第百五十五話 ドラゴンとの取引
ドラゴンのビュラーティカが提案してきたのは、近くにあるいくつかのダンジョンを教えてくれることだった。
(まだ人に知られていない、森や山の奥深くにあるダンジョンをいくつか知っています。その場にご案内しますから、魔物と闘う経験が必要だとおっしゃるのなら、そこを攻略されればいいではないですか)
彼はそう言って、俺に憐れみを乞うた。
「そんなことを言われてもな。俺たちはドラゴンスレイヤーになる必要もあるし」
俺が難色を示しても、彼は粘り強く説得してくる。
(私が負けを認め、二度とこの湖には近寄らないと誓えば、私を倒したことにはならないのですか? あなたのお仲間たちが、それでも私を許さないとおっしゃるのなら諦めます。ですから試すだけでも……)
彼の必死な様子に、俺は「じゃあ先に、そのダンジョンとやらを教えてくれ」と言ってみた。
(おおっ。ご検討いただけるのですね。もちろんです)
彼は急に明るい声になった。俺が教えてもらったダンジョンで経験値だけ先に取って、その後、彼を倒すとかは考えていないようだ。
(皆で潜るとなると、一からマッピングか……)
このドラゴンを倒せば一発だから、随分と面倒だなと思った俺は、
「今日は巣穴から出て、今夜、遅くなったら戻って来るんだ。約束を違えたら、分かっているよな」
追加で要求をしておいた。
ドラゴン・ロードは盟約違反には容赦しないのだ。
俺は急いで馬車へと戻ったのだが、エディルナに、
「ずいぶんと遅かったな。さすがにいくらなんでも、もう大丈夫だろうね」
呆れたように言われてしまう。
アグナユディテは、
「賢者様。大丈夫ですか?」
と心配してくれたが、リューリットには、
「滅多に馬車に酔わぬ賢者アマンが珍しいことだな」
何となく疑わしいといった目で見られている気がする。
彼女は単純にドラゴンとの戦いを先送りされて、イライラしているだけかも知れないが。
「よし。出発しよう!」
アンヴェルがそう言って馬車を出し、俺たちは湖の北の森を目指して進んで行った。
巣穴の場所はアグナユディテがすぐに見つけてくれた。
「何本か目印になる木がありましたから。とても豊かな森で目星がつけやすかったです」
なんて、簡単そうに言っていたが、俺には木なんて皆、同じにしか見えない。さっきのビュラーティカとの会話も聞こえていたんじゃないかと心配になってしまう。
もしかしたら彼女が「大丈夫ですか」と聞いたのって、ひとり言をずっと言っている危ない人と思ったからなのかも知れない。わざわざ確認はしなかったが。
かつては街道であったであろう石畳の脇に馬車を置いて、彼女が指し示す方向へ森の中を歩いて行くと、水の落ちる音が聞こえ、滝が見えてきた。
そして彼女は滝の側にある洞窟を、いとも簡単に見つけてしまう。
「あんなところに大きな洞穴があります。あれがドラゴンの巣穴ではないかと思います」
ゲームのように滝を「調べる」までもない。今回のパーティーは何だかとても優秀な気がする。
これはただ、俺のシナリオの進行に対するスタンスの違いが、大きく影響しているだけなのかも知れないが。
洞窟の中はやはり鍾乳洞になっていた。自然の美しい造形が次々に目に入ってくる。
だが、それよりもやはり、ここがドラゴンの巣穴であるという事実が、皆の心に重くのし掛かっているようだ。
魔法の光が煌々と周りを照らす中、俺たちは洞窟の探索を続けた。
「賢者様。この先に少し広い空間があるようです。怪しいのでライトを弱めてくださいますか」
アグナユディテが俺にお願いしてくるが、俺にはそういうのが一番きついのだ。
「おい! 大賢者! どうしてここでライトを消すんだ!」
やっぱり光は消えてしまい、エディルナにそう毒づかれてしまう。
さっきのでもう最低出力だったから、そこから明るさを絞ると、こうなってしまうのだ。
仕方なく今度は継続時間をできるだけ延ばし、明るさを絞ってライトを灯す。
魔力不足を気にしなければならないよりは、ずっとマシかも知れないが。面倒なことだ。
アグナユディテはまだ何か言いたそうな素振りだったから、もっと暗くしてほしかったのかもしれない。
でも、エディルナの大声の方がよっぽど危険だったからな。そもそも約束では、今は奴は巣穴にいないはずだし。
結局、彼女もそのまま何も言わず、俺たちはその先の広場に足を踏み入れた。
「今はお留守みたいだけれど、ここで間違いなさそうだね」
エディルナによれば、まだ新しくついたばかりの傷や擦ったような跡が、そこいらの壁や床に幾つも見られるらしい。
アグナユディテも頷いていたし、俺が「はい。正解です」と言うのも変だから黙っていると、
