閑話その八 執事のゼルフィム
『ドラゴン・クロスファンタジア』の勇者ゼルフィムが消えて数か月が経ち、俺の日常はすっかり平穏なものになっていた。
もちろん、二日おきに異世界と現実世界を行き来することは続けているし、異世界でも週の半分は王都の宰相府で、残りはカーブガーズの屋敷で過ごしている。
これって何重生活になるのだろうと思ったりもするが、充実した日々を送れている実感はある。
ただ忙しいだけなのを、充実していると勘違いしているのではないと良いのだが。
今日は久しぶりにカーブガーズの俺の屋敷を訪れたエレブレス山の女神と話をしていた。
「相変わらず、お忙しいようですね」
彼女は以前の輝く姿を取り戻していた。
部屋の中には彼女と俺しかいないから別に構わないのだが、誰かに見られたら、さすがにとてもただの人間とは思わないだろう。
面倒なことにならないよう、できれば俺のように光を抑えてほしいのだが。
「まさか、もう、あなたの差し金ではないよな」
俺が皮肉を込めて言うと、彼女は笑って、
「もう、この世界の主宰者はあなたなのですから、そんなことはいたしません。ご不満なら調整いたしますか?」
そんなことを言ってくれる。
なかなか魅力的な提案だが、俺はこの世界の運営、いや監視を、以前のとおり彼女に任せていた。
一応、その方法の概要については、彼女からざっくりとした説明はしてもらったのだが、とてもじゃないが俺の手に負える代物とは思えなかった。
未来だの運命だのと言うものは複雑に絡み合っているから、下手にいじると収拾がつかなくなることだけはよく分かった。
俺がアスマット・アマンに入れ込んでいるからって、アンヴェルを排除するなんて、どうやって調整したのか、神業としか言いようがないと思う。
実際、女神なのだが。
まあ、餅は餅屋と言うことで、面倒ごとは彼女に押し付けたと言うのが正直なところだ。
別に彼女も嫌がっていなかったしな。
「今日は何か特別なご用がおありとか?」
彼女に俺の屋敷まで来てもらったのは、当たり前だが、別に暇つぶしの為ではない。
彼女はもとより俺だって、そんなに暇ではないのだ。
パーヴィーでもあるまいし。
「いや、奴との、ゼルフィムとの約束のことが気になっていてな」
俺はそう話を切り出した。
俺はゼルフィムに、俺だけは彼のことをずっと覚えていると言った。
だが、俺はやっぱり自分のことは信用ならないのだ。
平和な日々が続くうちに、すっぽりと彼についての記憶が抜け落ち「ゼルフィム? 何それ、美味しいの?」なんてことになりかねない気がするのだ。
女王様やミリナシア姫みたいな可憐で清楚な女性のことならいざ知らず、まずい事に奴は男だしな。
そういう意味では、俺は自分のことが信用できる。
自分で言っていて情けないし、矛盾しているとは思うのだが。
「俺が彼のことをずっと覚えていられる方法が、何かないか考えてみたんだ。それで、いいことを思いついたのだが」
俺の言葉に女神は不安そうな顔をした。
人が「いいことを思いついた」なんて言う時は、ほぼ百パーセント碌でもないことを考えているからな。
当然、俺の思いついたことも碌でもないことだ。聞いた女神も絶句していた。
「できないかな?」
俺が確認をすると、彼女は少しだけ下を向いて考え、
「分かりました。パシヤトの意向も聞かなければなりませんが、やってみましょう。ついでですから、私からこの世界を救って下さったあなたへのお礼の気持ちを込めて、少し調整もさせていただきます。明日の朝までに準備しておきますから、お待ち下さい」
そう答えてくれた。
俺はその晩は、期待に胸を膨らませてベッドに入った。
いや、ちょっと嘘をついた。別にそこまで楽しみにしていた訳ではない。どちらかと言えば、女神が言っていた「調整」の方が気になっていた。
次の朝、俺がメーオと朝食を取っていると執事が、
「旦那様。少しよろしいでしょうか?」
そう言って、テーブルに近寄って来た。
彼の後ろには、背の高い金色の髪の男が、神妙な様子で控えている。
メーオは彼を見て、思わず手に持っていたパンを、ポトリと取り落とした。
「旦那様。本日より私の下で働くゼルフィムでございます」
執事はそう金髪の男を紹介した。
小さな声で「旦那様にご挨拶を」とか囁いている。
「旦那様。執事見習いのゼルフィムと申します。国の英雄である旦那様にお雇いいただき、光栄でございます。誠心誠意努めますので、よろしくお願い致します」
少し大きめの口から、はっきりとした声で丁寧に俺に挨拶をしてくれた。
「ああ。よろしく頼む。まずは彼から、しっかりと仕事を学んでくれ」
俺は鷹揚にそう言葉を掛けるが、相変わらずメーオは言葉もないようだ。
きりりと濃い眉も、強い意志の感じられる青い瞳も、まったくあの男に瓜二つだ。
(さすがは女神とパシヤトさんもなのかな? ここまで本物そのものとは)
メーオの驚く姿を見られただけでも、俺は十分に女神に無理を言った甲斐があったなと思った。
もちろん、彼は本物というか、RPG『ドラゴン・クロスファンタジア』の主宰者のゼルフィムではない。彼は消滅してしまったからな。
