第百三十九話 かけがえのない世界
王国元帥で事実上の国王であったゼルフィムが消えて、王宮はちょっとした混乱に陥った。
それでなくても謁見の間のあった建物は跡形もなくなっていたし、宰相府は元帥府に衣替えしていた。
だが、王都の民にはあまり影響が無かったようで、彼らの日々の生活には何ら支障はなさそうだ。
ちょっと変だな、何か忘れている気がするくらいは思っているかも知れないが、為政者が変わって大きな影響を受けるのなんて、一部の特権階級や、特別なコネクションを持つ人たちだけのようだ。
謁見の間も俺とトゥルタークが力を合わせ、魔法ですぐに再建した。
さすがに石材は同じ物とはいかなかったが、カーブガーズで産出する、なるべく元のものと似た薄い黄色の石を選んだから、夕日に黄金色に輝く王宮の姿は以前とほとんど変わらず壮麗に見えるはずだ。
王冠も王笏も無事だった。と言うよりも、以前のとおり宮内官が管理していただけなので、何の変化もなかったと言った方が事実に近いだろう。
「賢者様。本当にありがとうございます」
美しい女王様に、元のとおりに玉座から、お礼のお言葉をいただくと悪い気はしない。
「いえ。当たり前のことをしただけですから」
俺はそう答えたが、そもそもの原因は俺だから、あまり深く調査されるとまずいのだ。まあ、解明されることはないとは思っているが。
「賢者様の功績は大き過ぎて、それに報いる見合った褒賞がありません。いっそ、私と……」
女王様が何かおっしゃろうとされたところで、突然、エディルナが、
「あっ。シュタウリンゲン卿がいらっしゃいました!」
驚く程、大きな声を上げ、そのせいで女王様のお言葉の最後の方が聞き取れなくなってしまった。
別に褒賞をいただきたいとは思っていないからいいのだが、いつもは良識のある彼女が珍しく失礼だなと、少し驚いてしまった。
それに「シュタウリンゲン卿」って、女王様の前だからだろうか。
アンヴェルはティファーナを伴っていた。
婚約破棄の件で、自分はどうかしていた、許して欲しいと、彼女は泣いて謝ったようだ。
今回の件の一番の被害者は彼女かも知れない。
もちろん、アンヴェルは笑って許し、優しい「旦那様」にティファーナは今度は感涙にむせんだらしい。
まあ、元どおりになって、とにかく良かった。
「準備を進めて参りました私たちの婚儀は再来週、エルクサンブルクで行います。今日はこの後、その為に王都を発ちますので、そのご挨拶に伺いました」
ふたりは女王様にそう挨拶の言葉を述べたが、俺は、
「そんなに慌てて出発しなくてもいいじゃないか。後日、ベルティラに送ってもらったらどうかな」
そんな提案をした。
いや、イベリアノもハルトカール公子も頑張ってくれてはいるが、謁見の間を別にすれば、王宮で最も影響が大きかったのは宰相府なのだ。
ゼルフィムは内政になど興味はなく、有能な三人を俺の探索に使っていたようで、その間、政務が滞って結構大変な状況なのだ。
ティファーナは、「大したことはありませんわ」と涼しい顔で言っているようだが、それは彼女の能力が前提なのだ。
俺の下にはハルトカール公子からの、「できれば結婚式を延期させて欲しい」との悲鳴のような声が届いていた。
さすがにそれは無理だし、そんなことをしたら彼女は宰相府を辞めると言い出しかねないので、できるだけ王都に残ってもらい、働いてもらうことにしたのだ。
そうして王都からの出発こそ少し遅れたものの、ふたりの結婚式は、エルクサンブルクのライアシュタイン城で盛大に行われた。
俺がメーオに頼んで、王都からも女王様を筆頭に多くの要人を運んでもらったから、出席者も錚々たる顔ぶれだ。
これ程の婚礼は前の国王のご成婚以来ではと、国中で噂になったようだ。
もちろん、俺も公式には王国大宰相として、実際にはふたりの友人として出席した。
アンヴェルは近衛騎士の正装で、男の俺でも惚れ惚れするような凛々しい姿を見せていた。
やっぱり彼は『ドラゴン・クレスタ』の主人公だよなと、改めて感じさせる。
そして、ウェディングドレスをまとったティファーナは本当に可憐で、俺の持っている貴族のお嬢様のイメージそのものだった。
青い空にその純白の姿が映えるライアシュタイン城も「カリア川の貴婦人」の名に相応しい美しさで、婚礼に華を添えていた。
彼女は自分の結婚式を抜け目なく、この城のプロモーションに使ったようだ。
これ以来、この城を訪れる者や、ここで結婚式を挙げる貴族や豪商が激増したと後に聞いた。
ふたりともひと月ほど公務を休み、ハネムーンはミリナシア姫の故郷の島でゆっくり過ごすようだ。
こちらもベルティラが送迎してくれることになっている。
あの島も白く美しい砂浜に、朝にはプルシアンブルーに、昼にはエメラルドグリーンに輝く海とそよぐ風、過ごしやすい気候と、リゾートには最適な場所だ。
きっとふたりも満足できるだろう。
まあ、ティファーナにしてみれば、アンヴェルと一緒なら何処でもいいのかも知れないが。
ミリナシア姫も、
「おふたりの記念の地に選んでいただけるなんて、とても光栄です。できる限りのおもてなしをいたします」
そうおっしゃっていたから、できれば俺も同行したいくらいだ。
婚礼にハネムーンにと、都合よく瞬間移動の力を使わせてもらったベルティラだが、彼女は意識を取り戻した後、少しの間、さすがに元気がなかった。
まあ、アグナユディテを連れ去って、ゼルフィムの片棒を担いでしまったのだから仕方がないだろう。
