第百十一話 再びイルカに乗って
『サンタ・アリア号』は建物の見える浜辺に近付き、上陸用の小船を降ろした。
俺はレビテーションで仲間とともに小船に移る。
いや、魔法が使える世界でよかった。縄梯子を使って下りることになっていたらと思うとゾッとする。
結局、上陸用の船に乗り込んだのは、俺を含めて八人の仲間たちだけだ。
まあ、当然と言えば当然だ。
「キャプテン。俺も一緒に行かせてください!」
なんて声が上がることをほんの少しだけ期待したのだが、俺ってやっぱり人望がないんだよな。
アンヴェルは航海中に何人かの船員に剣の稽古をつけていたらしく、「先生。行かないでください」なんて言われていたみたいだ。
やっぱり主人公は違うよな。
俺たちが砂浜に上がると、もうそこにはかなりの人たちが集まって来ていた。
その中にはミリナシア姫の姿もあって、
「アマン様。ご無事のお帰り。またお会いできて嬉しいです」
とおっしゃって下さる。だが、状況はまったくご無事とは言えないのだ。
俺たちは急いで屋敷に場を移し、ミリナシア姫をはじめとするこの島の統治に携わる人たちに、迫る危機についてかいつまんで説明をした。
「そのような恐ろしいことが起こっているなんて」
ミリナシア姫は青ざめた顔でそうおっしゃったが、
「でも、アマン様がいらっしゃったからにはもう安心ですね」
なぜかそう続けられた。
いや、どうして俺なんかのことを、そんなに信頼してくださるのだろう?
確かにこの島ではかなりやらかしたけれど、今回の危機は、あの程度の魔法でどうにかなるものではない。
「だって。アマン様は魔王を倒し、王都をエンシェント・ドラゴンから救われた英雄なのでしょう。今回もきっと大丈夫です」
俺は自分からそのことをひけらかした覚えはないが、さすがにミリナシア姫には誰かから伝わったらしい。
ここでハルトカール公子だったら、
「もちろんです。安心して私にお任せを」
とか、格好良く言うんだろうなと思うが、生憎、俺はそういったキャラクターではない。
「いえ。はい。がんばります」
格好悪いなと心で泣きながら、そう言うのがやっとだった。
俺たちは島から東の空を眺めたが、今のところ、まだあの雲と暗黒の空は見えてはいない。
だが、それが姿を現すのも時間の問題だろう。
「アマン。僕たちになにかできることはないか」
アンヴェルがそう言ってくれる。
そうは言っても、この事態はすべて俺がこの世界へと召喚されたことによって引き起こされている。
この中で強いて責任がある者と言えばトゥルタークが挙げられるのだろうが、こんなことになるとは思ってもみなかっただろうから、それは酷な話だろう。
それに俺の心当たりが正しければ、本当に俺ひとりの問題なのだ。
だが、パーヴィーがエレブレス山に俺たちを連れて行ってくれたことだって、後から考えてみれば、俺がこの世界に召喚されたからこそ起こった問題だったのに、エディルナやアリアが必死の想いで説得してくれたからこそ実現したのだ。
アンヴェルとパントロキジアとの幸運な出会いが決め手にはなったのだが。
(皆で説得したら、冥王も心を動かすかもしれないな)
これまでのことを考えると難しい気はするが、もう時間もないのだ。できることは何でも試してみた方がいいだろう。
今の状態で冥王と会話できるのは俺だけなので、そうなると、あの神殿へ皆で押し掛けるしかない。
俺はまたセヤヌスの姿を思い浮かべ、彼女に話し掛けた。
「セヤヌスよ。アマンだ。今はあなたたちのいる神殿が間もなく到着する島の浜辺にいる。俺は仲間たちとそちらを訪ねたい。迎えを寄こしてくれないか」
セヤヌスからは驚いた声ですぐに返事があった。
(先ほどあれ程警告したのに、まだあなたはそんな所にいるのですか? 自分の存在を何だと思っているのです)
嘆かわしいといった声で言ったセヤヌスは、だが、
