第百四十四話 エルフの乙女
『光のオーブ』をグリューネヴァルトに持ち帰った俺たちを、エルフたちはその夕、宴を開いて歓迎してくれた。
会場となったアルプナンディアの屋敷の前の広場では、かなりの数のエルフたちが忙しそうに立ち働いていた。
グリューネヴァルトに住むエルフたちの人数は、そんなに多くはないはずなので、ほとんどのエルフたちが宴に参加してくれているのかもしれなかった。
アルプナンディアは俺に彼の隣りという、最高に栄誉ある席を用意してくれたが、
「いえ。私はこちらで」
俺はそう言って、エルフたちの中に紛れ込む。
彼は何か言いたそうだったが俺がじっと見詰めると、「では、そのように」と、俺の意向を尊重してくれた。
ただ怯えただけかも知れないが。
結局、彼の隣りにはアンヴェルが座ることになった。
まあ、順当と言えるだろう。
俺は主人公ではないのだから、特別扱いをされても困るのだ。
「『森の民の最も親しき友人』トゥルタークが亡くなったのは残念です。これで三百年前、ともに魔王を封印した仲間で生き残っているのは、とうとうわたしだけになってしまいました。
ですが、仲間のリーダーであったバルトリヒの子孫が我らを訪ねて来てくれました。そして、あの、何と言うべきか……そう! トゥルタークの後継者も。
それだけでも喜ぶべきことなのに、あなたたちは、われわれの至宝を取り戻してくれました」
宴が始まるとアルプナンディアはそう言って、俺たちをみなに紹介してくれた。
途中で声が裏返りそうになっていたが、まあ、それで何かに気づく者もいないだろう。
俺は振る舞われた料理とワインのような果実酒に、少しずつ口をつけていた。
早くも酒に酔ったエルフの中には、俺に向かって、
「まさか人間があんなに素早くオーブを取り返してくれるだなんて、思ってもみませんでした。脱帽ですね」
なんて、聞きようによっては失礼なことを言う者もいた。
俺はアグナユディテが『光のオーブ』はグリューネヴァルトの至宝だから、自分たちだけで取り返したいと言っていたことを思い出した。
そういえば彼女はどうしたのだろう。
ゲームでは、たしかこのエルフの森でパーティーに加わるはずなのだ。
そう思って宴の会場を見渡すと、
いつの間にか美しいエルフの女性たちが、宴に華を添えている。
エディルナなんかは「エルフの皆さんは本当に皆、綺麗だな。羨ましいよ」なんて、すでにご機嫌の様子だ。
その中でもひときわ美しく、彼女だけがほのかに浮かび上がるようにさえ見えるエルフの乙女を俺は見つけた。
彼女はアルプナンディアの側に、つまりはアンヴェルの横に座り、輝くような笑顔を見せていた。
(ユディ。やっぱりいたんだな)
俺はしばらく彼女の姿を眺めていたが、彼女はアンヴェルたちとの話に夢中で、俺には気がつきそうになかった。
いや、気づくも何も、俺はまだ彼女と知り合ってもいないのだ。
(良かった。今回はちゃんとパーティーメンバーに加えてもらえそうだな)
俺はアンヴェルと楽しそうに話す彼女の姿に、そんな安心感を覚えた。
前の彼女はパーティーに入れてもらえず、仕方なく俺の私兵、護衛という名目で同行してもらっていた。
エディルナやリューリット、それにアリアも、別にそれをどうこう言ったり、対応に差があったりした訳ではないが、それでも彼女は一抹の寂しさを感じていたのではないかと思う。
(でも、せめて俺にも挨拶にくらいは来てくれてもいいのに)
俺が異世界で最も長い時間をともにしたのは彼女だ。
そして彼女は、俺に『真の名』を教えてくれることで世界を救い、俺を信じてくれることで再度、世界と、そして俺を救ってくれたのだ。
そんなことを考えながらアグナユディテに目を遣っていると、俺の視線に気づいたのか、彼女の隣りにいたアルプナンディアの方が席を立ち、俺のところへやって来た。
「アスマット・アマン様。今日はありがとうございました。この後、私はどうすれば? 何卒、道をお示しください」
彼は俺の耳元で、そう囁くと深々と頭を下げた。
俺は怪しまれるから、そういうのはやめてほしいなと思ったが、さっさと済ましてしまった方がいいかと考え直し、
