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賢者様はすべてご存じです!  作者: 筒居誠壱
第四章 異世界の勇者ゼルフィム
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閑話その七 ある日の明日本

 冥王がメーオになって、世界は蒸発の危機を免れた。

 だが、彼女は俺が現実の世界へ戻る道を確保するために、今後は現実の世界と異世界を、交互に行き来すべきだとも付け加えた。


 そのためその晩、異世界で就寝する前に、俺はメーオからもらった小さな箱を使って、彼女曰く「回転ドア」を通って、現実の世界への帰還を果たした。


 約束どおり、俺が戻ったその部屋は召喚された時のままだった。

 ゲームの経験値もそのままだ。実はちょっとサービスで増やしてくれたりしてないかなと、期待していたのだが。


(もう十二時を過ぎていたよな。こちらの世界でも、そろそろ眠った方がいいんだろうな)


 俺はそう思ってベッドで横になったのだが、さすがに興奮して、すぐには眠ることはできなさそうだ。

 まあ色々あったからな。



 だが、俺が望んだこととはいえ、これからはこの二つの世界を往来する生活が始まるのだ。

 メーオはできれば二日おきくらいと言っていたし、かなり変則的な生活を強いられそうだ。


(それでも唯一、救われるのは、一方の世界にいる間は、もう一方の世界では時間が進まないことだな)


 これなら行き来するタイミングを図る必要性は、まったくないことになる。


 最近のMMORPGみたいに、自分がいない間もゲーム内の時間が経過するタイプだったら、状況を把握するのが大変だったかも知れない。

 それ以前に異世界に行っている間、俺は行方不明になってしまう。

 まあ、もしそうだったとしても何とかするしかないのだが。


(途中で中断を余儀なくされるのはRPGで慣れているから、何とかなるだろう)


 現実世界の方も途中で中断っていうのは、ちょっと凄いことのような気もするが、ゲームやラノベに没入している時って、ある意味、現実世界から切り離されていたからな。


 気がついたら夜が明けていたなんて、よくあることだったし。

 まあ、できればどちらの世界も、きりの良いところで切り替えたいものだ。


 まだ眠るには少し早いかなと思っていたのだが、そんなことを考えているうちに上手い具合に眠気が襲ってきた。

 俺はベッドの中で、久しぶりの現実世界での眠りに落ちたのだった。



 そうして現実世界と異世界を行き来する生活を始めた俺は、律儀に二日おきの周期を守っていた。

 慣れてくればある程度は融通を利かせられそうだが、最初はきちんと忠告に従った方がいいだろうと考えたのだ。


 トゥルタークに召喚されたのが金曜日の深夜、土曜に日付が変わる時だったことも、今思えば幸いだった。

 その後の休みの二日間で、ゆっくりと仕事の段取りを思い出すことができたからな。


 これが平日だったら翌朝、出勤するまでの時間で記憶をたどるのは難しかったかもしれない。

 異世界の方で思い出したっていいのだが、あちらはあちらで忙しいからな。



 それでも現実世界へ再び戻り、月曜日に出勤した時はかなり緊張した。

 こんな気持ちは、新入社員として初出社して以来のような気がする。もう二十年以上も前のことだ。


「おはようございます」


 そう挨拶をしたのだが、皆、どちらかと言えば怪訝な顔で、碌に挨拶も返ってこない。

 唯一、隣の席の同僚が、


「今日は元気いいな。週末に何か良いことでもあったのか?」


 なんて苦笑するように声を掛けてきた。


 宰相府では皆が俺に挨拶をしてくれたし、朝の空気が好きだというアグナユディテは、いつも気分よく「おはよう」と言ってくれていたから、ちょっと感覚が違ってしまっていたのかも知れない。

