第百五十三話 英雄の剣
エルクサンブルクを出発した俺たちの馬車は、街道を北に、バール湖を目指して進んで行く。
俺は王国一の景勝地として名高いバール湖の景観を、また拝めることが少しだが楽しみだった。
しかも向かう先は湖畔の一等地にあるフォータリフェン公爵の別邸だ。
あの別邸は景色もさることながら出される料理も素晴らしいし、できればゆっくりと滞在したいくらいなのだ。
俺は王国有数の大貴族のはずなのに、なぜかあまり貴族らしい豪奢な生活をしていないんだよな。
馬車が峠を越え、そろそろ湖が見えてくるかなと俺が馬車から顔を出してみると、街道の向こうから以前と同じように馬に乗った公爵の家臣が近づいてきた。
たしかエルドゥブランとか言ったはずだ。
「そこにいらっしゃるのは、王命を受けられたシュタウリンゲン卿のご一行ではありませんか?」
公爵の家臣はそう問いかけてきた。
「いかにも。私は近衛騎士のシュタウリンゲンだが。貴殿は?」
アンヴェルも逆に彼に問いかける。
すると、彼は馬から降りてアンヴェルに向かって恭しく礼をした。
「シュタウリンゲン卿。お目に掛かれて光栄でございます。私はフォータリフェン公爵の家臣のエルドゥブランと申します」
そう言って、また軽く礼をする。
彼は俺たちを丁寧に扱ってくれて好感が持てたから、俺は珍しく男である彼の名前を覚えていたのだ。
「わが主は重要な王命を受けられたシュタウリンゲン卿に、湖畔の当家の別邸へお越しいただき、少しでも旅の疲れを癒していただければと申しております。よろしければ私がご案内いたします」
彼の口上も以前と同じだ。
今回、俺たちがここへ向かって来たのは、そもそもフォータリフェン公爵に会って『英雄の剣』を貸してくれるようにお願いするためだから断る理由は何もない。
「それは驚きです。私はあなたのご主君にお会いして、お願いしたいことがあって、この地を訪れたのです。お取り次ぎいただけるのなら、こんなに有り難いことはない」
アンヴェルもそう言って、俺たちはエルドゥブランに同行し、バール湖畔の公爵の別邸へ向かうことになった。
到着した湖畔の別邸は、相変わらず素晴らしいものだった。
場所も湖面にエルルム山脈の山並みが映える一等地だし、敷地も広大で、他の建物が気にならない。
建物の内も外も変に華美なところはなく落ち着いていて、持ち主の趣味の良さを感じさせるものだ。
案内された部屋で待つ俺たちの所へ、それほど間を置かず、フォータリフェン公爵が姿を現した。
「ようこそわが家へ。歓迎いたします」
そう言いながら俺たち一人一人と握手を交わす。
その度に、彼の印象的なストロベリーブロンドの髪が揺れるのだった。
「お招きいただき、ありがとうございます。こちらから伺わなければと思っておりましたので、本当に恐縮いたしました」
アンヴェルの挨拶に公爵は笑顔を見せて、
「何やら私にご用がおありとか、私にできることであれば何なりとおっしゃってください」
そう言ってくれた。
来客用の部屋なのだろう、広い部屋の中央にある大きなテーブルをパーティーの皆で囲み、メイドの出してくれたお茶を飲みながら、俺たちは公爵と話すことになった。
「魔王の討伐とは大変なお役目ですね。それで『英雄の剣』ですか。確かに王家から我が家に下賜され、今はこの屋敷にあることは事実です」
そう言って、彼は難しい顔をした。
「あなたが王宮に『英雄の剣』のことを問い合わせた時、王宮からは私宛てに、何らかの命令や指示、まあ取りなしの言葉でも良いですが、そんなものはありませんでしたか?」
公爵の言葉にアンヴェルが不審な顔をして「ありません」と答えると、公爵は、
「そうですか。あの剣は王家から授かったものですから、そうおいそれとお渡しする訳にはいきません。まあ、あなたは王命を授かっていらっしゃいますから微妙なところなのですが」
そう言ってティーカップを持ち上げ、お茶に口をつけた。
「ですから誰もが納得するような顕著な功績をあげていただきたいのです。私は王宮で長く過ごしましたから、そこにいる人たちの考えそうなことは、よく分かります。まあ、善意を期待しては暮らせない所ですからね。あの場所は」
彼の言葉に俺は思わず頷いてしまった。最近でこそ、そうでもなくなってきたが、俺も王宮では碌な目に遭っていないからな。
「顕著な功績と言いますと……」
アンヴェルが確認すると、公爵は自分の顎に指を置いて、少し考える様子を見せ、
「そうですね。万が一、王宮が何か言おうとしても、王都の民衆の、あなたこそが『英雄の剣』を持つに相応しいという声を無視できなくなるような派手なものがいいでしょう。例えばドラゴン退治なんてどうです?」
そう問い掛けてきた。
「トゥーズ湖ですか」
俺の言葉に彼は驚いたように、
「よくご存じですね」
と答えながら、俺の顔を覗くように見てきた。
