第百三十六話 賢者の覚醒
王都へ跳んだ俺たちは、旧宰相府の玄関前に降り立った。
ちょっとまだ心の準備が、なんて言っている場合じゃない。
ベルティラが何処に跳んだかは分からないが、最悪の場合を考えるとここが近いだろうし、その可能性が高い気がする。
それに町の中なら安全ということもないらしい。大勢の無関係の市民たちに邪魔されるよりは、王宮の中の方が人が少ないだけマシかもしれない。
王都を守ったはずの俺が、今度は王都の人たちを傷つけるなんて事態はわざわざ招く必要もない。
王宮は先日、奴が放った魔法で謁見の間の屋根が完全になくなった無残な様子だったが、おかげで見通しがよかった。
俺たちはすぐにかつて謁見の間があった場所に、女性が二人、磔にされていることに気がついた。
「ひどい。なんてことを!」
アリアが悲鳴のような声を上げる。
その二人が誰かなんて、考えるまでもない。
「許せないね。それに悪趣味だよ」
エディルナもそう憤りを隠さない。
(そんなベタなことばかりやるようだから、あの低評価なんだよ!)
俺は怒りに震えながら、そう悪態をつきたい思いだった。
おそらくは俺を誘っているのだろう。二人は高々と掲げられ、見世物のようだ。
「よし。行こう」
俺の言葉に皆が頷いてくれる。
俺たちは王宮を駆け、謁見の間のあった場所へと向かった。
衛兵たちを蹴散らして、謁見の間のあった場所へたどり着くと、奥から奴が現れた。
「相変わらず君たちは騒々しいな」
玉座のあった場所へゆっくりと歩きながら、俺たちに向かってそう声を掛けてくる。
「ユディとベルティラを返せ!」
俺の声に、奴は肩をすくめるような仕草で応えると、
「これはまた大勢だね。ふーん。でき損ないの彼女までいるのか。ちょっと驚いたけれど、人数がいれば私に勝てるとでも思ったのかな。まあ、いいさ」
俺たちを見て、そんなことを言い出した。その様子からは俺たちに対する怖れなど微塵も感じられない。
力を奪われる前のエレブレス山の女神ならともかく、セヤヌスなど敵ではないと思っているようだ。メーオについては気づいていないようだが。
奴は続けて、
「私は勇者。至高の存在だ。だから慈悲を示してあげよう。君のお仲間のエルフとダークエルフは返してあげるよ」
意外なことに奴がそう言って指を鳴らすと、二人を拘束していた枷が外れ、アグナユディテが胸を押さえ足を少し引きずりながらも俺たちに駆け寄って来た。
『ジグサーマルトの遺産』なんかを部屋まで取りに行かず、すぐにここへ来るべきだった、可哀想なことをしたという思いが俺を苦しめた。
ベルティラは気絶していたようで、哀れにもその場にドサリと落ち、そのまま倒れてしまった。
すぐにアンヴェルが奴を警戒しながら駆け寄り、彼女を抱えると、こちらに連れて戻って来る。
その間、奴はアンヴェルには目もくれず、ジッと俺に視線を合わせていた。
今さらだが、やはり奴の狙いは俺だけ、つまりはこの世界の破滅が望みのようだ。
せっかく手に入れた人質を、奴がこんなに簡単に解放するはずがない。
俺がそう思っていると案の定、アグナユディテが俺に辛そうな声で謝ってきた。
「アマン。ごめんなさい。私……」
彼女の胸には、これまで見たことのない青黒い魔法陣なのだろう紋様が刻まれているようで、胸元からその一部が覗いていた。
「貴様! ユディに何をした!」
俺は憎しみを込めた目で奴を睨む。
「私も時間が惜しいのでね。もうかくれんぼにも飽きたし、君が逃げ隠れできないように彼女に呪いを掛けさせてもらった。
早く私を倒さないと、彼女は恐ろしい化け物に、その姿を変えてしまう。助けに来るのが遅いから、君が来る前に発動してしまうかと心配したよ」
俺は自分が息を呑む音が聞こえたような気がした。