それまであれ程苦しんで、辛抱に辛抱を重ねたことが無駄になってしまったとしょげていた。
「我が主の僕として失格だな」
そんなことを言っていたので、俺が、
「何を言っているんだ。結局、この世界は救われたのだし、ベルティラはすごく頑張ってくれたじゃないか。それに俺があんな奴に負けると思っていたのか?」
そう言うと、少し元気を取り戻して、
「そうだな。我が主があの程度の奴に負けるはずなどなかったのだったな。我が主を信じられなかった罪滅ぼしに、何でも命じてくれ」
そう言ってくれたので、それに甘えたのだ。
いや、俺は真面目に負けると思ったけどな。
今回の騒動で最も影響を受けたのはエルフたちだろう。
彼らは棲家であるグリューネヴァルトを焼かれ、突然、メーオによってカーブガーズへ連れて来られていた。
俺はエレブレス山の麓の広い森を、エルフたちの為に提供することを申し出た。
アルプナンディアは、
「ありがとうございます。神木のある場所が私たちの聖地。そしてその周りが、私たちの住むべき場所なのです」
そう言って、俺の提案を受け入れてくれた。
グリューネヴァルトとともに失われてしまった神木を、俺は女神に頼んでカーブガーズの森の中に復活させてもらっていた。
「あれは本来、私との、いえ、ドラゴン・ロードとの連絡手段に過ぎないのですから、もう必要ないのですが」
彼女は笑っていたが、エルフたちにとっては重要なことのようだった。
アルプナンディアが突然、
「今回の事態の責任を取って、私は長を降りることにしました」
そんなことを言い出したので、俺は驚いてしまった。
彼は俺の無理を聞いてくれたことで、地位を失うことになってしまった。
それは謝って済むことではないのかも知れないが、俺にできることはそれしかなかった。
「アルプナンディア。申し訳なかった」
謝罪の言葉を述べ、頭を下げる俺に、だが彼は、
「いえいえ。アマンさん、お顔を上げてください。私ももう長になって長いので、そろそろいいかなと思っていたのです。
せっかくカーブガーズに来たことですし、久しぶりにわが友と、ゆっくり旅をしてみたい気持ちもあります。丁度良かったのです」
そう言って、傍にいるトゥルタークに優しい視線を送る。
「アスマットよ、まあよい。ナンディの言うとおり、そう気にすることはないぞ。彼は元々、長になど未練はないのじゃ。それにナンディが一緒に来てくれるなら、わしのカーブガーズの探索もさらに捗るであろうな」
トゥルタークも嬉しそうだ。
「新しい長にはユディのお父上が就かれます。これで彼女は私たちエルフの姫君という訳です」
アルプナンディアが突然、そんなことを言い出したので、俺はまた驚いてしまった。
「えっ。じゃあもうユディは……」
思わず声を出した俺に後ろから声が掛かった。
「アマン。私ならここよ」
俺はホッとしたが、さすがに姫君となると、もう俺たちと一緒にはいられないのかもしれないと、また心配になった。
「ユディはもう、森に帰るのかい?」
俺がそう尋ねると、彼女はキョトンとした顔で、
「いいえ。ここにいるつもりだけれど。何かまずいの?」
少し不安そうな声で、そう尋ね返してきた。
「いや。もちろん、そんなことはないけれど」
でも、長となる彼女の父親は、俺なんかの側にいることを許してくれるのだろうか。
彼女は散々、酷い目に遭っているし、一度は生命も失っているのだ。
「じゃあ、私はずっとここにいる。両親には、もうあなたが私の『真の名』を知っているって伝えたから、何も言わないわ」
彼女はそう言うと、悪戯っぽく笑った。
色々あったけれど、これで元どおり平和な日々が巡ってくる。
(でも、ただ元に戻っただけではないな)
俺は心の中で、そんなことを考えていた。
俺がこの世界の主宰者としての力を手にしたことなど、別にそれ程のことではない。
そんなことよりずっと大切なものを、俺は手に入れたと心から思っていた。
ベルティラが、女王様が、そしてトゥルタークが、ゼルフィムに必死で抗い、俺のことを忘れずにいてくれた。
アンヴェルが婚約者であるティファーナの勧誘に屈せず、俺と行動を共にしてくれた。
エディルナも、アリアも、リューリットも、俺を説得し、宥め、間違った判断をしないように導いてくれた。
そしてアグナユディテは、いつも俺の側にいて、いつも俺を信じてくれていた。
何より俺自身にとって、この世界が、そしてここで出会った皆のことが、かけがえのない大切なものになっている。
俺はエルフたちが住むことになった森を見下ろす高台へ、視察も兼ねて行ってみることにした。
森の木々に守られて、しっかりとは確認できないが、もういくつかの建物が完成しているようだった。
この分ならグリューネヴァルトと同じくらいの規模に至るのは、思ったより早くなるかも知れなかった。
「ユディもそう思わないか?」
俺が声を掛け、振り返ると、彼女は目を瞑り、とても静かな落ち着いた様子を見せていた。
「済まない。精霊と話していたんだな」
慌てて謝る俺の声に彼女が目を開くと、柔らかな風が俺たちを包んだ。
金色の髪が風に舞い、キラキラと光の粉を撒く。
「ええ。でもいいの。アマン。精霊たちは私の心を知っているから」
そう言って彼女が見せてくれる優しい笑顔こそ、俺の守りたかった、かけがえのないものだ。
エメラルドグリーンの瞳を見詰めて、俺はそんな想いを噛み締めていた。
【第四章・完】