第百四十七話 エスヒシェキールの光球
この三日間、俺たちはエスヒシェキールの町に滞在し、町の中からその周辺の村まで範囲を広げ、手分けして王女様の目撃情報を探していた。
目ぼしい情報は簡単には集まらなかったが、俺はそれでも嬉しかった。
(こういうことも、しっかりやらないとな)
前はとにかく早くクリアしないとと思って、焦ってばかりいたが、今回は真のエンディングを迎えることが目的だから、本当にゲームをしている感覚で進めることが大切だろう。
それでも女王様、もとい王女様をなるべく早くお救いしたいという気持ちはあるが。
「何だか嬉しそうだな」
だが、俺が心で思っていることが顔に出やすいタイプであることは、今回も変わらないらしい。エディルナにそんなことを言われてしまった。
いや、それはゲームのキャラクターである「アスマット・アマン」の側ではなく、俺自身の問題なのだろう。
思わず顔がにやけていたのかも知れない。
夜になり、シミディナン卿の屋敷の客間に集まって、それぞれが得た情報を持ち寄るが、皆、捗々しい成果は無いようだ。
「これだけ探して見つからないとなると、醜い魔物に姿を変えられて、何処かへお隠れになられているのかも知れないな」
エディルナはさすがに疲れたようで、珍しくそんな弱音を吐いていた。
彼女はかなり熱心に聞き込みに歩いていたから、疲労も人一倍なのだろう。
「いや。仮にそうだとしても、生きていくためには水や食べ物も必要だし、まったく誰にも目撃されないというのは考えづらいのではないか? まして魔物が現れたりすれば、嫌でも目につくだろう」
リューリットの推測に、皆は沈黙してしまう。
「まさか王女様は世を儚んで……」
エディルナが縁起でもないことを言い出したので、俺は「コホン」と空咳をして牽制した。そんなことはあり得ないのだ。
「まったく関係ないのかも知れませんが、教会に通われる信徒の方が、何日か前、真っ白な猫を拾われて、飼い始めたという噂を聞きました。とても綺麗で気品さえ感じさせる白猫だと、その信徒の女性は自慢されていたそうです」
アリアの言葉に、俺はやっとそれらしい情報が出てきたなと思ったが、少しゲームとは状況が違うようだ。
「猫か。それは盲点だったかもしれないな。確かに、木の葉を隠すなら森の中と言うからな」
アンヴェルの呟きに、俺は思わず、
「あ……」
声を漏らしてしまった。
「木の葉を隠すなら森の中」というセリフは、ゲームでは俺のものなのだ。
エスヒシェキールの町に着いて早々、アマンがそう言って、このひと月の間に急に町で見かけるようになった犬や猫がいないかと、皆で聞き込みを掛けるのだ。
(俺としたことが、ゲームを楽しみ過ぎたか)
純粋に真のエンディングに向かうストーリーの進行を楽しもうと、聞き込みに夢中になっていた面もある。それと、前みたいに俺が活躍し過ぎないようにと気を遣い過ぎたのだ。
やはりゲームのシナリオを進める程度には、俺もパーティーに貢献しないとまずそうだ。思っていたより匙加減が難しい。
「賢者様。どうかされたのですか?」
アグナユディテが俺に優しく尋ねてくれる。彼女はやっぱり、こういうキャラクターだったんだよな。
「いや。何でもない。確かにアンヴェルの言うとおり、俺もその白猫は怪しいと思う」
俺がそう言うと今度はエディルナに、
「怪しいのは大賢者の方じゃないのかい。突然、『俺』だなんて言い出して」
そんな指摘を受けてしまう。
「いや、俺、いや、私は怪しくなどはないぞ」
自分で言っていて、本当に怪しい奴だと思う。ゲームの結末を変えかねないことをしでかしたかと思って、焦ってしまったのだ。
「賢者アマン。もし僕に気を遣ってくれているのなら、そんな配慮は無用だぞ。僕たちは仲間じゃないか。改まった言葉遣いなんて必要ないと僕は思っているんだ」
アンヴェルが優しい目で俺を見て、そう言ってくれる。
貴族なのに偉ぶらず、本当にナイスガイだ。
「分かった。じゃあ、これからは『俺』で通させてもらうが、それでいいか?」
