第一話 異世界転生
今夜も俺、明日本亜門は、ファンタジーロールプレイングゲームの世界でレベル上げに勤しんでいた。
小学生のころからだから、もうかれこれ三十年以上か。
人間、本当に進歩しないものだとつくづく思う。
進歩したのはゲームとネットの方で、俺が子どもの頃にはまったゲームなど、今から考えれば子どものおもちゃみたいなものだ。
実際、子どものおもちゃだったのだが……。
そういうことではなく、ゲームもネットも驚くほど進化した。
それと比べられるのは酷だが、俺の方はもう四十を過ぎたというのに結婚もせず、相変わらずゲームとラノベ三昧の日々だ。
廃人になるほどの度胸はないので、平日はそれなりにちゃんとサラリーマンをしているが。
職場では「独身貴族はいいね」なんて皮肉を言われているが、あたり前だが貴族なんてラノベの世界でしか見たことはない。
貴族と言っても、ほとんどが悪役令嬢だが。
酒に酔った同期に「明日本のような奴を、こじらせ男子と呼ぶらしいぜ」と言われたこともあるが、あえて言おう。すでにこじらせた程度ではない。病膏肓に入るというやつだ。
もうここまでくれば、あとの人生、RPGとラノベがあれば生きていけるような気がする。俺はそんな男だった。
そうしてレベル上げをしていると……。
深夜零時。それまでゲームの世界を映していたパソコンの画面が突然、銀色に輝いた。
(最近は見なくなったフリーズか? まずい。ここまで稼いだ経験値が)
そう思う間もなく、パソコンの画面がスマホのカメラを反転させたときのように鏡になった。
驚いた俺の間抜けな顔が画面に映ったかと思うと、その瞬間、俺の背後にも同じような鏡が現れ、目の前の鏡に背後の鏡が映り込み、その背後の鏡の中に前の鏡が映り込んで……鏡の回廊が形作られた。
そして、その直後、前後の鏡が俺に近づいてきて……俺はそのまま永遠に続く鏡の回廊に閉じ込められてしまった。
閉じ込められる瞬間「……しんでください……」という女性の声が聞こえたような気がしたのだが、気づいた時には俺は頭を抱え、大きな鏡の前にしゃがみ込んでいた。
「若い男か。まあよい。そなた、どこの国の者じゃ?」
背後から老人の声がそう問いかけてくる。
俺が振り返ると、青い目の老人が俺を見ていた。
灰色のローブを身に着け、片手に大きな杖を持ち、白く長いあご髭をたくわえたその姿は、どう見ても典型的な魔法使いといった感じの格好だ。
(おいおい。いい年をした、しかも外国人がコスプレか? でも、日本語お上手ですね)
などと一瞬思ったが、そもそも俺は自分の部屋でゲームをしていたはずだ。
(コスプレした外国人が俺の部屋へ住居不法侵入って。もしかしてハロウィン?)
そんな季節でないことは考えるまでもない。
だが、老人の背後に目を移すと、俺と老人がいるのは石壁に囲まれた見慣れない部屋で、家具や調度も、なにもかもが俺の部屋には無かったものばかりだった。
「え。あなたは? ここは?」
そう問いかけながら、もういちど鏡を振り返り、そこに映った自分の姿を見て、俺はさらに驚いた。
鏡には先ほどの杖を持った老人、石壁と蝋燭の炎、そしてテーブルや書棚が映っていたが、そこに在るべき俺の姿はなく、代わりに驚きに目を見開いた見知らぬ男がこちらを覗き込んでいた。
(俺が俺じゃない!)
老人の言ったとおり見知らぬ男は若かった。どう見てもまだ二十歳前だろう。四十代の俺とは肌の艶が違う。
それにくたびれた冴えないサラリーマンの俺とは違い、そこそこイケメンだ。
だが、鏡の中のイケメンは、俺が右手を挙げると左手を挙げるし、首を左に回すと同じように右に回すのだ。
(俺じゃないけど、俺だ!)
