第九十四話 風の護り
「閣下。ところで女王様はこのことをご存知なのですか?」
ティファーナにそう問われて、俺はさすがにばつが悪い。
自分の主君である女王様に、まだ出立を伝えていないのだ。
別に忘れていたわけではない。女王様はいつもお気遣いくださり、俺なんかの大宰相としての手腕と、カーブガーズの将来性に期待して下さっていると、おっしゃってくださっていた。
だから俺の個人的なことのために、それらを投げ出すようで言い出しにくかったのだ。
何の言い訳にもならないのだが。
「では、すぐに謁見をお願いして参りましょう」
ハルトカール公子はそう言って王宮へ向かうと、本当にすぐに戻り、
「女王様はお会い下さるそうです」
もう謁見の機会を取り付けたようだ。
俺なんて、魔術師ギルドのマスターでさえ会ってもらえなかったのに、どういう方法でお忙しい女王様にお会いいただけるよう取り計らったのか、本当に不思議だ。
だが、そのおかげで勝手に領地と職務を放棄して旅立つという大失態を犯すことなく、女王様の許可をいただいて、穏便に事が進められそうだ。
急ぎ謁見の間に向かうと、女王様は既に玉座にいらっしゃった。
俺がご挨拶と、突然の謁見をお願いした上、お待たせして申し訳なかった旨を申し上げると、女王様はいつものお優し微笑みを浮かべられ、
「大公が謁見を求められるとは珍しいですね。何か特別なことがおありなのですね」
そう、おっしゃってくださった。
「今日は個人的なことなのですが……」
そう申し上げると、
「では、ここではなく場所を移し、私室でお聞きしましょう」
女王様は席をお立ちになり、そのまま奥から謁見の間を出て行ってしまわれた。
俺の下には侍女がやって来た。
「どうぞ、こちらへ」と、俺を案内してくれるようだ。
アグナユディテは何故かとても不安そうだが、さすがに女王様の私室に護衛を連れて行くわけにはいかないだろう。
「王宮の中だし大丈夫だ」
俺がそう言っても彼女の表情は晴れない。
いくら何でも心配しすぎだと思うが、俺ってそんなに恨まれているのだろうか。
まあ、宰相府に元いた連中なんかからしたら、俺は不倶戴天の敵なのだろう。実際に一度、襲われているしな。
でも、俺だって自分の身くらいは自分で守れるのだ。
「アマン。待って」
俺が侍女について行こうとすると、アグナユディテはそう言って引きとめ、俺に精霊魔法を掛けてくれた。
必要ないとは思うが、まあ、俺のことを思ってしてくれたことだし、ぱっと見、分からないだろう。
俺は「では、行って来る」と言って、少し慌てて侍女の後に従った。
「このことを知っているのは?」
俺が異世界からトゥルタークに召喚されたことを伝え、『冥王ゼヤビス』を求めて東の海を探索しようと考えていることを伝えると、女王様は俺にそう問い掛けられた。
「パーティーの仲間と、宰相府の三人だけです」
俺の答えに、女王様は天を仰ぐような様子を見せられ、
「では、宰相府の三人には、私からも決してこのことを外へ漏らさないよう命じましょう。賢者様も不用意に、これ以上秘密を知る者を増やさないように願います」
そう、嘆息するようにおっしゃった。
俺は、もう今さら誰に知られようと構わないと思っていたのだが、異世界から来たことを知られたら、俺が異世界からの尖兵で、侵略の手引きをするのではないかと想像を逞しくする者でもいるのかもしれない。
でも、そのために俺が大宰相の地位から滑り落ちることになっても、もうティファーナも宰相府を辞めたりしないだろうし、ハルトカール公子と、できればイベリアノが残れば、王国の政治は回っていくはずだ。
俺なんて実はまったく余人をもって代え難しってわけではないのだ。まあ、分かってはいたが。
俺だって別に王宮から追放されたからといって、困ることは何もない。食べていくくらいなら俺の力で何とでもなるだろう。
