっ!」
しかも間の悪いことに、俺の作り出した竜巻が周りにも影響を及ぼしていて、テントは一気に燃え上がり巨大な炎の柱と化した。
「貴様! なんてことを!」
ベルティラは俺を睨み、そう声を上げるが、いや、俺のせいじゃないし。
辺りはもう大騒ぎになっていた。
「火を消せ!」とか「だめだ、逃げろ!」とか言う声が響いている。
そんな中、また聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ベルティラ。これはいったい何事ぞ」
その声とともに銀髪をツインテールに結んだ可愛らしい女の子が姿を見せた。
(おおっ。トゥルタークまで)
俺は来たかいがあったなと思ったが、無論彼女はトゥルタークではなく今はエリス、いや魔王バセリスなのだった。
「魔王様。ご無事で。怪しい者が空から現れ、いきなり」
ベルティラは片膝をつき、バセリスにそう報告した。
(いや。お前のせいだろう!)
俺はそう突っ込みたかったが、まあ俺にも幾許かの責任はある。
バセリスも一瞬、空を見上げ、俺の方を見ていたが、
「ここは一旦、引き上げるしかなかろう。あの化け物の子孫の始末はまたの機会でよい」
そう言ってベルティラに命じ、瞬間移動でこの場から去って行った。
俺も今回は高笑いを上げる訳にもいかず、大人しくその場から立ち去った。
翌朝、ダイニングで朝食をとっていると、昨夜の一件はすでに町の噂になっていたようで、俺たちの耳にも入ってきた。
あれだけ派手に炎を噴き上げれば、嫌でも町の人は気づいただろう。
「火の不始末でテントは丸焼けらしい。エリスちゃん、大丈夫かな?」
近くのテーブルから情報を聞いてきたエディルナが、心配そうにそう口にする。
さすがにバレたらエディルナに許してもらえなさそうだから、俺は黙って朝食を進めていた。
そんな俺にアグナユディテが興味深そうにチラチラと視線を送ってくる。
(ユディ。エディルナに感づかれるからやめてくれ)
だが、そんなに心配する必要はなかったようだ。
「お見舞いに行きたいところだけれど、きっと取り込んでいるだろうね。少し落ち着いたら、そうだね、次に会った時にするよ」
まだ落ち着かない様子でそう口にするエディルナだったが、次に会うのは魔王の居城での最後の決戦の時で、敵と味方に分かれているのだ。
「ああ。それがいいかもしれないね。あのサーカスとは縁があるのか何度か会っているから、またの機会もあるだろう」
まさか自分が狙われているとも知らないアンヴェルが、そうエディルナを慰めていた。
「怪我人がいないことを、そしてもし怪我をされた方がいたら早く治るように祈りましょう」
アリアも心配そうな顔で祈りを捧げているが、魔族の為に祈ることになるのだけれど、いいのだろうか。
まあ、俺の領地のカーブガーズでは魔族も普通に暮らしていたから、それもありだったが。
「賢者アマンは今朝はやけに静かだな」
リューリットが何か感じるものがあったのか、少し疑わしいといった目で俺を見てきた。
「いや。俺はいつもと変わらないぞ」
そう言って俺は黙々と朝食を続ける。
証拠もないし、こうして黙っていれば今回は何とか切り抜けられそうだ。
やっぱり沈黙は金なのだ。