捻くれた俺でも、ついそんな風に素直に頷いてしまった。
「もちろんだ」
「異論はないな」
「わたしは、その方が有り難いね」
エディルナには、また鼻で笑われた気がしたが、彼女もリューリットも、それでも何だか穏やかな目で、俺のことを見てくれているような気がした。
正直、いちいち「私は」なんて言うのにも、もう限界を感じつつあったから、俺にとってもありがたい。
俺の一人称が変わったくらいで、ゲームのエンディングに影響を与えることはないだろう。いや、そう信じたい。
翌朝、俺たちはまず町の教会に出向き、そこで、白猫を飼い始めたという女性のことを教えてもらった。
テレージアという名の彼女の家は、領主屋敷からも教会からも、それ程遠くはない場所にあり、俺たちは皆で歩いて向かった。
その途中、リューリットがアリアに、
「だが、どうやってその猫を渡してもらうのだ。既にその女性が飼っているのだろう?」
そう確認した。俺も実はその点は気になっていたのだ。
なにしろゲームでは、王女様が姿を変えた猫が、誰かに飼われていたなんてことはなかったからな。これはすべて、俺の不手際が招いた差異だろう。
「正直に事情をお話しすれば、きっと分かっていただけるはずです」
アリアはそう言ったが、リューリットは納得せず、
「正直にと言うが、ミセラーナ王女様が魔族に攫われたことは、極秘事項なのではないか? それを、ここで漏らす訳にはいかないだろう」
そう問題点を指摘した。
真面目なアリアは考え込んでしまったが、こういう時こそ、年長者である俺の出番だろう。
いや、いい加減で不真面目なと言った方が、より正確かも知れない。
「ここは俺に任せてくれないか」
俺がそう言うとエディルナが、
「珍しいこともあるもんだ。いつもは遠巻きに見ている大賢者様が、ご自分から任せてくれなんて言い出すとはね」
冷やかすように言ったが、俺は今回の件については責任を感じているし、少しストーリーに絡んでバランスを取っておく必要もあると思っているのだ。
「念の為に聞いておくが、アンヴェルは王女様とは面識があるんだよな?」
「ああ。王女様には王宮で何度かお会いしている。覚えていていただけているとは思うのだが」
そうであるなら、白猫はアンヴェルに気づけば、寄って来てくれるだろう。
白猫の飼い主のテレージアの家を訪ねると、玄関で俺は、彼女に来意を告げた。
「この家から私の『使い魔』である白猫の気配がするのだ。良く働いてくれたから、ひと月程、自由にさせていたのだが、そろそろまた働いてもらおうと思ってね」
俺の言葉に、現実世界の俺と同じくらいの年齢に見えるテレージアは、奥から白い猫を抱いてきて、
「ああ、ミセラーナ。あなたは魔法使いの使い魔だったのだね。どうりで普通の猫とは違うと思っていたよ」
そんなことを言い出しだので、俺はドキリとさせられてしまった。
「ミセラーナって!」
思わず俺が声を上げると、彼女は悪びれた様子もなく、
「真っ白であんまり綺麗だったから、お美しいと評判の王女様のお名前をいただいたんだ。私の言葉も分かるようだったから、不思議な猫だとは思っていたけれど、そう聞いて納得したよ。でも、残念だね」
名残惜しそうな様子で、白猫の背中を優しく撫でる。
俺はちょっと可哀想だなとは思ったが、まだ飼い始めて日も浅いし、まさか王女様をこのままずっと彼女に飼育させておく訳にもいかない。
「使い魔が世話になった。では、連れて行くぞ。これは心ばかりの礼だ」
そう言って銀貨を数枚、テレージアに渡そうとすると、彼女はそれを押し返し、
「そんなものは要らないよ。それでミセラーナに何か美味しいものでも食べさせてあげておくれ」
本当にこの猫のことを大切に思っているようで、頑として受け取ろうとはしなかった。
「そうか。ではそうさせてもらおう。申し訳ないが使い魔は連れていくぞ」
彼女から白猫を受け取り、テレージアの家から立ち去ると、猫は「ニャー、ニャー」と何かを訴えるかのように鳴きだした。
「ははは。それ程、主との再会が嬉しいか。可愛い奴め」
