第九十六話 大陸東端へ
俺たちの乗った『サンタ・アリア号』はチヤナカラ海峡から南下し、アギアン海を陸に沿って進み、東へと方向を変える。
航海士によれば、アギアン海は北のマーラ海に比べれば波も穏やからしい。季節にもよるとは言っていたが。
それでも船はけっこう揺れる。
「アリアのおかげで助かったわ」
「まったくだ」
アグナユディテとリューリットは、そう言ってアリアに感謝していた。彼女の癒しの魔法のおかげで船酔いから解放されたようだ。
まあ、俺もご多分に漏れず癒しの魔法のお世話になって、醜態を晒さずに済んだのだが。
「先生は平気なのですね。以前、船に乗られたことがあるのですか?」
船室のデスクで本を読んでいるトゥルタークが羨ましく、俺がそう問い掛けると、
「アスマットよ。よく目を開くのじゃな。まあよい。魔法にはこういった使い方もあるのじゃ」
そう言われて見てみると、トゥルタークが座る椅子はこぶし一つ分くらい浮いている。
どうやらレビテーションの魔法を使っているようだ。
それでも大きな揺れは回避できない気がするが、かなり軽減はされるのだろう。
(自分だけずるい)と俺は思ったが、まあこういった使い方ができるかも魔法使いの力量のひとつだろう。
魔力の無駄遣いの気もするが。
「キャプテン。一時の方角に大型の魔物らしき影が見えます。おそらくはシーサーペントです」
「分かった。すぐ行く」
航海士の一人に呼ばれ、俺はトゥルタークとともに甲板へと向かう。
キャプテンなんて呼ばれているが、俺には海の知識なんてない。
それでも魔法があるから、第一主砲塔の役割なら果たせる。トゥルタークに第二主砲塔だと言ったら不服かもしれないが。
甲板にはアグナユディテの姿があった。
「あそこ。シーサーペントよ」
彼女の指さす方向を見ると、確かに巨大な蛇のような魔物が時々海面の上に姿を見せながら近寄って来ているようだ。
「ヴェネ トゥーラ キュヴォファベース トゥユヴァーセ キネーセ」
シーサーペントはかなりの速度で近寄って来てはいるようだが、まだ多少時間がありそうだったので、俺は余裕をもって呪文を唱えることができた。
トゥルタークも今回は俺に任せてくれるようだ。
「ライトニング・ミネトゥリス!」
俺の魔法がシーサーペントに炸裂し、奴はその身体を半ば引きちぎられたような姿になって、そのまま海の底へと沈んでいく。
だが……、
ドンッと言う音とともに船が大きく揺れ、俺は危うく転倒しそうになった。
「アスマットよ。レビテーションじゃ!」
(えっ。えっ。レビテーションって?)
トゥルタークの言葉に俺は一瞬そう慌てたが、すぐに彼の意図を悟って急いで呪文を唱えていく。トゥルタークも無茶を言うなとは思ったが。
「ルカデヴィー ヴァヨ トゥーラ ヴォネドゥーロ トゥーリ ギュノ」
トゥルタークも俺がレビテーションの呪文を唱えるのと同時に、攻撃魔法を準備しているようだ。
そして、
「レビテーション!」
俺の力ある言葉に船がふわりと、いや、ザバーン! と音を立てて海の上へ浮かび上がる。
「すごいわ! 空飛ぶ船よ」
アグナユディテが興奮気味にそう言うが、いや、長時間は無理だから。
そして続けて、
「アイシクル・マーヴェ!」
トゥルタークの魔法によって出現した数多の氷の矢が嵐のように、だが正確に下から船を襲おうとしていたシーサーペントの群れを一気に壊滅させた。
「ふたりともお疲れ様。最近、ますます化け物じみてきたわね」
労いの言葉なのかどうか、アグナユディテがそう言って、それでも俺たちに笑顔を見せる。
いつから甲板にいたのか知らないが、シーサーペントの群れが襲ってきたのって、彼女がいたからじゃないのだろうか。
サマーニの町でも思ったが、どうやら海の上でもエルフは魔物に狙われるようだ。
ハリウッド映画みたいに彼女が船の舳先の上に立って両腕を広げてみたりしたら、いくら俺やトゥルタークがいてもこの船はもたない気がする。
だが、明るい日の光の下、金色の髪を海の風になびかせる彼女はとても美しく、気持ちよさそうだ。
ずっと船室に籠っていろと言うのも酷だろう。
