第十二話 サーカスの少女
「魔王様。ご復活、おめでとうございます」
魔王の腹心のひとり、ベルティラ・デュクランは今日、主の復活以来、初めての謁見を賜った。
謁見の間には、咳きの音ひとつなく、集められた魔族はみな一段高い場所にある玉座を注視するが、玉座を囲むように天井から吊るされた薄い布に遮られ、主の姿を直接拝むことはできなかった。
並み居る魔族を代表しベルティラが続ける、
「我ら、魔王様のご復活を心よりお待ち申し上げておりました。あの憎き魔法使いの命、もう少し早く刈り取ることができていたらと、我らの力が足りず申し訳ございません」
すると、いきなり魔王の座る玉座から広がった衝撃がゴウと広間全体を震わせる。
ベルティラが膝を落として辛うじてその衝撃を耐えると、玉座から彼女に向かって冷ややかな若い女の声が響いてきた。
「ベルティラよ。そちは妾の復活は自分の手柄だとでも言うつもりか」
ぞっとするような冷たい声に、ベルティラは何か言い間違えがあったかと冷や汗を流しながら答える。
「滅相もございません。魔王様のご復活は魔王様ご自身のお力によるものにございます」
チラとでも自分が魔王の復活に貢献したとでも思えば、それを見透かされるのではないかとベルティラは恐怖した。
「お為ごかしを言いおって。妾が復活できたのは、単に忌々しい彼奴の命が尽きたからにすぎぬ」
黒く輝く壁に囲まれた玉座の間に魔王の冷たい声が響く。
「彼奴の命を刈り取るだと? そちの魔法など彼奴には何ほどのこともなかったぞ。彼奴は自らの命が尽きることを知って、結界の外、宝珠の力の及ばぬ場所へその身を晒したのだ」
ベルティラは、玉座の主の感情が、そう言葉を継ぎながら高ぶってくるのを感じていた。
「三百年! 三百年の間。彼奴は一度もそちらの侵入を拒む結界からも、妾の力を抑え込む宝珠の力からも、妾を解放しなんだ。隙はまったく見せなんだ」
この怒りが自分に向けられることがないよう、ベルティラはひたすら縮こまって頭を下げ続ける。
「人間などせいぜい五十年も待てば、また自由に振る舞えるであろうと高を括っておったが、まさか三百年もの間、封印が解けぬとは思わなんだわ。しかも、彼奴には常人なら耐えられぬであろう呪いを喰らわせてやったのにの」
布の向こうに姿が隠れていてもその声の震えから、あの魔法使いに向ける憎しみの激しさが感じられるほどだ。
「復活してみれば、われらの安住の地は相変わらずあの不毛の大地のみ。そちらには他に何の力もない様子。三百年の間、いったい妾のために何をしてくれておったと言うのじゃ。ただ妾の復活を祈っておっただけか」
相変わらずベルティラは静かに頭を下げ、怒りの嵐が過ぎ去るのを待とうとしていたが、それは儚い願いであったようだ。
「しかも妾が貸し与えた二つのリングのうちの一つを、あのような小童に壊されるとはの。呆れて物も言えぬわ」
そう言って玉座から指を鳴らす音がすると、ベルティラの右腕から金の腕輪が外れ、薄い布の奥の玉座に消えていった。
「挙句の果てに化け物の子孫から奪ってくるよう命じた代物は見つけられず、妾が命じもせぬ王女の誘拐などを企て、情けなくもすぐに取り返されるとは。何か申し開きがあれば言ってみるが良い」
つい先ほどまで、魔王に謁見を賜り、意気揚々と玉座の間に現れたベルティラの姿は既に欠片もない。
「はっ。面目次第もございません」
息をするのもやっとという心地で、ベルティラはなんとかそれだけを返す。
だが、魔王の言葉は容赦のないものだった。
「素直に謝れば慈悲を受けられるとでも思うたか? そちには頭を冷やす時間が必要よな。この城の地下牢で百年程、過ごすがよいわ。なあに、妾が封じられた期間のたかが三分の一に過ぎん。ダークエルフのそちなら十分に耐えられる時間であろう。ドゥーゲル。その女を連れて行け!」
