第百五十話 サーカス見物
『はじまりの迷宮』を攻略し王都へ戻った俺たちは、その後の王宮での魔族対策の検討状況について、アンヴェルが王宮で、アリアが教会で、そして俺も魔術師ギルドを訪れて、それぞれ情報収集を試みた。
アンヴェルが王女様の捜索に成功し、また、魔術師ギルドが対魔族の結界の効果を喧伝したこともあって、王都にはあまり切迫感がないようだ。
「残念だが、魔王の封印が解けたことに至っては、情報源は賢者アマンだけとあって、王宮では疑念を持つ者の方が多数派といったところだな。
魔王討伐の王命など下して、後で間違いでしたとなっては王の権威に傷がつくと、様子見を勧める者ばかりのようだ」
アンヴェルは珍しく焦りの色を見せ、王宮の高官たちを非難するような言葉を口にした。
「魔術師ギルドも、先日のギルドマスターの見解を変えてはいませんね。情報をさらに集めないことには判断しかねるというスタンスです。俺の面会の要請も体よく断られましたから」
今回、ギルドは俺の面会の要請を放置して、王女様の誘拐を招いたというような失態を犯した訳ではない。
それに大賢者とはいえ、ギルドに所属していなかったトゥルタークとその弟子である俺が、対魔族の結界を王都へもたらしたことには複雑な思いもあるのかもしれない。
その上、何の準備もしていなかった魔王の復活についてのご下問が、国王陛下からなされることになってしまったのだから、面白かろうはずはないだろう。ペラトルカさんは無難に対処していたと思うが。
「教会には、すでに各地の教会や信徒から、魔物や、一部では魔族と思われる目撃情報が次々ともたらされています。そこで大聖堂ではとりあえず、街道を行く旅人や耕地でひとりになる農民たちに、礼拝の機会などを利用して注意を促すよう申し送りがなされています」
アリアの報告に、アンヴェルは少しだけ心を落ち着けることができたようだったが、
「本当は被害が広がる前に何とかしたいのだが……」
悔しそうな表情で、俺たちに向かって言ったのだった。
「あまり焦っても仕方がないね。こんな時は心に余裕を持って、次に備える方が建設的だよ」
エディルナが言うことにも一理あるとは思ったが、彼女は続けて、
「郊外にサーカスが来ているそうだ。結構、評判になっているみたいだし、行ってみないか?」
そう言って、俺たちをサーカス見物に誘ってきた。
俺は結局自分がサーカスを見に行きたかっただけなんじゃないかと思ったが、
「そうだな。エディルナの言うとおりかも知れないな。たまには息抜きもしないと、いい考えも浮かばないかも知れないし。行ってみるか」
アンヴェルは本当に素直に、彼女の誘いに乗ることにしたようだ。
するとアグナユディテが俺たちに向かって、
「申し訳ありませんが私はここに残ります。あまり多くの方が集まる場所は苦手ですし、おそらくサーカスのような催しは人間以外は入場できないのではないかと思います。そんなことを森で聞いたことがありますから」
アンヴェルも、そして特にエディルナが残念がっていたが、アグナユディテの言うことは本当だ。
今、王都に来ているサーカスは亜人お断りだし、それにはきちんと理由があるのだが、ここで皆にその理由を明らかにするわけにはいかない。
「無理に見に行く必要なんてないし、たくさん人が集まれば中にはよく理解できない考えを持っている奴だっているかもしれないから、その方がいいかもしれないな」
俺はサーカスに行く危険性をやんわりと指摘して、彼女が屋敷に残ることに賛成した。
ここは前の世界ほど、亜人に対する嫌悪を感じさせないが、それでもまったく差別が無いかと言えば、そんなことはないだろう。
アグナユディテを屋敷に残し、俺たちが王都の城門を出ると、すぐに大きなテントが見えてきた。
サーカスは以前、俺が見た時のように大盛況で、テントの前はさながらお祭りのような有様だった。入り口にはすでにかなりの人が並んでいた。
俺は貴賓席に案内されるのかと思っていたが、アンヴェルは、
「いや。特別扱いなどしてもらわなくても結構だ。順番を待っているから普通に案内してくれないか」
近寄って来た係員の申し出をきっぱりと断って、列に並び続けた。
だが、しばらくすると団長と名乗る恰幅の良い男性が現れ、
「王女様を襲った魔族を退治したと、今、王都で大評判のシュタウリンゲン様が、一般の方とご一緒されては混乱を招きますので」
汗をかきながら言ったので、仕方がないといった様子でその誘いを受け、テントの中へ案内してもらった。
案内された席は貴賓席でこそなかったが、舞台正面の良い席だった。
俺たちは舞台上で展開された出し物を楽しんだ。とは言え、曲芸や演舞、ジャグリングなど、俺はすでに二回も見ているから、いい加減に見飽きてきている。
