第百十七話 ジグサーマルトの遺産
女王様にお伝えしたいことがある。
ミリナシア姫の突然の発言に、謁見の間は時間が止まったかのようになった。
あの豪胆なハルトカール公子も、さすがに顔を青ざめさせているようだ。
だが、女王様は慌てた様子を見せず、ミリナシア姫に、
「何でしょうか? どうぞおっしゃってみてください」
発言を続けるように促した。
ミリナシア姫は女王様の目をしっかりと見て、言葉を継ぐ。
「私は先祖から大切な品を引き継いでいます。その扱いについてです」
その言葉に、女王様が一瞬、息を飲まれたように思われた。
「まさか『ジグサーマルトの遺産』ですか?」
女王様のお言葉に、今度は謁見の間に騒めきが起こる。
「やはりご存じでしたか」
お言葉に頷いたミリナシア姫に女王様は、
「そんな。『ジグサーマルトの遺産』とは、ただの伝説ではなかったのですか」
そのようにミリナシア姫に問い掛けられた。
(ジグサーマルトって、たしかミリナシア姫の先祖だよな)
俺はそう思ったが、異世界から来た俺はこの手の知識には疎いのだ。
アリアがいてくれれば何か分かるのかもしれないが、いずれにせよ、この場で解説を望むのは無理だろう。
「いいえ。私は父から様々な物を受け継ぎました。そのほとんどは、私の先祖が王都を離れた時に大切に持って来たもの。
その後継者として立つ時に、家臣たちにもお披露目し、正式に跡を継いだことを示すものです」
謁見の間は静まり返り、その場にいる全員がミリナシア姫の言葉を聞き漏らすまいと集中しているようだ。
「ですが父が生前、肌身離さず持ち歩き、自分が亡くなったらすぐに私が受け継ぐように厳しく申し渡されていた物があります。それがこれです」
そう言ってミリナシア姫が懐から取り出したのは、青い輝きを放つ石だった。
「王家に危機迫りし時、王都の西、祠の立つ岩山の麓、青き石もて黄金の扉開かれん」
女王様の口から呪文のような言葉が紡がれる。
「そうです。これがその青い石です。私が女王様に差し上げられるのはこれだけです。ですからこれで、島に住む者たちのうちで大陸へ渡りたい者の帰還をお認めいただきたいのです」
俺には何だかよく分からないが、王家にとって重要な宝物をミリナシア姫の先祖が王都から持ち出し、彼女の家はそれを代々受け継いできたようだ。
「それを私に引き渡すとおっしゃるのですか? どうしてそのような」
女王様も驚かれているようだから、きっとその遺産なるものは大層な代物であるようだ。
交換条件は当たり前で認められそうなことだから、ほぼ無償で渡してしまうようだが、小市民の俺の感覚だと何だか勿体ない気がする。
「もう何百年も前から続く呪われたかのような因縁は、私の代で終わりにしたいのです。
大公閣下、いえ、アマン様が島へお出でになり、すべてを変えてくださった。私はそう思っています。つい先日まで想像だにしなかった王都への道を開いてくださり、私を王都へお連れくださった。
これは運命なのだと思っています。アマン様は私を縛っていた鎖を断ち切り、自由にしてくださったのです」
彼女の言葉に俺は茫然としていたが、女王様が、
「いいえ。残念ですが運命などではありません」
そうおっしゃったのを聞いて、我に返った。
さすがにミリナシア姫も驚いているようだが、女王様はコホンと空咳をすると、
「いえ。賢者様からすれば当たり前のことだからです。賢者様は魔王を倒し、エンシェント・ドラゴンの襲撃から王都を守られた英雄です。
私はそれ以外にも、二度も賢者様に救っていただいています。ですから、あなたを王都へ連れて来るなど、ごく当たり前のことなのです」
そんなことをおっしゃった。
いや、女王様のおっしゃるとおり、いずれにせよそれは運命ではなくシナリオだと思うのだが。
その後、その『ジグサーマルトの遺産』なる青い石がミリナシア姫から女王様に引き渡され、謁見は無事に終了した。
そのまま屋敷に戻ると、ミリナシア姫はさすがにお疲れの様子で、すぐにおやすみになられた。
彼女を除いた俺たちはダイニングに集まり、お茶を飲みながら、アリアから『ジグサーマルトの遺産』について説明を聞くことにした。
「『ジグサーマルトの遺産』は王家の至宝と呼ばれ、王都の大聖堂で保管されていることになっていますが、五百年前から行方不明になっていることは公然の秘密です」
彼女は王室からの圧力で、当時の大司教が大聖堂で保管していると偽りを述べさせられたのだと憤慨しているようだった。
「今では保管しているとも、していないとも表明しないことになっています。それでかろうじて神のお許しにならない『偽り』を遠ざけているのです。それが正しいとは私も思っていませんが」
彼女はかなりそのことに拘っているようだった。
まあ、そういった「大人の事情」っていうやつは、どこにでもあるものだと思うのだが。
「ジグサーマルトって、ミリナシア様のご先祖だよな」
俺の問い掛けにアリアは話を進めてくれる。
