第百二十話 異変の元凶
どちらせによ今夜は、俺は元いた世界に戻るのだ。
何だかおかしな事が起きている気がするから、異世界側にいたい気もするが、できるだけメーオの忠告には従っておいた方がいいだろう。
「アンヴェルも一緒にカーブガーズへ行かないか?」
俺が誘うと彼は迷っていたようだが、
「ティファーナ様も少し冷却期間を置いた方がいいんじゃないか? 意外と何もなかったみたいに許してくれるかも知れないし」
エディルナの言葉に頷いて、
「そうだな。ティファーナは明らかに様子がおかしかったから、しばらくすれば目が覚めるだろう。カーブガーズは久しぶりだし、少しの間やっかいになるか」
屋敷の使用人に、騎士団にしばらく休暇をもらう旨、言付けてもらい、俺たちとともに来ることになった。
自分で誘っておいてなんだが、いつだって先送りは魅惑的な選択肢だからな。まあ時間が解決する問題がないわけでもないし。
メーオの魔法で俺たちはカーブガーズの屋敷へ戻った。
アンヴェルは驚くかと思ったのだが、彼の感想は「変わっているな」だけだった。
やっぱり彼は大物だ。
久しぶりにアンヴェルがやって来たのだからとアリアを呼んでもらうと、彼女はすぐに屋敷に来てくれた。
だが、アンヴェルに優しい笑顔で挨拶をした後、最近はいつも温和な彼女が、今日は珍しく寂しそうな様子をみせた。
「私が聖堂での儀式の後、信徒の方たちに向けたお話で、賢者アマンは神が私たちのために遣わされたお方ですと申し上げたところ、彼らのうちに、それには同意しかねるとおっしゃった方が何人かいたのです」
いや、それは普通、同意しないんじゃないのかと思ったのだが、アリアは続けて、
「こんなことは初めてです。ほとんどの方たちは素直に受け取ってくださいましたし、そうでない方たちも、いつもは私の言葉を素直に受け入れてくださる、物分かりの良い信徒の皆さんばかりだったのですが」
いや、信徒の皆さん、アリアの言うことなら何でも信じるのか?
まあ、カーブガーズには、聖女であるアリアを慕って移り住んで来た人たちも多いから、かなり無理なことでも、彼女の言うことであれば信じてしまうのかもしれないが。
彼女の寂しそうな顔は、何だか初めて王都で出会った頃のことを思い起こさせた。
あの頃のアリアは他人にも、そして自分にはさらに厳しかったからな。
そんなこともあったが、俺たちは食事の後、屋敷のダイニングでお茶を飲みながらゆっくりとした時間を過ごした。
メーオが話し疲れたのか寝室へ下がってしまうと、残された六人は奇しくも魔王討伐に向かったメンバーだった。
(なんだか懐かしいな)
それ程、前のことではないのだが、あの後、本当に色々とあったから、随分と昔のことのような気がする。
このメンバーで他愛もない話をするだけで、この世界の俺にとっても、現実世界の俺にとっても、それは至福の時間だった。
自分の好きなゲームのキャラクターと話ができるって、考えてみたら凄いよな。
その晩、俺は寝室でメーオにもらった小箱の中の札を回し、現実の世界へ移動した。
戻った現実の世界は深夜で、あとはもうベッドに入って寝るだけだ。
布団に潜り込み、瞼を閉じたところで、俺はそれに気がついた。
(おかしくなっていたのって、『ドラゴン・クレスタ』のPC以外なのか)
偶々、カーブガーズに揃ったPCたちには、これまでと変わったところはなかった。
俺とも普通に話していたし、それに彼らはPC以外の人の行動に振り回されていた。
アンヴェルは近衛騎士団の方針についていけず、ティファーナから婚約を破棄されそうになっている。
エディルナは家族から突然、元帥府への仕官を勧められ、閉口していた。
アリアは信徒が彼女の言葉を信じてくれないと寂しそうな様子だった。
俺の扱いの酷さは別格としても、皆、何かしら違和感を感じている。
考えてみればベルティラが屋敷にいなかったのだってそうだ。
彼女とはもう長いから普通に話をしているが、元々、彼女は『ドラゴン・クレスタ』のPCではない。
敵役のNPCで、最後は俺たちに倒される強いて言えば中ボスといった役どころだ。
彼女の反応を見れば、ことの真偽が分かるかもしれないなと思った俺は、異世界へ戻ろうかとも考えたが、まだ両方の世界を行き来するようになって日も浅いのだからと思い直した。
それからの二日間はきつかった。
いや、仕事は別になんてことはなかったのだ。
とにかく時間が過ぎてくれない。
電車の中ではどうしても異世界のことを考えてしまったが、職場に着いた俺は考えを改めた。
(さっさと仕事を終わらせて異世界へ帰るぞ!)