「巣穴に侵入されたのに戻って来ないなんて、間抜けなドラゴンだな」
エディルナが勝ち誇ったように言う。
「いや。今回の我々の目的を考えれば、巣穴を捨てて逃げ出された方が面倒だ。まさかドラゴンがそれに気づいたとは思えないがな」
リューリットはあくまでドラゴンとの戦い優先のようで、苦々しげに辺りを見回し、
「ここが奴の巣穴に間違いないのであれば、それ程、間をおかず戻って来るのだろう。しばらくここで待つしかあるまいな」
その言葉に皆が頷いて、俺たちはここで待機することにした。
「ドラゴンはまだ帰ってこなさそうだから、皆、仮眠を取ってはどうだ」
俺の提案にアンヴェルは、
「確かに賢者アマンの言うとおりだな」
と賛成してくれた。
「じゃあ、魔法使いたちからお先にってことでどうだ」
エディルナがそう言うが、俺はそろそろビュラーティカが来てしまうのではないかと心配になってきていた。
『今夜、遅くなったら』とは言っておいたが、細かい時間を打ち合わせておいた訳ではない。彼と話をしようにも、一人でここを離れるのは不自然だろう。
「いや。実は俺はまだ眠くないんだ。すぐに起こすから、先に休んでもらえると有り難いんだが」
さっさと皆、寝てくれないかなと思って、俺はそう言ったのだが、
「珍しい事もあるもんだね。いつもはさっさと寝てしまう賢者様が譲ってくれるなんて」
エディルナはそう言うし、リューリットも、
「私も目が冴えて、すぐには眠れそうもない。悪いが休むのはドラゴンを倒してからにしてもらおう」
そんなことを言い出したので、俺は焦ってしまい、
「いや。無理にでも睡眠をとって戦いに備えた方がいいな。スリープ・マーヴェ!」
もう、魔法で皆を眠らせてしまうことにした。
まだまだ低レベルのパーティーメンバーが俺の魔法に抗うことなどできるはずもなく、皆、そのまま眠りに落ちていった。
「ビュラーティカ。もういいぞ」
俺が彼と話したいと念じながら、そう口にすると、すぐに彼から返事があった。
(はい。すぐに参ります!)
どこに隠れていたのか、どうやら全速力でやって来たようで、何だか息を切らせているように見える。
「あら。お仲間の皆さんは、お休みですか?」
ビュラーティカは驚いたようで、俺に問い掛けてきた。
「起きていたら、お前はただでは済まないぞ。特にそこの剣士は、お前を倒す気満々だからな。ここで起こそうか?」
俺がそう言うと、彼は首を竦めて、
「彼女を傷つけたりしたら、あなたは私をお許しにならないでしょう? それでは困ります」
俺を本当に恐れていることを、その態度で示した。
「さあ。じゃあ皆が眠っている間にさっさと済ますぞ。その人に知られていないダンジョンとやらはどこにあるんだ?」
俺はまずレビテーションの魔法で、俺を含めたパーティーメンバーをビュラーティカの背中へ押し上げた。そしてそのまま俺たちを、その場所へ連れて行くように促す。
「はい。すぐにご案内いたします」
ビュラーティカは俺たちを背中に乗せたまま素直に飛び上がり、エルルム山脈の方角へと向かった。
俺はパーヴィーの背中に乗って、かなり慣れたつもりでいたが、ビュラーティカのそれは狭く、安定感がまったく違う。
彼が羽ばたく度に大きく上下するような感じを受けるし、転げ落ちないように、しがみついていないと危ない気がしてしまう。
眠っている皆が落ちたりしていないから、彼はかなり気を遣ってくれているようだ。それに彼は一人でも背中から落としたりしたら、即、破滅だとも思っているだろうから、俺の心配はただ単に、俺が高いところが好きではないことによるのだろう。
「最初はこちらです」
そう言って彼が案内してくれたのは、森の中にある大きな洞窟だった。
どうやら自然にできたもののようで、これももしかしたら鍾乳洞なのかもしれない。
「ここに魔物が棲みついているんだな?」
やっと背中から下り、ひと息ついた俺が確認すると、彼は、
「そうです。中はかなり広く、かなりの数の魔物が棲みついています」
淡々と説明してくれた。
俺は杖を構えると、
「ドゥカテーヴィ パファーゴ ファオヌーラ エネドゥーディ キネーセ エフェガーラ ヴェガ」
おもむろに呪文を唱えだす。ビュラーティカは大人しくその様子を眺めていた。
久しぶりに真面目に唱えた呪文とともに、俺の足下に現れた魔法陣から発した青白い光が俺を包む。
「ライトニング・マールニュ!」
そして、掲げた杖の先から恐ろしいばかりの光が迸り、それは目の前の洞窟を貫く巨大な光の柱と化した。
「ふうっ」
息を吐いた俺を見て、固まっていたビュラーティカも同じように息を吐いた。