混乱の極みで不審な挙動を繰り返す俺を、老人が静かに見ていることに改めて気づき、俺は彼に顔を向ける。
アニメなら「ギギギッ」と効果音が入るところだ。
俺と目が合うと、老人はおもむろに話しはじめた。
「わしが先に問うておったのだがな。まあよい。わしは魔術師トゥルターク。そなたも我が名くらいは聞いたことがあるのではないかな。
そして、ここはクレスタラントの西のはずれ。シヴァースの町の郊外に立つわが住まい。賢者の塔などと呼ぶ者もおるがの」
「え。魔術師? 賢者? いったい何が」
「なんじゃ。わしのことを知らぬのか。まあよい。ではもう一度聞こう。そなたはどこの国の者じゃ? わしのことを知らぬのだ、大方辺境の地、アナダルあたりであろう」
「国は……日本……だけど」
「ニホン? 聞いたことのない国じゃな。まあよい。やはりアナダルあたりの小部族か何かの出身かの」
「えっ。ここは日本じゃないのか? クレスタラント、アナダルって外国……なのか? いったいどうなって」
その後、このトゥルタークと名乗る老人とかなりの時間、嚙み合わない会話を続け、自分が彼によってこの世界、彼らが「オーラエンティア」と呼ぶ世界に召喚されたことが分かった。
もちろん何度も頬をつねったり、叩いたりしたことは言うまでもない。夢なら覚めてくれと何度も祈った。
だが、一向に目が覚める気配はなく、相手が自分を召喚したのだと言うから、とりあえずそれで分かったことにして話を進めることにした。
それに石壁に開いた小さな窓から眺めた外の風景は、明らかに日本とは異なっていた。
なだらかな草原を下った先に、うっそうとした針葉樹の森が広がり、遠くには雪を頂いた山脈が見える。
舗装されていない道の先、河のほとりには石造りの家屋が立ち並び、その側で家畜がのんびりと草を食んでいる。
河を少し下った場所にある丘には、城壁に囲まれた町もあった。
テーマパーク……にしては規模が大きすぎるし、ゆっくりと畑を耕す農夫らしき人影が目につくくらいで客らしき人の姿はない。
少なくとも自分の家の周りでないことは確かだ。
外の様子も家の中も目の前の老人も、すべてが外国を思わせるものなのに、なぜか老人に日本語が通じることだけが救いだったが。
「なんと。と言うことは、そなたはオーラエンティアの者ではないと言うのか。確かにわしは召喚先をオーラエンティアの内に限ったわけではない。
だが、まさか異界の者が選ばれるとは思ってもみなかったこと。まあよい。これも定めなのであろう」
この俺を召喚しやがったじじい、もとい三百年前に魔王との戦いに打ち勝ち、魔王を封印した英雄の仲間のひとり、大賢者「トゥルターク」は、自身の後継者にふさわしい者を、その住みかである「賢者の塔」に召喚したとのことだった。
彼が召喚される者に求めた条件はただひとつ、「魔王との戦い方を最も良く知る者」。
だから、まさか異世界の人間が召喚されるとは思わなかったようだ。
トゥルタークと話しているうちに気がついたことがあった。
召喚された直後はあまりに気が動転していて分からなかったのだが、彼の口から出てくる国の名前や歴史に既視感を覚えたのだ。
ロールプレイングゲーム『ドラゴン・クレスタ』。
トゥルタークの語る内容は、もう二十年以上前にプレイしたゲームの内容にそっくりだった。
『ドラゴン・クレスタ』は、中世ヨーロッパ風の剣と魔法の世界を舞台としたファンタジーRPGだ。
ソフトショップで入手困難な人気ソフトとの抱き合わせで買わされたゲームだ。
国民的超人気RPGのコンセプトをほぼ丸パクリした、そこはかとなくB級感の漂うストーリーのゲームだった。
正直、買った当初はほとんどやる気が起きず、けっこう長い間、放置していたのだが、暇つぶしに読んだ説明書に載っていたプレイヤーズキャラクターの魔法使いの名前が、俺の興味を引いた。
「アスマット・アマン」
魔王を倒し、大賢者と呼ばれるようになる彼の名前は何となく自分に似ていた。
そして、いざゲームを始めてみると、もともとRPG好きの俺は思った以上にはまってしまい、やり込んでしまった。
恐らく五万回? はクリアしたと思う。
思えば低評価のB級ソフトの攻略に、貴重な学生の時間を惜しげもなく注いでしまった。
今ではその存在を覚えている人もほとんどおらず、話題としてもかなり微妙だし、まして自慢になどなりはしない。完全に黒歴史だ。
ここがもし『ドラゴン・クレスタ』の世界だと言うのなら、日本語が通じるのも理解できる。あのソフトは「Japan sales only」だったからな。
「わしもさすがに年をとった。わが魔力が不安定になったことで、魔王を封じる力は大きく削がれておる。残念ながら最近、魔族の活動が活発化しているのがその証しだ」
(そうそう。大賢者が亡くなることで封印が解け、魔王が復活するんだよな)
俺のゲーム知識がそう教えてくれる。
「勝手な頼みだが、跳梁する魔族どもを打ち滅ぼしてほしいのだ。報酬は、わが生涯で得た魔法の知識だ。わしの頼みを承知してくれるならば、すぐに伝授しよう」
本当に勝手な頼みだが、こうなれば仕方がない。俺は腹をくくった。やってやろうじゃないか魔族、そして魔王討伐。
転生した異世界で、ひとりの農民として額に汗して畑を耕し、大地の恵みに感謝して慎ましく平凡な一生を送る。
リアルではできなかった結婚もできるかもしれないし、そういうプレイもありかも、戦闘とか怖いし、と一瞬思ったが、そんな考えはかなぐり捨てた。
これまでどんな世界にも適応して困難をくぐり抜けてきた。適応力にだけは自信がある。もちろんゲームの中の話だが。
だが、リアルでも上司に「明日本君は本当に適応力が高いね。諦めが早いとも言えるが」と褒められた? 俺だ。
せっかく手に入れた異世界での第二の人生だ。この世界の魔術の泰斗である大賢者が、マンツーマンで魔法を教えてくれると言うし、これ以上の環境は望むべくもない。
魔法……慢性中二病患者にとってなんという甘美な響きだろう。
「そう言えば、わしとしたことが弟子の名前をまだ聞いていなかったの。おぬし、名はなんという?」
中二病に燃える俺は、自然にその名を口にしていた。
「アマン。アスマット・アマンです。先生」
学芸会の劇の配役決めみたいだなと少し思った。「あ、魔法使いアスマット・アマン。俺やるわ」なんて言えてたら、こんな感じだったのかなとも。
実際にはそんな度胸、俺にはなかったけれど。
「アスマット・アマンか。大賢者の名前にしてはちと軽いような気もするが。まあよい。その名が大きくなるかは、そなた次第だからの」
こうして俺は異世界「オーラエンティア」で、魔術師アスマット・アマンとして、新たな人生を歩み出したのだった。
『賢者様はすべてご存じです!』第一話をお読みいただきありがとうございます。
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