方法は女神に任せたから、どうしたのか細かいところまでは分からないが、本物に似た者の記憶をいじったのか、はたまた、一から作り上げたのか。
どうにかして、この世界に彼らしき者を具現化させたと言うことだ。
これから毎日、俺のスケジュール管理や身の周りの煩瑣な事柄の処理などを、彼が担当してくれることになる。
俺は嫌でも日々、本物の彼のことを思い出すという訳だ。いや、ここにいる彼が、別に偽物という訳ではないのだけれどね。
さすがに王都では、屋敷の外に遣いに出た時などに、ゼルフィムを知った者に会うとまずいだろうが、このカーブガーズなら直接、顔を知っている者は皆無だろうから、安心して使うことができるというものだ。
だが、俺のこの画期的な素晴らしいアイデアは、皆に大変不評だった。
「アマン。いったいどういうつもりだい? 悪趣味としか言いようがないね」
憮然とした顔で、そう言ったエディルナを皮切りに、トゥルタークも、
「この屋敷に寄るたびに彼を見ることになるのかと思うと、あまりいい気はせぬの」
そんな風に言って、何だか屋敷に来てくれる回数が減りそうだ。アリアでさえ、
「賢者アマンが人をもてあそんでいるように思われないか、心配です」
と言い出すし、極めつけはベルティラと女王様だった。
「うわっ! どうしてお前がここに!」
ゼルフィムを見たベルティラは、そう言って飛び退いて、戦闘態勢を取り、彼女が連れて来てくれていた女王様は、その場で気を失ってしまわれた。
今日は、公務が予定より早く終わられたとのことで、突然のご訪問だったから、いきなり鉢合わせすることになってしまった。
俺が紹介していても、同じ結果になっていたかも知れないのだが。
二人には新しい執事見習いだと説明したのだが、二人とも気味の悪そうな表情をして、女王様はご気分が優れないと、すぐにお帰りになってしまわれた。
さすがにこのままという訳には行かないなと、俺が自室で思案に暮れていると、アグナユディテが話し掛けて来た。
「アマンさん。私、あなたとお話がしたいのですけれど、お時間をいただけませんか?」
彼女の様子に俺は不吉なものを感じた。
俺のことを「さん」付けして、しかも、ですます調で話すだなんて、何かあるとしか思えない。
俺は何を言われるかとビクビクしながら、ソファで彼女と向き合った。
腰を下ろしても、彼女はすぐには話してこない。
俺はますます不安になり、
「あの。ユディ? どうかしたのかな?」
俺が話しかけても、彼女は俯いたまま時々、上目遣いに俺の顔をチラチラと見てくるだけだ。
俺は何かとんでもないことをしでかしてしまったのだろうか。
「いえ。こうしてアマンさんと同じ時間を過ごしているだけで、私は胸がいっぱいで」
そう言って恥ずかしそうに、また顔を伏せてしまう彼女に俺は、
「はあっ?」
そう大きな声を出すと、女神と話したい、いや、絶対にすぐに話さないとと強く思って声を出した。
「これはあなたの仕業だな。頼むからやめてくれ! 元に戻してくれ!」
(お気に召しませんでしたか? あなたの好みだと思ったのですが)
女神はそんなことを言ったが、俺は寿命が何年か縮まった気がする。絶対に俺に対する罰だと思う。
挙句にゼルフィムについては、どうしようもないと言ってきた。
確かにそんなに簡単に、人をどうこうするなんて無理だと言われれば、そのとおりだろう。
「そっちは自分で何とかするから。頼むからユディを元に戻してくれ」
俺は必死になって彼女に頼み込み、彼女は渋々といった態で、(明日の朝には元通りにしておきます)と、受け入れてくれた。
これでは誰がこの世界の主宰者なのか、分かったものではないと思う。
結局、ゼルフィムについては、俺に執事を紹介してくれたフォータリフェン公爵に引き受けてもらうことになった。
あのバール湖畔の別邸なら、それ程、人目につくこともないだろう。
そのうちにハルトカール公子が別邸を訪ねて、腰を抜かすことになるかもしれないが。
「これはまた立派な方ですね。執事には勿体ない気もしますね」
フォータリフェン公爵はそんなことを言いながら、細かい事情も聞かず気持ちよく引き受けてくれた。
だが、あの公爵のことだから、薄々にでも俺が困っていることに気がついているだろう。
大きな借りを作ってしまった気がするが、仕方がない。
次の朝、俺が目を覚まし、顔を洗っていると、すぐにアグナユディテがやって来た。
「アマン。昨日は私、どうかしていたのよ。何か不思議な力に操られていたような気がするわ。あの時のベルティラみたいにね。だから昨日のことは忘れなさい。私も忘れることにするから」
うん、いつものアグナユディテだなと俺は思った。
女神はきちんと彼女を元に戻してくれたようだ。
「ああ。ユディ。分かったよ」
俺はそう答えたが、しおらしいアグナユディテなんて、あんな強烈な出来事を、そう簡単に忘れられる筈がない。
おかげでゼルフィムのことも忘れずに済む気がする。
それだけは今回の収穫なのかも知れなかった。
他にあるとしたら、やはり俺なんかの浅知恵で世界に影響を及ぼすと、碌なことにならないということが分かったことくらいだろう。
(自然に任せるのが一番か……)
俺は改めてそう思った。