「明日、俺たちがここを発つときにユディを、アグナユディテを一緒に寄越すんだ」
低い声で彼に伝えた。
「いったい彼女をどうされるおつもりですか? 魔族など、あなたにかかれば……」
彼は額に汗を浮かべ、ほとんど涙目になりながら、そう言った。
彼女を生け贄にするとでも思っているのだろうか。
「心配しなくても俺たちと行動をともにしてもらうだけだ。魔王バセリスを倒すまでな」
俺の答えに彼は「ヒッ!」と叫ぶような声を出し、周りのエルフがそれに気づいて、怪訝そうな顔で俺たちを見る。
「アルプナンディアさん。今日は楽しい宴を本当にありがとうございます」
仕方なく、周りに聞こえるよう、俺が少し大きめの声で言うと、彼は、
「いえ、あの、楽しんでいただいて、その、良かったです」
何とか話を合わせて、すごすごと自分の席に戻っていった。
アルプナンディアが立ち去ると、末席に座る俺のところへも二人のエルフの乙女がやって来て、空いていた酒盃に果実酒を注いでくれた。
俺は、あまりジロジロと見ると失礼かなと思って、初めは目を合わせないようにして酒盃に視線を落とし、注がれた酒をいただいていた。
俺みたいなおっさんは、ちょっと視線を合わせただけで気持ち悪いとか言われがちだから、気をつけないとと思ってしまったのだ。
実はこの世界では俺は若いし、そこそこイケメンであることをつい忘れてしまう。
身についた習性は簡単には変わらないのだ。
「賢者様。ありがとうございます。そして『森の民の最も親しき友人』にして伝説の大賢者トゥルタークの後継者にお会いできて光栄です」
そう言いながら、俺の酒盃にまた、なみなみと果実酒を注いでくれる二人の声は、まるでハーモニーを奏でるようだ。
改めて彼女たちに目を向けると、双子かと思われるほど瓜二つだった。
驚くほど整った顔に、透き通るように白い肌。赤い瞳や肌と同じように真っ白で長い髪も神秘的に見える。
(ん。神秘的って、彼女たちはもしかして……)
俺は記憶をたどり、彼女たちのことを思い出した。
「狛犬じゃないか!」
思いの外、酔いが回っていたのか思わず声に出してしまい、しまったと思ったが、彼女たちは、
「『コマイヌ』なんて、何だか可愛らしい言葉ですね。それはいったい何ですか?」
いきなり大きな声を出した俺を危ない人認定することなく、穏やかな声で返し、また酒を注いでくれる。
「いや、辺境の地、アナダルの小部族の言葉で、神に仕える可愛らしい人という言葉なんだ」
いや、人じゃなくて犬だな、なんて思いながら、俺は適当にそう答えるが、やっぱり思ったより酔っているようだ。いくら俺でも素面なら、ここまでスラスラと出鱈目は出てこない。
「まあ。私たちは神木に仕える神職を務めているのです。どうしてお分かりになったのかしら? 賢者様は不思議な方ですね」
そう言って顔を見合わせ、また俺に笑顔を向けてくれる。
「神職を務めてみえるのですか。どおりで神秘的な程、お美しい訳だ」
もうどうにでもなれという思いで、俺は酒を呷り、何時になく軽口を叩いた。
「神職と言っても、本当に手の空いた時にちょっとだけ、お手伝いをしているだけなんです」
はにかむような笑顔さえ何となく儚げだ。そして繊細な硝子細工のような手で、また俺の酒盃に酒を注いでくれる。
そんな会話を続けるうちに、話題は魔法使いである俺が操る魔法のことに移っていた。
「賢者様はどんな魔法をお使いになられるのですか? 精霊魔法とは、また違うものだと聞いていますが」
エルフたちには精霊魔法の使い手は多いが、人間の使う魔法は使えないようで、魔法を見る機会は少ないらしい。
王都には魔術師ギルドもあって、それなりに魔法使いを見る機会もあるのだが、この世界では魔法を使える人間の数は思いの外、少ない。
しかもエルフたちはあまり人間と交流もないから、見たことがなくて当然なのかも知れなかった。
「じゃあ、特別に今から魔法を使ってお見せしましょう」
俺は何だか覚束ない足取りで立ち上がると、
「ライトニング・マーヴェ!」
そう力ある言葉を紡いだ。