「いえ。たしかに王都を逃れたミリナシア様の先祖のお名前もジグサーマルトですが、この宝物に名を遺された方は、この王国の二代目の国王陛下であるジグサーマルト一世のことなのです」
俺の勘違いだったようだが、フランス王だってルイとかフィリップとか同じ名前が何度も出てくるからな。
どうやらミリナシア姫の先祖は、その由緒ある名前を継いだようだ。
それなら、ますます彼女の先祖が正統な王位継承者ではないかとも思う。
だが、そんなことを言えばいらぬ軋轢を生むだけだと先日、言われたばかりだし、俺はその言葉を飲み込んだ。
「王様は、はだかだ」と叫ぶのは子どもの役割なのだ。
それに俺は王国大宰相、思い切り体制側の人間だ。あまりその自覚がないのが問題なのだろう。
まあ、女王様にご迷惑を掛けようとまでは思わないが。
「それで、その遺産とやらはどんなものなんだい?」
エディルナが先を促すとアリアは、
「『ジグサーマルトの遺産』は、すでにこの数百年の間、実物を見た者もおらず、半ば伝説となっていて、その存在を疑う者さえいました。ですからそれがどういった物なのか、よく分かっていないのです。
伝承では、ジグサーマルト一世が神から授けられたと言われているのですが」
アリアの言葉に、俺はミリナシア姫から女王様に渡された青い石が、俺がメーオからもらった貝殻によく似ていることに気がついた。
あれはセヤヌスが作ったと言っていたし、同じ物だとすると、神から授けられたというのも、あながちただの作り話ではないのかもしれない。
「女王陛下は何やら『王家の危機』とか、おっしゃられていたみたいだけれど」
俺が頼りない記憶をたどって確認すると、
「ええ。『王家に危機迫りし時、王都の西、祠の立つ岩山の麓、青き石もて黄金の扉開かれん』ですね。『ジグサーマルトの遺産』に関する伝承のひとつです。これもその内容はよく分かっていませんが」
アリアが『遺産』について知っていることは、それですべてとのことだった。
念の為トゥルタークにも聞いてみたのだが、三百年の齢を重ねる大賢者にしても、生まれる前から行方不明になっていた王家の宝物についてはアリア以上のことは知らないようだった。
翌日、俺は謁見のお礼に王宮を訪れた。
今回の謁見ではハルトカール公子が頑張ってくれたのだが、女王様にも多大なるご迷惑をお掛けしてしまったようだ。
深く考えなかった俺にも責任の一端はある気がするので、お礼くらいは丁寧に申し上げておくべきだろう。
「賢者様のおかげで『ジグサーマルトの遺産』が王都へ戻ってきました。こちらこそお礼を申し上げなければなりません」
だが、女王様には逆にお礼を言われてしまった。
「それに彼女のことも、妹ができたようで嬉しいのです」
女王様はそうおっしゃって、相変わらず美しい笑顔をお見せくださる。
昨日は何だか一瞬、ふたりの間に険悪な空気が流れたような気がしていたのだが、やはり何も心配することはなかったのだ。俺が思っていたとおり、女王様はお優しい方なのだ。
「彼女にはこれから、王都で見聞を広げていただくとともに、領地経営のことなども学んでもらってはと考えているのです」
俺は女王様にそう申し上げた。
やはり本格的に政治を学ばれるのなら、王都が最適だろう。
(宰相府で実際に行われていることをご覧いただいて、実地で学んでいただくのもいいかもな)
俺はそう思っていた。
さすがに王都の宰相府だけあって、あそこには優秀な人も多いし、殊に幹部は「統治の要諦」を知り尽くしているからな。
もともとミリナシア姫は利発な方だと思う。
だから王都で学ばれれば、すぐに実が挙がると思うのだ。
これも王族補正のおかげなのだろうか。でも、とんでもなく無能な王族もいるんだよな。
「『ジグサーマルトの遺産』については、魔術師ギルドにお願いし、王都の西の山で調査をすることにいたしました」
女王様のお言葉に、俺は(また、あの岩山か)と思ったが、黙っておいた。
俺がエレブレス山の女神に聞けば、すぐに分かることなのかもしれないが、何でも俺が動けばいいというものでもないだろう。
王都の魔術師ギルドには優秀な魔法使いも多いし、ペラトルカさんの活躍の場を奪うのも何だしな。
王宮から下がり、屋敷に戻ると、皆がミリナシア姫を囲んで何やら相談をしていた。
聞けば、先ほど王宮からの使者が来て、ミリナシア様の屋敷を用意したと伝えられたそうだ。
いや、いくら何でも早すぎて準備が整ったとは思えないのだが。それに、
「ちょっと遠くないか」
俺が感想を述べると皆が頷いている。
これでは宰相府まで通うのも一苦労だろう。
「そのうちに家臣たちも王都へやってくるだろうから、その屋敷には彼らに詰めてもらえばいいだろう。ミリナシア様には今までどおり、この屋敷で過ごしていただけばいいんじゃないか」
俺の言葉に、不安そうにされていたミリナシア姫の表情が、ぱっと明るくなったような気がする。
俺たち以外に王都に知り合いもいないのだから、当分はそれでいいだろう。
アグナユディテとベルティラは、何故かふたりで顔を見合わせていた。
最近は少しは仲良くなってくれたのだろうか。それならばとても喜ばしいのだが。