第百五十四話 逃げ出したドラゴン
夕食の席で、俺はフォータリフェン公爵に向かって大人気ない嫌がらせのような発言をしてしまったが、シナリオはきちんと進める必要がある。
俺たちは翌朝、ドラゴンが住むトゥーズ湖へと西へ向かって馬車を走らせた。
「ドラゴンスレイヤーはすべての冒険者の憧れだけど、難しいからこその憧れなんだ。気を引き締めてかからないとね」
エディルナが真面目な顔で、自分にも言い聞かせているのだろう、口に出して言っていた。
たが、トゥーズ湖のドラゴンは攻略推奨レベルも二十程度とあまり高くはない。そのくせ得られる経験値が多い美味しいモンスターだ。
まあ、俺が自分の力がバレないようにあまり魔法を使わないから、苦戦する可能性はある。魔法使いのいないパーティーって大変なんだなって、見ていて改めて思うのだ。
でも俺の力が知られてしまったら、「あなたの力で魔王を滅ぼしてください」ってなってしまうだろうし、エンディングも何もあったものではなくなってしまう。
特にアンヴェルには『英雄騎士』として頑張ってもらう必要があるのだ。
馬車の進む先に見えてきたトゥーズ湖は、相変わらず透明度の非常に高い、青い水を湛えた美しい湖だ。
ここがドラゴンから解放されれば、さぞかし湖畔の土地は保養地として高く売れるだろうと思うと、公爵の別邸でもっとごねても良かったかなと思ってしまう。
経営シミュレーションゲームをしている訳ではないので、金儲けばかりしていても意味がないのだが。
今回も俺たちの今のレベルなら何とか攻略できるかなと思うと同時に、湖の周りのランダムエンカウントでドラゴンに遭遇すると厄介だなと思っていた。
トルネード系の呪文を使えば一撃で粉砕することは可能だが、さすがに俺の力に気づかれてしまう。
かといってドラゴンの空中からの攻撃には、アンヴェルやリューリット、エディルナの直接攻撃はまず届かないし、アグナユディテの弓矢の攻撃だけで撃退できるかも微妙なところだ。
そしてドラゴンがブレスを吐いて俺たちがそれに巻き込まれた時、魔法使いで防御力の低いはずの俺がケロッとしていたらまずいだろう。
「ああっ。やられたー」とか演技した方がいいのだろうか?
やはり前回同様、さっさと湖の北にあるドラゴンの巣穴を目指すべきかとは思った。
だが、俺はグリューネヴァルトで俺が誘導しなくても、エディルナやリューリットが情報や知恵を出し、アンヴェルが決断する見事な様子を目の当たりにしてしまっていた。
だからここでも、そこまでわざとらしくヒントを出さなくてもいいかななどと躊躇してしまったのだ。
ゲームのシナリオを進める程度には、俺もパーティーに貢献しないとまずいのだなと思ったのは、ついこの間のことなのに、ちっともその反省が生かされていないのが俺らしいとは言えるのだが。
まずいことに、そうして俺がぼやぼやしている間にドラゴンが俺たちを見つけたらしく、
「何かが風を切る音がします。ドラゴンが近づいて来ているのかも知れません」
アグナユディテが俺たちにそう告げた。
パーティーの皆に緊張が走る。
アリアは魔法で皆に加護を与える準備を始め、エディルナは盾を構えて皆の前に立ちはだかる。アグナユディテも矢を弓につがえ、音のする方向に目を凝らしているようだ。
俺もさすがに俺を除いたパーティー全滅は避けたいなと思ったが、さてではどんな魔法がいいかと、ちょっと考えあぐねてしまう。
そうしているうちに北の方角に遠く黒い点のようなものが見え、それは急速に大きさを増し、明らかにドラゴンであることがその姿から見て取れるようになった。
「なんて大きさだ!」
アンヴェルが驚きの声を上げるが、俺は、
(えっ。小さくないか?)