まさか俺の正体に気づくことはないとは思うが、前は俺でさえ、してやられた彼の手腕に正直、薄ら寒いものを感じる。
「ドラゴン退治ですか」
アンヴェルもさすがに驚いたようだ。
だが、『英雄の剣』を公爵から譲ってもらうには、ほかに選択肢はなさそうだ。
結局、皆の意見もトゥーズ湖のドラゴンに挑んでみることでまとまって、その晩は公爵の別邸に泊めてもらうことになった。
夕食の席を俺たちと共にしながら公爵は嬉しそうに俺たちの話を聞き、また、楽しそうに自分のことも話してくれた。
料理もまた、その味だけでなく見た目も素晴らしく、リューリットやアリアだけでなく、アグナユディテでさえ気に入ったようだった。
夕陽に輝くエルルム山脈が夜の闇へと溶け込み、美しい星空にシルエットを見せた頃、俺たちの晩餐も終わりを迎え、食後のお茶を楽しみながら話題は『英雄の剣』へと移っていた。
「実を言うと、あの剣は非常に重くて、とても使い物にならないような代物なのです」
公爵がそう言って気まずそうな顔を見せる。
「おそらく王家も始末に困り、私に預けたというのが本当のところでしょう。しかし伝承が正しければ、バルトリヒはあの剣を使って魔王と戦ったはずです」
彼の言葉にアンヴェルたちは顔を見合わせる。
「彼以外には、その剣を使える者はいない。ただし彼の後継者を別にしてということではないでしょうか?」
俺が恐る恐る少しだけ知識を披露すると、公爵は、
「私もそうではないかと思っています。考えづらいことではありますが、そうとでも考えるしかないのかと。まあ、私は古今の名剣、名刀の蒐集を愉しみとしていますから、それでも一向に構わないのですが、それが理解できない者には何の意味もありません。困ったことに私の跡継ぎもその類ですし」
珍しく面白くなさそうな顔を見せる。
「ご子息はお元気ですか?」
俺はハルトカール公子のことが懐かしく思えて、そう聞いてしまったが、彼は怪訝な顔を見せ、
「王都で暮らす上の息子のことでしょうか。ハルトカールをご存じなのですか?」
そう聞かれてしまった。
(しまった。まずは『失礼ですがお子さまは』とか聞くべきだったか)と思ったが、口に出したことはもう取り消せない。
「いえ。フォータリフェン公爵のご子息なら、さぞかし優秀な方なのだろうなと思いまして」
何とか誤魔化そうとしたのだが、彼が、
「いえ。息子はあまり頭が良くないので将来が心配なのです」
そんなことを言い出したのを聞いて、思わず、
「そんなことはありません。人を説得させたら右に出る者はいませんし、頭も切れるし弁も立つ、素晴らしい方ではないですか」
そう彼を擁護してしまった。
彼がよく寂しそうに、「私は父に、お前は頭が悪いからと言われているんです」と言っていたのを思い出して、以前から持っていた気持ちが思わず出てしまったのだ。
「どこかでハルトカールと会われたのですか?」
こことは別の世界ですが、お会いしていますなんて言う訳にもいかず、俺は、
「いえ。優秀な方なのだろうなと思いまして思わず。失礼しました」
そう言って謝るしかなかった。
皆も呆れているようだったが、俺は普段から少し「変な奴」扱いされているから、そこにまたひとつエピソードが加わっただけだ。
「ドラゴン退治を終えられたら、他の皆さんにも、この屋敷にある私のコレクションの中から良さそうなものを差し上げましょう。とは言え、精々がリューリットさんとエディルナさんだけでしょうが」
公爵はそんな風に俺たちへの更なる支援を申し出てくれる。
「なんと。『英雄の剣』だけでも申し訳ないと思っておりますのに、お心遣い、痛み入ります」
アンヴェルは驚いたようで、お礼の言葉を述べる。
たが、どうせトゥーズ湖畔の開発案件で大儲けするのだろうと思うと、俺にはそれ程感謝の気持ちが湧いてこない。
「ところでナヴァスター公爵とは親しくされていらっしゃるのですか?」
俺は逆にナヴァスター公爵が女王様の即位を阻止しようとした事件の黒幕の疑いが濃かったことを思い出し、牽制球を投げてしまう。
「王国でもそれ程の数がある訳ではない公爵同士ですから、もちろん、存じ上げてはおりますが。公爵がどうかされたのですか?」
フォータリフェン公爵は突然、なぜそんなことをといった不審そうな顔で俺を見た。
「いえ。それならいいのです」
俺はそう返すしかなく、そういえばまだ女王様の父王陛下もご健在で、彼女の王位継承など、まだ先だと思われていたのだったなと思い返した。
(まあ。でもできればあんな事件は起きない方がいいからな)
ここで俺が彼との関係について聞くことで、少しでも暴挙を防ぐ力が働けばいいと俺は思った。それがエンディングに影響すると困るのだが。
そう言えばドゥプルナムの城塞は完全に破壊されてしまったが、ナヴァスター公爵はこの先、事件を起こした時にどこに逃げ込むのだろう。
俺はイベリアノに聞いてみたい気がした。