セイレーンの魔石
「落ち着きました?」
「ええ、ごめんなさい」
フィレーナさんはあれからしばらくの間、トルマリナの魔石を抱いたままその場で立ち尽していた。
「それでも本当にこの魔石結晶を貰っていいの?」
「はい。事情を聞いて私が持っているよりいいと思いました。貴重な物ならなおさらフィレーナさんが持っているべきですよ!」
「ありがとう。この子は妹みたいに思っていたから嬉しいわ。でも、私はお金も何も持っていないから何も返せないの」
フィレーナさんは手のひらに魔石を乗せるとこちらへ返そうとしてくる。
「そんな! 大切なものですしお金には代えられません」
「……貴方はとてもいい子ね。じゃあ、これをあげるわ」
「えっ!?」
「なっ!?」
私たちが止める間もなくフィレーナさんは胸の間に手を入れた。当然ながらそこからは血が流れている。
「うっ、くっ、はっ!」
「ど、どうしたんですかいきなり!」
「ちょ、ちょっと待っててね。良いものをあげるから」
「いいですから、すぐに手当てを!」
慌てて駆け寄ろうとする私たちを制してフィレーナさんは一段奥に手を突っ込んでから手を抜いた。
「くっ、はぁ……はいこれ」
「そ、そんなことより治療を! エリアヒール」
まだ血が流れているフィレーナさんにすぐ治療を施す。幸い、魔力を拒まれることはなかったのですぐに傷は治った。ただ、刃物でついた傷と違い傷口が綺麗ではないので、痕が残ってしまった。
「すみません。うまく治療できなくて……」
「いいえ、これでまた元気になったわ」
「それでこいつはどういうもんなんだい?」
ジャネットさんがフィレーナさんの血を拭きとりながら質問する。
「それは私たちセイレーンの魔力の源。いわゆるセイレーンの魔石と呼べるものね」
「えっ!? でも、セイレーンの魔石はトルマリナの魔石じゃないんですか?」
「いいえ。あれはセイレーンが水に還る時に残す魔力の塊。泡と消えるように魔力もどんどん失われていった涙の一粒。込められる魔法も100程度の魔力で使えるものでしょう」
「そういえば売ってくれたおじさんも珍しいとは言っていたけど、中級の魔法までしか込められないって言ってたような」
フィレーナさんが自分の身体から取り出した魔石とトルマリナの魔石を横に並べる。確かにトルマリナの魔石は水色で綺麗だけど、フィレーナさんの魔石は深い青色で海を思い起こす。
「でもこの魔石は私の水魔力の源泉。少なくとも200程度の魔力で使う魔法が込められるわ」
「えっ!? それじゃあ、フィレーナさんはもう水魔力が使えないんですか?」
「ええ。でも、心配はいらないわよ。私たちは喉の奥に歌を歌うための魔力が、さっき取り出した胸の奥に水魔力の素があるの。だから、水の魔法が使えなくなってもまだ歌に魔力を乗せることはできるわ。もっとも、水の魔力が消えてしまったから、もう150ぐらいしか魔力はないけれど」
「そ、そんな。なおさらこんな貴重な魔石を……」
フィレーナさんの突然の告白にびっくりする。まさか魔力が半分以下になるなんて……。歌に魔力を乗せることができるといっても、魔力依存の能力なら150の魔力まで下がってしまっては相手に効力を発揮できなくなるだろう。さっきはリックさんも寝たけど、もう効かなくなってしまったかもしれない。
「そんな顔しないで。別に陸で生きていくだけならこれぐらいの魔力があればいいわよ。だから気にしないで良いのよ」
「陸で生きていくって、海には戻らないんですか?」
「ええ。この魔力じゃ海では生きていけないし、歌を歌って生きていくわ」
「だ、大丈夫なんですか? お金の単位とかも知らないみたいですけど……」
「問題ないわ。そのぐらいはこの船にいる間に学ぶもの」
ポジティブな発言を繰り返すフィレーナさんだけど、実際は大変な生き方を選んでるんだからそれほどトルマリナの人は大事だったんだろうな。
「それにこの魔力結晶は水魔力でしょ? きっとあの子が守ってくれるわ」
「……分かりました。じゃあ、この船にいる間に私がその魔石を加工せずに飾りを作ります。それぐらいはさせて下さい!」
