第百十五話 謁見への思惑
「いやあ。今回はさすがに我が公爵家存亡の危機かと思いました」
ハルトカール公子が汗を拭う仕草をする。
「エルクサンブルクのお方は、いつの間にか謁見の間から退出されているし。孤立無援、進退ここに窮まれりとは、まさにあの状態でしょうな」
ティファーナに視線を送り、そんな恨み節まで飛び出してくる。いつもの彼にはないことだ。
「あら。私はいつもどおり、大切な旦那様の勤務が終わったので、引き上げさせていただいただけですわ。初めからお分かりのはずでは?」
ティファーナは平然とした顔でハルトカール公子をいなしたようだが、普段より少しだけ声のトーンが上ずっているようだ。
公子の説得力をもってしても、ミリナシア姫に女王様の謁見を賜ることは難事だったようだ。
「どうしてそこまで五百年も前のことに、拘るのか分からないな」
王国には罪が子孫の、しかも十代以上も末にまで及ぶ、恐ろしい連座制でもあるのだろうか。大逆罪を犯した者は九族まで滅するとか。
それでも、ミリナシア姫は対象から外れると思うのだが。
「拘らないのであれば、王都へなど上らず、そのままお聞きしたその島にいらっしゃれば良いのですわ。
まして女王陛下との謁見を望まれるなど、何か良からぬ考えがおありなのではと思われても仕方がないのではありませんか?」
ティファーナも辛辣だ。まあ、大貴族一般の認識は彼女の言うとおりなのだろう。
成り上がりの俺には分からないことなのだ。
それに、女王様との謁見はミリナシア姫が望んだわけではない。
(せっかく王都へ出られるのなら、やっぱり王宮も訪ねられた方がいいよね。じゃあ、遠いとはいえ親戚なのだから、女王様にも会われたらいいんじゃないかな)
そんな軽薄な俺の考えによるものなのだ。
「イベリアノはどう思う?」
俺は先ほどから黙っている彼に、そう問い掛けてみる。
「いえ。私には王家に連なる方や、高位の貴族の方々のお考えは、よくは分かりませんが……」
そんな前置きをして、彼は、
「ですが、大宰相閣下がまた何かを始められたのではと、不安を感じておられる方が数多くおられるであろうことは、想像がつきます」
俺には別にそんな深い考えはないのだが、どうしてそういうことになっているのだろう。
それこそ、疑心暗鬼を生ずってやつじゃないだろうか。
「西の離宮に幽閉された、当時の王女様を救い出されたかと思えば、その敵対者の家臣であった私をお使いになられる。閣下を陥れようとしたと公言されたティファーナ様も、変わらず宰相府に留め置かれておいでです。
いったい、どう振る舞えばいいのか。多くの方々は分かりかねていることでしょう」
イベリアノの言葉は俺には意外なものだった。
いや、良く言えば王国の全き治世のために、本当のところは俺が楽をするために、彼らの力は不可欠なのだ。
だが、まあ、そういった見方をする人もいるのかも知れない。俺からしたら、ご苦労様としか言いようもないが。
「そして今度は海へ向かわれたと思ったら、最早、王国の古い歴史とも言えるジグサーマルトの末裔を伴われて、王都への帰還を果たされるなど。私のような頭の悪い者には、ついて行くだけでもやっとです」
イベリアノの言葉を受けて、ハルトカール公子がそう引き継いだ。
彼はよく自分のことを頭が悪いと言うが、そんなことはないと思う。フォータリフェン公爵は、もう少し彼の自己肯定感を育てるべきじゃないだろうか。
そんなことを考えていると、
「閣下。王宮からの伝言です」
俺たちの前に秘書のカトリエーナが姿を見せ、俺に一枚のメモを渡す。
そのメモからは、微かにシトラスのような、それでいて華やかな花のような香りがしたような気がした。
「女王陛下。内奏の機会をいただき、有り難うございます」
王宮の謁見の間からほど近い控えの間のひとつで、待っていた男の前に女王が姿を見せた。
「エラプドレーヌ卿。火急の用とは、いったい何事ですか?」
女王の言葉に、男は恭しく頭を下げ、
「では単刀直入に申し上げます。今すぐに、あの男を排除すべきです。あのジグサーマルトの末裔と称する者を伴って現れるとは、遂にあの男、牙を剝き始めたのではありませんか」
女王は黙って男を見ている。男はなおも続けて、
「あの男は陛下の正統性に疑問を投げ掛け得る、別の血筋の者を自家薬籠中の物としています。陛下と相撃たせ、王権を簒奪しようと画策しているのではと専らの噂です」
