第百四十八話 つかの間の平穏
俺たちは、ミセラーナ王女を護衛して王都へと帰還した。
王女様用にマクサリアン卿が馭者とともに用意してくれた馬車には、王女様とアンヴェルが乗り込み、俺たちの馬車がその後に続いた。
王都までの道で、アンヴェルはかなり王女様と親しくなったようだった。
「もう、このまま一生を、あの姿のままで過ごすのだと絶望の淵におりました。シュタウリンゲン卿。本当にありがとうございました」
王女様は涙ながらにアンヴェルに何度もお礼の言葉を述べられたそうだ。
王都に着くと、今度は彼が俺たちに向かって、
「王女様から、お言葉をいただいただけで、これまでの苦労がすべて報われた気がしたよ。これも皆のおかげだ。本当にありがとう」
丁寧にお礼を言ってくれた。重大な任務を成し遂げ、高揚した気持ちが顔にも表れているようだった。
「アンヴェル。お疲れ様でした。本当に良かったですね」
アリアも瞳を輝かせ、嬉しそうだ。
「ついにやったな。まあ、わたしは最初から、アンヴェルなら大丈夫だと思っていたけどな」
エディルナはそう言って、アンヴェルの肩をバンバンと叩いた。
リューリットもアグナユディテも口元を綻ばせていたが、俺はこの後のことを考えて、気を引き締めないとと思っていた。
無論、魔族との戦いのことなどではなく、ゲームのシナリオの進行についてのことだ。
「賢者様はやけに冷静だね。嬉しくはないのかい? それとも、美しい王女様と親しく話すアンヴェルが羨ましいのかな。まあ、わたしたちとは身分が違い過ぎるから諦めるんだね」
上機嫌のエディルナは、俺にそんなことを言ってきたが、
「いや。魔王バセリスが復活して、これからますます魔族の活動が活発になってくるから、気を引き締めないとと思っていただけだ」
俺がそう言うと、途端に口をあんぐりと開けた後、
「魔王が……、バセリスが復活だって!」
叫ぶように大きな声を出し、皆が彼女を振り返った。
彼女の声はあまりに大きかったので、ここがシュタウリンゲン家の屋敷の客間で良かったと思ったくらいだ。いや、俺も迂闊だったのだが。
(あれ? 魔王の復活の話って、まだしてなかったかな?)
俺は記憶をたどってみたが、考えてみれば、今回はまだ、俺から誰かに話した覚えはなかった。
アルプナンディアには、アグナユディテを寄こすように言った時に伝えた気がするが、パーティーメンバーにも、はっきりとそう言ってはいない。
トゥルタークから魔術師ギルドのマスターに宛てた手紙には、どう書かれていたか知らないが、ペラトルカさんの反応を見るに、魔王の復活については記されていないのかも知れなかった。
(魔王の復活を伝えることについては、俺への手紙でも、かなり神経質になっていたからな)
俺はトゥルタークからの手紙の内容を思い出し、そう考えた。
王宮のバルコニーにミセラーナ王女が姿を見せると、王都はちょっとしたお祭り騒ぎになった。
王女様はこのところ各地のご視察に赴かれ、王都を留守にされていたのだが、エスヒシェキールの町で、王女様を狙って現れた魔族を俺たちが撃退したということが同時に発表されたからだ。
この辺りは前と同じで、民心への影響を考慮したのだろう。まあ、それは為政者の考えることだ。
王女様を襲った魔族を撃退したのが、英雄バルトリヒの血を引くアンヴェルだったということに王都の民衆は熱狂し、魔族に対する恐怖心も幾分かは軽減できたようだった。
だが、王宮の謁見の間でアンヴェルへの褒賞の授与が行われた後、そこは魔族への対応を検討する場となり、広間は一気に沈鬱な空気に包まれた。
「魔王が復活したというのは確かな情報なのか?」
王の左手側の列に並んでいた胸に多くの勲章を付け、あご髭を蓄えた恰幅の良い人物が、俺に向かって疑問の声を上げた。
「はい。わが師であるトゥルタークは、瞬間移動の魔法を使うダークエルフに襲われ、敢えない最期を遂げられました。
また、エルフの森では彼らの宝であるオーブが、魔族に奪われる事件が起きています。
そして魔物の影はこれまでにないほど濃く、街道にまでその姿を見せるようになり、三百年前を彷彿とさせる状況になっています。すべては魔王の封印が解けたことによるものです」
アンヴェルが至急ご検討いただきたき儀があると王宮に働きかけてくれ、俺たちも謁見を賜ることになったのだが、いかに大賢者の弟子とはいえ、一介の魔術師の言うことを信じて、おいそれと動く訳にもいかないのかも知れなかった。
「魔術師ギルドの見解は?」
王の右手側に並んでいたペラトルカさんに、国王陛下からご下問があった。
「確かにアスマット・アマンの言うとおり、このところ魔物の目撃情報が過去に例を見ないほどに増えてはおります。また、恐れながらミセラーナ様の件もございます。何かが起きている可能性は高いとは思いますが、それが魔王の復活かどうかまでは正直、判断致しかねるところです。
魔族に関しては、彼が大賢者トゥルタークから伝授された結界を使い、ギルドの総力を挙げて防衛に努める所存でございます」
まあ、結局は分からないということだが、組織の長としては、そう言うしかないだろう。
「シュタウリンゲン卿はどう思われますか?」
