第百二十一話 勇者ゼルフィム
俺たちはベルティラの瞬間移動の力で、宰相府の玄関まで跳んだ。
ベルティラには悪いが、メンバーは俺とアンヴェル、アグナユディテにリューリットと彼女を合わせた五人だ。彼女の増えた魔力でも、かなりの負担であることは間違いない。
だが、相手の力が分からない以上、できる限りの戦力を揃えておく必要がある。
メーオは俺と一緒に行動できないことに不満そうだった。
それなら瞬間移動の力を使って、ついでに皆を運んでくれればいいのに、なにを拘っているのかベルティラにはその力があることを教えたくないらしい。
到着した宰相府の建物は、いつもと変わらないように見える。
だが、王宮の門を守る衛兵によれば、信じ難いことだが、既にここは「元帥府」になっているのだ。
俺が一連の異変に関係すると考えている奴の本拠地と言うことだ。
俺たちは用心しながら建物の中へ侵入した。
中に入っても、特に変わったところは見受けられない。
「何だか呆気ないくらいね」
アグナユディテが小声で俺に告げるが、気は抜かない方がいいだろう。
だが、俺たちはそのまま誰に咎められることもなく、大宰相の執務室にたどり着いた。
執務室では、いつもの三人がテーブルで話し合っていた。
アンヴェルを先頭に、俺たちが部屋に入っても、特に慌てた様子も見せない。
「旦那様。こちらにいらしてくださったということは、考え直してくださったのですね。嬉しいですわ」
ティファーナがアンヴェルに話し掛けるが、アンヴェルが、
「ティファーナ。正気に戻ってくれ。そんな聞いたこともないような男の指揮下に近衛騎士が入るなど、おかしいと思わないか?」
そう説得を試みるが、彼女は明らかに落胆した様子を見せる。
「目を覚ましてくださらなくて、本当に残念ですわ。私、反逆者の妻になることはできませんもの。さようなら。お兄様」
彼女の言葉にアンヴェルは衝撃を受けているようだ。言葉を継げないでいる。
「この部屋の主は、どこなんだ?」
本当は俺がそうなのだ。だから「いや、あなたでしょ」なんて答えが返ってくることを、ほんの少しだけ期待してしまったのだが、ハルトカール公子はそのよく通る声で、
「どなたか分かりませんが、シュタウリンゲン卿の関係者ですか。まあいいでしょう。元帥閣下は王宮です。お忙しい方ゆえ、突然のご訪問はご遠慮いただきたいのですが」
俺の淡い期待を見事に打ち砕いてくれた。まあ、最初から、ほとんど可能性はないと思ってはいたが。
彼は続けて、
「元帥閣下は、ミセラーナ女王とご結婚されるのです。その後、妻となられた彼女から王位を譲られ、至尊の御位にお就きになるのです」
そんなことを言い出した。
「女王様がそんな得体の知れぬ男とご結婚などと、正気か!」
アンヴェルが吐き捨てるように言い、アグナユディテも、
「ありえないわ」
驚きに目を見開いている。
「得体の知れぬとは聞き捨てなりませんな。勇者ゼルフィムと言えば、王家以上の血筋を誇る至高のお方」
ハルトカール公子はそう言うが、勇者なんて、そんな存在を聞いたことはない。
アンヴェルも「勇者とは何なんだ」と、俺と同様、知らないようだ。
「勇者ゼルフィム。ゼルフィム元帥閣下は、王国の成立以前に、この世界を統べた勇者の血筋を継ぐ尊きお方。
そして世界を魔王の脅威から救い、エンシェント・ドラゴンを倒された、まさに生ける伝説。そのような方が王位をおそうのに、誰はばかることがありましょう」
ティファーナが言うには、どうやら俺たちが成し遂げた魔王バセリスの討伐や、ドラゴン・ロードとの戦いも、奴の手柄になっているようだ。
どうせなら、俺がいろいろとやらかしたことの責任も取ってくれるといいのだが。
「お二人とも、少しお控えになられた方が。今は大切な時期ですので」
これまで黙って俺たちの話を聞いていたイベリアノが、涼やかな声でふたりをたしなめる。
確かに王位の簒奪なんて、あまり人に話すべきことではないだろう。
だが、この三人が全力を傾けているのなら、女王様の王位は風前の灯という気がする。
「三人とも、しばらく眠っていてもらおうか。スリープ・マーヴェ!」
俺の声に応え、薄紫色の靄のようなものが飛び出して、三人に向かう。
三人は特に抵抗することもなく、そのまま眠りに落ちてしまう。
この三人は統治の能力は高いが、所詮は低レベルだ。俺が魔法を唱えれば、それから逃れることはほぼ不可能だろう。
だが、眠りに落ちる直前、イベリアノはあの涼やかな笑みで、俺のことを見ていたようだった。
まるで俺がどんな小細工をしようとも、彼が進めようとしていることを、阻むことはできないとでも言うかのように。
それでもこの三人に、これ以上、自由に動き回られるよりはましだろう。呪文の威力を少し強めにしておいたから、丸一日くらいは目を覚まさないかもしれない。
「謁見の間に向かうぞ」
俺の言葉に皆が頷いて、部屋を出る。
アンヴェルはティファーナを心配していたようだが、それでも俺たちの先頭に立ってくれた。
そこから先は、もうエンシェント・ドラゴン・ロードが王都へ来襲したときと同じ要領だ。
