第百六十六話 ディヤルミアの宿で
サマーニの対岸の町でシューアギアン地方の玄関口であるガレッタも、それなりに発展した町だった。
元の世界では往来が禁止されている中で、何処から来たのか詮索されないように用心して立ち寄らなかったり、帰り道でも素通りしてサマーニまで渡ってしまったりしたので、まともにここに寄るのは初めてかもしれない。
「海を渡る風が気持ちの良い町ですね」
滅多に町のことなんて誉めることのないアグナユディテが珍しくそう言って、髪を海風になびかせ、目を細めていた。
サマーニほど大きな町ではないし、街の中にも緑が多い気がするから、エルフの彼女には多少なりとも過ごしやすいのかも知れなかった。
「少し早いが、今日はもう、ここに泊まろう」
アンヴェルがそう言ってくれたので、俺たちはすぐに宿に入り、ひと息つくことができた。
前回は前回で苦労した覚えがあるが、今回のサマーニの町は盛り沢山で俺は疲れていたから、彼の判断は有り難かった。
パーティーの皆も疲れていたのだろう。その晩は皆、大人しくしていたようだ。
ガレッタで一泊し、忙しかったサマーニでの疲れを癒した俺たちは翌朝、東へ向かって馬車を進めた。
馬車は曲がりくねった街道を進んで行く。
結構な登り坂なのだが、こんなときの為の『レビテーション』なのだ。
俺の魔法で、馬は平坦な道を行くのとあまり変わらぬ軽快さで、馬車をひいてくれていた。
そして坂を登りきると急に視界が開け、大きな盆地が一望できた。
「これは絶景だな。噂には聞いてはいたが」
アンヴェルは驚いたように馬車を停め、しばしその風景を楽しんでいた。
俺たちも馬車から顔を覗かせ、またエディルナなんかはご丁寧にも馬車から降りて額に手を当て、先に広がる景色を眺めている。
点々と耕作地が広がる盆地の中央を流れる川の先に、城壁に囲まれた町が見える。
(おおっ! ディヤルミアが健在だ)
俺はちょっと感動していた。当たり前なのだが、元いた世界ではドラゴン・ロードに焼き払われて壊滅し、見るも無惨な姿だったのだ。
その先のディヤル山の山体にも傷はなく、美しい姿を見せている。
頂上付近に雪を戴いたディヤル山の姿に、アリアも感動の声を上げていた。
「あれがディヤル山なのですね。本当に美しい山です」
俺たちは彼女の言うその美しい山の麓の町、ディヤルミアを目指し、馬車を進めて行った。
「もうすぐディヤルミアの町に着くけれど、ユディはしっかりと耳を隠しておいた方がいいかもしれないね」
俺は前回の反省を活かし、アグナユディテにそうアドバイスした。
「気にし過ぎじゃないのかい? 誰もそんなこと見てやしないだろう」
エディルナがまた俺に突っ掛かってくるが、アグナユディテは、
「いえ。賢者様。ありがとうございます。知らない土地ですし、注意するに越したことはありませんもの」
はにかんだような笑顔を見せて、お礼を言ってくれる。この世界の彼女はゲームでのイメージにすごく近い気がするんだよな。
でもエディルナが言うのにも一理ある。今回は前回と比べ、魔物による被害も少ない気がするし、亜人に対する迫害もあまりないと思うのだ。
逆に俺たちの倒した魔物の絶対数は前回を凌駕していると思う。俺がトゥーズ湖のドラゴンのビュラーティカに教えてもらってダンジョンごと滅ぼした魔物を除いたって、そうだと思うのだ。
この違いって何なのだろうと思うのだが、やっぱりエレブレス山の女神の仕業なんだろうな。
俺もその辺りの「調整」の仕方を教えてもらったのだが、あちらを押し込むとこちらが出っ張り、それを元に戻すとまた別のところが動き出すみたいな感じで、収拾がつかなかった。
神様でもなければこんなの無理だろうと思ったのだが、まあ、彼女は女神だから、やってやれない訳ではないらしい。
何でそこまでしてと聞いたら、きっとしれっと、
「そうでもしないとアンヴェルに退場してもらって、あなたのお気に召すシナリオになりませんので」
とか言うんだろうな。
俺のアドバイスの甲斐があってか、それともエディルナの言うとおり誰もそんなことを気にしていなかったからかは定かではないが、俺たちは無事にディヤルミアの町に入り、宿に落ち着くことができた。
前回は町に入ることができなかったから、『月影の洞窟』と『ルナの祠』、それにそこにある『月光の石』の噂を仕入れることができなかった。
何の情報もない『ルナの祠』を急襲して、そこを守る隠者からこちらも何も知らないはずの『月光の石』を脅し取る訳にもいかず、それらはスルーすることになってしまった。
それもエンディングに影響を与えたかも知れないと思った俺は、少しだけ誘導を試みてみることにした。
最近はどちらかと言うとシナリオ進行の足を引っ張る方が多い気がするから、少しくらいなら大丈夫だろう。
「このディヤルミアの町の側で貴重な魔法の品を得たと、トゥルタークの備忘録で見た覚えがあるのだが、アンヴェルは何か思い当たることはないか?」
俺は暗に英雄バルトリヒの家系であるシュタウリンゲン家に、何らかの伝承が伝わっていないか聞いてみた。
「思い当たることと言うと、もしかしたら、わが家の伝承にある『月光の石』のことかな」