それでも俺は、
「ユディ。あまり甲板に長くいると日焼けするぞ」
そう彼女に注意を促すことを忘れなかった。
「そ、そうね。アマン。気づかせてくれてありがとう」
そう言って、彼女はそそくさと船室に引き上げていった。
インドア派の俺も日焼けは苦手だったからな。気持ちはよく分かる。
アグナユディテが引っ込んだからか、幸いその日はもう魔物に襲われることもなく、航海は順調に進んだ。
航海士に聞くと、シーサーペントの群れが陸から近いあんな場所に姿を見せることは滅多にないそうだ。
「沖には魔物がうじゃうじゃいますから、陸地から離れるのはとても危険なんです」
彼はサマーニでも屈指の操船技術を持つ熟練の航海士らしく、船乗りたちは彼の指示に素直に従っているようで、そういう意味でも思った以上に順調な船出だった。
こういう場合って、誰がトップになるかとかで、ひと悶着あるのが普通だと思っていたのだが、そんなこともないらしい。
「風向きも良好ですし、これならかなり早く大陸の東端に到達できそうです」
そう言う彼に、俺は(まあ、風が凪いだとしても、俺やアグナユディテの風の魔法もあるからな)と思ったが、魔力はできるだけ温存したいからな。
そうして幾日か航海を続け、『サンタ・アリア号』はいよいよカーブガーズの東端、つまりはこの大陸の東の端に近づいた。
海の上からでも遠く霞むようにではあるが、エレブレス山らしき高い山の姿を拝むこともできる。
ここから先は誰も船を進めたことのない外洋へと乗り出すことになる。
切り立った崖が続く中、それでも俺たちは何とか上陸できそうな、小さな森がある平地を見つけ、水などが補給できないか小船に乗って確認してみることにした。
俺も含め上陸希望者は多かった。というよりもパーティーの全員が久しぶりに陸に上がりたがった。
だが、船に誰も残らない訳にもいかない。
少なくとも主力兵器である俺かトゥルタークのどちらかは残るべきだろう。
となると、俺が足で陸を踏むためにはトゥルタークに残ってもらう必要があり、俺はまた必死で説得をすることになった。
「見たところここは東の端とはいえ、カーブガーズの他の場所と植生もそこまで変わっておる訳ではなさそうじゃ。まあよい。わしはここまでの航海の様子や海の魔物の生態などを備忘録にまとめておるから、アスマットが行ってくればよいわ」
トゥルタークがそう言ってくれたので、俺はパーティーの皆と森の広がる陸地へと上陸できることになった。
トゥルタークの備忘録って、結局は役に立たないものではと思ったが、当然、口には出さなかった。
浅瀬に小船を近づけ、そこから先はレビテーションで小船もろとも上陸する。
誰も入ったことのない砂浜はとても綺麗で、このビーチにパラソルでも立てればリゾート気分が味わえそうだ。
「小さな川があるようだな」
真面目なアンヴェルは、すぐに当初の目的である真水の確保のできそうな小川を見つけてくれた。
「うん。この水なら飲み水として使えそうだな」
さすがにいきなり口をつけたりはしていないが、エディルナもそう言ってくれる。
まあ、船には魔法使いが多く乗っているから最悪、火炎系の魔法で煮沸して飲んでもいいし、水については何とかなりそうだ。
サマーニを出て、それほど長く航海したわけでもないので、まだ水を入れる樽にも空きはそれほどない。
すぐに持ってきた樽は水でいっぱいになり、それを小船に積み込んでレビテーションで海へと戻し、俺たちと一緒に上陸した船員が沖に停泊している『サンタ・アリア号』まで運んでいく。
(これで彼らが帰ってこなかったら、俺たちはここに置き去りだな)
一瞬、身震いするような気がしたが、ベルティラが俺たちと一緒にいるからなんてことはない。
トゥルタークも船に残っているから、そんなことをしようものなら只では済まないはずだ。
だが、そうして小船が戻っていくのを見ていた俺の耳に突然、聞き覚えのある女性の声が聞こえ、俺は今度こそ本当に身震いすることになった。
「明日本亜門さん。どちらへ行くのですか?」
その声は、俺にそう呼び掛けた。