「承知いたしました。ですが、私は別に困りませんので」
そう申し上げると女王様は、
「いえ、私が個人的に困るのです」
そうおっしゃった。
そのお言葉に、俺の大宰相としての才覚にそこまで期待してくださっているのかと思ったが、「個人的に」ともおっしゃっているからちょっと違う気もする。
考えてみれば、女王様はかなり俺に肩入れしてくださっているから、その俺が異世界の人間だったと知られると、女王様の立場にも良からぬ影響が及ぶのかもしれない。
(それは本意ではないな)
俺はそう思ったが、こういった秘密って、どこからか漏れてしまうことが多いんだよな。実際に本当のことだし。
「船で海に出られるのですね。では、サマーニのカルロビス公に船を用意するように命じましょう」
女王様のお言葉に、俺はまたあの町かと思ったが、大型の船を調達できる町なんて、あの町の他にはなさそうだ。
俺がそう考えていると、女王様は、
「賢者様。必ず無事にお戻りください。それから……、賢者様の航海の安全のために、また、おまじないを差し上げたいのですが」
そうおっしゃって席を立たれ、俺に歩み寄られた。
俺も慌てて立ち上がろうとすると、女王様は、
「賢者様。そのままで」
そうおっしゃって、もう俺のすぐ側にお立ちになり、少し膝を曲げ、腰を落とされた。
(うわっ。女王様のお顔が目の前だ)
何だかいい香りもするし、真っ白な肌に少し赤みを帯びた頬もとても美しい。
臣下としてあるまじきことなのかもしれないが、とても魅力的だと思ってしまう。
女王様は青い瞳で俺を見詰められたかと思うと、さらにお顔を近づけられ……、
バシッ!
「キャッ!」
突然、何か弾くような音がして、女王様は小さく声を上げられた。
そういえば、ここへ来る前、アグナユディテがなにやら呪文を唱えていたが、どうやらその「風の護り」が発動したようだ。
「大丈夫ですか」
俺が慌ててそう尋ねると、女王様は我に返られたように、
「いえ。大丈夫です。賢者様はいつも彼女に守られているのですね」
何だか寂しそうに、そうおっしゃった。
パーティーの皆が待つ控えの間に戻ると、俺は女王様のお計らいで、サマーニの町で船を用意してもらえることになったことを伝えた。
「それから悪いけれど、俺が異世界から召喚されたことは秘密にしておくよう女王様からご指示があったから、皆にもそのつもりでいてくれるようお願いしたいんだ」
「俺は別に知られても構わないと思っているのだが」と付け加えてトゥルタークを見ると、
「アスマットは王家にとってもコントロールが難しい存在であるからな。まあよい。これ以上トラブルの種を増やしたくはないのであろう」
そう解釈してくれる。
(でも、「個人的に」ともおっしゃっていたんだよな)
俺がそう思っていると、アグナユディテが、
「いいえ。違うわ」
珍しくそう声を上げたので、俺は驚いてしまった。
「じゃあ、どうしてなんだ?」
俺がそう聞くと、彼女は、
「言いたくない」
そう言って、プイと横を向いてしまった。
大賢者であるトゥルタークの発言を否定しておいて、それはないだろうと思うのだが。
ふとベルティラを見ると、また彼女はニヤついているようだったので、
「ベルティラは分かるのか?」
そう俺が聞くと、彼女は急に真顔になり、
「い、いや。何のことだかまったく分からぬな」
と何だか怪しい様子だ。
どうも何だか要領を得ない気がして、不愉快とまでは言わないが、あまりすっきりした気のしない俺に、エディルナが、
「とにかく女王様もご承知おき下さることになって、良かったじゃないか。サマーニで船も用意して下さるのだろう」
そう言ってくれたので、俺たちはとにかくサマーニに向かうことにした。
相変わらず、少し消化不良のような気分であることは否めないのだが。




