第百六話 女神の正体
「あなたはお姉様のために、この世界に残ったわけではなかったのですね」
黙ってしまった幼い声に代わり、今度はセヤヌスが尋ねてきた。
「『お姉様』って、エレブレス山の女神のことだよな?」
俺は念のために確認する。
「女神。そうね。人間にはそう見えるでしょうね。理想の女性像。お姉様らしいわ」
「いや、別に理想の女性像ってわけではなくて、あのドラゴン・ロードの力は『神』そのものだろう。それが女性の姿に変わったから女神だと思ったんだが」
セヤヌスだって似たような姿をしているから、人の事は言えないと思うぞ。
「ドラゴン・ロード。それは本当は私が取るべき姿だったはず」
セヤヌスは急にそんなことを言い出した。
その声は相変わらず澄んだ美しいものだが、先ほどからそこに不愉快そうな気分が含まれているように聞こえる。
どうやらここにいるふたりは、あの女神の妹たちとはいえ、あまり仲は良くなさそうだ。少しくらいなら悪口を言っても問題はなさそうに思える。
「俺はどちらかと言うと、お前たちのお姉様のやり口には納得がいかないな。この世界に残ったのだってある意味、彼女の提案に反発を覚えたからだし」
本当にそうなのだ。彼女が変に策を弄さず、ちゃんと俺にチートな能力を……。いや、もうやめておこう。
「お姉様は本来、私が果たすべき役割まで取っていってしまった。もちろん断りはあったけれど、私に任せてくれたっていいのに、そう思ったわ」
どうもあの女神は妹たちの気持ちを考えず、かなり強引に自分だけで物事を進めたようだ。でも、そんなことを俺に愚痴られてもな。
「あのいつも取り澄ました顔のお姉様に一杯食わせたのよ。愉快じゃない」
急にまた、あの幼い声が神殿に響く。本当に一体どこに隠れているのだろう。
「相変わらずね。そんなことを言って」
セヤヌスは少し呆れたような、でも諦めたような様子でそう言った。
「お姉様だってそう思っているでしょう。相変わらず偽善者ね」
何だかこの二人も仲が良いのか悪いのかよく分からなくなってきた。たった三人だけの姉妹だし、仲良くした方がいいと俺は思うぞ。
その後、その幼い声の持ち主はセヤヌスに向かって、改めて俺を帰すように言った。
セヤヌスは、
「まったく。あなたはいつも勝手ね。でも、彼をここに留めておくことは私も本意ではないし」
俺にここを出て階段を下れば、またあの白いイルカが待っているから、それに乗って帰ることができると教えてくれた。
今度はあの階段を下りるのかと思うと、俺は少し憂鬱だったが。
俺が白いイルカに乗って、島へと引き返す『サンタ・アリア号』の側に姿を現すと、船の上ではちょっとした騒ぎになったようだ。
船が停まったのを確認して、俺がレビテーションの魔法で甲板まで上がって行こうとすると、イルカは名残を惜しむかのように、また「キュー」と鳴き声を出した。
やっぱりかわいいかも知れない。
甲板に上がった俺はパーティーの皆に囲まれた。
「アマン。無事に帰って来てくれたな。アマンのことだからと思ってはいたが。本当に良かった」
アンヴェルが俺の背中に腕を回し、しっかりと抱きとめてくれた後でそう言うと、
「賢者アマン。あなたなら、きっとお戻りになると信じていましたよ」
笑顔で迎えてくれたアリアの俺への信頼は、俺自身のそれを遙かに凌駕しているようだ。
「アマンが海へ消えて、この先どうなってしまうのかと思ったよ。帰って来てくれて本当に良かった」
エディルナもそう言ってくれる。素直な彼女の言葉はすんなりと俺の胸にも響いてくる。
俺なんかのことをそう思ってくれるなんて、本当に彼女はありがたい。
リューリットは相変わらず無言だが、正面からしっかりと俺を見詰めるその瞳は、少し潤んでいるようにも見えた。
それにしても、元いた世界に戻ったら、こんな風に俺を迎えてくれる人なんているんだろうか。
(いや。戻ったら時間はこの世界へ来たときのままだと、女神が言っていたな)
そうなると、俺を迎えてくれる人なんているはずもない。
