閑話その六 誰かの右腕
(まさかあのベルティラ・デュクラン如きが、この魔王の統べる地、カルスケイオスの統治者になるとは)
私は悔しさに唇を噛んだ。
確かに奴は魔王様の腹心と呼ばれてはいた。
だが、腹心は奴の他に三人もいたのだ。
黒翼の悪魔ドゥーゲル、赤銅の巨人ガラヴィデ、鋼鉄の魔将ヴァミルダン。
いずれも高位の魔族ではあるが、魔王様のたった一人の右腕である私とは比較になるはずもない。
それに奴は魔王様に不手際を責められ、城の地下牢に幽閉されたはずだった。
どうやって脱出が不可能だと私たち魔族にさえ恐れられた、あの地下牢から逃げ出したのだ。
魔王様の城が崩壊し、てっきりそれに巻き込まれて命を落としたと思っていたのに、奴はいつの間にか今度はエンシェント・ドラゴンと戦いだした。
(愚かなことをする)
私は彼女のすることを冷ややかに見ていた。
暴虐な支配者に抗う方法は、戦いを挑むことばかりではない。
支配者の懐に飛び込み、その暴政を和らげること。そして遂には、その支配者の右腕となって自らの思う政策を実現し、無知蒙昧なる民草を導くことこそが、高位の魔族としての私に課された使命なのだ。
案の定、ベルティラはエンシェント・ドラゴンにまったく歯が立たず、尻尾を巻いて何処かへ逃げ去ったようだ。
かなりの深傷を負っていたようだから、あれでは助からないだろうと誰もが思っていたくらいだ。
彼女の去ったカルスケイオスで、私は新たな支配を確立したエンシェント・ドラゴンと向かい合った。
「お前は我が恐ろしくはないのか?」
ドラゴンは聞いてきたが、私は平然と、
「あなた様が、このカルスケイオスを統べられるのであれば、どうして私があなたを恐れることがありましょう。私はあなたの右腕になるのですから」
それは当然のことなのだから、何を気にすることがあろうかという態度で言ったところ、ドラゴンは眼を細めて私を見た。
一瞬、(失敗したか?)という思いが脳裏を横切るが、こういった時こそ平然としているべきなのだ。
やがてドラゴンは、
「おもしろい。では、我が道を開くゆえ魔物を率い、人間の住まう地を襲うのだ。失敗は許さぬぞ」
そんなことを言ってきた。
魔物を率いて人間の住まう地を襲う程度のこと、この私が失敗などするはずがない。やはり私の判断は正しかったようだ。
これから私はエンシェント・ドラゴンの右腕として、このカルスケイオスを、いやゆくゆくはこの世界全てを統べることになるのだ。
ところが事態は思わぬ展開をみせた。
それは人間どもがエルジャジアンと呼ぶ町の側を荒らしていた時のことだった。
何人かの仲間を引き連れ、奴が、ベルティラが姿を現したのだ。
奴は卑怯にも魔王バセリス様の偽物を連れていた。
そして、その偽物で私を惑わせて勝利を盗んだのだ。
私がほんの少し怯んだところに、強力な闇魔法『ダークネス・ディザスター』を放ってきた。
同じ魔族を相手にあんな容赦の無い攻撃をするとは、魔族の風上にも置けぬ奴だ。
まあ、あの時はたかがベルティラ如きと、少し油断をしていたこともあるがな。
だが、その時の傷を癒していた私を奈落の底へと突き落とす事態が、そのすぐ後に起こったのだ。
まさかエンシェント・ドラゴンが滅ぼされるとは!
エンシェント・ドラゴンと言うくらいだから、古よりこの世界に棲まう、神の如き竜のはずなのに。
高貴なる我ら魔族ですら、絶望に打ちのめされる程の圧倒的な力でカルスケイオスを席巻し、瞬くうちに我らを支配した彼が、まさか奴らごときに倒されることがあろうとは。
私には俄には信じられなかったが、それは事実のようだった。
その後、奴はカルスケイオスの解放を宣言し、魔王様の後継者を名乗り、しかも人間どもと友好関係を築いて「女王の同盟者」と呼ばれるようになったらしい。
人間どもの女王の同盟者などと魔族に対する裏切りにも等しいと思うのだが、肝心の魔族たちは愚かにも、そんな奴の統治に服しているようだった。
それどころか生活が豊かになったと、大きな不満もないらしい。
魔族の誇りはどこに行ってしまったのだ!