そう言って再びパチリと指を鳴らす音が響くと、ベルティラの両腕、両脚と首に真っ黒な枷とそれを繋ぐ鎖が出現し、彼女はろくに身動きがとれない状態にされてしまった。
そして、黒光りする巨大な肉体を持つ異形の怪物が、首枷についた鎖の先を握り、ベルティラを引きずって行こうとする。
「そう言えば、その王女を取り返したのはあの化け物の子孫だそうよな。一度、妾が直々にその顔を拝みに行ってやるとするか」
人間どもが英雄と呼ぶ、恐るべき剣を振るう、とても人とは思えぬ膂力と剣技を誇った化け物。
その子孫がどの程度のものなのか、念のため魔王である自分が確かめておく必要があるかもしれない。
自分が人間の世界に出るとなると、魔王であると見破られる危険もあるが……。
「ドゥーゲル。待て。今、エルフどもは人間と随分と仲が悪いようではないか。常に我らを見誤らぬ奴らが、数の多い人間どもと結べば厄介じゃ。亜人嫌悪という毒を世に撒いたは、その女にしては良策じゃった」
魔王の声は先ほどまでと違い、心なしか楽し気だ。
「まあ、三百年もあれば、よほどの無能でもそのくらいは気がつくか? だが妾は今、機嫌が良い。そうよな。入牢の期間を十年ほど短縮してやれ。」
そう言う魔王の声を背中で聞きながらベルティラはうな垂れ、怪物に鎖を引かれて玉座の間から去って行った。
俺がエルフの森から戻った王都は久しぶりに生色を取り戻していた。
このところの魔族を警戒せよとのお達しや、結界の展開の騒ぎで普段の活気を失っていたが、ミセラーナ王女の無事の帰還を祝い、王から民に祝い金が下賜されたのだ。
戦時ゆえ額は多くはなかったが、これまでの暗いムードが払拭されたこともあり、市場や繁華街は大いに賑わっていた。
(まあ、こういった時はやっぱり市民にはパンとサーカスだよね)
俺がそんなことを思っていると、
「郊外にサーカスが来ているそうだ。結構、評判になっているみたいだぞ」
どこから聞きつけたのかエディルナがそう言って、俺たちをサーカス見物に誘ってきた。
正直、俺は行きたくなかったが、ゲームではパーティーの皆でサーカスを見に行くイベントがあったはずだ。
いまのところ俺のゲーム知識はかなり役に立っているが、パーティーメンバーの性格も違っている気がするし、そもそも俺がメンバーを集めたり、王女様を救出するときに仲間になっているはずのアグナユディテがいなかったりとゲームと違ってきていることも多い。
これ以上差異を広げてしまうと、ゲームの知識が役にたたなくなってしまうことも考えられる。
前の世界の知識を生かすためには、なるべくゲームのシナリオをなぞるように行動すべきだろう。
「たまには息抜きも必要だろう。皆で行ってみよう」
いつも真面目なアンヴェルも珍しく賛成する。
すると、エディルナが俺の後ろに立つアグナユディテを見て、
「でも少し問題があってね……。その……、実はそのサーカスは亜人は入場できないみたいなんだ」
申し訳なさそうに言うと、皆の視線が一斉にアグナユディテに集まった。
「いえ。私は興味がないから。王都のすぐ側ならほとんど危険はないでしょうし、エディルナやリューリットがいるなら安心ね。わたしもたまにはアマンのお守りから解放されてゆっくりしたいわ。そのサーカスとやらに行って来たら?」
彼女はそう言って、顔の前で手を振る。
ゲームではあまり気にならなかったが、実際にアグナユディテひとりだけを置いていくとなるとかなり抵抗感がある。
アンヴェルがサーカス見物に賛成したのも、亜人お断りということを知っていたからではないかと疑いたくなる。そこまで策士ではない気もするが。