そう考えると仕事なんて軽いものだ。メールの依頼や指示をテキパキと処理し、書類もさっさと片付ける。
会議だって(こんなときイベリアノだったら、なんて言うかな)と考えれば、自然と最良の選択はできるものだ。
ハルトカール公子のようにとまではいかないが、これまでの俺なら考えられない堂々とした態度で意見を述べたものだから、参加者は首を傾げていたようだ。
俺はもともと会議では発言などしないタイプだったから、やり過ぎたきらいはあるが、この程度の会議など、さっさと結論を出して異世界へ帰るのだ。
だが、それはただの勘違いだった。そもそも異世界へ行くのは翌日の深夜と決めているのだから、いくら仕事を急いで片付けても、それが早まる訳ではない。
俺の行動は現実世界での退社時刻を早め、ゲームをする時間を延ばす効果はあったが、それだけだった。
初日でそれに気づいて幸いだった。
翌日は俺は今までどおり無理せずに業務を進めた。会議でも貝のように口を閉ざし、ひたすら時間が過ぎるのを待つ。
異世界ならいざ知らず、現実世界に俺の意見など求めている者はいないのだ。
やっとその日の深夜になり、俺は小箱の札を回転させて異世界へと帰還した。
次の朝、俺たちがダイニングで朝食をとっていると突然、ベルティラが現れた。
「おはよう。ベルティラも朝食がいるか?」
俺が尋ねると、彼女はほっと息を吐き、テーブルに近寄って来る。
「どこをほっつき歩いていたんだい?」
エディルナの問いに彼女は、
「ああ。一昨日は済まなかった」
素直に謝ると、俺の正面の席に腰を下ろす。
いつもならアグナユディテかメーオと俺の隣の席を争うのに、珍しいなと思っていると、彼女は静かに座ったまま、真っ直ぐに俺の顔を眺めていた。
食事中はあまり見られると食べにくいんだが。
それにそんなに見詰められると、なんだかドキドキしてしまう。
「ベルティラ・デュクラン。ちょっと不躾けではないかしら」
アグナユディテがそう言っても、彼女は俺から目を離さない。
「ベルティラはもしかしたら、俺のことを忘れそうになったんじゃないか?」
俺がこの二日間、考えていたことを口にすると、彼女は目を見開き、
「我が主は何故それを……」
驚きを隠せない様子で、そう言った。
一昨日、彼女は突然、どうして自分がこの屋敷にいるのか分からなくなったそうだ。
自分はカルスケイオスの統治者なのだから政庁にいるべきだと思って、慌ててカルスケイオスに戻り、それから二日間、政務を見ていたらしい。
「今朝の朝食を終えて、お茶を飲んでいて、いつもと香りが違うなと思ったのだ。そして我が主のことを思い出したのだ」
どうやら彼女の中で、俺の記憶はお茶の香りと結びついているらしい。
いつもお茶ばかり飲んでいるのも、たまには役に立つことがあるようだ。
ベルティラはそれから片時も俺から離れようとしなかった。
少しでも油断すると、また俺のことを忘れてしまいそうで怖いようだ。
「アマン。どうするの?」
そんな彼女の様子に、さすがにアグナユディテも心配そうだ。
俺の予想は当たったみたいだが、それで問題が解決するわけではまったくない。
一瞬、「しばらく様子を見よう」という言葉が頭に浮かぶが、ベルティラの状況を見るに、放置しておいて状況が改善することは難しそうだ。
先送りは魅力的ではあるが、この場合、解決には繋がらないからな。
トゥルタークの知恵を借りたいところだが、ここ数日、屋敷に姿を見せていない。
またカーブガーズの各地を探索しているのかと思っていたが、トゥルタークもPCではないから、先ほどまでのベルティラと同じ状態に陥っている可能性もあるだろう。
俺が念の為、賢者の塔にトゥルタークを呼びに使用人を遣わせると、
「アスマットよ。どうやら何か良からぬことが起こっているようじゃな」
意外なことにトゥルタークが、平気な様子で屋敷に姿を現した。
「先生。先生は大丈夫なのですね」
俺は(予想が外れて良かった。でも、これでまた振り出しかな)と思ったのだが、トゥルタークは首を振り、
「いや。大丈夫ではない。わしはそこのダークエルフほど生命の力が大きくないからの。影響が小さいだけで、受けておらぬ訳ではないぞ」
ベルティラを一瞥し、驚く俺に向けて話を続ける。
「この感覚は魔王に意識を引きずり出された時に感じたものと、通じるものがあるの。直接、精神に干渉するものだ。まあよい。誰が何の目的で、その様なことをしておるのかは分からぬがな」
トゥルタークの言葉に、俺には心当たりがある気がした。
何の目的でそんなことをしているのか、そして本当に奴にそんなことができるのかは分からない。
だが、少なくとも関係していそうな人物がいる。
『王国元帥、ゼルフィム』
俺はそいつに会いに王都へ行くべきだと思い定めていた。