だが、現実問題として私は行き場を失ってしまった。
このまま雌伏して奴が失脚するのを待つのか。
はたまた奴の軍門に下り、その手足となって、いいように使われることを選ぶのか。
まあ、私ほどの者が降れば、奴も右腕として遇するしかなかろうから、それでも構わない気もしたのだが。
だが、あの「ダークネス・ディザスター」の魔法は本気だった。
もう一度あれを喰らったら、生命の保証はない気がする。
仕方なく私は海に逃れた。
海は魔物の巣窟だという話は聞いたことがあったが、なあに、私は高位の魔族だ。
人間どもにとっては脅威かもしれないが、魔族の私が魔物など恐れはしない。
そう思ったのだが……。
海はカルスケイオスとは、どうも様子が違うようだった。
小船で漕ぎ出した私は碌に戦うこともできず、すぐに無様にも海へと投げ出されてしまった。
周りには見たこともない魔物どもがますます数を増し、どうやら獲物を見つけたと集まってきたようだ。
まさか魔王様の右腕として、そして魔王様亡き後は、カルスケイオスの支配者となったエンシェント・ドラゴンの右腕として、縦横無尽の活躍を見せた私が、こんな所で終わるのか?
だが、それも仕方がないことなのかも知れない。
ボムドーで下賤な人間どもに一敗地に塗れ、エンシェント・ドラゴンの作った新たな道の出口ではベルティラ・デュクランの魔法に逃亡を余儀なくされた。
この世は思いもよらぬことが起こるものなのだ。
誇り高き、高貴なる魔族の私が、海の藻屑と消えることだってありうる。
やはり私は、不幸な星の下に生まれついた、悲劇のヒロインなのだ。
そう観念したところで、私は自分の目の前で、大きな真っ黒な目がこちらを見ていることに気がついた。
「キュー!」
その大きな目を持つ生き物から、そんな声が聞こえてきた。
まさか私を食べようというのか?
いや、もう覚悟を決めたつもりだったが、さすがに生きたまま喰われるのは……。
そう思って必死に手足をバタつかせ、逃れようとしたが、そいつは私に噛みついてきた。
だが、痛みは感じなかった。特別製のレザースーツが私を守ってくれたのかとも思ったが、その時、
「キュー」
同じような鳴き声が、今度は私の横からする。
そちらに目を遣ると、私に噛みついたのと同じような真っ白でのっぺりとした身体を持つ大きな生き物の、黒い瞳と目が合った。
「キュー」、「キュー!」
そんな声が私の周りのそこかしこから聞こえ、私は完全に包囲されてしまったようだ。
「南無三っ」
大きく開いた口の鋭い歯が迫ってくるのを見て、私は不覚にも気を失ってしまった。
次に気がついたとき、私は見知らぬ浜辺にいた。
「アーハッハッハ。どうやらあの白い奴らは、私に恐れをなして逃げ出したようだな」
海の魔物にもそれなりの知性を持つ者がいるようだ。敵わないと知って逃げ出す程度には。
だが、どうやら私がたどり着いたのは無人島らしく、周りを見回しても何の気配もない。
卑小な人間どもなら途方に暮れるところだろうが、私は大魔法使い。周りに生えた木々を利用し、魔法を使って小屋を建て、魚などを獲ったりするくらい朝飯前なのだ。
そうして私は暫くの間、浜辺での生活を楽しんでいた。
だが、そんなある日、近くの森を探索し、山菜や果物などを採取して、ホクホクとした思いで小屋へ戻って来たところ、海の向こうに去りゆく船の影が見えたのだ。
「おーい、返せ! 戻せ! 私はここだ。おい。私はここだと言っているだろう!」
そんな私の必死の呼び掛けも船には届かなかったようで、そのまま水平線の彼方へ消えて行ってしまった。
私は大魔法使いなのだから、派手な魔法でも打ち上げれば、気がついてもらえたかもしれないと後から思ったが、もう、それこそ後の祭りだった。