言われてみれば、いかにも禍々しい魔法陣で、呪いが掛かっていてもおかしくはなさそうだ。
「ああ。言っておくが、その呪いは聖女様でも、そこにいる女神気取りのでき損ないでも解くことはできないよ。私を倒さないかぎり、それは解けない。何しろ至高の存在である私の掛けた呪いだからね」
そう言われて、俺はアリアとセヤヌスを見遣るが、二人とも悲しそうな顔で首を横に振った。確かに奴の言ったことは本当のようだ。
「関係ない者を巻き込んでおいて、何が至高の存在だ」
俺は怒りをぶつけたが、奴は澄ました様子で、
「こうでもしないと君は逃げ隠れするばかりじゃないか。それでも魔王を倒し、王都を救った英雄かね。
これはいわば緊急避難的な措置さ。まだ、逃げ隠れを続けると言うのなら次は聖女様か、いや元女王のあの女でもいいかもしれないな、呪いを掛けるしかないな」
当たり前だというように、恐ろしいことを平然と言い放った。
アリアや女王様に、化け物に姿を変える呪いを掛けると言うのだ。俺にはもう、奴とここで決着をつける以外の選択肢はなさそうだ。
「アマン。どうしてここに来たの。世界の運命はあなたに掛かっているのに」
奴の言うことを聞いた後でも、アグナユディテは俺にそんなことを言った。
俺が来なければ、彼女は奴の呪いで姿を変えられてしまうというのに、自分のことよりも世界のことを、そして俺のことを気に掛けてくれるのだ。
思えば彼女はこれまでずっと、そうしてくれていた。いつも俺のことを考えて、文字通り命を懸けて守ってくれていたのだ。
「どうしてって。放っておけるはずがないじゃないか」
もっと気の利いた言葉だって掛けられる人もいるのかも知れないが、それが俺の偽らざる気持ちだった。
アグナユディテは一瞬また、俺を責めるような顔を見せたが、少し顔を伏せ、俺の目を見詰めると、
「そう。ありがとう、アマン。本当はきっと来てくれると信じていたわ。私はいつも、どんな時でも、あなたが私たちのことを救ってくれるって、そう信じているから」
真剣な表情で言ってくれた。
俺は自他ともに認めるいい加減な男だ。自分のことなんて一番信用が置けない。
でも、そんな俺をアグナユディテは信じてくれた。
そして彼女が信じられるものなら、俺も信じることができるのだ。
「さあ。話は終わったかな? では、こちらもそろそろ終わりにしよう」
奴は俺たちに向かって、いかにも傲慢な様子で言い放つ。
(俺はきっと奴に勝てる)
アグナユディテは俺のことをそう信じてくれている。
そして俺はそれを心から信じることができる。
(そうだ。あの三つの青い石。あれが俺の手にすべて揃ったのは、やはり意味があったんだ)
俺はそう強く思った。だって、アグナユディテがそう言ったんだ。俺はまた彼女たちを、世界を救うと。
その瞬間、俺の胸から、そしてローブの左右の内懐から、それぞれ強烈な青い輝きが溢れた。
「うおっ。何だ! 何が起こっているんだ?」
奴は腕で顔を覆い、青い輝きから目を逸らす。
その輝きはますます強さを増し、今度は青い衝撃となって、周りに広がっていった。
そして、その輝きが消えた後、俺の身体は最初は淡い青い光に包まれていたが、徐々にその光はキラキラとした白い輝きへと変化していく。
「なっ。貴様。いったい?」
驚愕の表情とともに声を漏らす奴と対照的に、驚きの中に歓喜を見せる女神たちの様子は見事なコントラストを描いていた。
俺の姿はエレブレス山の女神やセヤヌスがそうであるように、白く輝くものへと変容していた。
驚きに声もないアグナユディテに向かって、俺は優しく声を掛けた。
「ユディ。俺も信じるよ。きっとユディが信じたとおりのことが起こるって」
俺は彼女のおかげで奴と同じ位置に立つことができた。
後は奴と決着をつけるだけだ。そして俺はアグナユディテのくれたこの機会を逃す気は毛頭なかった。