エディルナなどは本当に嬉しそうで、大げさに驚きの声を上げたり、拍手喝采したりして、かなり楽しんでいる様子だった。
そしてまた、ひときわ大きな観客の歓声を浴びていたのはエリスだった。
銀髪ツインテールの美少女は、連続宙返りを披露した次の瞬間にはシーソーを使って飛びあがり、大人の肩に着地して、すぐにひらりと床に舞い降りるなど、くるくると動き回る。
そして着地を決めては愛くるしい笑顔を振りまき、やんやの喝采を浴びるのだった。
俺にとっては、もうずっとあれはトゥルタークの姿だから、どうしても魔王に見えなかった。今も「トゥルターク。頑張れ!」とか思えてしまう。
だが、彼女は正真正銘の魔王バセリスなのだ。
(今は泳がせておいてやる)
サーカスの舞台で紅蓮の炎が上がり、暗黒の魔法が軽業師の少女に炸裂することだってできない訳ではないのだが、そんなことをしたら、そこでゲームは終わってしまう。
奴が良からぬことを考えても、俺が魔法防御を展開すれば、すべての攻撃を無効にすることなど造作もないだろう。
俺は自分の席にゆったりと座りながら、そんなことを考えていた。
サーカス見物も終わり、俺たちはアンヴェルの屋敷で思い思いに時間を過ごしていた。
「いやー。エリスちゃん。本当に可愛かったな。もう、人間とは思えないくらい整った顔をしているし、最後も私たちを見送ってくれて感激だよ」
エディルナはやはりエリスの魅力の虜になっていた。「人間とは思えない」ってところだけは正解なのだが、ここでも以前と同様なようだ。
ただ、アンヴェルへの信頼は、悔しいが以前の俺など比較にならない気がするから、まさか裏切ったりはしないだろう。
だが、そんな日々も数日で終わりを告げた。
俺たちは王宮へ呼び出されたアンヴェルとともに、再び国王陛下の謁見を賜ることになったからだ。
あの王都を震撼させる大事件、ドゥプルナムの城塞の魔族の襲撃による陥落が起こったからだ。
後に聞いたところによれば、まずは夜の闇に紛れて空から侵入した魔族と戦いが始まり、そのうちにどこから侵入したのか、城門が破られていないのに、いつの間にか多くの魔族が入り込み、城兵を打ち倒し、城塞の中はパニックに陥ったらしい。
(瞬間移動を使ったな。ベルティラも参加したということか)
俺には分かったが、すぐに司令官である将軍は行方不明になり、城兵たちの多くは為す術もなく城塞を捨てて退避するしかなかったようだ。
魔族を相手に戦ったところで犠牲者が増えるばかりだろうから、賢明な判断だったと言えるだろう。
それにしたって見事な手際だと思う。
王都の西の離宮で王女様を救った時、やけに手慣れているなと思ったが、こういうのはお手の物だったということのようだ。
いや、さっきは参加したなんて思ったが、彼女は魔王の四人の腹心のひとりなのだから、この侵攻の指揮を執ったのかも知れなかった。
城塞から王都へ逃げてきた多くの兵が魔族襲撃の恐怖を語り、魔族たちから魔王の復活について聞いたと、王都中で触れ回った。
もう情報統制も何もあったものではない。
まさに王都は震撼していた。
シュタウリンゲン家の屋敷に宮内官が何度も訪れ、魔王討伐の任を下されるから正装をして王宮の謁見の間へ来るように命ぜられた。
もう悠長なことを言っている余裕はなくなり、いきなり任命の儀式が行われるようだ。
それでも儀式だけは行われるところが、王宮の王宮たる所以なのだが。
王宮から遣わされた煌びやかな馬車に乗り、俺たちは正門から謁見の間へと向かった。
そこでは、すでにかなりの数の重臣や貴族たちが、その胸に多くの勲章を着けた正装で、俺たちの到着を待っていた。
すぐに王の出御を告げる係の声が響き、音楽の中、王が姿を現し、玉座へと歩を進める。
そして係官の大きな声が響いた。
「これより、勅命が下されます」
その声に従ってアンヴェルが玉座に向かって三歩前に進み、そこで片膝をつくと、王は玉座から立ち上がり、左手から現れた大聖堂の総大司教が恭しく捧げる豪華な剣を受け取り、その剣で彼の肩を軽く叩く。
「アンヴェル・シュタウリンゲンに魔王討伐を命じる。大任、ご苦労である」
王の言葉を聞き、アンヴェルはそのまま後ずさりして、元の位置に戻った。
そして「謹んでお受けいたします」と恭しく申し上げ、
「かたじけなくも、今、王命を拝しましたからには、全身全霊をもって魔王を倒し、国王陛下のお心に叶うよういたします。そして先祖の名を辱しめぬことをお誓いいたします」
堂々と口上を述べた。
(うん。やっぱりこうでないとね。いくらレベルカンストの為とはいえ、国王陛下の前でパーティーの全員で変な動きをするとか、あり得ないね)
俺は本物の任命の儀式を見るのは初めてだったし、感動して危うく落涙しそうな気分だった。