だが、船が航行していたということは、この辺りには海の魔物がいないということではないのか。
そう思うと、私は居ても立っても居られなくなった。
魔法で材木を切り出し、船を作るのだ。
カルスケイオスに凱旋すれば、きっと魔族たちは私を歓呼の声で迎えてくれるはずだ。
試行錯誤を繰り返し、私は遂に立派な船を作ることに成功した。
そして船ができ上がった直後、私はまた驚くべきことに気がついた。
なんと、海の向こうに大きな陸地を、そして高い山の姿を見つけたのだ。
(何故これまで気がつかなかったのだろう? だが、やはり私はこんな島で終わるような者ではなかったようだ)
船の準備も整えていた私は、意気揚々と陸地に向け、海へと漕ぎ出したのだった。
「お父様。あの子から連絡が来ましたわ」
カーブガーズの屋敷の自室でゆっくりしていた俺に、メーオが声をかけてきた。
「あの子って誰だ?」
急にそんなことを言われてもと俺が戸惑っていると、
「お忘れですか。あの島の西の海で会った、あの子です」
メーオの姿から、何となく彼女と同じような女の子を想像していたのだが、どうやら「あの子」とはリヴァイアサンのことらしい。
「せっかく連絡をくれたのですもの。早速、会いに行ってあげませんか?」
いや、会いに行くって言われても、さっき王都まで女王様を送って行って、今日は珍しくベルティラがいないんだよな。
「お父様さえご都合がつくなら、私が連れて行って差し上げちゃいます」
メーオは自慢気に胸を張る。
「えっ。メーオは瞬間移動ができるのか?」
俺が驚いて尋ねると、
「ええ。お父様と一緒なら、お父様の想像の翼が広がる限り、何処までも」
どうやら瞬間移動はできるみたいだが、何だか嫌な表現だな。
「でも、あのいけすかないダークエルフには内緒ですよ。私にもできるって知ったら、きっと泣いちゃいますから」
優しいんだかどうだかよく分からないが、きっと気を遣っているのではないのだろうな。何となくそんな気がする。
「で、リヴァイアサンは何て報告をしてきているんだ?」
俺の問いにメーオは、
「悪い人を捕まえたって言ってます。お父様。褒めてあげてくださいね」
そう言って呪文を唱え出した。
「ピルルン パルルン パルプル ルルラル〜」
本当にそのピンクのステッキ、どこから出すのだろう?
一瞬、目の前が虹のように七色に輝いたかと思うと、俺とメーオは砂浜に立っていた。
「メーオ。ここは?」
俺は彼女にそう問い掛けながら、何となく見覚えがあることに気がついた。
遠くに『黒い壁』も見えるし、どうやら俺たちが『サンタ・アリア号』の航海で、女神から護りを授かった場所のようだ。
その砂浜に打ち上げられた人影が見える。
「あれがその悪い人なのか?」
「あの子がそうだって言ってます。あのダークエルフによく似た服を着ていたから、間違いないって」
砂浜の向こうの海面が大きく渦を巻いているようだから、リヴァイアサンはあの辺りにいるのだろう。
俺は用心しながら、その人影に近寄った。
そしてそれが誰か気がついた。
姿は人間とそれほど変わらないが、ターコイズブルーの肌が魔族であることを主張していた。
そして黒いマントに、同じく黒のレザースーツが、ベルティラの物に似ていなくはない。
彼女は確か……。
俺は回れ右をしてメーオの肩に手を置くと、
「メーオ。このまま引き上げよう。ああ、リヴァイアサンはよくやってくれた。偉いぞ。この調子でな」
慌てる俺に、彼女は少し戸惑っているようにも見えた。
「でも、このままだと死んでしまうかも。悪い人だから、お父様はそれでもいいのですか?」