貴重な魔石を貰ったんだからそれぐらいしないと価値に合わない。トルマリナの魔石だって綺麗っていう理由で買っただけだし、しっかり良いものを渡さないとね。
「別に気にしなくていいけど、貴方なら信頼できるし任せるわね」
フィレーナさんは私を信頼してくれ、再びトルマリナの魔石を受け取る。
「それにしても今日はたったの一日で得られた情報が多すぎだな。物語としてセイレーンの逸話は知っていたが、まさか本人に会えるとは」
「そうだねぇ。つい先日、聞いたばかりの話が目の前にあるんだからねぇ」
「大変貴重な話をありがとうございます。本来であれば船長にも報告して、多く周知させるべきでしょうが、この話はここだけにしておきます」
「あら、悪いわね。それじゃあ、ついでで悪いんだけど一般常識もよろしくね」
「かしこまりました。アスカ様の特別なお客様ですし、最大限配慮させていただきます」
ベスティアさんもフィレーナさんの今後を考えて何とかしてくれるみたいだ。だけど、さすがに容姿で目立つだろうからどうするのか気になる。
「話はもういいわよね? じゃあ、アスカ。着替えたらまた一曲やりましょう」
「さっき血を流してたのに大丈夫ですか?」
「ええ。そういえばこの服汚しちゃったわね。ごめんなさい」
「いいえ、まだいっぱいありますから。それより着替えでしたよね? ベスティアさん、フィレーナさんに似合う服持ってませんか。多分、フィレーナさんの体形に合うと思うんですけど」
汚れてしまったし、丈も合わないのでベスティアさんに服をお願いする。
「はい。確かに私のサイズで大丈夫そうですね。すぐにご用意します」
ベスティアさんはそう言うとすぐにタンスを開けて服を選び始めた。
「おっと、リック。ここからは護衛に戻りな」
「そうだな。さすがに不味いか」
この後フィレーナさんが着替えるため、一時リックさんは退席した。
「では、こちらの服へお着替えください」
「分かったわ」
服を渡されて奥のスペースに行くのかと思いきや、その場でまたもや全裸になって着替え始めるフィレーナさん。
「彼女にまず教えるべきは羞恥心のようですね」
「そうですね」
いきなり人前で脱ぐ癖をまずはやめてもらわないと、と嘆息する私たちだった。
「着替え終わったわよ?」
「サイズも大丈夫でしょうか?」
「ええ、丈も今度はちょうどね」
「すみませんね」
遠回しに身長が低いと言われているみたいで、ややぶっきらぼうに返す。
「着替え終わったし、また演奏しましょう。今度は私の歌で眠る人も少ないはずよ」
「それじゃあ、行きましょうか」
再び魔笛を持って甲板に上がるとリュートの姿が見えた。
「あれ、リュート。どうしたの?」
「甲板に上がってアスカが戻らないから心配になって。それに僕も疲れてたのかいつの間にか眠ってたし」
「あっ、ちょっと色々とあってね。これから演奏するから聴いててね」
「うん」
甲板の端によるとフィレーナさんが話しかけてきた。
「さっきの男の子は?」
「リュートって言って私と一緒に旅をしてくれている男の子です」
「ふ~ん。ま、いいか。音を合わせましょう」
フィレーナさんは少し意味ありげに微笑むと音を合わせ始めた。
「私も合わせなきゃ!」
疲れていたこともあり、この後は三十分ほどだけ演奏して部屋に戻った。
「おっ、帰って来たかい」
「はい。ところでフィレーナさんの部屋が分からなかったので連れてきてしまったんですけど……」
「ああ、それならちょっとだけ狭くなるけど、って謝りながらベッドを一つ運んできてくれたよ。この方が安全だし良いと思う」
「私も賛成です。フィレーナさんは美人さんですし、甲板によく行くなら声もかけられると思いますから」
さすがに一等船室に乗り込んでくる輩はいないだろう。いたとしても船員さんが警備に立っているので比較的安全だ。
「それじゃあ、私は明日から細工に打ち込みますから笛は夜だけですね」
「悪いわね。私はその間、ベスティアに色々と聞くわ」
「はい、きっと優しく教えてくれると思いますから頑張ってくださいね!」
「ええ」
こうして私には船上での新しい目的が出来たのだった。