なおも言葉を下されない女王に、男は焦りを見せ始めた。
「今すぐ手を打たねば手遅れになりかねません。陛下さえご決断下さるなら、私は憂国の士を仲間に募り……」
男がそう言ったところで、女王はおもむろに口を開いたが、聞こえてきたのは男が望んでいた言葉ではなかった。
「賢者様。もうよろしいですよ。お入りください」
「なっ! 何故お前がここに?」
俺が奥の扉から控えの間に姿を見せると、男はやっとそれだけを口に出し、俺と女王様に交互に視線を向ける。
いや、俺は女王様の侍女に案内されて、この控えの間の扉の外で待っていただけなのだが。
「その扉の先は王家の者しか入ることの許されぬ領域のはず。まさか、噂は本当だったのか」
さっきからこの男、いやエラプドレーヌ卿だったか、彼の口から出るのは噂ばかりだ。
噂で人を判断するのは間違っていると思うぞ。
いや、でも、どんな噂なのだろう。俺は小心者だからちょっと気になってしまう。
それに俺が待っていた場所って、そんなに大層な領域なのか。でも、女王様のお許しを得て、侍女が案内してくれたのだから問題ないよな。
「賢者様が彼女を王都へ伴われて以来、こんなことが何度も起きているのです。賢者様にも知っておいていただいた方が良いかと思いまして」
エラプドレーヌ卿の顔色は真っ青だ。彼こそいい面の皮だろう。
「私にはカーブガーズ大公を排除する気などありません。万が一、そのような暴挙が行われた場合には、王国に対する反逆と見做します」
女王様の宣告するような言葉に、彼はしおしおと控えの間から出て行った。
俺はこの王国の大宰相なのだから、俺を害しようとする者は王国を害する者だ、なんて言うつもりはないが、ちょっと俺を害しようとする者が多すぎやしないか。
決して愛されるタイプだとは思ってはいないが、もう少しこう敬意というか、敵意以外を向けられてもおかしくないと思うのだ。
尊崇の念なら、抱いている者が約二名ほどいるような気がするが。
俺と女王様は、そのまま控えの間のソファに腰を下ろし、向かい合った。
「あの英雄バルトリヒが早世したことで、王家があらぬ疑いを民衆から受けたことを私は忘れてはおりません。それは、いかに王家が説明を尽くし、事実無根を訴えたところで、消し去ることはできないのです」
女王様のお言葉に俺は驚いた。トゥルタークもそんなことは言っていなかったし、女王様のおっしゃるとおり、それは事実ではないのだろう。
だが、確かに魔王を封印し、世界を救った彼が王位を望めば、少なくともこの国に、大乱が起こるくらいのことはあったかも知れない。
王家がそれを未然に防ぐためになんて、いかにもありそうな話ではある。
「今から二百年程前、王都の西にある山が当時のシュタウリンゲン卿によって崩されたとき、それをバルトリヒの呪いだと信じた者は多かったのです。
この国の建国にまつわる祠が、バルトリヒの子孫であるシュタウリンゲン卿によって壊されたことに、人々は象徴的な意味を見出したのです」
俺はその事件の真相を知っているから、そんな意味などないことが分かるが、英雄を渇望したり、現状に不満を持つ人たちなら、そう思うかもしれない。
「当時も到底、人間のできることとは思えなかったようですが、多くの目撃者がいたことと、当時のシュタウリンゲン卿があっさりとそれを認めたことで、様々な憶測を呼んだようです。
なにしろ彼の様子は普段とは全く異なり、家宝の剣をはじめ、多くの財貨を何のためらいもなく差し出し、爵位を貶とすことにも同意したのですから」
まあ、いつもと様子が異なっていたのも当然だろう。その時、顔を出していたのは、バルトリヒの子孫を依り代としたエンシェント・ドラゴンの方だったのだからな。
パーヴィーも罪作りなことをしたものだ。
「その後、賢者様が再びあの山を崩されるまで、そんなことのできる者は現れなかったのですから、民衆がそこに何らかの意味を見出すことを止めることはできませんでした。ですから賢者様には感謝しているのです」
俺の額を汗が流れる。
当然、ご存じなのは分かってはいるのだが、どうもあの件に触れられると、やはり緊張してしまう。
「いえ。そんな」
俺はそう答えるのがやっとだった。
でも、女王様は感謝しているとおっしゃってくださっているし、大丈夫だよな。嘘じゃないよね。