第百十四話 ミリナシア姫と王都へ
リヴァイアサンを倒した、いや、実際には倒していないのだが、俺たちは再び島へと戻り、ミリナシア姫に討伐完了の報告をした。
「恐ろしい海の魔物を、こんなに易々と退治してしまわれるだなんて、やはりアマン様は魔王を倒し、ドラゴンから王都をお守りになった英雄なのですね」
ミリナシア姫からそうお褒めの言葉をいただいて、奴を倒せなかった残念な気持ちも少しは和らぐ気がする。
リューリットは相変わらず、つまらなそうな顔をしていたが。
「ではミリナシア様。王都へ参りましょう」
俺がそう告げると、家臣たちが「では、私たちもご一緒させていただきます」と言い出した。
いや、いくらベルティラの魔力が増えたからって、そんなに大人数を運べるはずがない。
俺がそう思って驚いていると、トゥルタークが、
「アスマットよ。どうするつもりなのかとは思っておったが、気がついておらなんだか。まあよい。では、わしの言うとおりに伝えるのじゃ」
俺はトゥルタークに小声で言われたとおり、
「今から王都へお連れできるのはミリナシア様だけだが、姫様の身の安全は、王国大宰相である俺と、その師であるトゥルタークの名に懸けて保証するから安心してほしい」
そう家臣たちに伝えた。
「あなたの師は、あの伝説の大賢者トゥルタークだとおっしゃるのですか!」
家臣たちは、俺の師がトゥルタークだと聞いて、かなり驚いていた。そして神官のアリアがそれを真実だと保証したことで、改めて俺を信用する気になったようだ。
王国大宰相なんて、彼らからしたら仇みたいなものだから、それ程、信用に値する訳ではなかったようだ。だが、この島にも漂着した人たちによって、魔王バセリスを封印したバルトリヒとトゥルタークの英雄譚は伝わっていたらしい。
まさか目の前の可愛らしい少女が、大賢者その人だとは思っていないだろうが。
「では、大賢者トゥルタークの弟子であるアマン殿。姫様をくれぐれもお願いします」
重臣らしき老人が俺に頭を下げる。
やっぱりポッと出の俺なんかよりも、三百年の間に伝説となったトゥルタークの方が、圧倒的にネームバリューがあるようだ。
そもそもこの島の統治だってあるのだから、どのみち全員で王都へ向かうなど無理な話なのだ。実は大した仕事なんてないのかも知れないが。
それにミリナシア姫自身の決意が固かったことも、彼らが納得せざるを得ない理由のひとつになっていた。
「アマン様がその気になれば、初めてお会いした時に、私たちは皆、生命を失うか自由を奪われていたでしょう。私はアマン様がお寄せくださった善意を信じます」
彼女はそう言って、俺の薦めに従って王都で見聞を広めたいと言ってくれた。
それでも家臣の中には、
「姫様。おいたわしい……」
と涙を流す者もいて、どう言っても通じない人も必ず一定数はいることを、改めて認識させられたのだが。
家臣たちには後日、船を寄越すから、王都行きを希望する者は、それまでに準備を整えておくように伝え、俺たちはまずカーブガーズへ跳ぶことにした。
カーブガーズで一泊し、翌日にはいよいよ王都へと跳ぶ。
ちなみに俺が『サンタ・アリア号』での航海中、カーブガーズの統治はイベリアノが担ってくれていた。
彼のいる間、統治に遺漏などあろうはずもない。それだけでなく、彼は俺が戻った後のことも考えていたようだ。
「僭越とは思いましたが、下僚たちに一部の業務を割り振っておきましたので」
彼は一部だなんて言っていたが、俺に言わせれば、どうしたらこんな抜本的な業務改革が、俺が留守にしていた短期間でできるんだと思わせるものだった。
彼には是非、元いた世界の俺の勤めていた会社の業務改善のコンサルになってもらいたい。
