第百五十六話 スファテペの雷鳴
フォータリフェン公爵からアンヴェルが『英雄の剣』を、リューリットが『サマムラ』を、それぞれ無事に引き渡してもらい、俺たちはバール湖畔を後にした。
「まさか幻と言われるこの剣を手に入れることができるとは」
リューリットはドラゴンと戦えなかった不満もどこへやら、その後は終始ご満悦の様子だった。
「これでトゥーズ湖も往時の賑わいを取り戻すことでしょう」
俺もチクリと言ってやったから、公爵も俺たちが実はドラゴンスレイヤーではないとか、細かいことは言わなかった。
トゥーズ湖からドラゴンがいなくなったという結果に文句はないだろうし、もともと彼は豪気な大貴族の鑑みたいな人なのだ。
「それにしてもドラゴンが戻って来た時に、どうして僕たちを起こさなかったんだい? 今回は無事だったから良かったようなものの、下手をしたら全滅していたかもしれない。賢者アマンらしからぬ振る舞いだと僕は思うよ」
逆にアンヴェルにはそう注意をされてしまった。まあ当たり前だ。でも、俺は実に俺らしい思慮に欠ける振る舞いだったと思っているのだが。
「いや。ドラゴンが交渉したい、言うことを聞きますと言いながらやって来たから、つい起こすのが遅れたんだ。済まなかった」
俺は素直に謝ったつもりだったのだが、エディルナは、
「いや。ふたりとも論点がずれているぞ。そもそも、わたしたちを魔法で眠らせるとか、あり得ないだろう」
もう定番となりつつある呆れた様子で俺たちに向かって言って、
「リューリットも言ってやったらどうだ」
そうリューリットに振ったのだが、彼女は、
「まあ、皆が頑張ってドラゴンを撃退し、剣も手に入って良かったではないか」
そう言って腰の剣に手をやって、珍しく何だか締まらない顔をしている。
今なら大概のことは不問に付してくれそうだ。
俺たちの馬車は公爵の家臣がトゥーズ湖畔から持ち運んできてくれた。
「失礼ながら恐る恐る向かったのですが、湖畔は静かでドラゴンの影も見受けられませんでした」
家臣からは公爵にそう報告があったと言うから、ビュラーティカも約束を守り、エルルム山脈へと立ち去ったようだ。
その馬車に乗り、俺たちは北の街道を進む。
アポレーの町を過ぎ、スファテペが近づいてきた。
「すまないが、この先のスファテペの町で少し時間をもらいたいんだ。町の墓地に父が眠っていてね。そこに参りたいんだよ」
俺が予期していたとおり、エディルナが皆にそう言ってきた。
「エディルナは王都の出身だったよね。お父上はどうしてこちらで眠られているのかな?」
アンヴェルは意外に思ったようで、彼女にそう尋ねた。
「わたしの父も冒険者だったんだ。父は貴族の護衛でこの町の側を通りかかった時に、野盗に襲撃されたらしいんだ」
彼女の言葉に、俺は真実を告げたい欲求に駆られたが我慢した。
「遺髪と形見のバスタードソードは母の手に戻ったのだけれど、父はこの町の墓地に葬られたんだ」
そう言う彼女の横顔は悲しそうに見えた。
「父が亡くなった時、わたしはまだ八歳でね。子どもの足では、この町まで来るのは無理だということだったから、父が眠っている町を訪れるのは初めてなんだ。だから、父の墓にお参りする時間をもらいたいんだよ」
アンヴェルは「それは辛かったろう。墓参りを心ゆくまでするといい」と同情に堪えないといった顔を見せた。
「僕も父を早くに亡くしたから、他人事とは思えない気がするよ」
彼の言葉は真情に溢れ、心に沁みるような気がした。
二人の会話を聞きながら、俺はここの領主のエルムンドル男爵だけは許せないと思っていた。
スファテペの町へ着いた時には、既に日が傾きかけていた。
「じゃあ、早速、墓地へ向かおうか」
アンヴェルは皆でエディルナの父親の墓参りをするつもりのようだ。
「いや。墓地の場所も分からないし、エディルナのお父さんが埋葬されている場所を探すのにも時間がかかるだろう。先に領主に挨拶を済ませておいた方がいいんじゃないか」
俺の言葉にアリアが怪訝な顔で、
