第百二十二話 王都脱出
ベルティラの瞬間移動で跳んだ先は、俺の王都屋敷だった。
(助かった)と思うと同時に、俺の口からは、
「もう一度、謁見の間に戻って……」
そんな言葉が漏れた。
とても奴に敵うとは思えない。でも、女王様をお救いしなければ。俺はそう思ったのだが、
「アマン。無理よ。やられに行くようなものだわ」
アグナユディテが厳しい声で反対する。
「アマン。僕も女王陛下をお護りする近衛騎士として情けないとは思うが、奴に勝つ算段がつかないんだ」
アンヴェルもそう悔しそうな声を出す。
リューリットも、
「奴の剣技は人間業とは思えぬな。届いたのは浅い突き一つしかなかったぞ」
悔しそうにしているが、それでも届いた突きがあるようだ。彼女こそ人間離れしているんじゃないだろうか。
何よりベルティラが倒れて、ぐったりしている。彼女はもう一度王宮へ行くどころか、座っているのもつらいという有り様だ。
いや、気を失っているんじゃないか?
「ベルティラ、大丈夫か?」
俺が声を掛けても返事がない。
心配になって様子を見ると、微かに胸が上下しているようだ。
俺は安堵の息を吐いたが、何だかアグナユディテの視線が厳しい気がする。
いや、俺は純粋に彼女の体調を心配しているだけなのだ。本当に本当だ。
良く考えてみれば、彼女は別に怪我を負わされたり、病気になっているわけではない。
だが、時間の経過によるものなのか、それとも王都へ来たからなのか、彼女は以前にも増して苦しんでいるように見える。
「アマン。そう言えばあなた、女王様から何かを預かっていなかった?」
アグナユディテの言葉に、俺はロケットのことを思い出した。
危うく奴に奪われるところだったが、皆のおかげで何とか持ち帰ることができたのだ。
(いったい何が入っているんだろう?)
そう思って俺がロケットを開けると、中には青く輝く石が入っていた。
「それって『ジグサーマルトの遺産』よね」
アグナユディテの言うとおり、これはミリナシア姫から女王様に託された、あの石だろう。
王家の至宝だとアリアが言っていたが、いったいどんな物なのか定かではない。
「『王家に危機迫りし時、王都の西、祠の立つ岩山の麓、青き石もて、黄金の扉開かれん』だったか? 今はまさにその時ではあるがな」
リューリットはよく覚えているなと感心してしまうが、確かにそんなことを言っていた気がするな。
「もしかしたら伝説の強力な武器とかが手に入るのかもしれない。祠の立つ岩山へ行ってみないか」
アンヴェルの提案は、俺にはいかにも迂遠な気がする。だが、このまま王宮に戻っても、奴に勝つ算段がつかないことは、彼の言うとおりなのだ。
伝承が正しければ、何か役に立つものが得られるかもしれない。俺は藁にも縋る思いで「じゃあ。行ってみよう」と言うしかなかった。
それにここに残っているのはとても危険だろう。いつ奴が討手を放ってくるか分かったものではない。
そいつらにやられるとは思わないが、俺たちの居場所を知られ、奴が直接乗り込んで来れば、どうなるか分からない。いずれにせよ、どこかへ移動すべきなのだ。
だが、問題はベルティラだ。本当なら彼女の瞬間移動で一気に跳びたいところなのだが、気を失っているのかも知れず、とてもできそうにない。
「仕方がない。彼女は俺が抱いて行くから、皆は道を開いてくれ」
俺がそう言うとアグナユディテが驚いた顔をしたが、俺がブツブツと呪文を唱えだすのを聞いて、納得したようだ。
王都の西門に向け、俺たちは町の中をひた走る。
先頭はリューリットで、その後にアンヴェル、アグナユディテが続き、いつものように俺がしんがりだ。
ただ、俺は腕にレビテーションで浮かせたベルティラを抱いた形になっている。
非力な魔法使いの俺なんかが、彼女を抱き上げたまま走れるはずなんてないのだ。
本当は馬車でも使いたかったのだが、俺の屋敷は馬の世話係はおろか、使用人がすべていなくなっていた。
いや、馬車に繋ぐ馬まで、どこへ遣られたのか厩舎にいない。
考えているより走った方が早そうだった。
俺の顔は皆が忘れているようだから問題ないのだが、アンヴェルやリューリットは有名人だ。
すぐに王宮にも噂が伝わり、追手が掛かる可能性が高い。
だが、必死で三人を追いかける俺の目にも、やっと西門が見えてきた。