そうすれば俺は毎日もっと早く帰って、より長時間ゲームとラノベに時間を使えるのに。
それは別にしても、彼のおかげで政庁は以前より格段に効率的な運営がなされ、俺も楽ができるというものだ。
彼がカーブガーズに来てくれていなかったら、ミリナシア姫を王都へお連れすることだって、こんなに早くには実現できなかったかもしれない。
王都の俺の屋敷は、大宰相就任後、新たに下賜されたもので、王宮のすぐ隣りという王都の超一等地にある。
アリアによれば以前は王宮の一部で、百年程前は当時の王弟殿下のお屋敷として使われていた場所とのことだった。
初めてここを訪れた時、俺はこんな広い屋敷は必要ないと思ったものだ。
だが、ハルトカール公子から、
「大宰相にご就任された時のことを思い出していただければ、この屋敷を下賜するに当たっても、女王陛下がいかにお心を砕かれたかお分かりになると思いますが」
苦笑いしながらたしなめられたので、有り難くいただくことにしたのだ。
やはり王宮内では前例だの慣習だのを持ち出して、反対する者が多くいたようだ。
今となってみれば宰相府にも近いし、ミリナシア姫に王都を案内するのにも便利なので重宝するのだが。
とりあえずミリナシア姫に王都を案内するのは、エディルナにお願いした。
「わたしは王都生まれの王都育ちだし、ミリナシア様は話しやすい、とても気持ちのいい方だからね。喜んで案内するよ」
彼女は島で過ごす間に、ミリナシア姫とも親しく話せるようになっていて、二つ返事で引き受けてくれた。
それに彼女は知らないことだが、『ドラゴン・クレスタ』の真のエンディングで、彼女はミセラーナ王女の親衛隊長になるのだから姫君の護衛にも適任だ。
本当は俺が案内したかったのだが、アグナユディテから、
「アマンは責任を持って、彼女を女王様にお引きあわせしないとね。そのための準備がいろいろと必要でしょ」
そう言われて、宰相府へ向かうことになったのだ。
いや、別に俺が王都観光をして遊んでいたいという訳ではなかったのだ。初めての王都でミリナシア姫もご不安だろうし、失礼のないようにしたいと思っただけだ。本当だ。
それに俺なんていなくても、ハルトカール公子やイベリアノに伝えておけば、問題なく準備は進むと思うのだが。
「また新しい女性ですか。大公もスミに置けませんな」
宰相府を訪れた俺に、ハルトカール公子はそう言って笑い掛けた。いや、冗談にしても面白くないから。
五百年程前の出来事については、俺以外は皆が知っていた。
まあ、王宮に暮らす者にとっては教科書にも載っているような、当たり前の知識ということなのだろう。
「ジグサーマルト殿下の末裔ですか。閣下も大変な方を見つけられたものですわね」
ティファーナも珍しく難しい顔をしている。どうやらミリナシア姫の先祖は王都では、病弱な兄王を扶けることもせず、放埒を繰り返し、王太后から王位の継承を否定されて追放されたことになっているようだ。
「あの島では、ファーランフェン二世が王位を簒奪したと言っていたぞ。五百年も前のことだし、どっちの言い分が正しいかなんて俺には分からないな」
俺の発言にティファーナも、ハルトカール公子も驚いたようだ。
「閣下。そのようなことを。私たち以外の者に聞かれれば、要らぬ軋轢を招きますわ」
ティファーナはそう言うし、ハルトカール公子も、
「閣下は相変わらずですな。彼女が陛下に謁見を賜れるよう、何とか動いてみましょう」
いつもより慎重な様子だ。
まあ、歴史は勝者によって作られるから、王都から逃れることになったミリナシア姫の先祖が悪く言われているのは、当然と言えば当然だ。
(でも、もう五百年も前のことだしな)
そう思うのは、高貴な血など一滴も流れていない、お気楽な俺だけなのかも知れなかった。