「さすがは我ら眷属を統べる方。恐ろしいばかりのお力です」
畏怖を込めて俺にそう言ったが、人間だったら顔色が優れなかっただろう。そんな様子に見えた。
残念ながら俺はこの程度でレベルアップなどしないし、どのくらい経験値が入ったか分からないので、彼の「かなりの数の魔物」という言葉を信じるしかない。
「じゃあ、次の場所へ案内してもらおうか」
今夜中に、それもできればなるべく早いうちに片付けてしまいたい俺は、そう彼を急かした。
そうして次に案内された、誰が造ったのか分からない古代遺跡のような迷宮を、「ダークネス・ヴォイド」の魔法で作ったクレーターの底に沈め、三つ目の深い谷の途中の断崖に口を開けた洞窟は、「ファイア・ストーム」の魔法による炎の嵐を叩き込んで焼き尽くした。
ビュラーティカに聞くと、彼が知っている魔物の棲み処のうちで大きなものは、この三つだということだったので、残りは見逃してやることにした。
あまり欲張って朝になってしまっても何だし、今日はこの辺で勘弁しておいてやるっていうやつだ。
ビュラーティカと共に巣穴に戻ると、俺は対抗呪文を唱え、皆を魔法の眠りから解放した。
「こいつは、もうここから立ち去るから見逃してほしいと言っているんだが、どうする?」
ドラゴンを背に、目を覚ましたパーティーメンバーに向かって立つ俺の姿に、皆は驚いていた。
「賢者様にはドラゴンの言葉が分かるのかい?」
エディルナが俺に聞いてきたので、俺は、
「ああ。俺は大賢者だからな。ドラゴンの言葉を解することくらい朝飯前だ」
胸を張って答えたが、本当は俺の依代がエンシェント・ドラゴンだからなんだけどね。
「それは凄いな」
エディルナは半笑いを浮かべながら、そう言ってくれたが、あまり尊敬の念を抱いてはいないように見えるのは俺の気のせいだろうか。
「それは本当のことなのか?」
リューリットが目を細め、確認してきたので、俺は敢えて大きな声で、
「おい、ドラゴン。お前はここから立ち去って、二度とこの地を訪れないと約束するんだよな」
そう言うと、ビュラーティカはうんうんと頷いた。
エディルナは口を開けて驚いていたから、信じていなかったのかも知れない。ドラゴンを背に立っていたのに何だと思っていたのだろう。
「戦う気のないドラゴンを敢えて倒そうとは思わない。本当に僕たちの要求に従ってくれるのなら、何か証拠を示してほしい」
アンヴェルが言ったので、俺はビュラーティカに、
「じゃあ、俺たちをバール湖まで運んでくれるか?」
そう言って、頷いた彼の背中に、まずは俺から跳び乗った。
続けてアンヴェルが、そして他の皆も、それぞれ緊張した面持ちで彼の背中に乗り込んだ。
「じゃあ、出発してくれ」
俺の指示に素直に従い彼は大きく羽ばたくと、巣穴から出て空へと舞い上がった。
「これは凄い! こんな経験は初めてだ」
エディルナが感動の声を上げるが、寝てる間に既に経験していたんだけれどね。
そうしてバール湖畔のフォータリフェン公爵の別邸へひと飛びで到着すると、辺りはちょっとした騒ぎになった。
「トゥーズ湖のドラゴンは、あの湖を立ち去ると約束しました。湖は解放されたのです」
姿を現した公爵にアンヴェルがそう告げると、さすがに驚いた様子だった。
俺たちを下ろしたドラゴンは約束どおり、エルルム山脈の彼方へと姿を消した。
その後、とりあえず通された屋敷の客間で振る舞われたお茶を飲んでいると、エディルナが、
「なあ。今朝、目を覚ました時、あの力が沸き上がってくるような感覚を覚えたんだ。魔物と戦った後、何度か経験したことがある感じに似ていた気がするんだが、どうにも腑に落ちないんだ。昨晩は何かあったのかな」
そう言い出した。
アンヴェルも「確かにそうだな」とそれに答えるし、リューリットも「眠っている間に何かあったのだろうか」と言い出したので、俺はギクッとしてしまう。
そこに不審な様子を見て取ったのか、アリアが、
「賢者様はどうお考えですか?」
と問い掛けてきた。
「いや。俺にも分からないが、神のご加護でもあるのかな」
不意を突かれ、俺は苦し紛れについ、そんな答えを返してしまった。
「神のご加護?」
そう言って俺と目を合わせるアリアの水色の瞳が、俺の心の底を覗き込むように感じた。
俺はゴクリと生唾を飲み、(この答えはまずかったか)と思ったが、彼女は俺から視線を外すと、
「神のご加護ですか。そういったこともあるのかもしれませんね。それに思いが至らないなんて、私はまだ信仰が足りないのですね」
そんなことを言い出した。いや、アリアの信仰が足りなかったら、足りてる人なんていないと思うのだが。
どうやら彼女は以前よりさらに慎み深い性格のようだった。