俺の誘導は当たり、アンヴェルは『月光の石』について思い出してくれたようだ。
備忘録で見たなんて言ったらトゥルタークが目を回すかもしれないが、大賢者である彼の権威は絶大で本当に重宝する。
この世界では「困ったときのトゥルターク」なのだ。
「『美しき山の麓、満月の落ちる先、美しき石の光、指し示す暗き道』でしたでしょうか」
アリアが『月光の石』に関する伝承を誦じて見せてくれる。
「ああ。そうだね。ありがとうアリア。覚えていてくれて助かったよ」
アンヴェルは悪びれることなく嬉しそうに言った。
彼が思い出せなかったら俺が言い出すしかないかなと思っていたから、俺も助かったのだが。
「じゃあ早速、いつものとおり情報収集だね」
エディルナは張り切って、すぐにも宿を出て冒険者ギルドへ向かうようだ。
サマーニの町で、宿に落ち着いたばかりの彼女に街に行かないのかと聞いた俺のことを「人使いが荒い」と言っていたのは、ついこの間のことだ。
なのに疲れを知らないように機嫌良く動き出す。
「大賢者も魔術師ギルドに行くんだろ」
ついでに俺まで巻き込むつもりのようだ。本当に人使いの荒い戦士だ。
でも、このモチベーションの高さがこのパーティーの良さだし、彼女は良いムードメーカーだと思う。俺には真似のできない芸当だ。
その日の夕方、俺たちは早めの夕食を済ませ、お茶を飲みながら皆で持ち寄った情報を交換した。
残念ながら魔術師ギルドでは有益な情報は得られなかったのだが、エディルナがそれらしい話を持ち帰って来てくれていた。
「『月影の洞窟』って呼ばれている洞窟が町の西にあるっていう噂を聞いたんだ。同じ『月』繋がりだし、何か関係があるんじゃないかと思ってね」
彼女は洞窟のかなり詳しい場所まで聞き込んでくれていて、さすがとしか言いようがない。
(これだからコミュ力の高い奴は)
俺にはそうして拗ねるくらいしかできることがない。
「西なら満月の落ちる先だし、間違いないんじゃないか?」
気を取り直してそう言うと、アンヴェルも頷いてくれる。
「そんなの言うまでもないだろう。それより分からないのはその先だよな」
エディルナが当たり前だと言うように俺に向かって言ったので、俺は少しムキになって、
「後半は『月光の石』が、カルスケイオスへの唯一の道である大トンネルの位置を指し示すってことだろう」
思わずそう言ってしまった。
「えっ。『月光の石』って、そんな力のある魔法の品なんだ」
エディルナを筆頭に皆が驚きの声を上げる。
(しまった。この情報は『ルナの祠』で隠者から授けられるものだった)
俺は今さら思い出して慌ててしまう。
その様子を見ていたリューリットが、
「そこまで知っていて『貴重な魔法の品』か。申し訳ないが、他にも何か知っているのではないかという疑念が拭い去れぬな」
彼女の鋭い指摘に俺は咄嗟に上手く答えることができず、黙り込んでしまう。
俺は以前はアグナユディテに、今回はミセラーナ様に嘘つき呼ばわりされてはいるが、そんなに当意即妙に適当なことを言って言い逃れるのが得意なタイプではないのだ。本当だ。
「リューリット。賢者アマンは……」
アリアが何か言いかけるとリューリットは、
「『悪い奴ではない』だろう。私にもそのくらいは分かる。だが、ここまで共に旅をして、そろそろいいのではないかと思うのだがな」
疑うというよりも、不満そうな様子で俺を見る。
それでも俺が押し黙っているとアンヴェルが、
「リューリット。人にはそれぞれ他人には言えないこともあるし、それぞれの思惑だってある。僕だって、自分の使命に皆を引きずり込んだと言われれば、その通りだ」
「わたしには人に言えないことなんてないぞ。それに引きずり込まれただなんて、そんなこと思ってもいないぞ」
エディルナがそう茶々を入れると、アンヴェルは苦笑して、
「いや。ありがとう。でも人それぞれだが、エディルナのことだって僕は知らないことの方が多いだろう。だから少しずつ相手のことを知っていけばいい、そう思うんだ。無理に聞き出す必要なんてない。いつか言いたくなったらでいい。それまでずっと僕は待っているから」
俺の方を優しい目で見ながら取りなしてくれた。
「それにしても、賢者アマンの言うことには時々、驚かされるね。昔、神話だかそれをもとにした物語だかで読んだ、人間に姿を変えて冒険の仲間に加わった神様のようだなと思う時があるよ」
アンヴェルが突然、厳しいところを突いてきたので、俺はまた何も言えなくなってしまう。
かなり注意しているつもりなのだが、また、やらかしてしまった。以前も思ったが、知っているのに知らない振りをするのは苦手なのだ。
「じゃあ、明日はその『月影の洞窟』を探索してみよう。賢者アマン。明日もよろしく頼むよ」
アンヴェルが結論を出し、その場はお開きになった。
(そもそもの目的を思い出すしかない)
宿の部屋へ戻り、俺はそう思っていたが、このままだと段々と辛くなってくる気がする。この世界のパーティーメンバーは本当にいい奴ばかりなのだ。
(それでエンディングを迎えたら帰るのか?)
俺はそう考え、フッと息を吐いた。