俺はテレージアに聞こえるように、玄関に背を向けて、家の門まで歩きながら、少し大きめの声で言った。
だが、鳴き声は俺の言葉とは裏腹に悲しげに響くように聞こえるものだったので、俺は慌てて猫の口に手をやった。
途端に猫はガブリと俺の指に噛みついた。
物理的なダメージはゼロだが、心理的には結構辛いです。王女様。
そして門を出たところで猫は激しく身をくねらせ、するりと俺の腕から逃れてしまった。
「シュタウリンゲン卿。その猫を捕まえてくれ!」
俺が門の外で待っていたアンヴェルに声を掛けると、白猫は急に立ち止まって彼を見上げ、
「ニャー」
と一声、鳴き声を上げた。
アンヴェルが猫を優しく抱き上げると、その間、猫は青い瞳でじっと彼の顔を見ていた。
「怯えていたんじゃないか? 可哀想に」
エディルナが俺を睨んで、非難するように言ってきたが、いや、俺は王女様のためを思ってやったことなのだ。
だって本当のことを言う訳にはいかないのだから、どの道、適当なことを言うしかないのだし。
「ミセラーナ様ですか?」
アンヴェルが腕の中の白猫に尋ねると、猫は一声「ニャー」と鳴き声を上げた。
「どうも当たりらしいな。じゃあ、早速これで……」
そう言ってエディルナが持っていた袋から取り出したのは『破邪の鏡』だった。
(えっ。なんでそんなものを持ってきているんだ)
俺が激しく狼狽しているうちに、彼女は鏡を白猫に向けてしまう。
「エディルナ! ちょっと待て!」
やっと声を出したものの、もう間に合わないと見た俺は、慌ててライトの魔法を発動した。
咄嗟のことで無詠唱だったし、威力をコントロールできなかった。
俺が作り出した眩い輝きは、王都でドラゴン・ロードが倒されたときのように真っ白な光の奔流となって、辺りを真っ白に染めていく。
「うわっ! 何が起こって?」
あまりの輝きに皆、目を開けていることができず、顔を覆う。
俺はその隙に、ほんの少しだけ薄目を開けてアンヴェルに近づき、その肩からマントを剥ぎ取った。
そして、そのマントで、元の姿に戻り、同じように顔を覆って眩しさに耐えている王女様の身体を覆い隠すと、対抗魔法でライトの魔法を打ち消した。
「キャッ!」
王女様は、ご自身がマントを一枚羽織っただけの姿であることに気がつかれて、小さく悲鳴を上げられる。そして、しゃがみ込んでマントを引き寄せ、恥ずかしそうに小さくなってしまわれた。
「リューリット。着替えを持って来てくれないか?」
俺が小声で彼女に依頼すると、今、起こったことを理解するだけで精一杯という様子だった彼女は、弾けるように領主屋敷に向かって駆けだした。
「ユディ。闇の精霊にお願いして、王女様の姿を隠して差し上げることはできないかな」
こちらも小声でお願いすると、アグナユディテは「わかりました」と言ってくれて、王女様に丁寧に、
「闇の精霊の力で、あなたの姿を隠しますね。真っ暗になりますが安心してください。着替えをお持ちしたら、魔法を解きますので」
そう伝えて、王女様が頷かれると、すぐに「ダークネス」の魔法で彼女の姿を周りから見えないようにしてくれた。
エディルナはその間、茫然としていたが、
「アンヴェルがマントを掛けてくれたおかげで助かった。王女様。本当に申し訳ありませんでした」
真っ黒な球体に向かって頭を下げながら、そう言った。いや、王女様からは見えていないと思うぞ。
「いや。そのマントは確かに僕のものなんだが、しかし、僕は……」
アンヴェルがそう言い出したので、俺はそれを遮って、
「誰も何が起こったのか見ていない。それでよろしいではないですか。幸いにも『破邪の鏡』の放った強烈な光で、本当に何も見ることができませんでしたし」
俺が発動したライトの魔法を、鏡の魔力のせいにしてしまった。無詠唱だったし、まさかあれ程の光を俺が放ったとは思わないだろう。
だが、その日、エスヒシェキールの町を包み込んだ巨大な光球は、町に住む人々はもとより、街道を行く多くの旅人たちからも目撃されていた。
彼らは神が町へ降臨されたと噂しあったようだった。