(仕方がありません。迎えを差し向けますから、それに乗ってすぐにこちらへ来るのです)
すぐにそう言って、俺の要請に応えてくれるようだ。
エレブレス山の女神が護りを与えてくれた時もそうだったが、同じように彼女も結構、便宜を図ってくれるようだ。何だかんだ言ってもやっぱり姉妹だからかな。
しばらく浜辺で待っていると、東の方角から波を切って、何かがこちらへ向かってくる。
いや。あれはやはり白いイルカだ。
だが、イルカは一頭ではなかった。二頭、三頭、四頭……、どうやら全部で八頭いるようだ。
しかも八頭全部が白いイルカだ。
てっきり神の使いって一頭しかいないと思っていたのだが、これにはちょっと意表を突かれた。
イルカたちはすぐに波打ち際までやって来た。
それぞれ「キュー、キュー」と鳴き声を出している。
一頭のときはかわいいと思ったが、これだけいるとうるさいだけだ。
「アマン。これはいったい?」
アンヴェルが俺に尋ねてきた。
「女神セヤヌスの使いだ。これに乗って、皆で神殿に向かうんだ」
時間はあまり残されてはいない。それ以前に、もうここにいる八人の意思を確認する必要はなかった。
俺たちはそれぞれ白いイルカに乗って、神殿を目指して出発した。
イルカの背中で、俺は冥王のことを考えていた。
この世界が蒸発するという恐ろしい危機について教えられ、彼女から「名前を当ててみろ」と言われてから、俺の心は千々に乱れ、考えをまとめる余裕がなかった。
その後もクラーケン、そしてリヴァイアサンの襲撃で、ゆっくりとそれについて思いを馳せる時間を持たなかった。
『ドラゴン・クレスタ』、そして『ドラゴン・クレスタⅡ~古竜王の咆哮~』。後者は発売こそされなかったものの、それらは確かに存在した。
だが、自分のことを『ドラゴン・クレスタ』そのものと言った、エレブレス山の女神を長姉に、三姉妹の末の妹となるようなソフトは存在しないはずだ。少なくとも世間一般では。
だが、俺の実家のどこかに眠る、真っ黒な表紙にホワイトで「極秘」と書かれたノートには、その存在が記されている。
俺は本気で『ドラゴン・クレスタ』の制作会社に就職することを夢見ていた。
そして『ドラゴン・クレスタ』シリーズの企画に携わりたいと思っていたのだ。
エンドロールで小さな文字でいいから、「企画・明日本亜門」なんて表示されたら本望だった。
そのための企画を俺はずっと温めていたのだ。
思い返してみれば、俺の構想では、次作は海での冒険をメインテーマにするつもりだった。
今、考えてみると陳腐な発想だ。だが、当時は真剣だった。
ケートスにシードラゴン、シーサーペントにジャイアント・オクトパス、クラーケン、そしてリヴァイアサン。
皆、俺が登場を想定していたモンスターだ。
そしてリヴァイアサンがベヒモスを苦手とすることも、俺が考えた設定だ。
だが、それも二十年以上前のことなのだ。
それに当時の俺は、今の俺よりずっと重度の中二病患者だった。
その俺が考えた内容を思い出すのは、思った以上に骨の折れる作業なのだ。
俺が慢性中二病とならず完治していたら、話にもならなかっただろう。
制作会社の破綻が、俺を普通とは違う悲劇的な物語の主人公だと認識させ、病からの回復を遅らせて、遂にはこの事態を誘発したのかもしれない。
どこまでゲームに人生を左右されているんだと思われるかもしれないが、放っておいてほしい。
(とにかく奴の名前、セヤヌスの例を考えると、ゲームのサブタイトルを思い出すしかないな。だが……)
そう考えているうちに、俺たちの前に巨大な積乱雲が姿を現していた。
その遥か後方には真っ黒な空が壁のように広がっている。
俺たちを乗せたホワイト・ドルフィンズとでも呼びたいイルカたちは、真っ直ぐにその雲の下へと入って行く。
雲が割れ、そこだけが日の光で明るくなった海の上を進みながら、俺は必死に冥王の名前を思い出そうと記憶をたどっていた。