衛兵や係の文官など、俺たちの前を遮る者はことごとく眠らせ、あっという間に謁見の間にたどり着く。
トゥルタークが言うとおり、これでは王室が俺たちを恐れ、要監視対象とするわけだ。監視したところで、俺たちを止めることなどできないが。
謁見の間に入ると、いつも見慣れた玉座におられる女王様の横にもう一つ椅子があり、そこに見知らぬ男が座っていた。
「騒々しいし、随分と乱暴だな。君たちは。ここは神聖な謁見の間だ。少しはわきまえたまえ」
男は王冠を頭上に戴き、王笏を手にしている。どうやら既にそれらを女王様から奪い取り、国王気取りでいるらしい。
輝くような金髪にきりりと濃い眉。青い瞳には強い意志が感じられる。鼻筋もすっと通って高く、少し大きめの口から大きな声を俺たちに掛けてきた。
身長もアンヴェルと同じくらいだろうか。かなり高そうだ。そして引き締まった肉体は、よく鍛えられているように見える。
一言で言ってしまえばイケメンだ。
つまりは俺の敵だと言うことだ。
「せっかく来てくれたんだ。少し相手をしてやろう」
女王様と奴の前に衛兵たちが現れ、壁を作る。
「ザーバガーガ ゴボーディ ヴィガージヴィガーザ ベギサブーケ……」
奴の口から俺の知らない呪文が聞こえ、次の瞬間、
「光の矢よ!」
その声とともに、矢と呼ぶにはあまりに太い棒状の光が俺に向かって放たれた。
その光の通り道にいた何人かの衛兵は、瞬時に消し飛んだようだ。
「なっ!」
その光景に驚く俺に向かう光を、リューリットがサマムラで、アンヴェルが英雄の剣で弾こうとしてくれる。
だが、さしもの二人の魔法剣も、それを完全に弾くことはできなかった。
俺の右肩に焼けつくような痛みが走る。どうやらごっそりとHPを削られたようだ。
最近はあまりにレベルが高くなって、ほとんどダメージを受けたことがなかったから、この感覚は久しぶりだ。
だが、リューリットとアンヴェルがコースを逸らしてくれず、直撃を受けていたら、俺は一撃で斃されていたかも知れない。
「はずしたか。なかなかやるじゃないか。では、もう一度」
奴の言葉に俺は戦慄を覚えた。あの威力の魔法を何度も使えるというのか。
「ダークネス!」
奴の周りに暗黒の球体が生まれ、姿を覆い隠す。
ベルティラかと思ったが、声からするとアグナユディテの精霊魔法のようだ。
ここは一旦、退くべきかと思ったが、できれば女王様も一緒にと、俺は周りの衛兵や文官を魔法で眠らせ、彼女に近寄る。
俺の「スリープ・マーヴェ」の魔法は、アグナユディテが作った闇の球体の中にいる奴にも届いたはずだが、とても効くとは思えない。
「女王様。アマン、アスマット・アマンです」
俺が彼女の手を取ると、女王様は、
「放しなさい。無礼な。そなたは何者ですか」
言葉は激しいが、虚ろな目で俺を見た。
俺は懐から『幸運のタリスマン』を取り出して、彼女に示しながら、
「女王様。女王様は私にお城の中庭の木香薔薇の下で、このお守りを下さったではないですか」
そう伝えても、彼女の目はまだ虚ろなままだ。俺は続けて、
「そうだ。その後、私におまじないとおっしゃって、庭のお花を下さった……」
「リナリアの花よ!」
アグナユディテが叫ぶように言うと、女王様は、
「木香薔薇、おまじない……、リナリアの花」
呟くようにおっしゃって……、
「賢者様。私はいったい」
そう口にされた。
「今はとにかくここから逃げましょう。ベルティラ!」
俺が声を掛けて振り向くと、だが……。
ベルティラの様子が変だ。その場にうずくまったまま頭を抱えて動かない。
「ベルティラ! どうしたんだ」
再度の俺の声に彼女は我に返ったように、
「わ、我が主。私はいったい……」
そう言って立ち上がろうとするが、すぐにまた座り込んでしまう。
「賢者様。これを」
女王様の声に俺が再び彼女に向くと、女王様はドレスの胸の下からロケットを取り出して首から外され、俺に手渡してくださった。
「何だ? それは。寄こせ!」
突然、ゼルフィムの手が伸び、俺は危うくロケットを奪われそうになった。
奴の振るった腕が女王様に当たり、彼女は突き飛ばされるようになって床に倒れた。
俺はかっとなって「ふざけるな!」と奴に殴り掛かったのだが、俺の拳は易々と奴に躱されてしまう。
「茶番はここまでだ」
奴はそう言って腰の長剣を引き抜いた。
柄には見たことのない紋章が刻まれており、燃えるような赤い刀身は揺らめくように見える。
間違いなく強力な魔法剣だろう。
アンヴェルとリューリットが駆けつけて、俺と奴の間に入ってくれた。
だが、二人の攻撃を奴は躱し、跳ね除け、逆に攻勢に転じる。
信じられない光景だ。
「ヴァルキリーズ・ジャベリン!」
アグナユディテの声が響き、奴を目掛けて、戦乙女の戦槍が次々と降り注ぐ。
驚くことに奴はその槍を避けることもせず、当たるがままにさせるが、さしたるダメージも受けていないようだ。
だが、魔法にタイミングを合わせ、アンヴェルとリューリットは奴から距離を取ることができた。
俺も一緒にうずくまるベルティラに駆け寄ると、彼女は必死の形相で右腕を挙げ、俺たちは謁見の間から撤退したのだった。