途端に俺の足下に輝く魔法陣が出現し、青白い光が俺を包む。そして掲げた杖の先から数多の光の矢が飛び出して、虚空に散って行く。
驚いたエルフたちが見上げる中、俺は調子に乗って、また同じように光の矢を放ち、空には花火のようないくつもの光が打ち上がったのだった。
目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋のベッドの上だった。
どうやら宴で飲み過ぎて、そのまま寝てしまったらしい。
若い頃はたまにはそんなこともあったが本当に久しぶりだ。
エルフたちの前で、いや、アグナユディテの前で醜態を晒していないと良いのだが。
ベッドから起き上がり寝室を出ると、俺のいるのはどうやらアルプナンディアの屋敷のようだった。
廊下に何となく見覚えがある。
洗面に向かうとエディルナがいて、話し掛けて来た。
「昨夜の魔法は凄かったな。まるで大賢者トゥルタークか、いや魔王バセリスかといったところだったぞ。いや、そんな名前、軽々に口にすべきじゃないな。でも本当に凄かったよ」
まだ、興奮覚めやらぬといった様子だ。
どうやら、かなりやらかしてしまったようだ。
「あんなもの、ただの虚仮威しで戦闘の役には立たないぞ。魔法に詳しい者がいたら、笑われてしまう程度のものだ」
俺は何とか誤魔化そうとしたが、エディルナはまだ、しきりと感心していたから、どこまで聞いてくれたのか怪しかった。
アリアも顔を見せ、俺を心配してくれた。
「これからアルプナンディア様から大切なお話があるようですし、少し魔法で体調を整えてさし上げましょう。お酒を過ごされるのは愚者の所業。賢者様にはお似合いになりませんよ」
俺を諭しながら、神聖魔法で酔いを醒ましてくれる。
アリアの説教も俺にはとても懐かしく感じられた。最近は俺のすることすべてを肯定するばかりで、そんなこともとんとご無沙汰だったのだ。
おかげで少し気分がすっきりしたようだ。
「王女様が攫われるとは、魔族が本格的に蠢きだしているようですね。そうなると、わが一族の者の安全を確保することも必要なのです。
オーブを取り戻して下さったあなた方に報いるには少し足りないかも知れませんが、このグリューネヴァルトで無二の勇士を、あなた方と共に行かせましょう。かならずや役に立ってくれるでしょう」
アルプナンディアはそう言って、また俺の方にチラリと視線を送ってきた。
俺は素知らぬ振りであらぬ方を見遣り、うんうんと大きく頷いたのだが、
「賢者殿は話を聞いていたのか?」
リューリットに不審がられてしまった。
そろそろグリューネヴァルト滞在も終わりに近づいているから、何とか切り抜けられそうだが、これ以上続いたら危ない気がした。
「えっ。グリューネヴァルトで無二の勇士って、ユディ、あなたのことだったのか」
エディルナが大きな声で驚きを表現した。
アグナユディテは昨夜の優美なドレス姿から、冒険者らしい服装に着替えていた。
だが、昨夜のうちに仲良くなったらしいエディルナなどには、かなり意外だったようだ。
「驚かれたようですね。ですが彼女は若いとはいえ、グリューネヴァルトでも指折りのアーチャーであり、精霊魔法の使い手です」
アルプナンディアの言葉に、アンヴェルが、
「いえ。ユディは長を務めることのできる、人間で言えば王家の姫君のような方だと、あなたから伺ったと思うのですが」
驚きを隠せない様子で、だが、はっきりと彼に返した。
「わたしもてっきり、お淑やかで美しいお姫様みたいだなと思っていたんだ。まさか、わたしたちと一緒に来てくれるなんて。でも、本当に嬉しいよ」
エディルナも心から歓迎しているようだ。
(二人ともまだまだ甘いな。彼女を怒らせた日には、それは……)
考えただけで、何だか背筋が寒くなってきた。
「これも『神』のお導きでしょう。できれば、その、あの方の御心に叶わんことを」
アルプナンディアが、また俺の方をチラチラと見ながら宣言するように言った。
こうして六人全員が揃ったパーティーは、一路、王都を目指してグリューネヴァルトを後にしたのだった。