危うく声を上げそうになった。
最近はドラゴンと言えば、エンシェント・ドラゴンばかりと会ったり、会話したり、戦ったりしていたので、どうも感覚が麻痺していたようだ。
そう言えばここのドラゴンはこんな大きさだったなと思い出したが、やはりサイズの違いには戸惑いを覚えるほどだ。
(いや。これはますます俺が魔法なんか使ったら一瞬で吹き飛ぶな)
俺はそう思って、どうしたものかと考え、チラリとドラゴンに目を遣った。
その時、ドラゴンの視線と俺の視線が交錯したような気がした。
いや、間違いなく奴は俺のことを見ていたと思う。
そしてドラゴンは急旋回をすると、北へ向かって消えていったのだ。
「気づかれずに済んだみたいだな」
エディルナが明らかにホッとした様子で言うと、
「ああ。だが奴を探し出すのは大変そうだな。ここで戦った方がよかったのかも知れぬ」
リューリットが忌々しそうに空を睨み、そんなことを言った。
(リューリット。それは無謀だと思うぞ。逸る気持ちが判断を誤らせているのかな?)
俺はそう思わざるを得ない気がした。普段は冷静な彼女だが、強い者と戦いたい気持ちが強すぎて、こんな時には判断を誤りがちなようだ。
いつもの彼女なら、ドラゴンが俺と視線を合わせなかったかと、厳しい突っ込みを入れてくるくらいだと思うのだが。
「ドラゴンはどうやら湖の北の森に降りて行ったように見えました。そこに彼の棲み処があるのかも知れません」
アグナユディテはしっかりと奴の行く先を見ていたようで、貴重な情報を提供してくれた。
(これはスニユ山のジャイアント・ゴートと同じだな。とても敵わないと理解して、逃げ出したってやつだ)
恐らくドラゴンには俺の強さが分かったのだろう。先ほどの慌てようは、どう見てもそんな感じだ。
俺がそんなことを考えている間に、アグナユディテの情報をもとにアンヴェルが湖の北を探索することを決め、馬車がまた走りだした。
そしてしばらく進んだところで俺の耳に突然、聞いたことのない声が聞こえてきた。
(私はビュラーティカ。この地に棲まうドラゴンです。もしあなたが私と同じドラゴンなら、話を聴いていただけませんか)
俺は思わず周りを見回してしまい、リューリットに「どうかされたか?」と聞かれてしまった。
久しぶりの感覚だが、これは間違いなくドラゴン同士の会話だろう。
アンヴェルに頼んで馬車を停めてもらうと、
「悪いがちょっと酔ったようだ。うっ……」
手で口を押さえて森の中に駆け込んだ。
後ろからエディルナの「きちんと治るまで帰って来るんじゃないよ!」という声が聞こえた。
その間もその声は、
(聞こえていませんか? 私はビュラーティカ)
などと俺に呼び掛け続けていた。
俺はここまで来ればアグナユディテにも聞かれることはないだろう場所まで駆け、あのドラゴンと話したいと強く念じて声を出した。
「俺はアスマット・アマン。ビュラーティカ。聞こえるか? お前はこのトゥーズ湖の北の滝の側の巣穴に棲むドラゴンなのか?」
その声にすぐに反応して、
(はい。私は人間たちがトゥーズ湖と呼ぶ湖を縄張りにするドラゴン、ビュラーティカです。先ほどはあなたのお姿を拝し、あまりの強さに驚き、思わず逃げ出してしまいました。
ですが、あのような強さをお持ちなのは、我ら眷属を束ねる尊貴なお方に違いないと思い、お声を掛けさせていただきました。お会いできて光栄です)
どうやら俺はドラゴン・ロードに間違われたようだ。まあ、当たらずと言えども遠からずといったところだから別に構わないが。
「残念だが今の俺はドラゴンを退治しに来た冒険者一行の魔法使いに過ぎない。悪いが仲間とこれから、お前の巣穴に向かうから、尋常に勝負してくれ」
そんな俺の言葉に、
(そんな! これまで蓄えた宝もすべて差し出しますから見逃してください)
ドラゴンは必死に懇願してきた。彼にとっては死刑宣告に等しいのだから当然だろう。
「悪いが俺に必要なのは宝物ではなく、仲間の経験値なんだ。あと、ドラゴンを倒したという名声だな」
ここのドラゴンは経験値は美味しいが、倒して得られるアイテムはないし、お金だって金貨が数枚だけと宝と言う程もないものなのだ。
(そんなことのために私は命を奪われるのですか! お願いです。あなたもドラゴンなのでしょう。何とかしてください。そうだ! 経験値なら私にいい考えが)
そう言って、彼はやっぱり碌でもない提案をしてきた。
本当に「いい考え」ってやつは。