小首を傾げ、そう問い掛ける少女の姿に、俺のなけなしの良心が働いた。
(でも、二度も敵対しているし、ベルティラも容赦なかったからな。また気絶した女性をって、ユディにも何を言われるか分からないし、屋敷に連れて行くのは……)
必死に無い知恵を絞って考え、何とか思いついた場所があった。
「じゃあ、カルスケイオスまで運ぼう。あれはそこの者だから」
慌てて言うと、
「お父様は、あの人の出身地までお分かりなのですね。さすがです。尊敬しちゃいます」
メーオはそう言って、キラキラした目で俺を見てきた。
いや、そういうのはいいから、奴が目を覚ます前に早く行こう。
彼女が再び呪文を唱え、俺は何とか、この難局から逃れたのだった。
その後、屋敷へ戻ると、既にベルティラも王都から戻って来ていた。
「なあ、ベルティラ。今日、俺はあの、なんとか・ド・なんとかって言う、青い顔の魔族の魔法使いに会ったんだ」
俺の言葉にさすがにベルティラも驚いていた。
「奴は生きていたのか。行方不明だったから、もう生きてはいないのかと思っていたが」
ベルティラはそう言うが、ああいうのはそう簡単には命を落としたりしないから。
彼女が海でリヴァイアサンに襲われていたことを話すと、ベルティラは絶句していた。
「あいつは初めて会ったとき、『魔王様の右腕』だと言っていた気がするんだが。それって本当なのか?」
俺の質問に彼女は、
「いや。おそらくは自らそう名乗っているだけだと思うのだ。だが、魔王様は気まぐれだったし、そのお考えは知る由もない。
何かの時に彼女を右腕だと言ったことが、絶対になかったかと言われると、それは私にも分からぬのだ。まさか魔王様に、彼女を右腕にされましたかと聞くわけにもいかぬしな」
ベルティラは確証が持てないようなので、俺が珍しく俺の屋敷にいたトゥルタークに視線を送ると、
「なんじゃ、アスマット。わしは知らぬぞ」
彼にも魔王であった時の記憶は残っていないようだ。
魔王はともかく、あの誇り高きエンシェント・ドラゴンが魔族を右腕に指名するかと考えると、それも有り得ない気もするが、逆にドラゴンの常識は人間の非常識だから、絶対にないとは言えない気もする。
「今度は我が主の右腕の地位を、虎視眈々と狙っているかもしれぬな。その地位は私のものだから譲る気はないがな」
なんだかベルティラが勝手なことを言っているが、とりあえずスルーしておく。
「いや。俺は遠慮したいな。ベルティラに任せるよ」
彼女は今、ベルティラが治めるカルスケイオスにいるから、仕えるならそちらだろう。そう簡単にはこのカーブガーズには姿を現したりはしないはずだ。たぶん。
「ここはいったい?」
私はベッドの上で目を覚ました。たしか海で、船が巨大な渦に巻き込まれて……。
身を震わせた私に、優しそうな女性の声が聞こえてきた。
「ああ。良かった。お目覚めですね。身体に傷はなさそうでしたから大丈夫だとは思っていましたが。ここはカルスケイオスの教会に付属する療養所ですよ」
どうしていきなりカルスケイオスにいるのか、見当もつかないが、取り敢えず助かったようだ。
「親切な親子が、あなたをここへ連れてきてくれたのです。溺れていたと言っていましたから、おそらくこの先の湖でしょう。
その上、あなたを助けてもらうのだからと多額のご寄付まで。お顔を隠されておられましたが、あなたを浮遊の魔法で運ばれてみえましたから、高名な魔術師の方かも知れませんね」
現れたシスターが何やら言っていたが、私は途中から聞き流した。私が助かったのは運命なのだ。世界はまだ私を必要としている。
「アーハッハッハ。やはり私はヒロイン。物語の主人公なのだ」
小さな病室に、私の笑い声が響いた。