 仕事の段取りとかは必死で思い出したのだが、こういった細かい点を思い出すのは、時間がかかるのかも知れなかった。



 メールをチェックし、週末にやり残した書類を処理した後は、ひたすらパソコンに向かう。今日は午後から会議が一件入っているだけだ。


 もともとコミュニケーション能力の低い俺には、この仕事は合っていると思っていたし、これで家に帰ってまたパソコンに向かうのもまったく苦ではなかったが、何となく味気ない気がした。


 こんな時、宰相府だったらと、つい考えてしまう。

 秘書のカトリエーナが気を利かせて、


「閣下。そろそろご休憩されてはいかがですか? お茶をご用意しますね」


 なんて言ってくれるのだろう。


 女性がお茶を淹れてくれるなんて前時代的だが、王国大宰相の俺が自分でお茶を淹れるなんて、それもおかしなことなのだ。

 でも、実は結構やっていた気もするな。トゥルタークは俺の淹れたお茶は美味しいと言ってくれるし。



 ちょっと席を外し、給湯室の側の自販機で紅茶飲料を買っていると、同じように油を売りに来たのだろう同期の奴が声を掛けてきた。


「コーヒー党の明日本が珍しいな。どういう風の吹き回しだい? さては彼女でもできたのか? そんな訳ないか」


 そう言えば、俺はこっちの世界では滅多に紅茶は飲まなかった。

 奴の発言の後半は完全に大きなお世話だが、まあ、こんな俺のことを、同期として気に掛けてのことだろうからな。


 キャップを開けて飲んだ紅茶飲料は、思っていたものとは少し違う気がした。やっぱりハチミツが必要だな。


 その後、少しの間、窓から都会の景色を眺めながら、ひとり残りの紅茶を飲んでいた。


 それにしてもゲームの知識があったとはいえ、よく生き残ってきたなと改めて思う。

 何度ももうダメかと思ったし、実際、命を落とした仲間もいる。

 その点、現実世界のゲームは気楽なものだ。自分は絶対に安全だからな。



 久しぶりの出勤で疲れ切った俺は、以前より早めに退社した。

 職場の皆は驚いていたようだ。まあ、俺は独身で彼女もいないから別に残業も厭わないし、慌てて帰ることなんてあまりなかったからな。


 俺の趣味を知る人たちは、どうせ新作のゲームでも発売されたのだろうと思っているかもしれない。


 家に着いてシャワーを浴び、簡単に夕食を済ませると、あとはひたすらゲームの時間だ。

 多少の波はあるものの、もうこんな生活を二十年くらい続けていることになる。

 異世界では、よくゲームなしで禁断症状が出なかったものだ。


 明日の夜には、また異世界、しかもRPGの世界に戻るのに、現実世界でゲームをしているのって何だか不思議な感覚だ。

 でも、エルフの女性が出てくると身構えてしまいそうになったり、ゲームの見方も少し変わった気がするのだ。



 翌朝も当然だが出勤する。

 満員電車も新鮮だった。


 いつもは両手で吊り革につかまっていたのを忘れ、片手をぶらぶらさせていると、隣の女性に触れてしまいそうになった。

 慌てて周りを見回すと、皆、当たり前のようにスマホを操作している。


 昨日は初出勤みたいなものだったから、電車でも仕事の段取りを何度も確認していて気がつかなかったようだ。自分で思っていた以上に緊張していたらしい。


 俺もポケットからスマホを出し、ゲームでもするかと思ったが、つい異世界に戻ったら何をしようとか考えてしまう。

 いや、考えるなら今日の仕事のことだろうと思い直すが、そもそもベルティラがいたら、こんな通勤、必要ないのになと、また思ってしまう。


 異世界を経験してしまったせいで、現実世界で魔法が使えないことに不便さを感じてしまうなんて、考えてもみなかった。

 いや、魔法なんて使えないのが当たり前なのは当然、理解しているのだ。


 まあ、俺の場合、使っていたのは攻撃系の魔法が主体だから、そこまで不便を感じずに済んではいる。

 嫌な上司だからって、魔法で吹き飛ばす訳にはいかないからな。