そんな世界へ帰るために余計な苦労をして、何だか報われない気がする。
あまつさえこの世界の危機まで招いてしまって、本当に踏んだり蹴ったりだ。
俺の右側ではベルティラが、左側ではアグナユディテがそれぞれ縋りつくようにして俺の腕をとり、今にも泣き出しそうな顔を見せていた。
「我が主よ。生きた心地もしなかったぞ」
そんなベルティラに続けて、アグナユディテが、
「アマン。おかえりなさい」
そう言って笑顔を見せてくれた。だが、
「ユディ。ただいま。心配を掛けたな」
俺の言葉に、彼女の頬にひとすじの涙が伝った。
「アスマットがあのイルカに連れられて行ってしまってから、その主人であろう女神セヤヌスのことを、必死で思い出しておったのじゃ。あの島でも色々とそれらしい情報も得られたしの」
俺たちは船室のひとつに集まって、トゥルタークの言葉を聞きながらお茶を飲んでいた。
あの嵐が嘘のように海は穏やかで、船の揺れも少ない。これならお茶の香りだって楽しむことができるというものだ。
トゥルタークによれば、ミリナシア姫が「少しでも皆さんのお役に立つのなら」と言って、島に伝わる伝承や古い記録などを、いくつか提供してくれたそうだ。
そのおかげもあって、トゥルタークは女神セヤヌスについて少し思い出すことができたようだ。
「セヤヌスはオーラアンティアのすべての海の支配者にして、慈悲深き女神ではあるが、猛烈な嵐を操り、逆らう者を海の藻屑と化す恐ろしい面も持ち合わせておる。伝承の中には、冥王ゼヤビスと同一視するものさえあるようじゃな」
どこまでがミリナシア姫から聞いた内容なのかは分からないが、かなり思い出せたこともあったようだ。
「そしておそらくは、わしたちを襲った積乱雲の暴風や雷鳴を、エンシェント・ドラゴンの鳴き声になぞらえたのであろう。別名を『古竜王の咆哮』とも言うらしいの」
トゥルタークは何の前置きもなく、何気ない様子でそう言った。
『古竜王の咆哮』だって?
(それって『ドラゴン・クレスタⅡ』のサブタイトルそのままじゃないか!)
危うく叫びそうになりながら、俺はその言葉を何とか飲み込んだ。
だが、心臓の鼓動が早くなり、上気してしまうのを抑えられなかったようだ。
「アマン。大丈夫? 何だか顔が赤いわよ」
アグナユディテが心配そうに俺の顔を覗き込んできた。
「いや。大丈夫だ」
そう言って誤魔化すが、普段の顔色にはそう簡単に戻りそうもない。
大賢者であるトゥルタークに向かってなんだけど、暴風や雷鳴をドラゴンの咆哮になぞらえるだなんて、いくら何でも牽強付会ってやつだと思うぞ。
だが、確かにセヤヌスは、ドラゴン・ロードは自分が取るべき姿だったと言っていた。
そしてエレブレス山の女神は自分のことを『ドラゴン・クレスタ』そのものだと言っていた。
だからセヤヌスは『ドラゴン・クレスタⅡ』そのものだということか。
言われてみれば、お姉様である女神が「私の果たすべき役割まで取っていった」とも言っていたな。
女神自身も、特別に続編までプレイさせたと言っていた気がするし。
だが、セヤヌスが「Ⅱ」だとすると、俺が名前を思い出さなければならないもうひとつの声の主、おそらくこの世界の人たちが『冥王ゼヤビス』と呼ぶであろうあの声の持ち主はいったい誰なんだ。
三人姉妹の一番下の妹みたいだったけれど、『ドラゴン・クレスタ』に「Ⅲ」があったなんてことはあり得ない。
「Ⅱ」でさえβ版の制作までいったかどうかだったのだ。
日本一の『ドラゴン・クレスタ』フリークを自認する俺の記憶なのだから間違いないはずだ。
もしシリーズ化されていたら、俺の人生もまた違ったものになったのかも知れないし、それはそれで恐ろしいことのような気もするが。
「アスマットよ。そなた先ほど連れていかれた先で、女神セヤヌスと冥王ゼヤビスらしき者と会ったと言っておったの。それでどうじゃった。目的は果たせたのかの?」
トゥルタークに促され、俺はあの神殿での出来事を皆に話すことになった。