それでもやはりエディルナは行ってみたかったらしく、アグナユディテに謝りながらも嬉しそうだった。
俺たちは城門を出た先にある大きなテントに向かった。
サーカスが王都にやって来たのは久しぶりらしく、テントの周りには多くの人が集まり大盛況になっていた。
テントの前には屋台も出て、さながらお祭りのようだ。
やはり親子連れが多い気がするが、俺たちのような一団もちらほら見られる。まだ開演までには時間があるはずなのだが、入り口にはすでにかなりの人が並んでいた。
だが、シュタウリンゲン家の当主ご一行様の俺たちは列に並ばされることもなく、ゆったりとした貴賓席に案内された。
そして次々にテントの中央の舞台で展開される綱渡りや組み体操に似た曲芸、リングやリボンを使った新体操のような演舞、口から炎を吐き剣を飲み込む大男、三人組の若い男のジャグリングなどの出し物を楽しんだ。
そうしたなかで、ひときわ観客の歓声を浴びていたのは小さな軽業師の女の子だった。
銀色の長い髪を可愛らしくツインテールに結んだ彼女は、連続して宙返りをしたかと思うとシーソーを使って飛びあがり、大人の肩に着地した次の瞬間には身体を捻りながらひらりと床に舞い降りるなど、よくぞこれほどと思うほどくるくると動き回る。
愛くるしい笑顔で着地を決める度に、やんやの喝采が巻き起こった。
(うーん。この世界にも、社会的に抹殺されるべき業を背負った者が数多くいるようだな)
俺はそんなことを考えて気を紛らわせながらも、彼女から目が離せなかった。
俺は彼女の正体を知っていたからだ。
(まあ、魔王が小さな女の子っていうのはデフォだしな)
そして彼女の右手首には、あの金色のブレスレットが光っていた。
出し物がすべて終わり俺たちがテントの外に出ると、団長をはじめサーカスの団員が揃って見送ってくれる。
ゲームではパーティーの皆でサーカスを楽しんでMPが全回復して終わるだけのイベントなのだが、最悪、サーカスのテントがいきなり紅蓮の炎に包まれたり、闇の大魔法が貴賓席に炸裂したりする事態もありうると思っていた俺はまったく気が休まるときがなく、ぐったりしていた。
そして列の最後には、あの女の子が待っていた。
「シュタウリンゲン様。みなさま。エリスと申します。今日はありがとうございました」
彼女はそう言ってチュチュスカートの裾に手を添え、可愛らしく挨拶をする。
その姿にエディルナが目を細めて彼女に近寄る。
「本当にかわいいな。このまま連れて帰りたいくらい。そうだ。おねえさん、いい物を持っているんだ。エリスちゃんにも見せてあげるね。とても貴重な宝物だそうだよ」
そう言ってエディルナが袋から取り出したのは『破邪の鏡』だった。
(えっ。なんでそんなものを持ってきているんだ)
俺は激しく狼狽し言葉が出なかった。
「とっても綺麗な鏡なんだ。ほら、裏側の飾りがキラキラと宝石みたいでしょう」
エディルナは自慢気にユニコーンが彫られた裏面を見せているが、鏡の面をエリスに向けた時、そこには何が映るのだろうか。
だが、それはすんでのところで回避された。
「エディルナ。戯れもいいかげんにしろ。すぐにそれをしまえ!」
アンヴェルが大きな声でエディルナを叱責したからだ。
「エリスだったか、悪いがその鏡は教会の宝物。僕たちは少しの間それをお預かりしているに過ぎん。軽々に見せるわけにはいかないんだ。分かってくれるかな?」
(アンヴェル、ナイス。ナイスアシスト!)
魔王に『破邪の鏡』を使ったら、何が起こるか想像もつかない。
いや。逆にろくでもない事態を惹起することが容易に想像がつくとも言える。
俺は胸を撫でおろした。