 その日の仕事も無難に進んだ。

 こんなことをかれこれ二十年も続けてきたのだ。忘れたら大変だと思っていたが、結構、覚えているものだ。


 大企業だったら異動も頻繁で、独身の俺なんて転勤候補一番手だと、何故か大手優良企業に潜り込んだ大学の知り合いが言っていた。

 だが、そんな目に遭うこともなく仕事を続けられたのは、幸運だったのだろう。

 会社が俺の能力に早々に見切りをつけただけかも知れないが。



「明日本さん。そろそろ出ませんか?」


 まだ七時前なのに後輩にそう誘われて、俺は自分の席から彼を見上げた。

 おそらく間抜けな顔をしていたのだろう、彼は呆れたように、


「明日本さん。忘れちゃったんですか? 今日はあいつの送別会じゃないですか」


 彼の視線の先には、入社三年目の若きエース、既に将来の幹部候補と呼ばれていた男の姿があった。


 仕事のことを思い出すのに必死で、そこまで気が回っていなかった。

 もう皆は職場を出るところで、俺と後輩が最後になりそうだった。


 俺は慌ててデスクの上を片付け、後輩に案内してもらって会場へと急いだ。


 職場の送別会も久しぶりだ。

 今日の会場はいつもの居酒屋とは違い、少し小洒落たイタリアンだ。


(会場を設定したのは、送られる彼を憎からず思っている女性たちみたいだな)


 俺はそう思ったのだが、実はそうでもないらしい。


「奴はまあ、いい奴ですからね。普通なら送別会なんてやりませんよ」


 俺の隣の席に座った後輩は酒が入ったからか、結構大きな声で、そんなことを言っている。


 確かに見ようによっては、彼は二年と少しで後足で砂をかけるように辞めるのだ。

 それでも送別会くらいと思わないでもないが、まあケースバイケースかも知れないな。


 そもそも優秀な彼が、俺と同じ会社にいたことが間違いなのだろう。

 彼は俺なんかとは違って背も高く立派な体格だし、フィットネスで筋トレでもしているのか、胸板なんかもかなり厚そうだ。


「彼のような鷹揚で物事に拘らない好青年が……」


 上司が彼に対して、そんな送別の言葉を贈っていた。

 俺はそれを聞いて、アンヴェルをカルスケイオスで喪った時のことを思い出した。


 自然と俺の目から涙が溢れ、頬を伝う。


「明日本さん。どうしたんですか? そんなにあいつのことが好きだったんですか?」


 後輩が驚いて大声を上げる。


「いや。これは違うんだ。ちょっと思い出して」


 そう言い訳する俺に、送別会の主役である彼が歩み寄り、


「明日本さん。ありがとうございます。そんなに思っていただいて、感激です!」


 彼の目も少し潤んでいるようだ。

 本当にいい奴だけど、違うから。



 会も無事にお開きとなり、二次会に向かう連中と別れ、俺は帰途についた。

 少し酔ったようで足下がおぼつかない。


 異世界ではトゥルタークとお茶ばかり飲んでいて、アルコールはとんとご無沙汰だった。


(アグナユディテとか、お酒を飲んだらどうなのだろう? 急にしおらしくなったりして)


 そんなことを思ったが、逆に絡まれたりしたら厄介そうだ。そちらの可能性の方が高そうな気がするし。


 今夜はこの後、俺は異世界へと向かう。


(この生活にも、少しずつだけれど慣れていけそうだな)


 まだまだ時間は掛かりそうだが、こうして現実の世界と異世界を行き来しながら過ごす、そんな穏やかな日々がずっと続くといい。

 この時、俺はそう思っていた。


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新連載、『アリスの異世界転生録〜幼女として女神からチートな魔法の力を授かり転生した先は女性しかいない完全な世界でした』の投稿を始めました。
本作同様、そちらもお読みいただけたら、嬉しいです。
よろしくお願します。
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