第百話 身代わりのダークエルフ
「女神の使いに導かれし者よ。姫様の御前に進み、頭を下げよ」
俺たちがその小さな屋敷のような建物に入ると、それに合わせたように声が掛かった。
建物の中は薄暗く、目の慣れていなかった俺には分かりづらかったのだが、部屋の奥は一段高くなっており、中央には椅子に座った人物が一人、そしてその左右には、おそらくは中央の人物に侍立しているのだろう数人の人の姿が目に入った。
いきなり騒動を起こす気もないし、とりあえずは言われたとおり少し前へ進んで頭を下げる。アグナユディテとベルティラも、俺にならってくれたようだ。
「道中、さぞかし難儀だったであろう。この地へ着いたからにはもう安心だ。正統なる王国の民となることを許すゆえ、まずは疲れを癒すがよい」
向かって左側の人物から声がかかるが、俺たちをここへ連れて来てくれた人たちは、どうもこの屋敷の人たちに俺の言った事情を伝えてくれてはいないようだ。
白いイルカのおかげでこの地に流れ着いたと思われている気がする。
「いえ。私たちは船でこの島へやって来ました。まずは水と食料の補給をお願いしたいのですが」
やはり、俺の答えに皆、驚いたようだ。
先ほども俺たちの上陸地点を訪れた男たちに即座に否定されてしまったから、また噓つき呼ばわりされるのかもと俺は心配になった。
「そこもとはいったい何者なのだ?」
今度は、向かって右側から問い掛けられる。
「私はアスマット・アマン。王国大宰相です。このふたりは……」
俺がそこまで言ったところで、
「王国大宰相だと!」
急に周りから声が上がり、屋敷の中の空気が一変した。
(まあ、さすがに驚くよな)
こんな場所に突然、普通は王宮の奥深くにいるはずの王国の重臣が現れたのだ。
驚くなと言う方が無理な話だろう。
だが、周りの人たちの驚きは、そんな俺の考えとは別の種類のものだったようだ。
「王国大宰相ということは、貴様、ファーランフェンに繋がる者か!」
先ほどまでの友好的な態度は何処へやら、急に貴様呼ばわりだ。
ファーランフェンって、どこかで聞いた気がするけど思い出せない。
「いや。私は確かに王国大宰相ですが、そのような人とは関係はありません」
そう正直に答えたつもりなのだが、納得してもらえなかったようだ。
「嘘をつくな。あの狡猾なファーランフェンが、自らの跡を継ぐ者たち以外に王国大宰相を名乗らせるはずがない!」
その声が合図だったかのように、中央に座る人物を守るように全員が立ちはだかった。
「こやつらは敵だ! 排除しろ!」
大きな声で呼びかけると、わらわらと先ほどの門番たちなどが屋敷の中に乱入してくる。
だが、いかに武器を持たないとはいえ、高レベルの俺たちをどうにかすることなんてできるはずがない。
襲い掛かって来る者たちを、アグナユディテとベルティラが次々と打ち倒していく。
二人ともそんな訓練はしていないのだが、戦い方を見ていると拳法家のようにさえ見える。
呼びこんだ者たちが全滅しそうな様子に、奥にいた人たちから、
「ば、化け物」
と声が上がり、彼らは逃げ出したようだ。「化け物」だなんて、アグナユディテとベルティラに向かって本当に失礼だ。
(俺だって、一人くらい……)
そう思って前へ出ると、
「危ないっ!」
ベルティラの声が響き、彼女が素手で、俺に向かって飛んで来ていた何かを叩き落としたようだ。
「吹き矢よ!」
アグナユディテには分かったらしく、柱の陰に隠れていた敵に突進し、そいつを打ち倒した。
それが最後に残った敵だったようで、急に屋敷の中は静かになった。
「終わったか」
友好関係を築くつもりだったのに、結果として、思い切り敵対関係になってしまった。
この島まで俺たちのことが伝わっているはずもないから、実力を知らないのは仕方ないのだが、戦闘を挑むとは愚かにも程がある。
たかが名もなきモブキャラ如きが、俺たちに指一本、触れられるものか。
だが突然、俺のすぐ横でガタンという音がして、俺が振り返ると、ベルティラがガックリと膝を落とし、そのままドウと床に倒れ込んでしまった。
「ベルティラ! どうした。大丈夫か?」
倒れたベルティラに駆け寄って抱き起こすと、彼女は、
「我が主が無事で良かった……」
そう言って小さく笑みを見せた。
だが、額には玉のような汗が吹き出し、彼女の身体に異変が起こっていることは明白だ。
俺の腕にその身を預け、ぐったりとしたベルティラ。
そんな弱々しい彼女を見るのは、賢者の塔に側に倒れていた彼女を運び込んだとき以来だ。
俺は自分の不用意な行動を悔いた。
「アマン。きっと毒だわ。早くアリアに……」
アグナユディテの声に俺は我に返った。
だが、アリアのところへ戻るにはベルティラの力が必要だ。
「ベルティラ。行けるか」
俺が声を掛けると彼女はうっすらと目を開き、小さく頷いたようだ。
そして右手を挙げようとする様子を見せる。
俺がベルティラの右腕を掴み、いつも彼女がそうしているようにそのまま頭の上まで引き上げると、周りの景色が歪み、俺たちは無事に上陸した砂浜に跳ぶことができた。
「アリア。ベルティラがやられた。頼む」
狭い砂浜であったことが幸いし、俺はアリアの姿をすぐに見つけることができた。
エディルナと交代で彼女が船に戻ったりしていたら間に合わなかっただろう。
「これは強い毒ですね。すぐに神のご加護を」
アリアはそう言って、すぐに呪文を唱えてくれる。
彼女の掌から温かい色をした光が溢れ、それは球状の光となってベルティラを包んだ。
(成功したのか?)