「領主への挨拶などと、賢者アマンにしては珍しいことですね。この地でお亡くなりになった彼女のお父上の下へ伺う方が、より大切だと思いますが」
少し俺を非難するように、そう口にした。
「エディルナのお父さんの名前は何て言うんだ?」
俺が尋ねると、
「オレスティ・サローニットだ」
彼女は珍しく俺の質問に素直に答えた。
「これからその名前が刻まれた墓を探すんだ。墓地の規模にもよるだろうが、明るいうちに見つかるか分からないだろう」
俺の言葉に、またアリアが言い返す素振りを見せたが、
「いや。私の父のことで済まない。彼の言うとおり、墓参りは明日にしてもらって構わないから」
エディルナが申し訳なさそうに言ったので、アリアもこれ以上はと思ったのだろう。不満そうではあったが、俺たちは皆で領主館へと向かうことになった。
俺たちは領主館の応接で思った以上に待たされることになった。
どうせ男爵は会う気がないのだろうと思った俺は、「まだ時間が掛かるのか聞いてくる」と皆に言って、応接の前を通りかかった執事を追いかけた。
「今、応接にいるシュタウリンゲン卿は、王都から派遣された監察官のシミディナン卿とは、近衛騎士団の同僚で親しい間柄ですから、粗略に扱わない方がいいと思いますよ」
執事にそう言ってやると、彼は驚いたように俺の顔を見てあたふたと立ち去り、その後すぐに反応があった。
それでも監察官本人でもないのにと思ったのだろうか、俺たちに会ったエルムンドル男爵は機嫌が良くなさそうだった。
「聞けば魔王討伐に向かわれるとか。はて、この町は王都から魔王の統べる地への通り道でしたかな?」
などと、いきなり失礼な物言いだ。
「いえ。途中バール湖を訪ねる用向きがあったため、北へと迂回したまでです。それと、この町はここにいる仲間の父親が亡くなった地でもあり、その墓参りも兼ねて寄らせていただきました」
アンヴェルが丁寧にそう告げたのに続けて、
「彼女の、エディルナ・サローニットの父親の冒険者、オレスティ・サローニットがこの地で亡くなったのです。野盗の襲撃を受けて」
いきなり大きな声を出した俺に皆は驚いていたが、エルムンドル男爵も驚いたようだ。
彼の場合は仲間たちとは別の意味で思い当たることがあって、驚いたのだろうが。
その後はお互いに何となく気まずい雰囲気になってしまい、俺たちは早々に領主館を後にした。
アリアはまだ不満そうで、小声で「この訪問に意味があったのでしょうか」などと言っていた。
その後、俺たちは宿に入り、明日は朝から墓参りに向かおうということになり、早々に寝ることにした。
「宿に泊まれないことも多いから、ベッドでしっかり寝られる時には、きちんと睡眠をとった方がいいな」
なんて言った俺は、もちろん、大人しく寝ている気など微塵もない。
皆が寝静まったと思わしき頃、むくりとベッドから起き上がり、真っ黒なローブを着込み、同じく真っ黒なフードを頭から被ると、レビテーションの魔法で窓から外へと飛び出した。
目指すは、先程、訪れた領主館だ。
俺たちが泊まった宿とは、それ程、離れてはいないので、すぐに到着する。
「トーネード・マールニュ!」
館の上で、俺は小声で呪文を唱え、強力な竜巻を作り出した。
いや、それはとても人間が魔法で作り出した物とは思えないような巨大な空気の渦だった。
その渦は上昇気流となって、まさに天に至り、見る間に巨大な積乱雲を形成する。
そして、つい先程まで星が輝いていた空が俄かに真っ黒な雲に覆われ、すぐに激しい雨が降り出した。
「うわっ。何だ!」
「どうして雨が!」
夜の町のそこかしこから声が上がる。
スファテペの町のあるサマルニア地方自体、もともと雨の少ない地方だし、しかも今は乾期であるらしく、まず雨など降るはずがないようだった。
積乱雲からは稲光が見え、遠く雷鳴が聞こえだした。
そして……、
ガラガラガラ、ピシャーン! ドーン!!
領主館の屋根を雷が直撃し、その一部が破壊されたようだ。
本当は今、屋根を襲ったのは、俺が無詠唱で放った「ライトニング」の魔法なのだが。
そうそう都合よく、領主館に雷が落ちたりしないのだ。