「眠りの妖精よ。彼らの目に砂を撒いて!」
アグナユディテの精霊魔法が発動し、西門の衛兵たちが次々と倒れていく。
ちょっと派手にやり過ぎかもしれないが仕方がない。
俺たちは西門から、王都の外へと逃げ出した。
門を出てしばらく走り、どこか潜伏できる場所はないかと思い始めたところで、俺の腕の中から、
「ううっ。我が主の腕に抱かれるとは、本懐だ」
そんなベルティラの声がした。
「ベルティラ。気が付いたなら、王都の西の岩山まで瞬間移動を頼む!」
俺が慌ててお願いすると、彼女は首を振って、
「いや。もう少しこのままで」
などど、訳の分からないことを言っている。
アンヴェルもリューリットもそれに気づき、さすがに呆れたといった表情だ。
「ベルティラ・デュクラン。いい加減にしないと怒るわよ」
アグナユディテの冷たい声に、ベルティラは片目を開け、
「もう怒っているではないか」
そんな軽口を叩いていたが、実際にはまだかなり辛そうだ。
それでも俺たちが集まると、彼女は右腕を挙げようとしてくれた。さすがに可哀想に思ったが、俺にできることなんてありはしない。
せめてこのくらいはと手を添えて腕を挙げてもらった。
瞬時に周りの景色が変わり、俺たちは王都の西の岩山に跳んでいた。
今日は本当に残念だった。
この程度のことで、まさか奴が自ら王宮まで乗り込んで来るとは思わなかった。
どうやらあの様子だと、こちらの目的には気づいていないようだ。
まあ、気づいていれば、あれ程不用意に自分の身を危険に曝す様な真似はすまい。
「あの女はどうしている?」
私の問い掛けに、侍女の一人が恭しい態度で返事をした。
「はい。元帥閣下。あの後、彼女はずっと反抗的な目をしておりましたので、今は薬で眠らせております」
あの女が突然、奴に何かを渡したのにも驚かされた。
どうせ私の目的を妨げるような大したものではあるまい。だが、あの女が私の意のままにならないとは、おかしなことだ。
どうやらあの女は、奴にとってかなり大切な存在らしい。たかがゲームのNPCに笑わせてくれる。
だが、それならあの女にはまだ利用価値があるということだ。
派手に結婚式を開いてやれば、また奴がのこのことおびき寄せられて来るかもしれない。
「婚礼の準備は進んでいるか?」
恰幅の良い重臣らしき男が、汗を拭きながら報告してくる。
「はい。大聖堂の総大主教には、明日の正午に王宮までお出でいただき、式を司っていただく手はずになっております。
急なことですので、まずは神におふたりのご結婚を報告していただき、群臣や王都の民への披露は後日ということで、誠に申し訳ありませんが準備を進めております。ですが……」
私の顔を上目遣いで覗き込むようにしながら、男は付け加えてくる。
「本当に、式の会場は大聖堂でなくてよろしいので? これまでの王家の慣例では……」
「くどい。何度言わせる気だ!」
毎回毎回、こいつには本当に辟易させられる。
まあ、こいつはこうして前例を持ち出す役回りなのだろうが、分かってはいてもNPCの融通の利かなさにはイライラする。
その点、あの三人は有能だ。彼らのおかげで、私の目的も思いの外、早く成就するかもしれない。
それ以外の奴らは、どいつもこいつも何の役にも立たない者ばかりだ。まあ、今日は「光の矢」の射線を奴の目から隠す、目くらましくらいにはなったが。
それでも結局、あの女剣士と騎士の男の剣に阻まれた。彼らがいなければ、奴を仕留められていたかもしれない。
忌々しいが、それが奴の弱点でもある。
スローライフとやらで社会と必要以上に接点を持たず、ある意味、隠者のように暮らされていたら、奴の消息を捉え、襲撃するのはもっと困難だったかもしれない。
奴には守るべきものが多すぎるのだ。
だが、こちらにも頭の痛い問題がある。
それを奴に悟られないようにしなければならない。
なあに、状況はこちらが圧倒的に有利なのだ。
矢継ぎ早に奴を挑発してやれば、奴がそれに気づく間もなく、私は目的を達することができるだろう。
(それに奴を倒すことに失敗したとしても、別の方法も用意しているからな)
このくだらない世界と、その守護者である奴だけは許すわけにはいかない。
私は自分の運命を呪うと同時に、そう誓っているのだ。