俺は固唾を飲んで、その様子を見守っていた。
ベルティラはまだ目を覚まさないが、呼吸がずいぶん楽になっているようだ。
「もう大丈夫だと思います」
アリアの言葉に、俺はホッと安堵の息を漏らす。
彼女が言うのなら、もう大丈夫だろう。
改めて思うけど、アリアの魔法って本当に万能だよな。
ショートソードでも身に付けていたら、ベルティラは放たれた吹き矢を刀身で叩いたかもしれない。
二人が素手で無双する様子に俺も完全に油断していたし、以前、トゥルタークも懸念していたが、毒はいくらレベルが高くなってもやっかいだ。
ベルティラだって、普通の人からしたら途轍もないステータスなのだ。
低レベルの者だったらおそらくは即死だっただろう。
何とかアリアのいる砂浜まで跳べたのは、本当に不幸中の幸いだった。
「我が主とともに、どこまでも行きたかった……」
ベルティラは口からうわ言のようにそんな言葉を漏らしていたが、いや、もう問題ないから。
だが、俺が個人的に元いた世界とこの世界との両立を求めたがために、ベルティラを危険な目に遭わせたのだ。
あの吹き矢は王国大宰相である俺を狙ったものに違いなかった。ベルティラは俺の身代わりになったのだ。
こんな目に会うのなら、もうずっとこの世界で暮らすだけでもいいのではないか。そう思えてくる。
そんな風に考えている俺の姿に気付いたのか、アグナユディテが近づいてきて、寄り添うようにしてくれる。
「アマンには憂いを持っていてほしくない。心から笑っていてほしい。彼女もそう思っているのだと思うわ」
アグナユディテはそう言ってくれた。
「エルフを我が主の側にいさせたくない。離れさせたい」
ベルティラの口から今度はそんな言葉が聞こえた。
彼女、もう目を覚ましてないか?
パーヴィーの王都で過ごした三百年には負けるが、俺だって四十数年、前の世界で暮らしたのだ。そんなに恵まれた生活を送ってきたとは思わないがそれなりに思い入れはある。
だからこそ、冥王ゼヤビスに会おうなんて考えたのだ。
もちろんラノベやゲームには多々思い入れがあるしな。
もうこうなったら砲艦外交もやむなしだ。
あの姫様に『エターナル・バインド』を喰らわせて、生涯、人質としてこの島の奴らを支配してやろうかとも思ったが、ベルティラの一件に彼女の指示があったか分からないから、さすがにそれはやり過ぎかと思い直した。
(いかん。久しぶりの邪悪な考えに俺の理性が呑まれてしまいそうだ)
アリアが俺の信奉者になってしまったから、自分で律しなければならず、いい加減な俺にとっては大変な負担なのだ。
師であるトゥルタークは人の事には我関せずといった傾向があるし、あと俺に意見してくれるのはアグナユディテくらいか。
既にこの島の奴らとは一度、戦端を開いてしまっているのだ。
この浜辺へ攻め寄せて来られると、船員たちに被害が出かねない。
船員が失われると、いくら俺たちが残っていても船を動かすことができなくなってしまう。
(漂流記でもあるまいし、この島でずっと暮らすのはごめんだな)
考えると自ずと選択肢は限られてくる。
「よし。先手必勝。攻撃は最大の防御なりだ。もう一度、あの浜辺へ向かうぞ」
せっかく上陸した浜辺だが、船員たちにはトゥルタークとベルティラを連れて『サンタ・アリア号』に戻ってもらい、俺たちは海沿いを進んで行く。
トゥルタークは、
「また、アスマットに良いところを持って行かれるか」
と残念そうだった。
いや、今回も本当に遊びに行くのではないのだが。