突然、王女様がそうおっしゃって、国王陛下の右後ろにお座りになっている彼女に注目が集まった。
「彼は私の仲間です。先ほど過分な褒賞をいただきました任務において、彼は多大な貢献をしてくれました。その彼の言うことを私は信じます」
アンヴェルが迷いのない様子でそう断言すると、王女様は、
「では、私も信じましょう。ですが賢者アスマット・アマン。私はあなたの使い魔であったことは一度もありませんよ」
何だか冷たい声でそう言われてしまった。
どうも俺は毎度誰かに「嘘つき」だと思われるような気がする。
前はアグナユディテだったが、今回のそれはミセラーナ様のようだ。
魔王の復活については王宮で対応を検討することになり、俺たちは謁見を終え、シュタウリンゲン家の屋敷に戻ってきた。
皆、さすがに不安を隠すことができず、王女様を救った高揚感が一気に拭い去られてしまったようだった。
「落ち込んでいたって仕方がないね。魔王と戦うとなれば、アンヴェルが討伐を命ぜられる可能性が高いんだろう? それに向けて、少しでも鍛錬を積んでおいた方がいいんじゃないかな」
エディルナが空元気かもしれないが、前向きな意見を出してくれた。
「だが、王都を離れる訳にもいかないし、鍛錬を積むと言っても難しいところだな」
リューリットの言うとおり、今のアンヴェルは、いつ王宮から招集が掛かるか分からない身だ。王都を離れるにしても半日くらいが精一杯だろう。
「王都から近くて、それでいてそれなりに鍛錬が積める場所か。難しいな。賢者様にはどこか心当たりはないのかい?」
エディルナが珍しく俺に振って来たので、
「英雄バルトリヒが初めて魔物を退治し、彼の英雄譚のはじまりになったという伝説のダンジョンが、王都の側にあったと思うのだが」
俺はそう言って、少し誘導を試みてみた。
「『はじまりの迷宮』か! でも、あそこにはもう魔物はいないのじゃなかったかな」
エディルナが俺の意見に疑問を挟むが、アンヴェルが、
「いや。あの迷宮には、今はまた魔物がいるはずだ」
思い出したようにそう言った。皆の注目が彼に集まると、彼は少し困った様子で、
「実は先日、『はじまりの迷宮』の近くにある村から、迷宮から魔物が出てきたと言って、わが家に対処を求める声が上がったんだ。もともとあの迷宮は、我が祖バルトリヒの偉業を讃える記念の地になっていたらしいんだが、もうとっくにその役目を終えていてね。我が家にずっと管理を要求されてもと困惑していたところなんだ」
そう俺たちに伝えてきた。
リューリットが、
「では、ますますその迷宮の魔物を早々に退治すべきではないのか? それでは心安らかに魔王の討伐へ向かうこともできまい」
不思議そうにそう疑問を口にするが、アンヴェルは、
「いや。そうしてもらえれば有り難いのはやまやまだが、仲間の皆をシュタウリンゲン家の私事に巻き込むのは、どうかと思うんだ」
どことなく恥ずかしそうな様子を見せた。
「いや。シュタウリンゲン家の懸案事項が解消されて、わたしたちも鍛錬が積めるとあれば、一石二鳥というものじゃないか。これは是非とも『はじまりの迷宮』に挑まないとね」
エディルナはアンヴェルの様子を見て、嬉しそうにそう言うし、
「王都のそんな側に魔物の棲みついた迷宮があっては、安心して眠ることもできないでしょう。私は決してシュタウリンゲン家の私事だなどとは思いませんよ」
アリアも迷宮へ向かうことに賛成のようだ。
「いや。却って気にし過ぎだったようだ。皆に相談して良かった。僕も気が弱いな」
アンヴェルが頭を掻きながら言うと、アリアは、
「いえ。それはアンヴェルだけではありません。人は皆、そういう弱さを持って生きているのです」
そう言って、優しい笑みで彼を見詰めた。
「人間の世界にも美しい心を持つ方が多くいらっしゃるのですね」
彼らのそんな様子を見たアグナユディテも、感心しきりの様子だった。
(実は一番ゲームと性格が異なっていたのって、アンヴェルだったんじゃないのか)
俺は今さらながら、そう思って愕然とする気がした。
主人公とはいえ、そこまでディテールが描き込まれていた訳ではなかったから、まあ、あんなものかと思っていたが、この違いはどうだ。
ちょっといい人過ぎて俺なんかは引いてしまう気がするし、前のアンヴェルの方がより人間らしいんじゃないかと思う。
でも、やっぱり俺って、たとえそれが主人公であっても、男にはまったく興味が湧かないらしい。アマンだけが本当に特別な例外のようだ。そんな気はなかったのだが。
俺がそんなことを考えているとエディルナが、
「大賢者はアンヴェルの高潔さに衝撃を受けて、言葉を失っているんじゃないのかい?」
そんな風に俺をからかってきた。
「いや。そんなことは……」
(俺が言葉を失っているのはそういう理由ではなくて)と思って、俺は正直にそう答えたのだが、
「さすがは、わが前で剣を止めただけの男ではあるな。こうでなくてはな」
リューリットもそう言って、満足そうな表情を浮かべている。
彼女のこんな穏やかな顔なんて、この頃に見られただろうか?
まあ、カーブガーズでは、いつも穏やかに暮らしていたけれどな。